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燃料棒は核燃料を円筒状の耐熱ジルコニウム合金([[ジルカロイ]]、融点約3,000℃)の容器に入れ、多数個まとめたものである。炉心では非常に大量の崩壊熱を出しているため、冷却機能が失われるとジルカロイから発生した水素による水素爆発の虞のほか、燃料棒(燃料集合体)が溶解し、原子炉の底を溶かし(溶融貫通)炉外に漏れ出す危険や、それの冷却水等または{{要出典範囲|地下水脈との反応による|date=2011年5月}}水蒸気爆発による大規模な放射能汚染、更には再臨界などの虞がある。実際に事故が炉心溶融までに至った例としては、[[1979年]]の[[スリーマイル島原子力発電所事故]]([[アメリカ合衆国]])、[[1986年]]の[[チェルノブイリ原子力発電所事故]]([[ソビエト連邦]]、現[[ウクライナ]])、[[2011年]]の[[福島第一原子力発電所事故]]([[日本]]・現在進行中)などが挙げられる<ref>桜井(1992) p.25,p.162 炉心溶融の概念、冷却剤損失、冷却水由来の水蒸気爆発について。</ref>。 |
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=== 冷却材喪失事故 === |
=== 冷却材喪失事故 === |
2011年5月25日 (水) 08:58時点における版
原子力事故(げんしりょくじこ)とは原子力関連施設での放射性物質や放射線に関係する事故のこと。放射性物質や強力な放射線が施設外へ漏れ出すと、人々の健康・生活や経済活動に大きな被害をもたらす恐れがある。原子力関連施設内での事故であっても、放射性物質や放射線の閉じ込めにまったく無関係なトラブルは原子力事故とは呼ばない。
一般に原子力発電所などで不測の事態が発生した場合には、国際原子力事象評価尺度 (INES) による影響度の指標が「レベル0」から「レベル7」までの8段階の数値で公表されることになっている[1]。本項目ではINESレベル4未満の事象も含めて記述するが、日本の原子力事業者はINESレベル4以上に限って「事故」と呼んでいる。
事故と異常事象
日本の原子力関連施設では、放射性物質が環境中へ放出されて公衆の健康を害する恐れが生じた場合やそれ以上を「事故」と呼び、そのような状況に至らない施設内での不測の事態は「異常事象」と呼んで区別している[2]。
原子力事故の原因と結果
炉心溶融(メルトダウン)
燃料棒は核燃料を円筒状の耐熱ジルコニウム合金(ジルカロイ、融点約3,000℃)の容器に入れ、多数個まとめたものである。炉心では非常に大量の崩壊熱を出しているため、冷却機能が失われるとジルカロイから発生した水素による水素爆発の虞のほか、燃料棒(燃料集合体)が溶解し、原子炉の底を溶かし(溶融貫通)炉外に漏れ出す危険や、それの冷却水等または地下水脈との反応による[要出典]水蒸気爆発による大規模な放射能汚染、更には再臨界などの虞がある。実際に事故が炉心溶融までに至った例としては、1979年のスリーマイル島原子力発電所事故(アメリカ合衆国)、1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故(ソビエト連邦、現ウクライナ)、2011年の福島第一原子力発電所事故(日本・現在進行中)などが挙げられる[3]。
冷却材喪失事故
原子炉からは何らかの手段で熱を取り去る必要があるが、冷却剤が(地震などによる)配管の破断で喪失する、循環系ポンプが故障等に陥る、冷却数の取水が不足する、などした場合、炉心が加熱、これが炉心溶融に繋がり大事故に発展する危険性がある[注 1]。また、非常用炉心冷却装置(ECCS)が必ずしも動作するとも限らない。なお、原子炉の臨界終息後も核分裂生成物の熱崩壊に起因する熱を取り去らねば鳴らないため、相当期間冷却を継続しなければやはり炉心は加熱し事故に至る[要出典][4]。ちなみに小規模な原子炉は必ずしも系統だった冷却を必要としていない[5]。
計器の異常、マニュアルの誤り、人間のミスなど
計器もマニュアルも人間が作るものである以上、設計ミス、製造ミス、チェックミス、操作ミス、故障などが起こり得る。また運転員や管理者はマニュアルに沿って運転するため、想定外の事象が起こった場合に事故を加速する動作になることがある。
これまで原子力関係で発生した例としては、水位計が正常に働かず空焚き状態を検出できなかった(2011年福島)、マニュアルと計器で弁の開く方向が逆だった(1999年6月 北陸電力志賀原子力発電所1号機事故)、警報ランプとベルが多数同じように鳴るので重要な異常を運転員が分からなかった(2007年柏崎刈羽原子力発電所事故では100個以上、スリーマイル島事故)、極めて重要な電源系リレーが制御盤内でカバー無しに置かれたので運転中の修理で工具が接触し電源が全て失われた(2010年福島第一原子力発電所2号機事故)、予備機器を他の用途に使っていてバックアップとして用をなさなかった(2011年NRC調査[6])、配管強度計算プログラムミス(2008年東京電力柏崎刈羽原発7号機)などが挙げられる。果てには消火用トラックの存在を失念し、事故の時消火が出来なかった(2007年柏崎刈羽事故)という例もある。
臨界事故
核反応が連鎖的に続く状態になることを臨界という。原子炉以外の場所で臨界が起こると、その場所から周囲に中性子が放射される。中性子は構造物を貫きやすく、長距離(数百m - 数km以上)にわたって生物の細胞を損傷する。防護服や通常の防護機材が無効なので、作業員が近づけず[* 1]、状況が深刻化する虞がある。
原子力施設の停電
原子力施設の停電が問題である。電源が失われると冷却が出来なくなり、蒸発で水が失われ重大事故(冷却材喪失事故)となり、そのままだと炉心溶融の上で水蒸気爆発または水素爆発により大量の放射性物質が外部に漏れる虞がある[要出典]。また放射性物質貯蔵システムでも崩壊熱が出続けているため、当面の間(数年以上)は冷却の必要がある。電力が失われれば状況も不明になり、制御も困難となる。
原子力施設を支える命綱には通常
- 「所内交流電源系」
- 他の原子炉につながっている
- 「外部電源系」
- 外部から引き入れているいわゆる普通の電力
- 「非常用ディーゼル発電機
- 動作するのは 2 - 4日[要出典]
- 「非常用バッテリー」
- 容量4時間[要出典]
の4系統がある。
原子炉保安指針では全ての電源系が停止するのは「隕石が直撃する確率」として扱われていた[* 2]が、多くの電源系が停止した事例は以下の如く、必ずしも珍しくない。
茨城県で高圧(基幹)送電線鉄塔が強風で倒れた事故[要出典]、川を渡る高圧送電線が船のクレーンで全て切られた事故がなどもあった[要出典]。停電事故では、地域の全系統が長時間(数時間から数ヶ月)停電する(ブラックアウト)[* 3]ので、複数系統からの受電が原子炉運転上意味をなさないことがある(2003年北アメリカ大停電、太陽フレアによるカナダケベック州の長期広域停電など。停電すると日本では交通マヒが起こるので、燃料油の輸送が困難になる[要出典]。中部電力の場合全ての発電所が太平洋岸にあり、東海地震等発生時に長期間にわたる広域停電の発生が懸念されている[7]。日本製ディーゼル発電機の信頼度は極めて高く、2台とも故障する確率は計算上は低いが、原子力発電所で2台ともうまく動作しなかった例はいくつかある[要出典]。
冷却系の損傷
- 冷却系の損傷は重大事故を招くため、いくつか予備系がある。1つは原子炉の蒸気を使う原子炉隔離時冷却系 (RCIC) 、もう一つはECCSと呼ばれる非常時に大量の水をシャワーする系統である。他にも中性子を止めるホウ酸を注入する系統もある。
- 2007年柏崎刈羽原子力発電所事故では、スクラム後の3、4号機の冷却をする系統が動かず、1系統で食い止めた[要出典]。
- 原子炉の冷却は、最終的には海水、河川水、空気(冷却塔)によってなされる。だが、冷却に適した清浄な水や空気が常に供給されるとは限らない。津波、洪水、地震、クラゲ、赤潮、漂流物などで取水口・排水口・配管が塞がれる可能性があり、また、旱魃の時には長江(揚子江)やライン川のような大きな川からでさえ取水が困難になる場合があり得る。火山灰、軽石や亜硫酸ガスの来襲は複合的な困難を招く[要出典]。原子炉が川または海の近くに置かれることから、事故や故障の時は河川水や海流によって被害地域が拡大するおそれがある[要出典]。
- 原子炉内部を冷却するパイプは、(1)細い(2)薄い(3)曲がっている(4)中性子などに曝されている(5)圧力が高い(6)密集している(7)ナトリウム冷却の場合、腐食性が高い(通常は徹底的に不純物を除いた水を用いる)などの悪条件が重なっている。経年変化、不純物、格子欠陥、振動、地震などの条件があると、設計寿命のかなり前に詰まったり破断したりする。定期検査によって全てのパイプを徹底検査できないため、事故が起きる。挙動が複雑なので、固有振動の計算が出来ず(設計時には可能だが、条件の変化が大きい。古い設計では一部省略して計算している)想定外のひずみが起こり、ひび割れや破断が起きることがある。
ナトリウム事故
原子炉の熱を運び出し、タービンを回すための冷却剤として使われるのは通常、水(H2O、軽水ともいう)、重水 (D2O) および液体金属ナトリウム (Na) である。しかし、液体ナトリウムは水分や空気に触れると爆発する性質を持ち、腐食性も高い[* 4]。また、別の元素が混入すると硬化し冷却困難となる場合がある[要出典]。
反応係数
個々の事象の反応係数は、場合によって異なる。「制御棒を入れると必ず反応が低くなる」わけでもないし、水素の泡(ボイド)の発生や燃料棒や制御棒の抜き差しの速さなどによっても、原子炉の挙動は変化する。当直運転員や管理者が全ての挙動を把握しているわけではないので、事故の時に適切な対処が出来るとは限らない。
制御棒の出入り口など
原子炉及び格納容器内部は完全に閉じ込められているわけではない。まず炉心冷却剤の出入りの太いパイプがあり、各種緊急冷却系、計測器、制御棒、消火系などの穴が開いている。それらは格納容器と同等の耐熱性、耐久性、強度を持っているわけではないため、事故の原因となるおそれがある。
主な原子力事故(軍事以外)
日本国内
レベル7(最悪レベル)の事故
福島第一原子力発電所炉心溶融・水素爆発事故
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震により、東京電力福島第一原子力発電所で圧力容器内の水位が低下。炉心が高温になるも、非常用電源の故障で緊急炉心冷却システムも作動せず、水蒸気爆発の可能性が高まった。そのため、弁を開いて放射性物質を含んだ水蒸気を大気中に放出した。この作業により、敷地境界域で1015 μSv/hの放射線を確認。燃料棒も一部溶解。日本初となる原子力緊急事態宣言が発令され、周辺半径20kmの住民には避難指示が出された[8]。
3月12日、午後3時半頃、福島第一原子力発電所1号機で爆発音がして白い煙が上がった。東電社員2人と協力企業の2人が負傷し、病院に搬送された。建築物の外壁が無くなり骨組みが露出。同日夜、記者会見した枝野幸男官房長官によると、「爆発で崩落したのは外側の建屋で、中の原子炉格納容器は無事。何らかの理由で格納容器から漏れ出た水素が建屋内の酸素と結び付き、爆発したとみられる。」と発表[8]。
経済産業省原子力安全・保安院は12日、国際原子力事故評価尺度 (INES) の暫定値で、「局所的な影響を伴う事故」とするレベル4に当たることを明らかにした。東海村JCO核燃料加工施設臨界事故と同レベル[9]。 2011年3月18日、経済産業省原子力安全・保安院は1 - 3号機の事故の深刻さを示す国際評価尺度 (INES) を、8段階のうち3番目に深刻な「レベル5」にすると発表した[10]。
その後、同年4月12日、経済産業省原子力安全・保安院は国際評価尺度 (INES) の暫定評価を「レベル7」にすると発表した[11]。
レベル4の事故
- 1999年9月30日 東海村JCO核燃料加工施設臨界事故
- 日本で3番目の臨界事故で、作業員2名が死亡。レベル4[12]。
レベル3以下の事故
- 1978年11月2日 東京電力福島第一原子力発電所3号機事故
- 日本で最初の臨界事故とされる。
- 戻り弁の操作ミスで制御棒5本が抜け、午前3時から、出勤してきた副長が気付きゆっくり修正し終わる10時半までの7時間半臨界が続いたとされる。
- 沸騰水型の原子炉で、弁操作の誤りで炉内圧力が高まり、制御棒が抜けるという本質的な弱点の事故。この情報は発電所内でも共有されず、同発電所でもその後繰り返され、他の原発でも(合計少なくとも6件)繰り返される。1999年志賀原発事故も防げたかも知れず、本質的な弱点なので、世界中の原子炉で起こっている可能性がある。
- 特に重要なのが、1991年5月31日の中部電力浜岡3号機の制御棒が同様に3本抜けた事故である。中部電力は1992年にマニュアルを改訂した。「国への報告はしなかったが、他電力へ報告した。」と主張した。
- 事故発生から29年後の2007年3月22日に発覚、公表された。東京電力は「当時は報告義務がなかった」と主張している。
- 1989年1月1日 東京電力福島第二原子力発電所3号機事故
- 原子炉再循環ポンプ内部が壊れ、炉心に多量の金属粉が流出した事故。レベル2。
- 1990年9月9日 東京電力福島第一原子力発電所3号機事故
- 主蒸気隔離弁を止めるピンが壊れた結果、原子炉圧力が上昇して「中性子束高」の信号により自動停止した。レベル2。
- 1991年2月9日 関西電力美浜発電所2号機事故
- 蒸気発生器の伝熱管の1本が破断し、非常用炉心冷却装置 (ECCS) が作動した。レベル2。
- いわゆる「ギロチン裁断」問題[誰によって?]。加圧水型原子炉 (PWR) 特有の弱点である。
- この問題はマスコミによって連日繰り返しオーバーに伝えられ、あたかもPWRが沸騰水型原子炉 (BWR) に比べて危険な存在であるかのように印象付けた。その後も、制御棒の挿入方法や、日本特有の条件などを無視して、前述のスリーマイル島原子力発電所事故(日本のPWRはウェスティングハウス系なので本来TMI事故の原因とは無関係)と合わせ、「PWRはBWRより反応余裕度が少なく、ギロチン裁断の問題もあって危険」と断じる評論家が多い。
- 1991年4月4日 中部電力浜岡原子力発電所3号機事故
- 誤信号により原子炉給水量が減少し、原子炉が自動停止した。レベル2。
- 1997年3月11日 動力炉・核燃料開発事業団東海再処理施設アスファルト固化施設火災爆発事故
- 低レベル放射性物質をアスファルト固化する施設で火災発生、爆発。レベル3。
- 1999年6月18日 北陸電力志賀原子力発電所1号機事故
- 定期点検中に沸騰水型原子炉 (BWR) の弁操作の誤りで炉内の圧力が上昇し3本の制御棒が抜け、想定外で無制御臨界になり、スクラム信号が出たが、制御棒を挿入できず、手動で弁を操作するまで臨界が15分間続いた。点検前にスクラム用の窒素を全ての弁で抜いてあったというミスと、マニュアルで弁操作が開閉逆だったと言うのが、臨界になる主な原因であった。
- 所長も参加する所内幹部会議で隠蔽が決定され、運転日誌への記載も本社への報告も無かったとされる。当時の所長代理は、発覚時点で常務・原子力推進本部副本部長=安全担当、志賀原発担当。総点検の聞き取りに対しては事故を報告しなかった。
- 原発関連の不祥事続発に伴う2006年11月の保安院指示による社内総点検中、報告が出た結果、2007年3月公表に至った。レベル1 - 3。
- 日本で2番目の臨界事故とされる。
- 日本原子力技術協会が、最悪の事態を想定して欠落データを補完した研究によると、定格出力の15%まで出力が瞬間的に急上昇した即発臨界であった可能性がある。ただし、燃料中のウラン238が中性子を吸収し、それ以上の事態になる可能性はなかったという。
- この事故に関して、一部マスコミ等で「制御棒が落下した」「沸騰水型原子炉の制御棒は下から挿入されるので、水圧が抜けると落下する危険がある」との誤解があったが、実際は「水圧装置の誤作動により、引き抜き動作が行われた」であり、重力の影響で落下したのでないことに注意が必要である。
その他の有名な事故
- 1973年3月 関西電力美浜発電所燃料棒破損
- 美浜一号炉において核燃料棒が折損する事故が発生したが、関西電力はこの事故を公表せず秘匿していた。この事故が明らかになったのは内部告発によるものである。
- 1974年9月1日 原子力船「むつ」の放射線漏れ事故
- 1995年12月8日 動力炉・核燃料開発事業団高速増殖炉もんじゅナトリウム漏洩事故
- 2次主冷却系の温度計の鞘が折れ、ナトリウムが漏洩し燃焼した。レベル1。この事故により、もんじゅは15年近く経った2010年4月まで停止を余儀なくされた。
- 1998年2月22日 東京電力福島第一原子力発電所
- 第4号機の定期検査中、137本の制御棒のうちの34本が50分間、全体の25分の1(1ノッチ約15cm)抜けた。
- 2004年8月9日 関西電力美浜発電所3号機2次系配管破損事故
- 2次冷却系のタービン発電機付近の配管破損により高温高圧の水蒸気が多量に噴出。逃げ遅れた作業員5名が熱傷で死亡。レベル0+。
- 2007年7月16日 新潟県中越沖地震に伴う東京電力柏崎刈羽原子力発電所での一連の事故
- 同日発生した新潟県中越沖地震により、外部電源用の油冷式変圧器が火災を起こし、微量の放射性物質の漏洩が検出された。この地震により発生した火災は柏崎刈羽原子力発電所1箇所のみであるとされる。
- 震災後の高波によって敷地内が冠水、このため使用済み核燃料棒プールの冷却水が一部流失している。
- 全ての被害の詳細は2007年10月現在もなお調査中である。この事故により柏崎刈羽原子力発電所は全面停止を余儀なくされた。
- 2007年11月13日、経済産業省原子力安全・保安院はこの事故をレベル0?と評価した。
- 2010年6月17日 東京電力福島第一原子力発電所2号炉緊急自動停止
- 制御板補修工事のミス[* 5]があったが、常用系電源と非常用電源(常用系から供給されている)から外部電源に切り替わらず、冷却系ファンの停止を招き、緊急自動停止(トリップ)した。電源停止により水位が2m低下した。燃料棒露出まで40cm(単純計算で6分)であった。トリップ30分後に非常用ディーゼル発電機2台が動作し、原子炉隔離時冷却系[* 6][13]が動作し、水位は回復した[14][* 7][* 8]。
日本国外
代表的な事故
- 1957年9月29日 ウラル核惨事
- ソビエト連邦ウラル地方カスリ市のほど近くに建設された「チェリヤビンスク65」という暗号名を持つ秘密都市の、「マヤーク」(灯台の意味)という兵器(原子爆弾)用プルトニウムを生産するための原子炉5基および再処理施設を持つプラントで起こった事故。プルトニウムを含む200万キュリーの放射性物質が飛散した。放射性物質の大量貯蔵に伴う事故の危険性を知らせた事故である。原子力における冷却不能が(廃棄物であっても)爆発大事故につながった事故であり、福島第一原子力発電所事故にもつながっている。
- 当初この事故は極秘とされていたが、西側に亡命した科学者であるジョレス・A・メドベージェフが1976年に英科学誌「ニュー・サイエンティスト」に論文を掲載したことで知られるようになった。
- 1957年10月10日 ウィンズケール火災事故
- 世界初の原子炉重大事故。イギリス北西部の軍事用プルトニウムを生産するウィンズケイル原子力工場(現セラフィールド)の原子炉2基の炉心で黒鉛(炭素製)減速材の過熱により火災が発生、16時間燃え続け、多量の放射性物質を外部に放出した。避難命令が出なかったため、地元住民は一生許容線量の10倍の放射線を受け、数十人がその後白血病で死亡した。現在の所白血病発生率は全国平均の3倍である。当時のマクミラン政権が極秘にしていたが、30年後に公開された。現在でも危険な状態にある。2万キュリーのヨウ素131が工場周辺500平方キロメートルを汚染し、ヨードの危険性を知らせたことで有名である。水素爆発のおそれから注水に手間取った。これはスリーマイル島でも繰り返された。
- 1961年1月3日 SL-1事故
- SL-1 (Stationary Low-Power Reactor Number One) はアメリカのアイダホフォールズにあった海軍の軍事用の試験炉である。運転出力は軍事基地のための暖房としての熱エネルギーとして400 kW、電気出力として200 kWの合計600 kWであり、設計出力は3 MWであった。当事者が死亡してしまったため事故の原因ははっきりとは分かっていないが、制御棒を運転員が誤って引き抜き、原子炉の暴走が起きたと考えられている。この暴走により、13トンの原子炉容器が1メートル近く飛び上がった。事故で放出されたエネルギーは約50 MJに相当し、炉内にあった約100万キュリーの核分裂生成物のうち約1パーセントが放出されたと考えられている。
- なお原子炉は暴走したものの、その後減速材である軽水が失われたため自然に停止したと考えられている。また、冷却材が失われても炉心が溶融しなかったのは、炉の出力が小さかったためとも考えられる。
- 事故が起きたのは午後9時であり、当時夜勤で3人の運転員がいたが2人は即死であったと考えられる。事故発生後に救出隊が駆けつけたときは放射線の強さが非常に強く、1時間半は現場に近づく事さえできなかった。現場に入ると制御室には2人がおり、その内の2人がまだ生きていて救急車で搬送されたが、搬送中に死亡した。事故から数日後に残りの1人が原子炉の暴走により飛び出した制御棒に胸を貫かれ、天井に貼り付けにされた状態で発見された。
- 3人の遺体は、露出していた頭部や手などが余りにも汚染度が激しかったため、切断して高レベル放射性廃棄物として処理しなければならなくなった。搬送に使用した救急車も放射能に汚染されてしまったために、後に放射性廃棄物として処分しなければならなくなった。
- チェルノブイリ原子力発電所事故が起きるまでは原子炉で死者が出た唯一の事故として知られていた。
- 1963年10月フランスのサン・ローラン・デ・ゾー原子炉で燃料溶融事故
- 1966年10月5日 エンリコ・フェルミ1号炉
- エンリコ・フェルミ炉はアメリカのデトロイト郊外にあった高速増殖炉試験炉である。1966年10月5日に炉心溶融を起こし閉鎖された。原子炉の炉心溶融事故が実際に発生した最初の例とされている。後にこの事故について書かれたドキュメンタリーのタイトルには、『我々はデトロイトを失うところであった』と書かれた。
- 1979年3月28日 スリーマイル島原子力発電所事故
- アメリカ・スリーマイル島原子力発電所の炉心溶融事故。レベル5の事故であり、不完全な設備保全、人間工学を重視していない制御盤配置、そして中央制御室運転員の誤判断等が重なって発生した。当初は外部へ放射性物質が大量に放出されたとの報道もあった。この事故の影響により、アメリカ政府は新規原発建設中止に追い込まれた。アメリカではこの事故を契機にトラブルや運転等の情報を共有する組織としてアメリカ合衆国原子力規制委員会 (INPO) が結成され、その後の原子力発電所の安全性向上に寄与することとなった。
- 1986年4月26日 チェルノブイリ原子力発電所事故
- ウクライナ共和国チェルノブイリ原発4号機が爆発・炎上し、多量の放射性物質が大気中に放出されたレベル7の深刻重大な事件。事実上、史上最悪の原子力事故である。無許可での発電実験中、安全装置を切り制御棒をほとんど引き抜いたために出力が急上昇して起こったとされている。放射性物質は気流に乗って世界規模で被曝をもたらした。直接の死亡者は作業員・救助隊員の数十名だけであるが、がんなどの疾病を含めると、数万から数十万にのぼるとされていた。2005年に発表された世界保健機関 (WHO) 等の複数組織による国際共同調査結果では、この事故による直接的な死者は最終的に9,000人との評価もある。2000年4月26日に行われた14周年追悼式典では事故処理に従事した作業員85万人のうち、5万5,000人が死亡したと発表されており、WHOの評価とは大きく食い違っている。この事故を契機に国際的な原子力情報交換の重要性が認識され、世界原子力発電事業者協会 (WANO) が結成された。
沸騰水型原子炉の臨界事故
- 1973年11月、バーモントヤンキー原発(米バーモント州)
- 検査のため抜いた状態だった制御棒の隣の制御棒を誤って抜き、炉心の一部が臨界。圧力容器と格納容器の蓋は開けたままだった。
- 1976年11月、ミルストン原発1号機(米コネティカット州)
- 臨界は炉心スクラムで止まった。
- 1987年7月オスカーシャム原発3号機(スウェーデン)
- 制御棒の効果を調べる試験中に制御棒を抜いていたところ想定外の臨界状態になったが、運転員が気付くのが遅れ、臨界状態が続いた。
その他の事故
- 1987年9月、ゴイアニア被曝事故
- ブラジルのゴイアニア市で発生した放射能汚染事故。閉鎖された病院に放置されていた放射線療法用の医療機器から放射線源が盗難に遭い、地元のスクラップ業者によって解体された事で内部のセシウム137が露出。暗闇で光るという特性に好奇心を持った人々が自宅に持ち帰るなどした事で、貧民街を中心に汚染が広がった。同年の12月までに250人が被曝し、4人が急性放射線障害で死亡した。翌年の3月までに汚染がひどかった家屋7軒が解体され、周辺の土壌交換などが行われた。
- 2008年7月7日、トリカスタン原子力発電所事故
- 7日の夜から8日にかけて、フランス・アヴィニョン北部ボレーヌ市に接するトリカスタン原発において、ウラン溶液貯蔵タンクのメンテナンス中、 タンクからウラン溶液約3万リットルが溢れ出し、職員100人余が被曝し、付近の河川に74 kgのウラニウムが流れ出した。原発は一時閉鎖され、水道水の使用や河川への立ち入りが禁止されるなどした[15][16]。フランス原子力安全庁は事故レベルを0としている。
主な軍事原子力事故
旧ソ連
原子力潜水艦
級の名前はNATOが命名。本当の名前は当時最高機密事項だったので、旧ソ連海軍もNATO名を使用。深さは沈没した潜水艦のいる場所の深さである[* 9]。
- 1961年7月4日 K-19(ソ連海軍初の原潜、ホテル級原子力潜水艦) 一次冷却系の圧力低下によって生じた事故である。10名が死亡した[* 10][* 11]。
- 1968年3月8日 ハワイ沖でゴルフ型潜水艦K-129が沈没した。核ミサイル3発搭載[* 12]。
- 1968年5月 ノヴェンバー級原子力潜水艦 液体金属冷却剤の硬化。9名死亡。燃料の20%損傷[* 13]。
- 1969年11月15日K-19バレンツ海で米スレッシャー級のガトーと衝突した。
- 1970年4月11日。ビスケー湾4,700 m。ノベンバー級K-8。52名死亡した
- 1970年6月 エコー2型原子力潜水艦が米「トートグ」と衝突、ソ連側が沈没した。
- 1971年3月 ソ連沿岸で米ソ原潜が衝突、詳細不明となった。
- 1972年2月24日 K-19ニューファンドランド沖1,200 kmで火災事故。28名死亡した。
- 1974年5月 ソ連沿岸で米ソ原潜が正面衝突した。
- 1979年7月 太平洋艦隊で冷却水漏れ[* 14]。
- 1981年8月 沖縄沖でエコー1型原子力潜水艦艦内で火災が発生し、9名以上が死亡した[* 15]。
- 1983年 チャーリー1型原子力潜水艦の原子炉室に浸水し、16名が死亡した[* 16]。
- 1985年8月10日正午頃 エコー2型K-431。ウラジオストック近郊チャジマ湾の船舶修理工場で燃料棒交換中に、原子炉の誤操作で炉心の核反応が高まり原子炉が爆発した。10名が即死、290名が被曝した。500万キュリーの放射能を持つ放射性の塵と、200万キュリーの放射能を持つ放射性の希ガス類が流出し、北西30kmに渡り拡散したとされる[* 17][* 18]。
- 1985年12月 ウラジオストック近郊で冷却水漏れとメルトダウン事故が起きた。
- 1986年夏 エコーII級 一次冷却回路に別の元素が混入した。
- 1986年夏 ヴィクター級原子力潜水艦でメルトダウン事故が起きた可能性が疑われている。
- 1986年10月9日 バミューダ諸島沖でヤンキー級原子力潜水艦K-219で何らかの事故が発生し、米国沖で火災により沈没した。この艦は核ミサイルを搭載しており、核弾頭34基も海中に没した疑いがあった[17]。
- 1989年4月 ノルウェー沖1,685mでマイク級原子力潜水艦K-278「コムソモレッツ」で火災が発生し沈没した。40数名が死亡した。核兵器2個が海没したとされる。
- 1993年 燃料棒交換時に使用済み核燃料を入れてしまったため、数名が被曝した。
- 2000年8月 オスカーII級原子力潜水艦の「クルスク K-141」 (18,000t) が、炉心に約2トンの核燃料を搭載したままバレンツ海の110mに沈没した。118名が全員死亡した。
ソ連は旧式化した原子炉を少なくとも日本海に4基、北極海に17基投棄している。放射性廃棄物も多数海洋投棄している事実が発覚している。
旧ソ連体制が崩壊する前後当時のロシア社会の大変革期には、ミハイル・ゴルバチョフ書記長がペレストロイカやグラスノスチ政策によって軍組織に情報公開を迫ったことや、原子力潜水艦自体ほとんどが退役していたか、書類上は現役であっても多くが稼動不可能な状態にあったこと、東西冷戦終結によって戦略核戦力のすべてを秘匿し維持し続ける必要性が失われたことなどから、こうした旧ソ連の原潜に関する情報が公表されるようになった。
その他
- 1965年2月 原子力砕氷艦「レーニン」の原子炉の冷却水が失われ暴走。多数の死傷者を出した。事故を起こした原子炉は2年後に北極海へ投棄した。
- 1978年1月24日 原子炉を搭載した海洋偵察衛星「コスモス954号」がカナダ北西部に墜落。広範囲に放射能を帯びた破片が飛散。カナダに対し損害賠償として300万ドルを支払い。
西側諸国
原子力潜水艦
アメリカ合衆国をはじめとする他の国家での原潜事故は、各国がその動き自体を第一級の軍事機密としているために、ほとんど明るみに出てていない。
- 1963年4月10日 米パーミット級原潜「スレッシャー」、大西洋ニューイングランド沖2,500 mにて沈没した。原子炉緊急停止。1962年6月の衝突事故と海面下の内部波の関与が疑われる。129名が死亡した。後の潜水調査で、残骸からコバルト60が検出されている。
- 1965年5月22日 米スキップジャック級原潜「スコーピオン」、大西洋3,000 mにて沈没した。沈没原因の詳細は不明である。核兵器2個搭載。99名が死亡した。
- 1994年3月30日 仏リュビ級原潜。トゥーロンから80 km。蒸気爆発のため、10名が死亡した。
フィクション
- みえない雲 - 架空の原子力発電所事故を扱ったドイツの小説と映画
- チャイナ・シンドローム
- 第五惑星アスカ
- プロメテウス・クライシス
- ゴルゴ13 - 文庫版64巻「2万5千年の荒野」
注釈
- ^ JCO事故では決死隊が突入できたが、多量になると死を覚悟して突入しても発生源や制御装置にたどり着けない可能性がある。[要出典]
- ^ 「WASH-1400」という報告(ラスムッセン報告)の解析結果によるところが大きい。イベントツリーを用い、複合事象を独立事象の確率の積とする解析方法の妥当性については当時から懸念されていた。
- ^ 交流電力系統は極めて微妙なバランスの上で成立しており、1箇所の故障が広い地域に即座に拡がることがある。
- ^ 1995年のもんじゅ事故では2次冷却系の少量の漏れで、鋼鉄製の床などに大きな損傷を与えている。
- ^ 温度記録計交換作業の作業場所が狭隘で、工具がむき出しの電源系リレー(普通はプラスチックのカバーがついている)に接触した。
- ^ RCIC-Reactor Core Isolation Cooling System-原子炉蒸気を駆動源とする冷却系。緊急時炉心冷却装置(ECCS)とは異なる。2011年には1 - 3日間動作した。この事故で即時に動作しなかった理由は不明である。
- ^ 非常用ディーゼル発電機は数分以内の動作が期待される(消防法、建築基準法では40秒以内。ヤンマー製商用4000KVAの仕様では10秒。柏崎刈羽原子力発電所の機能試験では7秒)(ガスタービンの方が発電力が高いが、起動に時間がかかり、ディーゼルに比べれば信頼性が高くないとされる)30分かかっている。理由についてプレスリリースには全く記述がない。また即時動作し、1 - 4時間電力を供給する非常用バッテリーがあるはず(2011年では動作したという)だが、全く記述がない。
- ^ 2号炉の緊急冷却は3回目となり、2011年は4回目となる。緊急に冷却すると炉心全体が脆くなるため、設計上は炉心寿命全体で3回までとされる。通常時には原子炉の冷却には何日もかける。
- ^ 情報源により異なるので、注意されたい
- ^ 艦番号249。直接死亡7名、間接死亡20名。原因は一次冷却回路の蒸気漏れ。修理中の溶接棒の破片が入ったため。
- ^ 2002年ハリソン・フォード主演・総指揮で映画化(「K-19」)。
- ^ 1974年8月ハワード・ヒューズの会社所有に偽装したCIAのグローマー・エクスプローラー号が海面下5,500mから先頭部を回収。
- ^ この艦は前年の処女航海時にも凝固を経験した。
- ^ 2005年現在ズベズダ造船所で解体中である。
- ^ 元々は「反乱」であったという説も存在する。[要出典]
- ^ 1985年12月に沈没したという情報もある。[要出典]
- ^ ウラジオストック南東50kmのパブロフスク湾海軍基地に係留中であった。
- ^ 日本ではこの事故による放射能は検出されなかった。
出典
- ^ 原子力安全規制 - 高度情報科学技術研究機構
- ^ 村主進著、『原子力発電のはなし』、日刊工業新聞社、1997年7月15日初版第1刷発行、ISBN 4526040436
- ^ 桜井(1992) p.25,p.162 炉心溶融の概念、冷却剤損失、冷却水由来の水蒸気爆発について。
- ^ 桜井(1992) pp.23 - 25, p.40, p.149
- ^ 桜井(1992) p.40
- ^ 米の一部原発、電源喪失対策などに不備 NRCが報告書公表へ 日本経済新聞 5月14日
- ^ 浜岡原子力発電所停止前の河田の警告。[出典無効]
- ^ a b “福島第1原発の建屋が爆発=4人負傷、原子炉容器は無事-避難範囲、半径20キロに”. 時事通信. (2011年3月13日) 2011年3月13日閲覧。
- ^ “福島原発事故、JCOレベル=国際評価の暫定値-保安院”. 時事通信. (2011年3月13日) 2011年3月13日閲覧。
- ^ “福島原発事故、国際評価尺度(INES)-保安院”. 日本経済新聞. (2011年3月18日) 2011年3月18日閲覧。
- ^ “福島第一原子力発電所の事故「レベル7」に 原子力安全・保安院”. CNN. (2011年4月12日) 2011年4月12日閲覧。
- ^ 原子力教育を考える会 (2008年10月28日). “よくわかる原子力 東海村JCO 臨界事故”. 2011年3月25日閲覧。
- ^ 福島第一原子力発電所5号機「原子炉隔離時冷却系の機能喪失における保安規定違反」事象に関する根本原因分析の実施および再発防止対策の策定について」平成22年11月29日
- ^ 平成22年7月6日:東京電力:福島第一原子力発電所2号機における原子炉自動停止に関する調査結果について
- ^ Le Monde (2008年9月7日). “Les autorites nucleaires se veulent rassurantes face au rejet d'uranium sur le site de Tricastin” (仏語) 2011年3月25日閲覧。
- ^ OVNI (2008年9月15日). “放射性廃棄物の将来” 2011年3月25日閲覧。
- ^ ピーター ハクソーゼン、R. アラン ホワイト、イーゴリ クルジン(副長)『敵対水域』文藝春秋、1998年。ISBN 978-4163537405。
参考文献
- 桜井淳、1992、『原発事故の科学』、日本評論社 ISBN 978-4535580473
関連項目
- 原子力撤廃
- 原子力発電 - 原子力発電所 - 警戒区域 - 5重の壁
- 国際原子力事象評価尺度
- 原子力委員会 - 原子力安全委員会 - 原子力安全・保安院
- 原子力資料情報室
- 原子力事故の一覧
- 各国の原子力発電所の事故(英版)
- 反核運動
外部リンク
- 原子力百科事典 ATOMICA トップページ(財団法人 高度情報科学技術研究機構)
- 核時代 負の遺産
- 原子力施設情報公開ライブラリー「ニューシア」
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