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「京急1000形電車 (初代)」の版間の差分

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[[画像:Keikyu1000_1357f.jpg|thumb|320px|京急1000形電車(初代)…生麦駅にて2005年8月撮影]]
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'''1000形電車'''(1000がたでんしゃ)は[[京浜急行電鉄]]の[[通勤形電車]]。[[地下鉄対応車両|地下鉄乗り入れ運用]]を目的として、[[1959年]](昭和34年)に製造が開始された。
'''1000形電車'''(1000がたでんしゃ)は[[京浜急行電鉄]]の[[通勤形電車]]。[[地下鉄対応車両|地下鉄乗り入れ運用]]を目的として、[[1959年]](昭和34年)に製造が開始された。



2006年7月22日 (土) 17:37時点における版

京急1000形電車(初代)…生麦駅にて2005年8月撮影

1000形電車(1000がたでんしゃ)は京浜急行電鉄通勤形電車地下鉄乗り入れ運用を目的として、1959年(昭和34年)に製造が開始された。

2002年(平成14年)4月15日に2代目の1000形(新1000形)の運用を開始してからは、同車両と区別するために旧1000形と呼ばれる事が多い。

本項では京急車両工業(現・京急ファインテック)を通してリースされた京成1000形電車、ならびに千葉急行電鉄1000形電車についても記述する。

概要

1978年(昭和53年)までに356両が製造され、1968年(昭和43年)から東京都交通局都営地下鉄浅草線との乗り入れを開始、2006年現在も京急の各路線及び乗り入れ先の都営浅草線・京成線北総鉄道北総線の各線に亘り広く運用されている。

長期に亘って京急を代表する通勤車両として親しまれて来たが、経年による劣化の進行に伴い新1000形などによる置き換えが進んでいる。後述の「白幕車」は既に全車が廃車済みで、現在は「黒幕車」のみ残存する。内装は当時製作中だった国鉄101系などで使用されたオリーブグリーン、走行装置は南海21000系にそれぞれ準じている。

制御方式は75kW又は90kWのモーターを電動カム軸制御装置で駆動する抵抗制御方式で、発電ブレーキを備えた電磁直通ブレーキを採用した。座席はロングシートで、客室扉は3箇所の片開きドアを採用した。大手私鉄通勤形電車に於ける片開きドアの車両は、2006年5月現在の現役車両としては同社の800形の他、京成3200形90番台(残り1編成)、新京成800形京阪1900系(全廃間近)、阪神7861形、南海7000系などに見られるのみである。

設計最高速度は120km/hだが、非常増圧ブレーキを装備していないため営業運転上は110km/hに留まる。加速度は3.5km/h/s、常用減速度は4.0km/h/sと比較的高い加減速性能を有する。

製造年式及びその差違

1000形1219編成。最後まで地下鉄に乗り入れていた初期車。京急川崎駅にて2005年撮影

Aグループ:1958年に1000形の試作車として800形の車両形式を用いて4両を製造した。製造当初は前面が初代700形の様に非貫通・2枚窓のいわゆる湘南電車スタイル(初代600形全金車と同形の車体)で性能も初代700形と同じ、扉配置が前後非対称であった。また、車体幅が後の増備車に比べ80mm狭い。この4両は1965年に1000形(1095~1098)に改番し、その翌年(1966年)にはモーターを交換し、1001以降に性能を揃えた。その後、1968年には前照灯のシールドビーム化と正面に行先・種別表示器、側面に種別表示器を設置、さらに1973年には都営浅草線への乗り入れに備えるために前面に貫通扉を設置し、車体幅が狭いため扉の蹴り込みにステップを取り付けた。冷房改造されずに1988年に廃車となり、1095と1096の機器はデト11・12形へ、1097と1098の機器はデチ15・16形へそれぞれ転用された。

Bグループ:1959年1960年に製造された増備車は車体幅が80mm拡大されて2,798mmとなり、扉配置が前後対称になった。また製造当初より前照灯はシールドビームである。1017編成で台車の枕ばねに空気バネを試験採用していた。非貫通・2枚窓で製造されたが、1969年から1972年にかけて貫通扉を設置、これによって都営地下鉄に乗り入れが可能になった。その後1979年から1984年に全車が分散集中式クーラーにより冷房化された。1988年から廃車が始まったが、一部は高松琴平電鉄(12両)・北総開発鉄道(1962年製12両を含む16両)に譲渡されている。(北総譲渡車はすでに廃車)また、京成電鉄に8両がリースされ、その後4両が千葉急行電鉄(現在は千原線)へも再リースされた。(すでに廃車)

Cグループ:1961年1962年に製造された車両は落成当初から前面に貫通扉を設けている。但し当初の前面のスタイルは、白帯車と呼ばれた東武1700系(初代)に準じていた。1078までは行先・種別表示器がなかった。この年度の増備車まで空気圧縮機がA-2形(1017編成は除く)であった。後に1966年から1967年に掛けて正面窓内側上部に行先・種別表示器、側面に種別表示器を追加設置した。1101以降(C2グループ)は2両単位で組み替え出来る様に制御装置が浦賀寄りの車両に集約され、製造当初から正面窓内に明朝体行先・種別表示器、側面には明朝体種別表示器を設けた。この内、1101~1130の側面の種別表示器は当初はネオン管式であったが、視認性が悪く故障が多かった事から、後にゴシック体幕式に改造された。1974年から1976年に掛けて行われた更新工事の際に前面の行先・種別表示器を正面窓内から独立させ、併せて側面にゴシック体行先・種別表示器を設置した。このグループは1982年から1986年に冷房化されたが(分散集中式)、1049~1052の4両は最後まで冷房改造されずに1986年に1000形として初の廃車となった。従って電気連結器付き密着連結器および電気汽笛を装備せずに廃車となったのは、この1049編成と1095~1098号車であった。なお2005年5月末まで京急最古の車両であった1071と1072はこのグループに属していた。

D~Eグループ:1964年1968年に製造された車両からは、前面の行先・種別表示器が窓内から独立して、現在の1000形の前面スタイルが確立した。同時に連結面と屋根の丸みが最小限に抑えられてほぼ折妻となり、低コスト化が図られた。また、空気バネ台車を履く準備として空気圧縮機がロータリー式のAR-2形に変更された。この空気圧縮機があの特異な音を発しているのである。1968年に製造された車両(Eグループ)からは、地下鉄乗り入れに備えて当初から連結器が密着自動式で、ATS列車無線、中間貫通扉を装備した。また屋根構造が簡略化されている。この時期までの1000形は、車体更新工事の施工後も廃車されるまで表示幕が白地(現在のローマ字併記のものとは別物)であったため「白幕車」と呼ばれていた。この「白幕車」は廃車時までB-55装置(後述)付きであった(Fグループも当初装備)。空気バネ台車は1143・1155・1173編成で採用されたが、初期車の川崎台車-東洋製主電動機組み合わせ編成の台車を東急台車に交換する分しか用意できなかったり、コストの関係もあったりしたため、白幕車(後期製造分)全車に行き渡らなかった。冷房化は1976年から1982年に分散集中式で行われている。

Fグループ:1971年に製造された車両からは集中式の冷房装置を搭載して落成し、京急初の新造冷房車となった。この際に冷房搭載により車体の自重が増したため、モーターの熱容量がアップされ、また台車が川崎重工業設計の空気バネ式(東急車輌製造でも製造)となった。モーターは東洋電機製造、制御装置、補助電源装置は三菱電機製で統一された。集中冷房が搭載された以外、車内は乗務員室と客室の仕切り扉がステンレス製から軽合金製となり、連結面も完全にフラット化された。尚、1251~1290までは75kWで落成しているが1079~1080(2代目、現1381~1382)、1243~1250、1291~1298、1300番台車は90kWに出力アップされている。

当初は都営浅草線内は6両編成が基準となっていたため、8連化のための保安対策や京成押上線の荒川駅(→八広駅)~四ツ木駅間の荒川橋梁の強度向上工事が未施工で、1974年までに製造された68両は軸重が過剰していた事もあり他社線には入線できなかったが、後に軽量化車輪への交換によって入線できる様になった。製造当時は表示幕は白地であったが、更新工事により黒地に変更されたため「黒幕車」と呼ばれている。製造から30年前後を経て、2004年度から1283編成が優先席付近へ吊革のオレンジ化せずに廃車されたのを始めとして、2005年度は1251編成と1301編成が廃車されている。1251編成は一旦4連化された。従ってC-ATS化無しで廃車となったのは前述の3編成である。

更新工事

1980年代後半から、集中式の冷房を搭載する車両のみを対象に更新工事が行われた。なお1970年代に非冷房車を対象に行った工事とは全く別の工事である。主な内容は以下の通り。

  • 屋上通風器の撤去
  • 屋根の補修
  • 連結器部分の小改造
  • 方向幕のSPC方式への改造と白色幕→黒色幕化。
  • 一部車両について抵抗器の配列変更(中央扉直下に発熱量が少ない部分を再配置)。
  • 戸閉灯器をLED表示灯に交換。その後LEDの故障などで1309編成は電球2灯にされた。
  • 一部の編成に戸閉選択装置を取り付け。
  • ブレーキシュー変更に伴いB-55装置の撤去、及び台車ブレーキテコ比変更。

1251・1259・1309編成は分散冷房車と同様に1990年代初頭の連結器交換前に更新されたので品川寄りにジャンパ栓の跡が残る。なお、内装は変更されていない。

※B-55装置とは速度が10km/h以下になるとブレーキシリンダの圧力が半分になる装置。停止寸前に減速度が急に大きくなる鋳鉄シューを使う時に大変有効。Eグループまでは廃車時まで装備、減速度が概ね均等となる新レジンシューでは不要な為、Fグループでは更新時に撤去。

運用

  • 8両編成は朝・夕・夜の優等列車を中心に運用し、都営浅草線京成線北総線へも乗り入れる。以前は日中の快特にも頻繁に運用していたが、2001年9月15日のダイヤ改正で日中の都営浅草線直通の快特を最高速度120km/hで運転する事となり、増圧ブレーキを装備していない事、電磁直通式ブレーキのため他形式との併結ができない事から日中の快特運用から撤退した。現在、日中は定期旅客営業運転はなく、平日の朝夕の限定運用とされる。余談であるが、現在貫通幌を設置したままで先頭車としての使用は消滅した。
  • 6両編成は普通列車を中心に運用しているが、朝・夕・夜には羽田空港へ乗り入れる事もある。なお、この運用には快特・特急もあり、終夜運転時は京成線京成高砂まで乗り入れる。これは8両編成運用から撤退後も数年は存続する予定。かつては1225編成など三菱電機製の電気機器を搭載した川崎車輛(現・川崎重工業)製の車両も存在したが、2002年に全廃されている。全編成がホーム有効長が4両分しかない梅屋敷駅で編成中2両のドアを自動的に締切る事が出来るADL(自動ドアロック)装置を搭載している。
  • 4両編成は本線の普通や朝・夕・夜の優等列車及び大師線を中心に運用する。大師線は1980年から1990年代一杯に掛けて、従来700形が運用に入っていたが、廃車の進行により2000年から1000形が大師線に運用に入り、当初は朝のみ運用だったが、現在は1500形と共に終日大師線の運用についている。
  • 2両編成は単独での運用はなく、2両編成2本の4連、または4両編成と連結して6両の付属編成として京急川崎以南の普通や朝・夕・夜の優等列車の付属編成を中心に活躍している。現在は2本が在籍。

改造・譲渡先など

廃車した車両の一部は以下の会社に譲渡或いは貸し出されたり、事業用車への改造が行われた。

  • 譲渡
    • 高松琴平電気鉄道1080形
    • 北総開発鉄道(当時・7150形):1005~1008・1107~1118の16両(→7161~7168・7151~7158)7161~7168は1995年9月に、7151~7158は1998年2月に廃車。このうち4両は後からカラードアを試験採用した。これらの16両は久里浜工場ではなく京成の宗吾車両基地で解体された。
  • リース(既に廃車)
    • 京成電鉄・千葉急行電鉄(京成1000形):1029~1032・1037~1040の8両がリースされた。なお前者のみ後に京成から千葉急行へも再リースされた。
      • これは廃車した1000形を京急の子会社の京急車両を通じてリースしたもので、1988年から4両編成2本が用いられた。車両そのものは京急時代とほとんど変わりなく塗装は赤い車体に白い帯のままで、方向幕・種別・社名表示を京成のものとした程度であった。後に1編成を返却して除籍し、残る1編成は塗装を帯は白に残したまま車体を青色に、社名表示も「千葉急行」に変更の上貸し出したもので、1994年をもって返却除籍となった。
  • 事業用車への部品供出
    • デト11・12形((801・851→)1095・1096の部品再利用)
    • デト15・16形((802・852→)1097・1098の部品再利用)
    • デト17・18形(1017・1018の部品再利用)
    • クト1形(1021の部品再利用)
    • クト2形(1022の部品再利用)

※京急の新性能貨車は、部品は再利用しているが車体は新製している。改造と表現している趣味誌などがあるがこれは誤りである。

その他

  • 2005年4月25日福知山線(JR宝塚線)脱線事故を受け、6月下旬に京急ファインテック久里浜事業所内で行われた脱線車両からの負傷者救出訓練で実際に脱線させるため、黒幕車で初の廃車となった1283編成(集中冷房車)の1283が使用され、後に全車解体された。骨組みを太くする等、この結果は今後の新車に反映された。
  • 1976年頃からの一時期、700形のサハ770を中間に挟んだ編成も組成された。しかし、混結編成では編成重量の増加により加速度が大幅に低下する事や、他社線への乗り入れができない事などから、一部を除きサハ770形は編成から外され、久里浜工場(→京急ファインテック久里浜事業所)で1980年頃までしばらく休車扱いされていた。
  • これとは別に、朝ラッシュ時に700形4輌編成を増結して12輌編成とする運用も存在した。
  • 分散式冷房装備車はワイパーが手動だったが、集中式冷房装備車は空気式に交換されている。
  • 1998年廃車の1201と1206は初代1079・1080号車である。これは1965年に増備した52両を6連8本と中間車4両とし、中間車の1202~1205を1079と1080の間に挟んで運用を開始したためである。その後1079と1080は1968年に1201と1206に改番された。
  • 車両番号は、必ずしも製造順ではなく1978年に登場した2代目1079・1080は後に1381と1382へ改番された(銘番がステッカー式である)。また最終製造車両は1243~1250である。
  • 初の冷房改造車である1179編成は、改造当初冷房装置のキセ(カバー)がイボ付ビニールでコートされた鋼製の黒いタイプであり、その外観から一部で「装甲冷房車」と呼ばれていたが、1982年頃に他編成と同じFRP製の白いキセに取り替えられた(2005年2月廃車)。
  • 1125には架線観測装置が取り付けられていた。その後1500形の1601を経て、現在は600形の605-1に取り付けられている。
  • 1251~1274は当初6連で落成したが、後に8連化されて1243~1298(8連×7本)に揃えた。
  • 1173と1178は1998年から車体はそのままだが貨車扱いされていた(2002年廃車)。
  • 1052と1185は前面部分のみ切断され、共に栃木県内で静態保存されている。
  • 1993年度に600形を製造するために一部の車両を使用してクロスシート試験を行った。しかしこの状態による営業運転は無かった。
  • 琴電1100形京王5000系の譲渡車であるが、同形式は1,372mm軌間(馬車軌)の京王線用であったため、標準軌の琴電と軌間が異なる事から、下回りに旧1000形の廃車発生品を使用している。その理由は、琴電が京急に引き続きBグループの譲渡を打診してきたが、その時京急ではBグループは全車解体済で台車のみ残ってた為で、琴電の方で調査した処、京王5000系の車体寸法が京急1000形と殆ど同じであることが判ったためである。改造は京王重機で行われた。

鉄道模型

グリーンマックスからエコノミーキット・塗装済キットの2種類が製品化されている。またマイクロエースから完成品が製品化されている。いずれもNゲージである。

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