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「サドベリー・スクール」の版間の差分

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==== 日本 ====
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* [http://www.0ai.jp/ デモクラティックスクールわあい]、香川県高松市
* [http://www.0ai.jp/ デモクラティックスクールわあい]、[[香川県]] [[高松市]]
* [http://makkuro.sakura.ne.jp/ デモクラティックスクールまっくろくろすけ]、兵庫県神崎郡
* [http://makkuro.sakura.ne.jp/ デモクラティックスクールまっくろくろすけ]、[[兵庫県]] [[神崎郡]]
* [http://www.ds-sola.com デモクラティックスクール宙(そら)]、兵庫県西宮市
* [http://www.ds-sola.com デモクラティックスクール宙(そら)]、[[兵庫県]] [[西宮市]]
* [http://shonan-sudbury.org/ 湘南サドベリースクール]、神奈川県茅ヶ崎市
* [http://shonan-sudbury.org/ 湘南サドベリースクール]、[[神奈川県]] [[茅ヶ崎市]]


日本のサドベリー・スクールは、既存の[[フリースクール]]と区別するために、自らの学校形態を「デモクラティック・スクール」という名前で定義している。しかし、海外では[[サマーヒル・スクール]]などサドベリー・スクール以外の学校をも「デモクラティック・スクール」という定義の中に含める場合もある。
日本のサドベリー・スクールは、既存の[[フリースクール]]と区別するために、自らの学校形態を「デモクラティック・スクール」という名前で定義している。しかし、海外では[[サマーヒル・スクール]]などサドベリー・スクール以外の学校をも「デモクラティック・スクール」という定義の中に含める場合もある。

2008年5月21日 (水) 01:30時点における版

サドベリー・モデルという民主的教育の名前は、このモデルの先駆的存在であるサドベリー・バレー・スクールにちなんで名づけられた。1968年に創設されて以来、サドベリー・バレー・スクールは、数多くの学校や団体にとって方針・アイデアを考える際の拠り所となってきた。現在世界には、サドベリー・バレー・スクールをモデルにした40校以上の「サドベリー・スクール」がある(それらの学校は下に記してある)。 サドベリー・モデルはフリー・スクールとある面では明らかに類似しているにもかかわらず、明確に区別される諸側面ももっている。 サドベリー・モデルの中心となる特徴は、生徒に何かを強制することがないということと、生徒の全ての活動を(態度や行為に関するルールの範囲内では)善悪の判断を加えずに平等に扱うということにある。この特徴は、「クラス」という単位で生徒を分けることや、「クラス」単位で教育を行う上で通常は重要とされている活動をまったく重視しないことにつながっている。このようなサドベリー・モデルの特徴はその教育モデルの基本的な信念に由来している。その信念とは、子供は生きていく上で知る必要のあることは自分で学んでいるのであり、大人になってからの生活に備えるためのカリキュラムを若い人のために用意する必要はない、というものである。 サドベリー・モデルの学校を他のデモクラティック・スクールから区別するもう一つの面は、学校の管理への保護者の関わりが制限されていること、あるいはまったくないことである。サドベリー・スクールは生徒とスタッフだけが参加できる「スクール・ミーティング」によって民主的に運営されているのである。「スクール・ミーティング」では、生徒とスタッフの立場は互いに対等とされている。 またサドベリー・スクールはすべての年齢の子供たちが一緒に学ぶことによって生徒たちの学びと成長がパワフルに促されると強調しており、恣意的に生徒たちを年齢によってグループ分けすることはしない。 現在「サドベリー・スクール」という名前の学校を統治するための公式の見解・信条(doctorine)や協会は存在しないにもかかわらず、多くの学校が自主的に進んで「サドベリー・スクール」という名称を採用している。それらの学校は互いに友好的に連絡を取り合っている。

 スクール・ミーティング 

すべてのサドベリー・スクールは週に一度行われるスクール・ミーティングによって運営されている。スクール・ミーティングは年に一度行われる全校集会(School Assembly)と連携している。これらのミーティングは伝統的なニューイングランドの[[タウン・ミーティング]を手本にしている。多くのサドベリー・スクールは「ロバートの議事手続き」(Robert’s Rules of Order)を用いてスクール・ミーティングを運営している。ミーティングには議長と書記(Secretary)がいる。 サドベリー・スクールの管理に関わるすべての事柄は最終的にはスクール・ミーティングによって決定される。その週の議題は、学校のルールの変更から予算、スタッフの雇用・解雇にまで及ぶ。出席しているすべてのメンバーには平等な投票権が与えられ、ほとんどの決定は多数決によって行われる。生徒とスタッフの投票権も平等である。 サドベリー・スクールの運営に関わるいくつかの事柄は学校の別の責任者に委任されることもあり、それによってスクール・ミーティングは細かな事柄に振り回されることがなくなる。これらの責任者には、管理の仕事を行う書記(Clerks)――スタッフからも生徒からも選ばれる――、ヴォランティアから成る委員会、コーポレーションなどが含まれる。一部の生徒たちがスポーツやコンピュータなどある分野の活動に興味を持ったときには、スクール・ミーティングによってその活動への協力者が組織されるが、彼らもこの責任者に含まれる。

 司法委員会 

ほとんどのサドベリー・スクールは、他のメンバーへの嫌がらせや暴力、任された責任を放棄するといったルール違反を扱う委員会、例えば選任された生徒とスタッフから構成される司法委員会やヴォランティアから成る司法スクール・ミーティングなどを設置している。 司法委員会にはメンバーからの訴えを取り扱う一連の手続きが存在し、多くのサドベリー・スクールはデュー・プロセス・オブ・ローを尊重したガイドラインに従っており、そこでは取り調べ聴聞裁判抗告を考慮することが要請される。 たいていのサドベリー・スクールは法律(a law book)を発展させており、それらの法律は数年から数十年にわたる変遷をたどった学校の方針のあらましを示している。それらすべての法律はスクール・ミーティングによって再吟味されており、安全・個人の行為・学校の管理などの事柄に関連するルールを扱っている。

 年齢ミックス 

サドベリー・スクールは10代までの子供を受け入れており、彼らの多くは年齢が5歳から19歳までの間である。サドベリー・スクールでは年齢によって生徒が分けられることはなく、どの生徒も自分とは違う年齢の生徒と自由に交流できる。それゆえ、例えば7歳の生徒がスクール・ミーティングの議長を務めたり、生徒たちの興味や能力によってクラスが作られたりする。

 教えることによる学び 

(主要記事[Learning by teaching]) 年齢ミックスによる一つの効果は、サドベリー・スクールでは多くの場合において生徒によって教えることがなされるということである。下にあるのは、サドベリー・スクールにおける教えることによって学ぶことについての言明である。[1]:

「子供は他の子供から学ぶことが大好きです。それに覚えておくべきなのは、子供が他の子供から学ぶことはより簡単になされるということです。先生役の子供は、生徒である子供が難しいと感じていることを、大人よりも最近に経験しているので、生徒役の子供に対して身近な立場に立てるのです。先生役の子供がする説明は多くは大人よりもシンプルでわかりやすい。先生役の子供には教えることのプレッシャーが少ないし、生徒役の子供の出来不出来をジャッジすることもありません。そして生徒役の子供には、早く上手に学ぼう、師匠に追い着こうという大きなインセンティヴがあります。 また子供たちは教えることも大好きです。教えることによって、自分には価値があるという感覚や達成感を得ることができるのです。またより重要なことは、人に教えることによって、自分が教えている事柄について子供たちがより上手に扱えるようになるということです。先生役の子供たちは問題をうまく整理しなければならないし、正しく理解しなければならない。先生役の子供たちは、生徒役の子供たちを理解させることができるように問題を頭の中で明瞭に理解するまで、その問題と格闘するのです。 年齢ミックスは秘密兵器として大成功しています。年齢ミックスによって学校における生徒たちの学ぶ力と教える力がひじょうに高められているのです」

 個人の自由、選択の自由、そして経験による学び 

教育についてのサドベリー・モデルの中心的な信念は、すべての生徒は自分が望むように時間を使うことができるべきであり、どんな特別の教科も強制されるべきではない、というものである。サドベリー・モデルは、成功した大人になりたいのであれば、あるいはよりより社会を作りたいのであれば、学ぶべき一連のカリキュラムが存在するという考え(=社会的正義のための教え)と矛盾する。サドベリー・モデルは、生徒が学ぶ方法は多く存在すると信じており、生徒が選ぶテーマの善悪を判断しないので、生徒たちは日々自由に自分の勉強の方針を作ることができる。サドベリー・モデルの学校は、生徒たちに自分でカリキュラムを作らせるという―進歩的な学校で採用されている―考えの価値を認めていない。その代わりに、サドベリー・モデルの提唱者は、学びとは自然に起こるものであり、先進的な計画や学習者にとっての終着点は必要ないと考えている。 クラスの形成や他の活動の計画はいつも自発的かつ自由な選択によってなされており、クラスを主導することが許可されているのは生徒とスタッフである。多くの生徒は一度もクラスを取らなくてもよい。「クラス」という言葉は多くのサドベリー・モデル・コミュニティの中で使われているが、誤解を招くかもしれない。サドベリー・モデルの提唱者の中には、「興味・関心が共通したので自発的に形成されたグループ」(“spontaneous interest group”)と呼ぶ方がより正しいと考える人もいる。美術室・音楽室・図書館など特定の用途のために指定された場所も学校の中にはある。ほとんどの場所はどの生徒でも自由に使ってよいが、安全に使用できる技能をもつことを証明する認可手続きを終えなければ使うことが出来ない道具もある。サドベリー・スクールの多くは、例えばミシンや木工用の備品を使うための認可を得ている。

 規律 

政府や学校などで一様に採用されている独裁的権威よりも、サドベリー・スクールのように団体のすべての構成員に基盤を持つ権威の方が秩序を維持できるとサドベリー・スクールの関係者は主張している。その主な理由は、ルールと規則が共同体全体によって作られており、それゆえこの学校には反抗よりも説得と交渉の雰囲気があるからである。反抗しようにも反抗しなければならないものがそこにはない。サドベリー・モデルのデモクラティック・スクールを経験して分かることは、学校全体によって公正かつ民主的に可決された欠点のない十分な法律と、その法律を施行する十分な法体系をもつ学校においては、共同体の規律が浸透し、法と秩序が非常に洗練され発展するということである。これは、恣意的な規則・絶対的な権威・気まぐれな処罰・デュー・プロセス・オブ・ローの不在という特徴をもつ今日の学校と異なる点である。 サドベリー・スクールの関係者は、外面的な秩序・規則の形態よりもずっと重要なことは、個々人の内面的な規律が育まれているかどうかの問題であると強調している。すなわち、どのような環境であれば人は、内面の強さと、人生に秩序と一貫性をもたらす性格を発達させるのか?どのようにすれば人は、平等な市民から成る自由な共和制国家にふさわしい独立した人間、合理的で首尾一貫した枠組み内で決断できる人間、相互に敬意を持つ人間関係を築く人間となれるのか?という問題である。 このような諸特徴をそなえた責任感のある人間になるにはどうすればいいのかということについて、サドベリー・モデルのデモクラティック・スクールは以下のように主張している。独立した人間とは責任に耐えることのできる人間のことだが、責任感のある人間の諸特徴を身につけたり伝授したりするテクニックは存在しないし、大人が自己満足のためにそれらを教えることもできない。自分に責任をもつようになるためには、留保なしに自分に責任をもつようにならなければならないのである、と。 それゆえサドベリー・モデルのデモクラティック・スクールには、人のもつ弱みを明るみにしてしまう形式的なサポート、内面の自己管理に取って代わる形式的な権威、内面の道徳感覚の発達に取って代わる形式的な道徳の圧力、等などがもっている落とし穴が存在しない。そして、生徒や教師の個人的な意志の力を奪い麻痺させるドラッグの道具も。このスクールの関係者は、サドベリー・スクールを形作っている根本的な要素とは、“責任感のある個人”であると主張する。それは、人生の道に横たわっている大きな困難・過ち・誘惑を自分のもつ強さで克服し、それによって人生の感覚を獲得していく個人である。また、その人自身のクリエイティヴな努力によってその人としてのあり方を作っていくような個人である。[2]

 卒業生 

世界中にあるサドベリー・スクールのモデルであるサドベリー・バレー・スクールは、過去40年の間に彼らの卒業生に関する調査書を二回発行している。その報告の中で特筆すべきことは、卒業生の約8割は大学を卒業しており、また人生の様々な領域で成功しているということである。今までのところは、他のサドベリー・スクールの卒業生についての公式の報告はまだ存在していない。しかし、非公式にではあるが、同様の結果が見られるという話もある。

 世界のサドベリー・スクール 

以下は世界中のサドベリー・スクールのリストである。

 日本 

日本のサドベリー・スクールは、既存のフリースクールと区別するために、自らの学校形態を「デモクラティック・スクール」という名前で定義している。しかし、海外ではサマーヒル・スクールなどサドベリー・スクール以外の学校をも「デモクラティック・スクール」という定義の中に含める場合もある。

 アメリカ 

 ドイツ 

 ベルギー 

 カナダ 

 オーストラリア 

 イスラエル 

 オランダ 

 関連項目 

サドベリー・バレー・スクール オルタナティブ教育

  1. ^ Daniel Greenberg: Age Mixing, Free at Last — The Sudbury Valley School. (editor?, location?), 1995 ISBN 1888947004, (quoted pages?)
  2. ^ The Crisis in American Education — An Analysis and a Proposal, The Sudbury Valley School (1970), Law and Order: Foundations of Discipline (pg. 49-55).
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