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引退後、[[教員免許]]取得のため母校の法政大学へ通学、晴れて東京都の教員採用試験に合格<ref name="shuube">ベースボールマガジン社発行、週刊ベースボール2010年3月29日号隔週連載コーナー『野球は幸せか!』P96-97より、著者・清武英利</ref>。神奈川県で1年間臨時講師を務め、2010年4月1日より[[東京都立江戸川高等学校]]で教壇に立っている(担当教科は社会科)<ref name="shuube">ベースボールマガジン社発行、週刊ベースボール2010年3月29日号隔週連載コーナー『野球は幸せか!』P96-97より、著者・清武英利</ref>。また教員免許取得と並行して[[パソコン検定試験]]準2級と[[Microsoft Office Specialist|マイクロソフトオフィススペシャリスト]]のオフィスマスターの資格を取得した<ref name="shuube">ベースボールマガジン社発行、週刊ベースボール2010年3月29日号隔週連載コーナー『野球は幸せか!』P96-97より、著者・清武英利</ref>。教員を目指していた2008年度は臨時で巨人の寮監を勤めていた<ref name="shuube">ベースボールマガジン社発行、週刊ベースボール2010年3月29日号隔週連載コーナー『野球は幸せか!』P96-97より、著者・清武英利</ref>。 |
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[[2011年]]、[[日本学生野球協会]]の適性審査を受け、4月1日付で[[高校野球]]の指導者として認定された。元プロ野球選手が高校野球の指導者になるには教諭として通算2年以上の在職が必要だったが、2011年2月に条件が緩和され、臨時講師の経験も教諭に準じる扱いとなり、伊達が適用第1号となった<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/04/05/kiji/K20110405000567400.html 元阪神投手“緩和”で適用1号] スポニチ Sponichi Annex</ref>。 |
[[2011年]]、[[日本学生野球協会]]の適性審査を受け、4月1日付で[[高校野球]]の指導者として認定された。元プロ野球選手が高校野球の指導者になるには教諭として通算2年以上の在職が必要だったが、2011年2月に条件が緩和され、臨時講師の経験も教諭に準じる扱いとなり、伊達が適用第1号となった<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/04/05/kiji/K20110405000567400.html 元阪神投手“緩和”で適用1号] スポニチ Sponichi Annex</ref>。 |
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2018年2月4日 (日) 04:48時点における版
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県川崎市高津区 |
生年月日 | 1975年8月23日(49歳) |
身長 体重 |
179 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2000年 ドラフト2位 |
初出場 | 2001年5月25日 |
最終出場 | 2005年10月6日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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伊達 昌司(だて まさし、1975年8月23日 - )は、神奈川県川崎市高津区出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
プロ入り前
法政大学第二高から父と同じく法政大学に進み、同期の真木将樹らとともに投手陣を支えた。 当時は父がロッテスカウトとして活躍を見守っていた。 大学卒業後はプリンスホテルに進み、廃部になった2000年に同僚の大沼幸二や長崎伸一と共にプロ入りを表明。2000年度ドラフト会議にて阪神タイガースから2巡目指名を受けて入団。社会人出身で2位指名ながら逆指名制度を利用せずに指名された唯一の選手である。
プロ入り後
阪神時代
2001年は主に中継ぎで起用された。6月17日の対横浜ベイスターズ戦ではプロ初先発で5回2失点の内容で初勝利をあげ、チームとしては1984年の池田親興以来、17年ぶりに阪神の新人のプロ初先発初勝利となった。最終的に28試合の登板で先発では7試合に登板した。4勝3敗、防御率3.75の成績を残した。
2002年は新監督に星野仙一が就任。中継ぎとして41試合に登板し、防御率3.32の成績を残した。オフに星野監督のチーム内大幅刷新に伴い下柳剛、中村豊との2対2の交換トレードで山田勝彦と共に日本ハムファイターズへ移籍した。
日本ハム時代
2003年は開幕戦でプロ初セーブをあげるなど春先は抑えとして登板したが、故障のためシーズン途中で戦線離脱。その間に抑えには建山義紀が起用されたため復帰後は中継ぎに回った。最終的に51試合に登板しプロ入り初の防御率2点台をマークした。
2004年は防御率1点台を記録したものの横浜ベイスターズから移籍してきた横山道哉が抑えで起用され、開幕戦で救援失敗し、二軍落ちした建山が一軍復帰後に中継ぎに回るなど新しい必勝リレーが確立したこともあり19試合の登板に終わった。
2005年3月30日に金銭トレードでリリーフ陣強化を目指した読売ジャイアンツへ移籍[1]。
巨人時代
2005年はわずか7試合の登板に終わり、リリーフ陣の駒不足を解消できなかった。
2006年5月には原辰徳監督が伊達と縁のある野村克也が監督を務める東北楽天ゴールデンイーグルスに対し譲渡を打診するものの、楽天側はこれを拒否した上、野村の元には話が届いていなかった。この年はプロ入り初の一軍登板なしに終わり、オフに戦力外通告を受けて現役を引退。
引退後
引退後、教員免許取得のため母校の法政大学へ通学、晴れて東京都の教員採用試験に合格[2]。神奈川県で1年間臨時講師を務め、2010年4月1日より東京都立江戸川高等学校で教壇に立っている(担当教科は社会科)[2]。また教員免許取得と並行してパソコン検定試験準2級とマイクロソフトオフィススペシャリストのオフィスマスターの資格を取得した[2]。教員を目指していた2008年度は臨時で巨人の寮監を勤めていた[2]。
2011年、日本学生野球協会の適性審査を受け、4月1日付で高校野球の指導者として認定された。元プロ野球選手が高校野球の指導者になるには教諭として通算2年以上の在職が必要だったが、2011年2月に条件が緩和され、臨時講師の経験も教諭に準じる扱いとなり、伊達が適用第1号となった[3]。
巨人と阪神の両球団でプレー経験のある投手は伊達が最後である。(2018年時点)
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2001 | 阪神 | 28 | 7 | 0 | 0 | 0 | 4 | 3 | 0 | -- | .571 | 293 | 69.2 | 59 | 8 | 31 | 1 | 5 | 49 | 2 | 0 | 30 | 29 | 3.75 | 1.29 |
2002 | 41 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 0 | -- | .400 | 234 | 57.0 | 49 | 5 | 14 | 0 | 5 | 40 | 3 | 0 | 25 | 21 | 3.32 | 1.11 | |
2003 | 日本ハム | 51 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | 9 | -- | .833 | 235 | 55.1 | 49 | 3 | 29 | 0 | 5 | 16 | 1 | 0 | 17 | 16 | 2.60 | 1.41 |
2004 | 19 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 95 | 21.2 | 22 | 2 | 7 | 0 | 2 | 7 | 1 | 0 | 6 | 4 | 1.66 | 1.34 | |
2005 | 巨人 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 37 | 7.1 | 15 | 1 | 1 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 8 | 8 | 9.82 | 2.18 |
通算:5年 | 146 | 7 | 0 | 0 | 0 | 12 | 7 | 9 | 0 | .632 | 894 | 211.0 | 194 | 19 | 82 | 1 | 17 | 117 | 7 | 0 | 86 | 78 | 3.33 | 1.31 |
記録
- 投手記録
- 初登板:2001年5月25日、対読売ジャイアンツ10回戦(阪神甲子園球場)、4回表から2番手で救援登板、2回1失点
- 初奪三振:同上、4回表に松井秀喜から空振り三振(振逃)
- 初先発・初勝利:2001年6月17日、対横浜ベイスターズ13回戦(阪神甲子園球場)、5回2失点
- 初セーブ:2003年3月28日、対西武ライオンズ1回戦(西武ドーム)、8回裏2死に3番手で救援登板・完了、1回1/3を1失点
- 打撃記録
- 初打点:2001年7月13日、対中日ドラゴンズ17回戦(阪神甲子園球場)、3回裏に山本昌から右犠飛
- 初安打:2001年9月29日、対中日ドラゴンズ27回戦(ナゴヤドーム)、2回表に野口茂樹から中前安打
背番号
- 49 (2001年 - 2002年)
- 17 (2003年 - 2005年途中)
- 59 (2005年途中 - 2006年)
脚注
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 伊達昌司 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)