「ノート:科学的方法」の版間の差分
独自研究について |
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それで適任かどうかはわかりませんが。 |
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--[[利用者:夜仮面様|夜仮面様]] 2008年5月11日 (日) 12:19 (UTC) |
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==例とか== |
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<blockquote>このことは、神がかり的なカリスマ経営者が一代で巨万の富をなし、その後も尊敬され続けることがある一方で、経済学を駆使して立案した精密な投資計画が大損を招く可能性があることからもよく分かる</blockquote> |
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科学の例で投資の話を持ってくるのは違うと思います。 |
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<blockquote>また、「科学的であるか否か」と「正しいか否か」とは、別問題である</blockquote> |
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このくだりを、「現実的に"正しい"か否か」に直すか、 「科学的に正しいか否か」と「現実的に役立つか否か」は別だ、とかにしたほうがいいと思います。<参考:科学の方法 中谷宇吉郎> |
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--[[利用者:Yesterdayforthem|Yesterdayforthem]] 2008年5月14日 (水) 07:06 (UTC) |
2008年5月14日 (水) 07:06時点における版
英語版を参考に簡潔に記述。Jedi 12:25 2003年10月7日 (UTC)
既に加筆依頼が出ているため、のぞいてみましたが、この記事は全面改定をしたほうがよいのではないかと思います。 僕は、ある程度研究のやりかたとかについて知っているつもりですが、 この記事は、その僕にとっても何を言っているのかよくわからないものとなっています。
また、個々の論点掘り下げ方が甘すぎるため、到底調べものの役に立つ内容に
なっているとは思えません。また、項目レベルにも不統一感が否めません。
ここで個々の論点掘り下げ方が甘すぎるというのは具体的には下記のことを意味します。
- ベーコンだなんだといった思想がらみに手をつっこんだはいいものの、その内容を十分論じきれていないため、辞書で食ってきた言葉を適当に並べただけの文章と大差ないものになっている。
- いろいろな判断を述べているが、その根拠となる出典が全くない。(独自研究を疑ったほうがよいかもしれない程に)
また、英語版も参照してみましたが、現時点においては分量、内容とも全く別のものです。
以上を踏まえスダブへの降格が相応しいと考えます。
尚、個人的な印象ではありますが、論文もろくに書かずにえらそうなことばかり言っている”研究者”が 何人かいます。こういった連中が科学を”啓蒙”することに僕は疑問をもっています。 この記事の内容は、どうもそういった連中のものの考え方に近いようにみえます。 彼らは、なんだかよくわからん「○○主義」というのを持ち上げ、今の研究者を嘆いてみせますが 「どうすれば人並に論文ぐらいはかけるようになれるか」という視点が完全に欠落しています。
夜仮面様 2008年5月10日 (土) 13:36 (UTC)
少し言い過ぎました。ごめんなさい。ノート上の言い過ぎた部分を削除します。--夜仮面様 2008年5月11日 (日) 11:45 (UTC)
独自研究について
科学的、非科学的という言葉というのは、問題が広すぎて、それゆえに 不毛な議論が巻き起こるわけです。不毛かどうかは哲学以外の一流の研究者が ベーコンだヘーゲルだといったことに蘊蓄をたれることは ないことと、この手の話題をこのんでする哲学以外の 連中のあまりに短い業績リストが雄弁に物語っています。
今回の僕の加筆はすでにご覧に なられているとは思いますが、文献1の諸外国の 科学リテラシーに関する教育方針をベースに書いています。 この文献は、特定領域という大型のグラントの研究成果報告書 なので、その分野では当代一流とみなされている人間が 書いているという点においては十分権威ある内容です。
この内容は、基本的には ファインマンの見解や、ある程度の名の通った 研究者の手による研究方法に関する本(いわゆるアカデミックスキル に関する本)そして、 実験計画法や疫学などの知見とも反していない ものと認識しています。ただし、報告書の著者を含めて彼らは 科学全般に対して論じようとしないほどには賢く、話題を限定してその中で 最良の解を出す知恵ぐらいはあるものだから、 すぐに、自分の分野の優れた研究の流れという具体的な 話に入ってしまうため、これを1個1個解説するとなると おおごとになります。
現時点において、僕に出来ることは、現代において どうすれば、科学的と認められるのかということについて 「論文がアクセプトされれば科学的なんだよ」とか、 ような身も蓋もない言い方をせずに言うぐらいでしょうか?
それで適任かどうかはわかりませんが。 --夜仮面様 2008年5月11日 (日) 12:19 (UTC)
例とか
このことは、神がかり的なカリスマ経営者が一代で巨万の富をなし、その後も尊敬され続けることがある一方で、経済学を駆使して立案した精密な投資計画が大損を招く可能性があることからもよく分かる
科学の例で投資の話を持ってくるのは違うと思います。
また、「科学的であるか否か」と「正しいか否か」とは、別問題である
このくだりを、「現実的に"正しい"か否か」に直すか、 「科学的に正しいか否か」と「現実的に役立つか否か」は別だ、とかにしたほうがいいと思います。<参考:科学の方法 中谷宇吉郎>