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「ラジオ・チャリティ・ミュージックソン」の版間の差分

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=== ラジオ福島 ===
=== ラジオ福島 ===
* 初回放送は1977年。
* 初回放送は1977年。
* 毎年、福島・郡山・会津若松・いわきの各都市に放送拠点を設け、それぞれの拠点より独立した内容で放送し、募金を呼びかけている。<ref>2007年の場合、放送拠点を福島・郡山に集約し会津若松・いわきでは24時間体制で募金受け入れ中止したが2008年度は、福島・郡山・若松・いわきの4つの拠点から募金を受け付け、放送を行う</ref>
* 毎年、福島・郡山・会津若松・いわきの各都市に放送拠点を設け、それぞれの拠点より独立した内容で放送し、募金を呼びかけている。2007年度より放送拠点を福島・郡山に集約し、県内各地から中継折り込みつつ拠点より交互に放送する形式に変更した
* 例年、放送中はCMも含め定時通常番組を休止している。<ref>2007年度は定時通常番組スポンサーのCMを放送した。</ref>
* 例年、放送中はCMも含め定時通常番組を休止している。<ref>2007年度からは定時通常番組スポンサーのCMを放送した。</ref>
* 毎年、サンタに扮したボランティア達が10グループに分かれてリヤカーを引きながら募金を呼びかける「リヤカーサンタ」がある。この活動が高く評価され、2004年11月に[[日本民間放送連盟]]賞放送活動部門(ラジオ)で入選した。
* 毎年、サンタに扮したボランティア達が10グループに分かれてリヤカーを引きながら募金を呼びかける「リヤカーサンタ」がある。この活動が高く評価され、2004年11月に[[日本民間放送連盟]]賞放送活動部門(ラジオ)で入選した。
* これまで寄せられた募金額はおよそ4億3600万円に上る。また第31回(2007年度)までに贈呈された音の出る信号機は145基。
* これまで寄せられた募金額はおよそ4億3600万円に上る。また第31回(2007年度)までに贈呈された音の出る信号機は145基。
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* 2008年のテーマは「守りたいもの」。
* 2008年のテーマは「守りたいもの」。
** 各地域ごとのパーソナリティは、福島から[[阿藤快]]、郡山から[[さとう宗幸]]、会津若松から[[根本美希]]、いわきから[[志摩幸子]]が担当した。
** 各地域ごとのパーソナリティは、福島から[[阿藤快]]、郡山から[[さとう宗幸]]、会津若松から[[根本美希]]、いわきから[[志摩幸子]]が担当した。
** この年のリヤカーサンタには150名のボランティアが参加し県内を11グループに分かれて巡回した。


=== ラジオ大阪 ===
=== ラジオ大阪 ===

2008年12月25日 (木) 13:03時点における版

ラジオ・チャリティー・ミュージックソン
愛称 ミュージックソン・Mソン・ラジソン
ジャンル チャリティー番組
放送方式 生放送
放送期間 1975年(昭和50年)-
放送時間 基本的に毎年12月24日正午-12月25日正午
放送局 ニッポン放送・STVラジオ・青森放送・IBC岩手放送・ラジオ福島・ラジオ大阪・和歌山放送・中国放送・九州朝日放送・ラジオ沖縄
制作 各局の独自制作
ネットワーク NRN10局
テーマ曲 「夢のトランペット」ニニ・ロッソ(全国ネット部分・ニッポン放送)
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ラジオ・チャリティー・ミュージックソン』は、ニッポン放送ほかNRN系のAMラジオ局10局において、共同で実施している24時間(一部地域を除く)のチャリティーラジオ番組である。略称はミュージックソンMソンラジソン

概要

一部時間帯を除き、ほぼ全体を自社制作としている企画ネット番組。局ごとに一部構成が異なるが、原則として毎年12月24日正午から翌25日の正午まで生放送されている。主催は全国ラジオ・チャリティ・ミュージックソン実行委員会。幹事局はニッポン放送で、実行委員会の委員長も同社社長が務めるのが慣例となっている。

目の不自由な方へ通りゃんせ基金を!」をテーマに募金を呼びかけるとともに、放送を通じて障害者への理解促進と思いやりの育成を図る目的の下で、各地からの中継を交えながら24時間放送している。

ニッポン放送・全国ネットで使用されるテーマソングは、ニニ・ロッソの『夢のトランペット』[1]。募金箱は銀色で、シンボルマークは耳の中にハートが描かれたものを使用している。

放送局によっては別のテーマソング・別の色の募金箱を使用する場合もある。

誕生の経緯

1975年(昭和50年)、ザ・ビートルズを日本に招聘するなど活躍していた内野二朗(当時キョードー東京社長)が音楽のパワーと社会を結び付けたいと考え、ニッポン放送に「メディアが、一年に1回ぐらい社会のために一日奉仕してもいいじゃないか。そこで、音楽をかけながら24時間募金を呼びかける、ミュージック・マラソン=ミュージックソンをやりたい。」と提案。これがミュージックソンの始まりとなった。

当初はTBSラジオ[2]文化放送にも話を持ちかけたが、「既に編成を組んでいる」「既存のスポンサーから苦情が来る」などとして断られた。ニッポン放送も最初は断ったが、内野の熱意に折れ、放送の運びとなった。

また内容も今までにないチャリティーを目指して、「目の不自由な方へのチャリティー」という趣旨を定めた。その理由は、目の不自由な方の唯一の情報源がラジオだったからである。さらに募金の使途を、音の出る信号機を設置すると明確にし、1975年12月24日の正午、ニッポン放送・九州朝日放送・STVラジオの3局で『第1回ラジオ・チャリティー・ミュージックソン』が始まった。

募金の概要

募金受付期間:11月1日から翌年1月31日まで

この間は、各参加局の番組内で募金方法の告知を行っている。

募金の受付方法

放送局や年度によって受付方法が異なるが、各放送局の窓口に直接持参・銀行振込(都市銀行[3]・地方銀行・インターネット専業銀行・インターネットバンキング)・現金書留・ダイヤルQ2・インターネットオークション・商店(商店街・ショッピングモール・コンビニエンスストア・スーパーマーケット・個人商店等)・街頭募金・愛の泉[4]ラジオカーでの募金[5]クレジットカード携帯電話専用サイトでの募金と、多岐にわたっている。

また放送時間中に各局で設置している、募金受付の電話窓口でも募金方法を案内している。

募金受付の仕組み

電話受付は一般公募された受付ボランティアスタッフ[6]や参加局の役員・社員が行っている。リスナーが電話窓口に募金予定金額を報告すると、1時間ごとに発表される募金総額に加算される。また、参加局によってはアナウンサーや番組に来たゲストが電話受付の手伝いをすることがあり、アナウンサーやゲストと電話がつながる事もある。その模様は、音楽やCM前のジングルのバックで流されることがある。

募金金額の発表方法

各参加局で放送中の1時間ごとに、まず、参加局単位での募金総額の発表、続いて全国で寄せられた募金の総額の発表が行われる。ニッポン放送では、全国で寄せられた募金総額の発表だけが行われる。

これまでの募金受付件数・総額

2005年までの募金受付件数は375万6983件。2007年までの募金総額は38億1014万6768円。

募金の使途

通りゃんせ基金

寄付金は「通りゃんせ基金」として、音の出る信号機(音響信号機)の設置・声の図書(録音図書)の制作と購入・点字教室の運営に使われる。また、視覚障害者用の交通安全教材・立体コピー機・テレビ電話が可能な携帯電話・視覚障害者(児)用の教育器材・交通安全用手旗・デジタル録音図書編集用パソコン[7]などが視覚障害者の福祉施設に贈られる。この募金でこれまで、2722基(2008年11月現在)の「音の出る信号機」が全国各地に設置された。また、122タイトル、15万5610冊の録音図書を全国の点字図書館に寄贈し、視覚障害者の自立支援のための機器が関係施設に贈られた。

音の出る信号機の寄贈の現状

なお信号機の寄贈は、財団法人全日本交通安全協会と各参加局が所在する都道府県の交通安全協会に寄付金が寄託され、そこから各参加局が所在する都道府県の公安委員会に寄贈される。設置費用は、およそ130万-150万円と高額であるため、設置台数は都道府県の公安委員会があらかじめ決められたものも含め数台程度となる。 首都圏にある「音の出る信号機」の約3割は、このキャンペーンに寄せられた浄財から生まれた。 しかし近年は既存の音の出る信号機の老朽化に伴う更新費用に充当されることが多いため、新規設置は増えていかないのが実情である。

参加局一覧

各局の概要は後述。

姉妹番組

2001年(平成13年)-2006年には、ニッポン放送制作のリレー番組『デジタル・チャリティー・ミュージックソン[8]が、BSデジタルラジオLFX488(2001-2005年)・地上デジタルラジオ実用化試験D95Gyao(2006年)で放送されていた。

特別編成

  • 月-土曜日の25:00-27:00は、通常NRN系各局で「オールナイトニッポン」が放送されている時間帯であるが、本番組の放送時は「オールナイトニッポン」を休止する場合がある。
  • ミュージックソンに参加しない局は、どちらかの曜日のオールナイトニッポンのレギュラーパーソナリティ、もしくはこの年のミュージックソンのメインパーソナリティが出演して募金を呼びかける特別番組として「オールナイトニッポン ラジオ・チャリティー・ミュージックソン」が放送される[9]が、スポンサーのCMは通常通り、もしくはフィラー送信。
  • ニッポン放送制作・全国ネットのワイド番組でも特別編成を行う場合があり、2007年には「東貴博のヤンピース」が特別編成で放送した。詳細は当該記事を参照。
  • JRNとNRNのクロスネット局であるRAB・IBC・RFC・WBSとNRN単独ネット局のSTV・OBC・KBC・ROKでも「オールナイトニッポン」だけではなく通常のレギュラー番組を取りやめ、ローカル番組ではそのままスライドして番組のスポンサーとして参加したり、ネット番組部分はCMのみフィラー扱いで番組のスポンサーとして参加している。

歴代メインパーソナリティ一覧

主にニッポン放送を担当するとともに、全国共通のメインパーソナリティとして全国にもネットされる[11]。各ネット局ごとのメインパーソナリティは後述。

放送年 パーソナリティ 担当番組(当時)
1 1975年(昭和50年) 萩本欽一 欽ドン!
2 1976年(昭和51年)
3 1977年(昭和52年)
4 1978年(昭和53年)
5 1979年(昭和54年) 萩本欽一、研ナオコ 萩本欽一:欽ちゃんのここからトコトン
6 1980年(昭和55年)
7 1981年(昭和56年)
8 1982年(昭和57年)
9 1983年(昭和58年)
10 1984年(昭和59年) -
11 1985年(昭和60年) -
12 1986年(昭和61年) 西田敏行 -
13 1987年(昭和62年) 渡辺徹榊原郁恵 -
14 1988年(昭和63年) 森光子田代まさし -
15 1989年(平成元年)エラー:和暦テンプレートの解説ページを参照してください。[元号要検証] 山田邦子 山田邦子:邦子のYAMYAMももテレビ
16 1990年(平成2年) 和田アキ子三宅裕司山瀬まみ 和田アキ子:アッコのいいかげんに1000回

三宅裕司:三宅裕司のどよーん!!

17 1991年(平成3年) 斉藤由貴東山紀之 東山紀之:東山紀之のNECサンデーミュージック
18 1992年(平成4年) 峰竜太松本明子 峰竜太:峰竜太のナンデモアルキメデス

松本明子:文夫と明子のラジオビバリー昼ズ

19 1993年(平成5年) ウッチャンナンチャン ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポン
20 1994年(平成6年) 泉谷しげる西田ひかる 泉谷しげる:激突サウンドラリアート 泉谷しげる 俺にもやらせろ!
21 1995年(平成7年) 内田有紀 内田有紀 夜空にYOU KISS!
22 1996年(平成8年) 中居正広SMAP 中居正広のSome girl' SMAP
23 1997年(平成9年) 中居正広
アシスタント:桜庭亮平アナウンサー(当時)
中居正広のSome girl'SMAP
24 1998年(平成10年) テリー伊藤うえやなぎまさひこアナウンサー テリーとうえちゃんのってけラジオ
25 1999年(平成11年) 山田邦子、ゆず 山田邦子:クニちゃんサクちゃんのワンダフルりくえすと ヤマダ・マイ・ハウス

ゆず:ゆずのオールナイトニッポン

26 2000年(平成12年) 三宅裕司、中澤裕子 三宅裕司:裕司と雅子のガバッといただき!!ベスト30

中澤裕子:中澤裕子の@llnightnippon sunday.com

27 2001年(平成13年) 佐々木主浩
アシスタント:松本秀夫アナウンサー
28 2002年(平成14年) 田中麗奈児玉清
アシスタント:荘口彰久アナウンサー(当時)
田中麗奈:田中麗奈ハートをあげるっ

児玉清:テレフォン人生相談

29 2003年(平成15年) イルカ
アシスタント:新保友映アナウンサー
イルカ:イルカのミュージックハーモニー
30 2004年(平成16年) 笑福亭鶴瓶石原さとみ
アシスタント:うえやなぎまさひこアナウンサー
笑福亭鶴瓶:笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ

石原さとみ:石原さとみ SAY TO ME!

31 2005年(平成17年) 長瀬智也
アシスタント:増山さやかアナウンサー
TOKIOナイトクラブtko.tom
32 2006年(平成18年) 上戸彩
アシスタント:うえやなぎまさひこアナウンサー
上戸彩 21ピース!
33 2007年(平成19年) KAT-TUN赤西仁田口淳之介
アシスタント:新保友映アナウンサー
KAT-TUNスタイル
34 2008年(平成20年) 萩本欽一
パートナー:東貴博
アシスタント:新保友映アナウンサー
萩本欽一:欽ちゃんのドンといってGO!GO!

東貴博:高田文夫のラジオビバリー昼ズ東貴博の電話でGO!GO!

各放送局の概説

全国

  • 放送内で「声の握手」[12]のコーナーを15分程度(全局ネットした場合)設けている。ニッポン放送をキー局として全参加局にネットされ[13]、各参加局を結んで当地での活動報告と現在の天候などを交えながら放送。リレー中継は北から南へ、またはその逆と交互に行われるほか、各地の参加局間でも「ふれあいネットワーク」として電話中継を行うこともある。なお、一部放送局では編成の都合上途中で終了する場合がある。またラジオ大阪と九州朝日放送では、パーソナリティをマラソン選手に例え「ランナー」と呼称している。この時のBGMはニッポン放送のテーマである「夢のトランペット」をアップテンポ化させたものである。
  • ニッポン放送がフジサンケイグループ傘下であることから、フジテレビの番組内でニッポン放送のスタジオと結んで生中継を行うことが毎年恒例となっている。12月24日が月曜から金曜にあたる場合は「笑っていいとも!」内でもニッポン放送のスタジオと中継を行ったほか、1997年の「笑っていいとも!クリスマス特大号」では当時火曜レギュラーの中居正広が番組のメインパーソナリティを勤めていた事から、当時お台場にあったニッポン放送のスタジオから中継を行った。
  • 現在ではフジテレビめざましテレビの中でニッポン放送と相互中継を結ぶ。この間はニッポン放送と全国のFNN系列でまったく同じ音声が流れる。2007年までは6:30過ぎの中継であったが、2008年度は5:52頃からであり、一部地域では視聴できなかった。
  • また放送時間内に「プロ野球ニュース」とも一部同時中継を行っており、主にヤクルトスワローズの選手などが登場して募金を呼びかけたり、フジテレビ・ニッポン放送の野球解説者らがニッポン放送のスタジオにゲスト出演していたことがあったが、2001年に「すぽると!」に変わってからは行われていない。
  • 1998-2000年はフジテレビ721で、ニッポン放送のラジオ・チャリティ・ミュージックソンが、スタジオのライブカメラ映像付きで同時放送された。通常は有料放送だが、広く募金を呼びかける為に無料で24時間放送した。
  • 1999年では、「ゆずのオールナイトニッポンSUPER!」を通じて「路上部隊」を結成。路上ライブをして募金を集めてくれる人を募集し、全国で300件以上の応募があった。その結果、路上部隊と学校のリスナーで集めた募金は、番組で把握できた範囲では200万円を越えた。

ニッポン放送

  • 例年、パーソナリティはニッポン放送と縁が深い著名人がつとめ、アシスタントとして同局のアナウンサーがつとめる。
  • 1975-1985年のメインパーソナリティは萩本欽一。メインパーソナリティを降板した1986年以降もニッポン放送のミュージックソンに訪れるのが恒例になっていたが、2008年に23年ぶりにメインパーソナリティに復帰した。
    • 第3回の1977年には放送中にチャーリー・チャップリンの訃報が伝えられ、彼を深く尊敬していた萩本がオンエア中にもかかわらず思わず涙をこぼすハプニングがあった。
  • 放送1週間前から当日まで、ニッポン放送の各ワイド番組の中である交通情報のテーマソングに『夢のトランペット』が使われる。
  • 有馬記念の開催日と重なる場合は番組内で必ず競馬中継を挿入し、中山競馬場内に「愛の泉」を設置している。
  • 一度ミュージックソンを担当したパーソナリティは数年後にも再びパーソナリティを担当している。
  • 1976年に、日本民間放送連盟賞・放送活動部門(ラジオ放送活動)で入選。
  • 1988年では、森光子と交流が深いスペシャルゲストとして美空ひばりが生電話出演し、歌を熱唱した。
  • 1998年は、パーソナリティのレギュラー番組の時間帯(当時の、テリーとうえちゃんのってけラジオ枠)まで、という事から25日16時までの放送となった。
  • 1999年は、放送時間を25時間に拡大した。
  • 2004年は、筑波盲学校からの中継で始まり、パーソナリティを担当していた笑福亭鶴瓶の希望により都内や横浜市内を歩き回りながら募金活動を行った。パーソナリティがスタジオを飛び出して活動するのは珍しいことであるが、予定になかった行動のため、当初は数時間だけ鶴瓶のアシスタントをする予定であったうえやなぎまさひこが、急遽24時間パーソナリティの代理を勤めることになった。結局うえやなぎは、直前に放送していた「うえやなぎまさひこのサプライズ!」から放送終了後の通常番組「うえちゃん・山瀬の涙の電話リクエスト」まで約32時間の生放送出演となった。
    • 新社屋に移転して初めての放送となった2004年からイマジンスタジオの見学が始まった。生放送中も本社1階玄関前の「愛の泉」に募金することができる[14]ほか、2004年度は番組終了間際に電話回線が混雑する事態になったため、回線を増やし時間も午後1時まで延長した。またグランドフィナーレの後もリスナーが玄関前まであふれたため、番組終了後も募金を受け付けた。
  • 2005-2008年は、携帯電話サイトの会員向けサービスやビッダーズでインターネットオークションを実施し、売上金が寄付された。
  • 2006年のテーマは「大切な人は誰ですか?」。
    • この年は日曜日のため、通常は放送休止となっている午前1-5時も放送し、1-3時はSTVラジオにもネットした。また深夜3-5時は義家弘介がゲストパーソナリティを担当した。
  • 2007年のテーマは「勇気を出してLOVE」。
  • 2008年のテーマは「やさしい気持ちでクリスマス」。
    • イメージソングは、HALCALIの「RE:(レス)やさしい気持ち」。

STVラジオ

青森放送

  • 初回放送は1980年。
  • ラジオ・テレビ兼営局では唯一、テレビとラジオの24時間チャリティー番組をともに放送している。[15]
  • テーマ音楽はニッポン放送と同じく「夢のトランペット」が2005年まで使われていたが、2006年からは異なる曲に変わり、2007年は2006年に番組内で制作した「君とうたう歌」(後述)のインストゥルメンタルが使われている。
  • これまで青森県内で寄せられた募金総額は1億8205万1676円。募金をもとに設置された音の出る信号機の数は2006年まで56基で、青森県内で設置されている音の出る信号機の全体の4割がミュージックソンの募金で設置された事になる。
  • 2004年までは伊奈かっぺいがメインパーソナリティだった。
  • 2005年のメインパーソナリティは八戸市出身の歌手タカチャ。青森出身の歌手が担当するのが恒例となっている。
  • 2006年の番組テーマは「きみとうたう歌」
    • 坂本が放送中にリスナーからのメッセージをもとにオリジナルソング「君とうたう歌」を製作した。この様子は12月25日の『@なまてれ』でも放送された。
  • 2007年度は、24日11:55-25日17:00に放送。
    • 番組テーマは「君とうたう歌、そして」。
    • グランドフィナーレでは、出演者一同で「君とうたう歌」を合唱した。
  • 2008年度は、24日11:55-25日16:00の放送。
    • メインパーソナリティは坂本サトルが3年連続で担当した。
    • 番組テーマは、「君と歌ううた」。同様のテーマが3年連続している。

IBC岩手放送

  • 初回放送は1978年。
    • この時は開局25周年を記念した特別番組として、メインゲストに歌手で岩手県陸前高田市出身の千昌夫を迎え放送した。
  • テーマ曲は、ニニ・ロッソの演奏による「ソレアード」。
  • メインパーソナリティは毎年IBCアナウンサーの大塚富夫が務める。ただし、2007年度は大塚の体調不良のため水越かおるがメインパーソナリティとなった。
  • IBC本社内にある「IBCロビースタジオ」をメインスタジオとし、同局のアナウンサーがラジオカーに乗り県内を回りながら募金を呼びかける。
  • 2007年度までにIBC岩手放送に寄せられた募金額は、4億328万395円[16]に上る。
  • 2005年・2007年度は、コミュニティ放送局カシオペアFMもIBCの放送に参加し、番組の再送信を行った。
  • 2007年のテーマは「30年目のありがとう」。
  • 2008年のテーマは「いわての元気。伝えたい」。メインゲストは村上弘明
    • 番組内では募金ラジオカー「通りゃんせ号」に乗って一関市をスタートし、募金を呼びかけながら盛岡市のIBC本社を目指した。
    • また、岩手・宮城内陸地震で被害にあった岩手県内の復興への取り組みも紹介した。

ラジオ福島

  • 初回放送は1977年。
  • 毎年、福島・郡山・会津若松・いわきの各都市に放送拠点を設け、それぞれの拠点より独立した内容で放送し、募金を呼びかけている。2007年度より放送拠点を福島・郡山に集約し、県内各地からの中継を折り込みつつ、両拠点より交互に放送する形式に変更した。
  • 例年、放送中はCMも含め定時通常番組を休止している。[17]
  • 毎年、サンタに扮したボランティア達が10グループに分かれてリヤカーを引きながら募金を呼びかける「リヤカーサンタ」がある。この活動が高く評価され、2004年11月に日本民間放送連盟賞放送活動部門(ラジオ)で入選した。
  • これまで寄せられた募金額はおよそ4億3600万円に上る。また第31回(2007年度)までに贈呈された音の出る信号機は145基。
  • 2007年度の番組テーマは「マイソング」
    • この年のリヤカーサンタには300名のボランティアが参加し県内を10グループに分かれて巡回した。
  • 2008年のテーマは「守りたいもの」。
    • 各地域ごとのパーソナリティは、福島から阿藤快、郡山からさとう宗幸、会津若松から根本美希、いわきから志摩幸子が担当した。
    • この年のリヤカーサンタには150名のボランティアが参加し県内を11グループに分かれて巡回した。

ラジオ大阪

  • 初回放送は1976年。
  • テーマ曲はオリジナル曲で、アップテンポで明るい感じの曲が使われた。
  • 毎年、関西ローカルで活動している芸人・漫才師落語家がパーソナリティになるのが恒例となっている。番組内でも、その人たちが漫才や落語などを行っていたりしているため、他局とは嗜好が違う印象を見受けられる。
  • ラジオ大阪の場合、演歌歌謡曲アニラジの番組が多いことからそれらのジャンルの歌手がライブステージをすることも多い。また、番組内で、Vステとの連動企画を行っていたこともある。
  • 放送日は特別編成のため、通常3:00-5:00に放送している「走れ!歌謡曲」と5:00-6:00に放送している「あなたへモーニングコール」の2番組は休止となる。
  • 2006年は、「愛と希望」がテーマ。メインランナーに梅田淳(元・関西テレビアナウンサー)を起用し、原田年晴和田麻実子がサブランナーを務めた。放送時間は例年の正午開始ではなく17:00-25日の17:00までの24時間放送となった。[18]
  • 2007年は、12月24日12:10-25日正午まで放送。テーマは「スマイル」。昨年に引き続き、メインランナーは梅田淳が、サブランナーに、原田年晴・和田麻実子が担当した。
  • 2008年は「元気出して行こう!」をテーマに、12月24日の正午-25日の正午までの放送。
    • メインランナーは梅田淳、サブランナーは和田麻実子・松本憲治。募金隊リーダーは原田年晴が担当した。

和歌山放送

  • 初回放送は1986年。
  • テーマ曲は、テレビ朝日がかつて使っていたANNのスポーツ番組のテーマ曲が長年使われていた。
  • 毎年初日の11月1日に午前7時30分から午前8時30分まで、JR和歌山駅前と南海和歌山市駅前に和歌山放送のスタッフおよそ30人が出て、通勤・通学客に募金を呼びかけている。[19]
  • これまで和歌山放送に寄せられた募金額は累計で1億5209万9973円に上り、2007年までに和歌山県と大阪府の南部に設置した「音の出る信号機」の数は86基で、「音の出る信号機」の設置率は和歌山県が全国1位である。
  • 2006年のメインパーソナリティは小林睦郎、小田川和彦、赤井ゆかりの3人が務め、太地町出身の書家田中太山をゲストに和歌山近鉄百貨店1階特設スタジオから放送した。
  • 2008年は12月24日正午-25日正午まで放送。(一部時間帯を除く。[20]
    • テーマは「絆-きずな-」。
    • パーソナリティは小川考夫宮上明子
    • メインの放送拠点は和歌山近鉄百貨店特設スタジオと本社・ブルースタジオ。

中国放送

  • 2008年より初参加。
  • 2008年は12月24日正午-25日正午まで放送。(一部時間帯を除く。)
    • メインパーソナリティは本名正憲青山高治横山雄二が時間別に交替で担当した。
    • ミュージックパーソナリティは森本ケンタ。同時にRCCミュージックソンオリジナルテーマソング「結(ゆい)」の作成も手掛けた。
    • アシスタントは藤村伊勢が24時間担当した。
    • その他、RCCラジオの各番組に出演しているアナウンサー・パーソナリティがどこかの時間に登場した。
    • RCCの本社ロビーに設けられる特設スタジオを中心に放送するほか、県内各所からの中継を行った。

九州朝日放送

  • 初回放送は1975年。
  • メインランナーは同局出演者が毎年務める。
  • 近年は時間を延長して放送することが多く、長い時には30時間放送される事もあった。
  • 毎年、大丸福岡天神店(パサージュ広場)にメイン募金会場を設置。そのほか、北九州会場[21]、KBC本社・北九州支社、口座振込、現金書留、郵便振替、北部九州のゆめタウンの各店舗でも募金を受け付けている。なお、2006年は福岡県自動車整備振興会の各事務所でも募金を行った。
  • 2008年から携帯電話(NTTドコモのみ)で募金の受付を行う「ケータイdeチャリティー募金」を開始した。
  • 2007年までに福岡県内で音の出る信号機が設置されたのは170基である。
  • 2004年は、この日に福岡ソフトバンクホークスが誕生したことから、随時ホークス関連情報を放送した。
  • 2005年は、12月24日正午-25日15:00の放送。
  • 2006年は、12月24日11:00-25日正午まで放送。
  • 2007年は、11:00-翌日12:00まで放送。
    • メインランナーは宮本けいすけと宮島咲良、ゲストランナーは松村邦洋
    • テーマ曲は永山尚太の「ぼくらの道」。
  • 2008年は12月24日11:00-12月25日12:00まで放送。
    • メインランナーは宮本けいすけと宮島咲良、ゲストランナーは松村邦洋。
    • テーマ曲は永山尚太の「掌〜てのひら」。

ラジオ沖縄

  • 初回放送は1986年。
  • 2004年は、宮田隆太郎が沖縄県内各地を自転車で移動しながら募金を呼びかけた。
  • 2006年・2007年のメイン会場は、パレットくもじ前広場。メインパーソナリティはROKアナウンサーの小磯まことと森田弘美。
  • 2008年のメインパーソナリティは、ROKアナウンサーの小磯まことと金城奈々絵

関連項目

脚注

  1. ^ 邦題が同名の曲があるが、本番組で使用されているのは原題がCapricio romanticoのものである。
  2. ^ 当時東京放送はラジオ・テレビの兼営だった。
  3. ^ ニッポン放送のみメガバンクのうち、みずほコーポレート銀行・三井住友銀行・東京三菱UFJ銀行の3行に専用の受け入れ口座が開設されている。なお、全国各地にある金融機関からも前述の専用口座に振り込むことができる。
  4. ^ 各所に設けた募金受付会場の愛称。
  5. ^ 24時間の放送中に募金を受け付ける。
  6. ^ ニッポン放送の場合は約30人。
  7. ^ これまで寄贈された従来の声の図書をデジタル・フォーマット(主にCD)に新しく変換する機材。
  8. ^ 2001年以外は主に12月23日正午-24日正午からの放送。
  9. ^ 一部の参加局は通常通り「オールナイトニッポン」を放送する場合もある。
  10. ^ 尚、2006年度は、青森放送とIBC岩手放送では通常通り「あなたへモーニングコール」が放送された。
  11. ^ 主に「声の握手」コーナーと、ニッポン放送制作の番組(「オールナイトニッポン」など)を生放送でネットしている放送局。
  12. ^ 12月24日の13時30分頃と25日の10時頃。年度により時間は前後する。
  13. ^ NRNラインネットの形になる。
  14. ^ 2007年まで、イマジンスタジオでの見学が24時間可能だった。
  15. ^ かつてはSTVも同様だったが、ラジオ部門を分社して別会社となったため、現在は青森放送のみとなった。
  16. ^ 2007年度に寄せられた岩手県内の募金額は1377万2516円。
  17. ^ 2007年度からは定時通常番組スポンサーのCMを放送した。
  18. ^ 24日が日曜日にあたり、レギュラー番組の中央競馬中継(11:00-16:00)が編成の都合上休止できず、さらに競艇賞金王決定戦競走中継(16:00-17:00)も重なったため。
  19. ^ なお、2008年は、10月31日午前7時半からJR和歌山駅前と南海和歌山市駅前に和歌山放送のスタッフおよそ30人が、通勤・通学客に募金を呼びかけた。
  20. ^ 24日の16時10分-18時まではニュース今日あす(通常は平日午後4時40分-6時30分、なお、月曜日は終了時間が10分早くなる。)を放送した。
  21. ^ 2006年は「チャチャタウン小倉」、2007・2008年は小倉駅構内。

外部リンク

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