コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「急進党」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Norakichi (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
40行目: 40行目:
[[1901年]]に「猛虎」とあだ名された[[ジョルジュ・クレマンソー]]によって結党され誕生した[[急進主義|急進]]的な[[共和主義]]・[[自由主義]]政党で、「急進社会党」の党名からは[[社会主義]]政党と考えられがちだが、実態は中南部の[[農民]]層を支持基盤とする[[中道政治|中道]]の政党である。[[フランス第三共和政|第三共和政]]下では中心的な政党として君臨し、反カトリック主義(反教権主義)を標榜して[[1905年]]に[[政教分離原則|政教分離]]法を成立させ[[カトリック教会|ローマ・カトリック]]の影響を政治介入から排除した。[[第一次世界大戦]]後には[[フランス社会党|社会党]]・[[フランス共産党|共産党]]を中心とした[[人民戦線]]内閣に加わるなど、フランスの政治に与えた影響は大きい。
[[1901年]]に「猛虎」とあだ名された[[ジョルジュ・クレマンソー]]によって結党され誕生した[[急進主義|急進]]的な[[共和主義]]・[[自由主義]]政党で、「急進社会党」の党名からは[[社会主義]]政党と考えられがちだが、実態は中南部の[[農民]]層を支持基盤とする[[中道政治|中道]]の政党である。[[フランス第三共和政|第三共和政]]下では中心的な政党として君臨し、反カトリック主義(反教権主義)を標榜して[[1905年]]に[[政教分離原則|政教分離]]法を成立させ[[カトリック教会|ローマ・カトリック]]の影響を政治介入から排除した。[[第一次世界大戦]]後には[[フランス社会党|社会党]]・[[フランス共産党|共産党]]を中心とした[[人民戦線]]内閣に加わるなど、フランスの政治に与えた影響は大きい。


[[戦後]]:の[[フランス第四共和政|第四共和政]]下では勢力が著しく後退するが、他の中道諸政党を糾合し中心指導勢力として国民議会内部での統一会派「共和派左翼戦線」を結成。[[ピエール・マンデス=フランス]]政権を誕生させ第四共和政の負の遺産の清算に挑戦するも、[[右翼|右派]]ド・ゴール派の隆盛と[[アルジェリア戦争]]の泥沼化により影響力を失う。[[フランス第五共和政|第五共和政]]下では[[共和国大統領 (フランス)|大統領]][[シャルル・ド・ゴール|ド・ゴール]]派を中心とした右派に対抗して社会党・共産党との共闘に進むが、[[1969年]]に[[:fr:Jean-Jacques Servan-Schreiber|ジャン=ジャック・セルヴァン=シュレーベル]]党首が就任すると左右両派と距離を置き中道勢力を結集させる方向へと向かう。このことから社共両党との共闘に熱心な[[左翼|左派]]が[[1972年]]に離党し(この流れが後に[[左翼急進党]]につながっていく)、残ったセルヴァン=シュレーベル派は独立共和派や民主中道派・民主進歩中道派と[[ヴァレリー・ジスカール・デスタン|ジスカール・デスタン]]支持に向かう。ジスカール・デスタン政権が成立すると、急進党は[[政党連合]]・[[フランス民主連合]]の結成に加わって連合内でも有力な政治勢力となった。
[[戦後]]の[[フランス第四共和政|第四共和政]]下では勢力が著しく後退するが、他の中道諸政党を糾合し中心指導勢力として国民議会内部での統一会派「共和派左翼戦線」を結成。[[ピエール・マンデス=フランス]]政権を誕生させ第四共和政の負の遺産の清算に挑戦するも、[[右翼|右派]]ド・ゴール派の隆盛と[[アルジェリア戦争]]の泥沼化により影響力を失う。[[フランス第五共和政|第五共和政]]下では[[共和国大統領 (フランス)|大統領]][[シャルル・ド・ゴール|ド・ゴール]]派を中心とした右派に対抗して社会党・共産党との共闘に進むが、[[1969年]]に[[:fr:Jean-Jacques Servan-Schreiber|ジャン=ジャック・セルヴァン=シュレーベル]]党首が就任すると左右両派と距離を置き中道勢力を結集させる方向へと向かう。このことから社共両党との共闘に熱心な[[左翼|左派]]が[[1972年]]に離党し(この流れが後に[[左翼急進党]]につながっていく)、残ったセルヴァン=シュレーベル派は独立共和派や民主中道派・民主進歩中道派と[[ヴァレリー・ジスカール・デスタン|ジスカール・デスタン]]支持に向かう。ジスカール・デスタン政権が成立すると、急進党は[[政党連合]]・[[フランス民主連合]]の結成に加わって連合内でも有力な政治勢力となった。


現在も中道より少し右の政治的立場をとっている。上述の通りフランス民主連合に所属する議員が多かったが、その後は[[国民運動連合]]に加わり、[[2002年フランス大統領選挙]]第1回投票では[[ジャック・シラク]]候補を支持した。[[2007年フランス議会総選挙]]で国民運動連合から17人の[[国民議会 (フランス)|下院議員]]を当選させたが、[[2012年フランス議会総選挙|2012年の選挙]]では前年に[[ニコラ・サルコジ]]大統領を批判して中道寄り路線([[中道右派]])を強め、国民運動連合を離脱した影響もあり6議席に後退した。また[[元老院 (フランス)|元老院]]([[上院]])では5人が会派「民主社会欧州連合」に、2人が国民運動連合会派に分かれて所属している。
現在も中道より少し右の政治的立場をとっている。上述の通りフランス民主連合に所属する議員が多かったが、その後は[[国民運動連合]]に加わり、[[2002年フランス大統領選挙]]第1回投票では[[ジャック・シラク]]候補を支持した。[[2007年フランス議会総選挙]]で国民運動連合から17人の[[国民議会 (フランス)|下院議員]]を当選させたが、[[2012年フランス議会総選挙|2012年の選挙]]では前年に[[ニコラ・サルコジ]]大統領を批判して中道寄り路線([[中道右派]])を強め、国民運動連合を離脱した影響もあり6議席に後退した。また[[元老院 (フランス)|元老院]]([[上院]])では5人が会派「民主社会欧州連合」に、2人が国民運動連合会派に分かれて所属している。

2018年7月23日 (月) 03:31時点における版

フランスの旗 フランス政党
急進党
Parti radical
党首 ジャン=ルイ・ボルロー
成立年月日 1901年
解散年月日 2017年12月9日
解散理由 左翼急進党と合併
後継政党 急進運動
本部所在地 フランスの旗 フランス パリ
政治的思想・立場 自由主義
社会自由主義
共和主義
反教権主義政教分離
急進主義
中道派
国際組織 欧州人民党グループ欧州議会
公式サイト www.partiradical.net
テンプレートを表示

急進党(きゅうしんとう、Parti radical)は、かつて存在したフランス政党。正式の名称は「共和 - 急進 - 急進社会党」(Parti républicain, radical et radical-socialiste)で、日本ではしばしば「急進社会党」とも訳される。

1901年に「猛虎」とあだ名されたジョルジュ・クレマンソーによって結党され誕生した急進的な共和主義自由主義政党で、「急進社会党」の党名からは社会主義政党と考えられがちだが、実態は中南部の農民層を支持基盤とする中道の政党である。第三共和政下では中心的な政党として君臨し、反カトリック主義(反教権主義)を標榜して1905年政教分離法を成立させローマ・カトリックの影響を政治介入から排除した。第一次世界大戦後には社会党共産党を中心とした人民戦線内閣に加わるなど、フランスの政治に与えた影響は大きい。

戦後第四共和政下では勢力が著しく後退するが、他の中道諸政党を糾合し中心指導勢力として国民議会内部での統一会派「共和派左翼戦線」を結成。ピエール・マンデス=フランス政権を誕生させ第四共和政の負の遺産の清算に挑戦するも、右派ド・ゴール派の隆盛とアルジェリア戦争の泥沼化により影響力を失う。第五共和政下では大統領ド・ゴール派を中心とした右派に対抗して社会党・共産党との共闘に進むが、1969年ジャン=ジャック・セルヴァン=シュレーベル党首が就任すると左右両派と距離を置き中道勢力を結集させる方向へと向かう。このことから社共両党との共闘に熱心な左派1972年に離党し(この流れが後に左翼急進党につながっていく)、残ったセルヴァン=シュレーベル派は独立共和派や民主中道派・民主進歩中道派とジスカール・デスタン支持に向かう。ジスカール・デスタン政権が成立すると、急進党は政党連合フランス民主連合の結成に加わって連合内でも有力な政治勢力となった。

現在も中道より少し右の政治的立場をとっている。上述の通りフランス民主連合に所属する議員が多かったが、その後は国民運動連合に加わり、2002年フランス大統領選挙第1回投票ではジャック・シラク候補を支持した。2007年フランス議会総選挙で国民運動連合から17人の下院議員を当選させたが、2012年の選挙では前年にニコラ・サルコジ大統領を批判して中道寄り路線(中道右派)を強め、国民運動連合を離脱した影響もあり6議席に後退した。また元老院上院)では5人が会派「民主社会欧州連合」に、2人が国民運動連合会派に分かれて所属している。

党首ジャン=ルイ・ボルロー環境・持続的開発・計画相。なお現在も党の原点である政教分離を尊重している。

関連項目

外部リンク

');