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'''八日堂駅'''は現在の[[しなの鉄道]]の[[上田駅]]~[[信濃国分寺駅]]間の信濃国分寺駅からやや上田駅寄りにあった[[上田丸子電鉄丸子線]]の駅で[[1925年]][[8月1日]]の[[大屋駅]]~[[上田東駅]]間開通に伴い設置され[[1969年]][[4月19日]]の廃止まで営業していた。 |
'''八日堂駅'''(ようかどうえき)は現在の[[しなの鉄道]]の[[上田駅]]~[[信濃国分寺駅]]間の信濃国分寺駅からやや上田駅寄りにあった[[上田丸子電鉄丸子線]]の駅で[[1925年]][[8月1日]]の[[大屋駅]]~[[上田東駅]]間開通に伴い設置され[[1969年]][[4月19日]]の廃止まで営業していた。 |
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== 概要 == |
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2009年11月12日 (木) 14:24時点における版
八日堂駅(ようかどうえき)は現在のしなの鉄道の上田駅~信濃国分寺駅間の信濃国分寺駅からやや上田駅寄りにあった上田丸子電鉄丸子線の駅で1925年8月1日の大屋駅~上田東駅間開通に伴い設置され1969年4月19日の廃止まで営業していた。
概要
上田交通の前身は上田丸子電鉄。さらに遡れば丸子鉄道と上田温泉電気軌道だが両社は丸子町(現:上田市)から上田市を結ぶ路線を計画していた。後者は現在の別所線、川西線の下之郷駅から二ツ木峠を越え依田川を渡って丸子町へいう路線で(これが西丸子線である)、前者は大屋駅から途中まで信越本線と平行してそこからオーバークロスして上田市市街地を結ぶ延伸路線であった。前者は工事が楽に済んだこともあり1925年8月1日に後者より一足お先に開通しているがこの時に設置されたのがこの駅である。
八日堂駅は上田東駅~大屋駅間の中で唯一の駅舎保有・駅員配置駅で(他は後に設置されたのも含めすべて無人駅)ホームは上下二面の交換設備があった。この駅は信濃国分寺の八日堂縁日(毎年1月7日夜~1月8日昼まで行われる)の日が一番乗降客が多かったがそれ以外は朝夕のラッシュ時以外閑散としていた。
1969年4月19日の廃線と同時に駅廃止となったが廃止後は八日堂縁日へ行く場合は上田駅、または大屋駅からバスでも最寄の停留所まで乗らねばならず参拝客は不便を強いられる羽目になったが信濃国分寺駅の開業により再び快適に参拝できるようになった。
幻に終わった上田駅・上田東駅複数起点路線計画
上田丸子電鉄丸子線は同社の路線で国鉄(現:JR東日本)の上田駅と接続していない唯一の路線で同駅から丸子線の駅まで乗るには必ず大屋駅まで列車で乗ってそこから電車に乗り換えるという方法しかなかったが、方向によっては不便であった。そこで上田駅から信越本線(現在上田~大屋間はしなの鉄道線)の平行区間の出発駅である八日堂駅まで路線を建設し上田駅・上田東駅を起点とする複数起点路線化計画を立てていた。しかし駅舎を建設するだけの土地が計画線上になかったためか1960年3月29日に計画を断念。結果接続しないまま廃止となってしまったのである。