「余丁町」の版間の差分
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2005年7月4日 (月) 16:22時点における版
世界 > アジア > 東アジア > 日本 > 関東地方 > 東京都 > 新宿区 > 余丁町
余丁町(よちょうまち)は、東京都新宿区の町名の一つ。旗本の組屋敷であったところで、この町が4条あったので東大久保四丁目とよんでいたが、1872年大久保前町と合併したのをきっかけに縁起の悪い「四」を改めて大久保余丁町とし、1911年に余丁町となった。「大久保」とついているようにもともと大久保村であり、大久保村の中では唯一東京15区発足時から区部(牛込区)であった町である。坪内逍遥や永井荷風の住んだ町でもある。
地名を守る動き
住居表示で「東新宿」となる予定であったが、住民の熱心な運動により1986年に余丁町のまま住居表示された。これは牛込地区の地名が守られる契機になったばかりでなく、この動きが共感を呼び、有識者の賛同も得て全国的な運動となり「全国地名保存連盟」へと発展していった。平成の大合併で「南セントレア市」のような安易な瑞祥地名や合成地名が生まれ、由緒ある地名が続々と失われていく状況に警鐘を鳴らし続けている。