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サンマリノの正式名称は[[イタリア語]]で''Serenissima Repubblica di San Marino''(セレニッスィマ・レプッブリカ・ディ・サン・マリーノ)。通称:''San Marino''(サン・マリーノ)。「Serenissima」とは「最も清らかな」の意。[[国名の漢字表記一覧|漢字表記]]は「聖馬連奴」。(聖が意訳、馬連奴が音訳である。) |
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公式の[[英語]]表記は'' Most Serene Republic of San Marino''(モースト・セリーン・リパブリク・オヴ・サンマリノ)。通称:''San Marino''(サンマリノ)。 |
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2016年4月1日 (金) 17:37時点における版
- サンマリノ共和国
- Serenissima Repubblica di San Marino
-
(国旗) (国章) - 国の標語:Libertas(ラテン語:自由)
- 国歌:Inno Nazionale
-
公用語 イタリア語 首都 サンマリノ 最大の都市 セラヴァッレ 独立 301年9月3日 通貨 ユーロ(€)(EUR)[1] 時間帯 UTC+1 (DST:+2) ISO 3166-1 SM / SMR ccTLD .sm 国際電話番号 378 -
- ^ 1999年以前の通貨はイタリア・リラ、サンマリノ・リラ。
サンマリノのユーロ硬貨も参照。
- ^ 1999年以前の通貨はイタリア・リラ、サンマリノ・リラ。
サンマリノ共和国(サンマリノきょうわこく、イタリア語: Serenissima Repubblica di San Marino)、通称サンマリノは、イタリア半島の中東部に位置する共和制国家。首都は国名と同じくサンマリノ市。周囲は全てイタリアで、国土面積は十和田湖とほぼ同じ。世界で5番目に小さな国(ミニ国家)である。また、現存する世界最古の共和国である。
国名・国旗・国章
サンマリノの正式名称はイタリア語でSerenissima Repubblica di San Marino(セレニッスィマ・レプッブリカ・ディ・サン・マリーノ)。通称:San Marino(サン・マリーノ)。「Serenissima」とは「最も清らかな」の意。漢字表記は「聖馬連奴」。(聖が意訳、馬連奴が音訳である。)
4世紀初め、マリーノという名の石工がローマ皇帝によるキリスト教迫害を逃れ、この地に潜伏してキリスト教徒の共同体をつくったという伝説にちなんで、「聖(サン)マリーノ」が国名となっている[1]。
1797年に制定された国旗は、白色が純粋さ、青色が空とアドリア海を表現している[1]。紋章(国章)の中央にはティターノ山の3つの峰に建つ塔が描かれ、"LIBERTAS"(「自由」)の文字が書かれている[1]。
紋章を取り囲んでいるオークの枝は「安定」、月桂樹の枝は「自由」、王冠は「主権」をそれぞれ象徴している。
歴史
サンマリノは、現存する共和政体を採用する国としては世界でも最も長い歴史をもつ。アメリカ大陸がヨーロッパ人に知られる以前、すでにサンマリノ共和国初代大統領が就任していたといわれる。1631年、ローマ教皇が独立を承認し、世界最古の独立共和国となった。その後、1815年には、ナポレオン戦争後のウィーン会議でサンマリノの独立が再確認されている。
19世紀中葉のイタリア独立運動(リソルジメント)でも義勇軍を派遣して独立国として残った[2]。1862年、統一されたイタリア王国とのあいだに関税同盟を結ぶ一方、友好善隣条約を結んで近代国家としての主権と独立を獲得し、それ以来イタリアとは密接な関係を維持している。ただし、実際にはイタリアの保護国に近い状態がつづいている[1][2][3]。イタリアとの間では1897年に友好条約を締結、1953年にはこれを更新した[3]。
冷戦終結後の1992年には国際連合と国際通貨基金(IMF)に加盟した[3]。
なお、2008年には「サンマリノの歴史地区とティターノ山」として、サンマリノ市、ボルゴ・マッジョーレ市などの一部がユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。
年譜
- 301年 - イタリア半島の対岸ダルマツィア地方出身の石工マリヌス(聖マリーノ)が、ローマ帝国の皇帝ディオクレティアヌスによるキリスト教迫害を逃れるために、仲間とともにチタン山(現サンマリノ市のティターノ山)に立てこもり建国したといわれる。
- 951年 - 文献上に初めてサンマリノの存在が現れる。
- 1257年 - ギベリン(皇帝派)とグエルフ(教皇派)の闘争に巻き込まれ、ローマ教皇インノケンティウス4世より破門される。破門は2年後に解除された。
- 1463年 - 近隣リミニ(現エミリア=ロマーニャ州リミニ県)のマラテスタ家の侵略に晒された。しかし独力で撃退、追撃を加えて逆に領土を拡大した。
- 1631年 - 教皇ウルバヌス8世より独立を承認される。
- 1739年 - アルベロニ枢機卿によって一時的に占領されるが、教皇クレメンス12世の勧告により独立を維持。
- 1815年 - ウィーン会議で、サンマリノの独立が再確認される。
- 1849年 - イタリア統一を目指すジュゼッペ・ガリバルディをオーストリア軍の追撃からかくまう。
- 1854年 - 教皇ピウス9世が、ガリバルディをかくまったサンマリノを「自由主義者の巣窟」として糾弾。トスカーナ大公国に命じてサンマリノ共和国の教皇領併合を企てるが、失敗。
- 1862年 - イタリア統一運動(リソルジメント)における功労によって、イタリアと友好善隣条約を締結。独立が再確認される。
- 第二次世界大戦中 - サンマリノは中立を宣言したが、イタリア戦線が始まると、戦火を逃れるために約10万人の難民が国内に流入した。1944年6月26日にはイギリス空軍機の誤爆を受け、69名の民間人が死亡した。9月17日にはドイツ軍が占領、同日から20日にかけてサンマリノの戦いが発生し、ドイツを撃退した連合軍によって約2ヶ月間占領された。
- 1947年 - 世界初の自由選挙による共産党政権が誕生する。
- 1992年 - 3月2日、国連(国際連合)に加盟。
地理・地誌
イタリア半島北東部、周囲をイタリア共和国に囲まれた面積61平方キロメートルの小規模な内陸国で[1]、海には接していない。ただし、海岸からは23キロメートルしか離れていない。国土は標高749mの岩山ティターノ山を中心に広がる山地および丘陵地で、アドリア海を眺望することができる。イタリアのエミリア=ロマーニャ州のリミニ県とマルケ州のペーザロ・エ・ウルビーノ県にはさまれるかたちで立地し、東西およそ8キロメートル、南北およそ13キロメートル。面積はニューヨーク市(アメリカ合衆国)のマンハッタン島や日本の八丈島の大きさにほぼ等しい[1][4]。
首都サンマリノ市はティターノ山の頂上にある[4]。緯度は北緯43度56分と比較的高緯度で、日本では北海道網走市にほぼ同じである[1]。ただし、アドリア海に近いため冬季も温暖な地中海性気候(Cs)である[4]。夏は乾燥し雨量は少ないが、乾燥の度合いはイタリア半島西海岸ほどではない[2][4]。冬にはまとまった降雨がある[4]。
サンマリノ市以外では、ボルゴ・マッジョーレやセラヴァッレなどの町があり[3]、人口はセラヴァッレが最も多い。住民はイタリア系で、公用語はイタリア語である[3]。
政治
立法機関としては、国民の比例代表選挙によって選出される定員60名の大評議会(Consiglio Grande e Generale)があり、議員の任期は5年である[3]。
行政の長である執政(Capitani Reggenti)は、大評議会議員の中から互選によって選出される。特定の執政による独裁化を防ぐため、執政は常に2名と決められており、しかも執政の任期は6ヶ月のみで再選は3年間認められない。執政の就任式は毎年4月1日と10月1日に行われる。また就任の際は、アレンゴが開かれる。なお、2名の執政は一方が国家元首、一方が政府代表とされている[2]。
サンマリノでは、1945年以来、連立政権が続いている[2]。2006年6月、キリスト教民主党が第一党となったが、7月、社会主義者・民主主義者党、人民同盟、統一左翼による中道左派政権が発足した[2]。2007年11月、従来の連立に、キリスト教民主党から分裂した中道民主主義者党を加えた4党連立政権が発足した[2]。2008年11月の総選挙で中道右派の「サンマリノのための協定」連合が勝利して12月に政権が発足した[2]。
人口がわずか3万人ほどのミニ国家であるサンマリノでは、国民全員が「顔見知り」に近い状態であり、自国民では中立公平な審議や判決が困難であるという理由から、サンマリノでの裁判は殆どが外国人の裁判官によって行われる。もっとも、サンマリノの国土はイタリアの内部にあり、公用語もイタリア語であるため、裁判官も基本的にはイタリアから赴任する形を取っている。
地方行政区分
サンマリノの領土は以下の9つのカステッロ(Castello、「城」の意)からなる。
- アックアヴィーヴァ(Acquaviva)
- キエザヌオーヴァ(Chiesanuova)
- サンマリノ(Città di San Marino)(live view)
- ボルゴ・マッジョーレ(Borgo Maggiore)
- ドマニャーノ(Domagnano)
- ファエターノ(Faetano)
- フィオレンティーノ(Fiorentino)
- モンテジャルディーノ(Montegiardino)
- セラヴァッレ(Serravalle)
大きな町の1つにドガーナがあるがセッラヴァッレのカステッロの管轄下にある。イタリアのコムーネと同様に役所所在地(capoluogo)の周囲にいくつかの分離集落(Frazione, pl. Frazioni)を有する。
経済
サンマリノは、1943年以来、紙幣の発行を行っておらず、イタリアの通貨が自由に流通した[3]。しかし、1972年以降は独自のコイン(サンマリノ・リラ)を発行して、コイン・コレクターの人気を集めた[3]。2014年現在、サンマリノは欧州連合の正式な一員ではないものの、欧州議会における取り決めによりユーロの流通が認められている[3]。ユーロコインの片側に独自のデザインを使用する権利を持っており[2]、ユーロ流通以前のサンマリノ・リラはイタリア・リラと交換できた。なお、流通量が少ないサンマリノ・ユーロはそれ以前のサンマリノ・リラと同様、収集家たちからの人気が高い。サンマリノはまた、主に切手収集家向けの切手を独自に発行しており、一定の財源となっている[1]。他に重要な収入としては、イタリアからの援助と移民からの送金がある[3]。
サンマリノのGDPの50パーセント以上は観光客(281万人、2004年)によるものであり、1997年の段階では330万人以上が訪問している。1985年には小規模な空港が完成した。観光以外の基幹産業としては銀行業、電子産業、窯業があり、主な農産品はワインとチーズである。一人当たりの支出レベルや生活水準はイタリアとほぼ同様である。
近年、サンマリノは海外との経済ネットワークづくりを国家をあげて力を入れている。日本との経済交流や情報交換もさかんで、サンマリノ企業の日本への進出にも力を入れている。日本企業のサンマリノ共和国進出も歓迎されており、両国の提携にも熱心である。サンマリノ共和国では国内に金融機関が11あり、国内で過去に倒産したことが一度もない。サンマリノ共和国と日本との橋渡しは、「日本サンマリノ通商協力機構」がその役割を果たしている[5]。サンマリノの法人税は17パーセントと低率であり、それ以外の税金はない。特に、消費税が一切ないため、イタリア国内または諸外国から買い物目的の観光客が年間3百万人前後訪れる。また、税率が低いため、諸外国からの企業進出も増加傾向にある。1862年成立のイタリアと関税同盟以降、現在も入国に際する税関の検査はない[3]。
経済成長率は2.4パーセント(2005年)、失業率は1.4パーセント(2007年)、物価上昇率は2.0パーセント(2007年)である[2]。
なお、経済の中心は首都サンマリノ市ではなく、山麓の町ボルゴ・マッジョーレである。
農業
サンマリノでの第一次産業の比率は0.4パーセントと低い。農業従事者は約1,000人程度(2003年)であり国土の約20パーセントが農地、さらに20パーセントが牧畜に利用されている。主な栽培作物はブドウ、コムギ、オリーブ、野菜類、葉たばこである。林業はほとんど見られない。貿易統計が公開されていないため、輸出入に占める農業生産物の割合、品目は不明である。
鉱業
サンマリノでは石材を除く鉱物資源はとくに確認されていない。石の切り出しや加工業がさかんである。
工業
サンマリノの工業は軽工業が主で、食品工業では、デザートワインとして用いられる甘口のモスカートワイン、オリーブ油、チーズなどが対象となる。繊維工業では、綿織物、染色業がみられる。窯業では、陶器、タイル、レンガなどが生産されている。
観光業
観光業はコインや切手の発行とともに重要な基幹産業であり、そのユニークな歴史や景観、また買い物を目的として多くの観光客が集まる。
毎年9月3日は、町の創立者である聖マリーノを記念する祭典("Festa di San Marino")があり、中世の時代衣装を身に着けたパレードや石弓競技が行われている。また、ティターノ山の山頂にはロープウェイで登るルートがあり、アドリア海の眺望を楽しむことができる。
首都サンマリノ市には、大聖堂、ゴシック様式のサン・フランチェスコ教会、1894年に建てられた政庁、ロッカ・グアーイタ、ロッカ・デッラ・フラッタ、ロッカ・モンターレとよばれる3つの岩峰・城塞があり、中世のおもかげをのこしている[3]。
運輸・交通
24キロメートル離れたイタリアのリミニとは定期バスで結ばれている。ボルゴ・マッジョーレからサンマリノ市(旧市街)へのロープウェイがある。エレベーターも公共交通機関として利用されている。軽飛行機向けの650メートルの滑走路、ヘリポートがある(北緯43度56分58秒 東経12度30分40秒)。
軍事
サンマリノには世界最小規模の軍隊が存在する。ただし、儀仗兵などの儀礼的な部隊のみで、国防はイタリアに依存しているため、軍隊を保有していない国家と言われているが、政府は国防のために、16歳から60歳までの全国民を動員できる権限を有する。
国民
公用語はイタリア語で日常語はサンマリノ語(イタリア語のエミリア方言にふくまれる)である[2]。住民はイタリア系で、宗教はキリスト教が92.2パーセント(カトリック教会88.7パーセント)で、ローマ・カトリックが支配的である[2]。
出生率は1000人に対し9.7人(2009年)、死亡率は同じく7.4人(2009年)、乳児死亡率は1.0人(2009年)、合計特殊出生率は1.5(2008年)である[2]。
在留日本国民は4人(2009年)。在日本国サンマリノ人は1人(2009年)。
2014年5月15日に世界保健機関(WHO)が発表した『世界保健報告(2014年版)』によると、2011年のサンマリノの平均寿命は男性が82歳で世界一、女性は84歳で世界2位の長寿国である。
文化
世界遺産
サンマリノ国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が1件存在する。詳細はサンマリノの世界遺産を参照。
祝祭日
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 元日 | Capodanno | |
1月6日 | 主の公現 | Epifania | |
2月5日 | 聖アガタと共和国開放の祭 | Festa di Sant'Agata e di Liberazione della Repubblica | |
不定 | 復活祭 | Pasqua | 春分後の満月後の日曜 |
復活祭翌日 | 小復活祭 | Lunedì dell'Angelo | |
3月25日 | アレンゴ記念日 | Anniversario dell'Arengo | |
4月1日 | 執政就任式 | Cerimonia di insediamento | |
5月1日 | メーデー | Festa dei lavoratori | |
不定 | 聖体の祝日 | Corpus Domini | 三位一体の主日の後の木曜日 |
7月28日 | ファシズムからの解放記念日 | Festa della Liberazione dal Fascismo | サンマリノファシスト党政権崩壊日 |
8月15日 | 聖母の被昇天祭 | Ferragosto | |
9月3日 | サンマリノ建国記念日 | Festa di San Marino e di Fondazione della Repubblica | |
10月1日 | 執政就任式 | Cerimonia di insediamento | |
11月1日 | 諸聖人の日 | Ognissanti | |
11月2日 | 戦没者記念日 | Festa dei lavoratori | |
12月8日 | 無原罪の御宿り | Immacolata Concezione | |
12月24日 | クリスマス・イブ | Vigilia di Natale | |
12月25日 | クリスマス | Natale | |
12月26日 | 聖ステファノの日 | Santo Stefano | |
12月31日 | 大晦日 | vigilia di capodanno |
スポーツ
かつてF1サンマリノGPが行われていた。実際にレースが行われていたのはサンマリノ国内ではなく、イタリア国内にある麓の町イーモラである。2007年度よりF1の開催が完全に1カ国1開催遵守となったため、以降はサンマリノGPは開催されていない。
二輪のロードレース世界選手権ではサンマリノGPが開催されている。これも国内ではなく、イタリアのミサノ・サーキットで行われている。
サッカーリーグのカンピオナート・サンマリネーゼは1985年創設と比較的歴史は浅い。
イタリアンベースボールリーグ所属のプロ野球チーム、T&Aサンマリノがある。
関連項目
- ルパン三世 (2015年TVシリーズ) - サンマリノが舞台
脚注
参考文献
- 歴史と文化研究所(編著)「サンマリノ」『世界の国旗と国ぐに』メイツ出版、2003年12月。ISBN 4-89577-687-5。
- 堺憲一 著「サン・マリノ」、小学館(編) 編『日本大百科全書』小学館〈スーパーニッポニカProfessional Win版〉、2004年2月。ISBN 4099067459。
- 二宮書店(編) 編「サンマリノ」『データブック オブ・ザ・ワールド 2012年版』二宮書店、2012年2月。ISBN 978-4-8176-0358-6。
外部リンク
- 政府
- 日本政府
- 日本外務省 - サンマリノ
- 在イタリア日本国大使館 - 在サンマリノ大使館を兼轄
- 観光
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