「山口俊」の版間の差分
編集の要約なし |
編集の要約なし タグ: モバイル編集 |
||
60行目: | 60行目: | ||
;{{by|2014年}} |
;{{by|2014年}} |
||
5月まで勝ち星がなく防御率も |
5月まで勝ち星がなく、リリーフにもかかわらず防御率も二桁という時期もあり期待に沿わない投球を続けていたが、[[6月1日]]の対[[千葉ロッテマリーンズ]]戦([[千葉マリンスタジアム|QVCマリンフィールド]])で2007年9月19日の対[[広島東洋カープ]]戦以来となる先発で登板。6回を投げ2安打無失点の好投を見せ、7年ぶりの先発で今季初勝利を挙げた<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/06/01/kiji/K20140601008280200.html 先発マウンドで山口汚名返上「ここ2年間ふがいないピッチングで…」]スポーツニッポン2014年6月1日配信</ref><ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/06/01/kiji/K20140601008280090.html 山口7年ぶり先発で6回零封DeNA3連勝 ロッテは3連敗]スポーツニッポン2014年6月1日配信</ref> |
||
== プレースタイル == |
== プレースタイル == |
2014年6月1日 (日) 18:02時点における版
横浜DeNAベイスターズ #11 | |
---|---|
2013年3月17日、横浜スタジアムにて | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大分県中津市 |
生年月日 | 1987年7月11日(37歳) |
身長 体重 |
187 cm 90 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2005年 高校生ドラフト1巡目 |
初出場 | 2006年6月29日 |
年俸 | 8,000万円(2014年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
|
山口 俊(やまぐち しゅん、1987年7月11日 - )は、横浜DeNAベイスターズに所属するプロ野球選手(投手)。大分県中津市出身。父親は大相撲の元幕内力士・谷嵐。愛称は「どすこい」。
経歴
プロ入り前
柳ヶ浦高等学校1年生時の2003年に第85回全国高等学校野球選手権大会に出場。初戦で常総学院高等学校に敗れる。2004年秋季九州大会、明治神宮野球大会で優勝。
2005年の第77回選抜高等学校野球大会に出場し、初戦で151km/hを記録するも(NHKの中継での表示は148km/h)、天理高等学校に敗れる。同年夏の全国高等学校野球選手権大分大会準決勝の試合中に肘を痛めてしまい、圧倒的な優勝候補であったにも関わらず準決勝で敗戦。それでも横浜ベイスターズからの評価は高く、高校生ドラフト1巡目で横浜から指名を受け、入団。
プロ入り後
6月23日に一軍に初昇格し、29日に対読売ジャイアンツ戦で両親も観戦する中、初登板初先発。6回を投げて被安打2・無四死球・1失点の内容で勝利投手になった。ウイニングボールはスタンドで見守った両親にプレゼントした。その後は間隔を10日以上空ける変則ローテーションで先発として起用されたが被弾や四球が多かった。翌2007年も同様の傾向だった。
二軍で先発・中継ぎ・抑えの全てを経験し、シーズン終盤に一軍で中継ぎとして16試合に登板。四球は多かったもののイニング数を超える奪三振を記録するなど好投し、防御率0点台を記録した。
開幕からセットアッパーとして一軍に定着し、4月は10試合に救援登板して14イニングを投げ14奪三振、防御率0.64の投球で2勝5ホールドを挙げ、入団4年目にして自身初のセ・リーグ月間MVPを受賞(2007年8月に、ファーム月間MVPに選ばれたことはある)[1]。シーズン途中にクローザーに配置転換され、慣れないポジションに悪戦苦闘し、最終的には51試合5勝4敗18S 防御率3.27の結果を残した。
開幕直前までは先発投手として調整を続けていたが、前年に続いてクローザーとしてシーズンを通して活躍。前半戦は同点の場面での登板も多く、敗戦投手になることも多かったが、後半戦は調子を上げ、初の30セーブを記録し、防御率も前年度よりも良化させるなど成長をみせた。また、オールスターゲームに初出場。2戦とも1イニング投げ、三者凡退の好投。マツダ・プレマシー賞を受賞した。
年間通してクローザーとして活躍、前半は抜群の安定感で一時は防御率1点台をキープするなど活躍、2年続けてオールスターゲームにも出場を果たした。後半は疲労などの影響もあり、前半と比べるとやや精彩を欠く場面も見られたが、シーズンを通して2年連続で30セーブをマーク、防御率、負け数も前年よりも良化させた。一方で、前年まで見られていた奪三振数が投球回数を超えるという傾向がこの年には見られなかった。
開幕前から金髪にしていたが、シーズンに入ると打ち込まれるケースが目立ち、反省の意味をこめて丸刈りした。同年9月4日、対東京ヤクルトスワローズ戦でNPB史上25人目で、同最年少記録(25歳と53日)となる通算100セーブを達成[2]。この年は最終的に自己最多となる60試合に登板、防御率も1.74だった。同点及び敗戦処理での登板機会が多く見られたことから、昨シーズンよりもセーブ数を減らす結果となった。11月には侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」の日本代表に選出。オフの契約更改では現状維持の年俸1億円の提示を保留し、2度目の交渉で年俸1億円+出来高でサイン。同時に「チャンスがあれば挑戦したい」と、将来的なメジャーリーグへの挑戦の意思があることを明かした[3]。
5月の時点で4勝を記録するも不安定な投球が続き、シーズン途中からクローザーの座をホルヘ・ソーサに譲った、二軍落ちも経験した。8月の一軍再昇格後も結果を残すことが出来ず、最終的に7セーブに留まり、防御率も5.40と前年に比べて大幅に悪化した。
5月まで勝ち星がなく、リリーフにもかかわらず防御率も二桁という時期もあり期待に沿わない投球を続けていたが、6月1日の対千葉ロッテマリーンズ戦(QVCマリンフィールド)で2007年9月19日の対広島東洋カープ戦以来となる先発で登板。6回を投げ2安打無失点の好投を見せ、7年ぶりの先発で今季初勝利を挙げた[4][5]
プレースタイル
マウンドでは打者に対してやや左足をファースト方向へずらしてセットする。2008年には被打率.154を記録した[6]平均球速約148km/h[7]、最速157km/hのストレートとスライダーを軸に130km/h台のフォーク・カーブを織り交ぜ、通算の奪三振率は9.10を記録(2012年度シーズン終了時)。好調の時には150kmを越えるストレートを低めに制球するだけの繊細なコントロールを見せる時もある。特に一軍に定着した2009年からは2年続けてマーク・クルーンと藤川球児に次ぐリリーフ投手中リーグ3位の奪三振率をマークしている。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2006 | 横浜 DeNA |
5 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | .333 | 93 | 21.0 | 22 | 8 | 8 | 0 | 2 | 17 | 0 | 0 | 15 | 15 | 6.43 | 1.43 |
2007 | 6 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | .000 | 94 | 20.0 | 21 | 4 | 10 | 0 | 1 | 14 | 1 | 0 | 16 | 14 | 6.30 | 1.55 | |
2008 | 16 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 2 | .500 | 96 | 23.2 | 10 | 1 | 16 | 0 | 1 | 28 | 2 | 0 | 2 | 2 | 0.76 | 1.10 | |
2009 | 51 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 4 | 18 | 7 | .556 | 223 | 55.0 | 44 | 7 | 17 | 0 | 4 | 68 | 5 | 0 | 22 | 20 | 3.27 | 1.11 | |
2010 | 54 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 8 | 30 | 2 | .200 | 282 | 68.2 | 57 | 6 | 24 | 5 | 1 | 78 | 3 | 0 | 20 | 20 | 2.62 | 1.18 | |
2011 | 59 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 6 | 34 | 1 | .250 | 253 | 61.1 | 46 | 5 | 19 | 1 | 4 | 48 | 3 | 0 | 20 | 17 | 2.49 | 1.06 | |
2012 | 60 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 22 | 3 | .333 | 258 | 62.0 | 46 | 1 | 22 | 4 | 5 | 62 | 2 | 0 | 13 | 12 | 1.74 | 1.10 | |
2013 | 44 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 2 | 7 | 6 | .714 | 202 | 46.2 | 46 | 6 | 16 | 1 | 2 | 48 | 5 | 0 | 28 | 28 | 5.40 | 1.33 | |
通算:8年 | 295 | 9 | 0 | 0 | 0 | 17 | 28 | 111 | 21 | .378 | 1501 | 358.1 | 292 | 38 | 132 | 11 | 20 | 363 | 21 | 0 | 136 | 128 | 3.21 | 1.18 |
- 2013年度シーズン終了時
- 横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)に球団名を変更
表彰
- 月間MVP:1回 (2009年4月)
記録
- 投手記録
- 初登板・初先発・初勝利:2006年6月29日、対読売ジャイアンツ9回戦(横浜スタジアム)、6回2安打1失点[8]
- 初奪三振:同上、2回表に李承燁から空振り三振[8]
- 初ホールド:2008年9月23日、対阪神タイガース20回戦(阪神甲子園球場)、9回裏に3番手で救援登板、1回無失点[9]
- 初セーブ:2009年5月5日、対読売ジャイアンツ4回戦(東京ドーム)、9回裏に4番手で救援登板・完了、1回無失点[10]
- 節目の記録
- 100セーブ:2012年9月4日、対東京ヤクルトスワローズ17回戦(横浜スタジアム)、9回表に2番手で救援登板・完了、1回無失点 ※史上25人目[11]
- 打撃記録
- 初安打:2006年7月15日、対広島東洋カープ9回戦(横浜スタジアム)、2回裏に大島崇行から中前安打[12]
- 初打点:2010年7月17日、対読売ジャイアンツ12回戦(横浜スタジアム)、8回裏に久保裕也から右前決勝2点適時打[13]
- その他の記録
- オールスターゲーム出場:2回 (2010年 - 2011年)
背番号
- 11 (2006年 - )
登場曲
- BIGBANG 「Fantastic Baby」
脚注
- ^ “横浜 山口、中継ぎでは8年ぶりの受賞”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2009年5月9日) 2013年8月1日閲覧。
- ^ それまでの最年少記録は赤堀元之の26歳と55日。
- ^ DeNA山口 ポスティングで13年オフ米移籍目指すスポニチ、2013年1月5日
- ^ 先発マウンドで山口汚名返上「ここ2年間ふがいないピッチングで…」スポーツニッポン2014年6月1日配信
- ^ 山口7年ぶり先発で6回零封DeNA3連勝 ロッテは3連敗スポーツニッポン2014年6月1日配信
- ^ 被打率から見る変化球 プロ野球データスタジアム、2009年02月20日。
- ^ 『2011プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2011年、184頁頁。ISBN 978-4-930942-98-2。
- ^ a b 神奈川新聞、2006年6月30日。
- ^ 神奈川新聞、2008年9月24日。
- ^ 神奈川新聞、2009年5月6日。
- ^ 神奈川新聞、2012年9月4日。
- ^ 神奈川新聞、2006年7月16日。
- ^ 神奈川新聞、2010年7月18日。