コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「Imoutoid」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Hitomoshi (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
Hitomoshi (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
55行目: 55行目:


[[2011年]]には日本のSuperColliderコミュニティの中心的存在であり、本人と親交のあったtn8の呼びかけにより、本人と密接に関わってきた音楽家達により、本人の生前の活動と楽曲を振り返る「6月のimoutoid」というイベントが開催された。このイベントでは、複数のDJ達によりimoutoidの楽曲を中心にした特別なDJセットが演奏された。<ref>「[http://www.tn8.jp/imoutoid6/ 6月のimoutoid]」 2016/02/17閲覧</ref>
[[2011年]]には日本のSuperColliderコミュニティの中心的存在であり、本人と親交のあったtn8の呼びかけにより、本人と密接に関わってきた音楽家達により、本人の生前の活動と楽曲を振り返る「6月のimoutoid」というイベントが開催された。このイベントでは、複数のDJ達によりimoutoidの楽曲を中心にした特別なDJセットが演奏された。<ref>「[http://www.tn8.jp/imoutoid6/ 6月のimoutoid]」 2016/02/17閲覧</ref>

本人の死後、公式ブログである「imoutoid's websitoid」は、生前の記事の再掲を中心に父親が不定期に更新を行っている。
本人の死後、公式ブログである「imoutoid's websitoid」は、生前の記事の再掲を中心に父親が不定期に更新を行っている。



2016年2月28日 (日) 14:29時点における版

imoutoid(イモウトイド)
別名 yamato yoshioka, あっぷる, ファミコン宇宙人, Otophilia
生誕 1991年1月15日
出身地 日本の旗 日本
死没 2009年4月末 (満18歳没)
ジャンル エレクトロニカ
ハウス
インストゥルメンタル
職業 作曲家
編曲家
活動期間 2001年 - 2009年4月
公式サイト imoutoid's websitoid
ジャズ,ファンク,ドラムンベース,ゲーム音楽,アニメソング

imoutoid(読み:いもうといど, 1991年1月15日 - 2009年4月末)とは、日本音楽家である。2001年から2009年4月にかけて、Web上において、DTMによる音楽作品の公開を行っていた。エレクトロニカ系アーティストが行うような、音響信号処理に関するプログラミングも非常に得意としていた。

来歴

幼少期より、父親が持つDTM機材を一部借り、遊びとしてDTM作曲を行い始める。

音楽に傾倒する一方で、学校では、教室を勝手に飛び出すなどの行動をする問題児であり、小学校高学年の頃からはあまり学校に行かなくなっていた。そのため、両親による最後の賭けとして、高機能なDTM機材を導入して本格的な音楽制作を開始した。[1]

音楽に限らず、好奇心の赴くままにコンテンツクリエイトに関する技術全般を貪欲に学び、10代後半にはダンスミュージック制作、チップチューン制作、アニメソングのリミックス制作、Webサイト構築、音響合成プログラミング言語SuperColliderおよび電子アートとビジュアルデザインのためのプログラミング言語Processingのプログラミングを行うようになった。[2][3]

2005年にジョージ・ウィリアムズがFM Tokyoにて放送していた番組にデモテープを送り、番組内にて楽曲「Kamikaze」「Rubber」が紹介される。[4]また、その縁でジョージ・ウィリアムズが当時運営していたオンラインショップより楽曲制作の依頼を受け、実際に楽曲「Illusionist」「Movement to suppress evil books」が販売された。[5]

2007年にMaltine Recordsよりリリースした「ADEPRESSIVE CANNOT GOTO THECEREMONY」によりその名が広まり、「STUDIO VOICE」などの雑誌にもその活動が掲載された。

これらの活動の結果、メジャーレーベル各社からも楽曲制作およびライブ出演に関する依頼を受けるようになる。しかし、2009年、急性心不全により18歳で死去した。[6]

死の1年程前から散見されるようになった、ブログへの陰鬱な内容の投稿からネット上では自殺が疑われたが、真相は未だに不明である。[要検証]

活動年表

2001年にWebサイトの開設に対して興味を持ち、自力で自身のWebサイト『Space Jungle』を開設し、その中で音楽やゲーム、映像などの作品を公開を開始する。[7]

2005年よりねとらじや2ちゃんねるで「ファミコン宇宙人」という名義で活動を開始した。[8]

2006年10月よりimoutoid名義での活動を開始した。制作環境の構築を行う中で、ITに関しても詳しくなったため、SuperColliderフォーラムでは、CPUの挙動の考察やプロセスやスレッドやTCP/IPの通信時の問題に関する質問にも答えていた。[9]

2007年にはMaltine Recordsより「ADEPRESSIVE CANNOT GOTO THECEREMONY」を発表することでWeb上で広く名が広まった。その活躍が認められ、「STUDIO VOICE」[10]、「QuickJapan」[11]といったメディアに相次いでimoutoidについての記事が掲載された。

2009年に『Re:MIKUS』への作品提供でメジャーデビューを果たすも、2009年4月末に自宅において急性心不全を起こし、18歳で死去した。訃報は、6月1日に父親が本人のブログを更新する形で公表された。家族で音楽家としての飛躍を期待していた矢先の出来事だったという。

SuperColliderの日本フォーラム上で親交があった、フリーランスアーティストのtn8(本名: 赤松武子)の尽力により、2011年4月15日にMIT Pressから出版された「The SuperCollider Book」の"SuperCollider in Japan"の章には、本人が日本フォーラムの電子掲示板に投稿したプログラムコードが掲載された。[12](しかし、同書籍の"SuperCollider in Japan"の章には、複数人のSuperColliderユーザーのプログラムが同列に扱われて掲載されていることに注意する必要がある。扱いとしては使用例の紹介程度であり、個人のみで大々的に取り上げられた訳ではない。)

2011年には日本のSuperColliderコミュニティの中心的存在であり、本人と親交のあったtn8の呼びかけにより、本人と密接に関わってきた音楽家達により、本人の生前の活動と楽曲を振り返る「6月のimoutoid」というイベントが開催された。このイベントでは、複数のDJ達によりimoutoidの楽曲を中心にした特別なDJセットが演奏された。[13]

本人の死後、公式ブログである「imoutoid's websitoid」は、生前の記事の再掲を中心に父親が不定期に更新を行っている。

作風

音楽の3大要素であるリズム・スケール・コード進行に関してはジャズファンクドラムンベースドリルンベースゲーム音楽アニメソングからの影響が極めて強く見られる。

「imoutoid」名義の作品においては、スタッターエディットを好んで使用していた。また、リミックスにおいては裏コードを用いた大胆なリハーモナイズを行い、時には原曲のメロディーを維持したまま異なる調にリハーモナイズしてしまうこともあった。[14]

制作手法

制作・ライブ用PCとしてMacBook Proを使用し、その上でLogicFM8Reactor等の音楽制作ソフトウェアを組み合わせて音楽制作環境を構築し、楽曲制作を行っていた。それだけに留まらず、Sonar、Ableton Liveなどの他のDAWも使用して機能を比較検証していた。DAWのバグを発見したり、DAWのトラックやエフェクトを大量に使用しリソース不足を引き起こしたりなどでDAWを異常終了させてしまい、苛立ちを覚えた事もあったという。[15]

また、音響合成プログラミング環境のSuperColliderの音色の自由度や音質の高さに目を付け、その煌びやかな音色を駆使して音楽制作を行っていた。インターネット上には、コンピュータ上の計算では再現することが難しいと言われているギターの音色を、SuperCollider内の物理モデルを利用した手法により自身で再現しようと試みた形跡も、GoodNoseというプログラムとして残されている。[16]別名義の"Otophilia"としての活動の中では、SuperColliderのサンプルコードを探る中で見つけたL-Systemでも、遊びとして文字列置き換えプログラムを作成していた。[17]

名義

本人は、活動時期,活動方針,及び用いる媒体により以下の複数の名義を使い分けている。

yamato yoshioka
本名。
あっぷる(もしくはY.Y.)
2001 - 2006年。自身が運営するウェブサイト『Space Jungles』にて使用。
ファミコン宇宙人
2005 - 2006年。ねとらじ、2ちゃんねるで主に使用。
imoutoid
2006 - 2009年。アルバムリリース、ライブなど全般的に使用。
Otophilia(ChineseRoomより改名)
2007 - 2009年。SuperColliderフォーラムで使用。

有名な作品

アルバム

リミックス

関連イベント

  • セプテンバー9月 - 自主企画ライブイベント 2008/9/13 (Sat) imdkm・imoutoid・tofubeats・Tomad

脚注

  1. ^ 僕の環境と経緯」 imoutoid's websitoid 2016/02/17閲覧
  2. ^ SuperColliderに関する活動は「Otophilia」名義で行っていた。「imoutoidくんのこと」 tn8のSuperColliderブログ 2016/02/17閲覧
  3. ^ imoutoidがProcessingを用いた作品はニコニコ動画やYoutubeで見ることができる。
    2つのパルス波によるインベンション No.2 in B# minor」 本人によってニコニコ動画にアップロードされた作品。 2016/02/17閲覧
  4. ^ バカ親の回想 Kamikaze」imoutoid's websitoid 2016/02/17閲覧
  5. ^ いずれの楽曲も「Yamato Yoshioka」名義での発表。「imoutoid不完全トラック集」 2016/02/17閲覧
  6. ^ imoutoid 活動終了のお知らせ(彼の父より)」 imoutoid's websitoid 2016/02/17閲覧
  7. ^ 当時のウェブサイトは現存しないが、当時の作品はブログに掲載されている。 「Space Jungles (小学校4~5年生頃 )」 imoutoid's websitoid 2016/02/17閲覧
  8. ^ 当時のウェブサイトは現存しないが、彼の父親の手によって、ブログ上に当時のウェブサイトが再現されている。 「ファミコン宇宙人'sWorks」 imoutoid's websitoid 2016/02/17閲覧
  9. ^ 彼の投稿は、現在もSuperColliderフォーラムにて確認できる。 「otophiliaさんの基本情報」 SuperCollider ユーザコミュニティ 2016/02/17閲覧
  10. ^ imoutoidさんがSTUDIO VOICE誌に載る」 imoutoid's websitoid 2016/02/17閲覧
  11. ^ ネットレーベルから登場した突然変異imoutoid(仮)」 2016/02/17閲覧
  12. ^ 6月のimoutoidくん追想」 2016/02/17閲覧
  13. ^ 6月のimoutoid」 2016/02/17閲覧
  14. ^ Motteke! Sailor Fuku(imoutoid's FF6 Remix)」 imoutoid's websitoid 2016/02/17閲覧
  15. ^ バイバイimoutoid」 日曜日の朝から憂鬱な僕は人生の七分の一を損している 2016/02/17閲覧
  16. ^ imoutoidのSuperCollider」 6月のimoutoid 2016/02/17閲覧
  17. ^ L-system Base」 SuperCollider ユーザコミュニティ 2016/02/17閲覧
  18. ^ imoutoid (2007年10月24日). “"ADEPRESSIVE CANNOT GOTO THECEREMONY"”. Maltine Rercords. 2012年2月11日閲覧。

参考文献

  • 『STUDIO VOICE』(2月、2009年) - imdkm、imoutoid、tofubeats、tomadによる座談会が掲載。
  • mochilon(柿本理論)『「バイバイ imoutoid。」』(所収:"ReviewHouse 03" 2009. p.72-73.)
  • mochilon(柿本理論)『imoutoid's archivoid』(所収:"ReviewHouse 03" 2009. p.74-77.)- mochilonによる作品リスト
  • "imoutoid in june" ed. ばるぼら/TAXIM, 2011. - 追悼イベント『6月のimoutoid』にて頒布された小冊子

関連項目

外部リンク

');