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[[東京都立日比谷高等学校|都立日比谷高校]]を経て、[[1962年]]、[[東京大学]]卒業後、[[自治省]]に入省。[[1981年]][[4月]]、[[奈良県]][[副知事]]に就任。[[1993年]][[1月]]、[[自治省]]税務局長に就任。[[1995年]][[1月17日]][[阪神・淡路大震災]]の当日に、[[消防庁長官]]に就任し現場を指揮する。[[1996年]][[10月]]、[[第41回衆議院議員総選挙]]に[[自由民主党]]公認で[[奈良県第2区|奈良2区]]に出馬し初当選。当時総裁派閥だった[[平成研究会]](小渕派)所属の新人代議士となる。 |
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=== 郵政民営化反対と新党日本へ === |
=== 郵政民営化反対と新党日本へ === |
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[[2005年]][[7月4日]]、[[郵政国会]]で郵政民営化法案に反対するため、[[法務大臣]]に[[副大臣]]の辞表を提出。翌[[7月5日]]、同法案に[[青票]](反対票)を投じる。その後、辞表は受理されず法務副大臣を[[罷免]]となる。同年[[8月21日]]、を離党し、[[長野県]]知事(当時)・[[田中康夫]]が結成した[[新党日本]] |
[[2005年]][[7月4日]]、[[郵政国会]]で郵政民営化法案に反対するため、[[法務大臣]]に[[副大臣]]の辞表を提出。翌[[7月5日]]、同法案に[[青票]](反対票)を投じる。その後、辞表は受理されず法務副大臣を[[罷免]]となる。同年[[8月21日]]、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]を離党し、[[長野県]]知事(当時)・[[田中康夫]]が結成した[[新党日本]]に入党、党副代表に就任。[[9月11日]]の[[第44回衆議院議員総選挙]]で、小選挙区では[[奈良県第1区|奈良1区]]より「刺客候補」として転出した自民党公認候補・[[高市早苗]]に敗れるが比例近畿ブロックで復活当選。新党日本公認では唯一の当選者かつ衆議院議員となった。その後、自民党より除名を命じられた。[[10月4日]]、[[新党日本]]総務会長となる。 |
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同総選挙後、新党日本は衆議院と参議院において[[国民新党]]と[[院内会派|統一会派]]を結成。衆議院では無所属1名([[野呂田芳成]])を含め「国民新党・日本・無所属の会」が滝の所属会派となるが、[[2006年]][[9月26日]]に参議院で党幹事長・[[荒井広幸]]が首班指名選挙において民主党代表・[[小沢一郎]]や国民新党代表・[[綿貫民輔]]でなく、自民党総裁・[[安倍晋三]]に投票したことが国民新党側の不興を買い、[[10月2日]]に衆参の統一会派を解消。滝の衆議院における所属は(新党日本所属議員が1名のみで衆議院における会派の用件を満たさないため)[[無所属]]となった。なお、滝はこの首班指名選挙では綿貫に投票している。 |
同総選挙後、新党日本は衆議院と参議院において[[国民新党]]と[[院内会派|統一会派]]を結成。衆議院では無所属1名([[野呂田芳成]])を含め「国民新党・日本・無所属の会」が滝の所属会派となるが、[[2006年]][[9月26日]]に参議院で党幹事長・[[荒井広幸]]が首班指名選挙において民主党代表・[[小沢一郎]]や国民新党代表・[[綿貫民輔]]でなく、自民党総裁・[[安倍晋三]]に投票したことが国民新党側の不興を買い、[[10月2日]]に衆参の統一会派を解消。滝の衆議院における所属は(新党日本所属議員が1名のみで衆議院における会派の用件を満たさないため)[[無所属]]となった。なお、滝はこの首班指名選挙では綿貫に投票している。 |
2008年4月24日 (木) 15:54時点における版
衆議院議員 滝 実 | |
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生年月日 | 1938年9月15日 |
出身地 | 東京都品川区 |
出身校 | 東京大学 |
学位・資格 | 法学士 |
前職 |
奈良県副知事 消防庁長官 |
所属委員会 | 衆・法務委員会 委員 |
世襲 | 無 |
選出選挙区 |
比例近畿ブロック (奈良県第2区) |
当選回数 | 4回 |
所属党派 |
無所属 |
会館部屋番号 | 衆・第二議員会館331号室 |
ウェブサイト | 滝まことホームページ |
滝 実(たき まこと、1938年9月15日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(4期)。
概要
生い立ちと出馬
都立日比谷高校を経て、1962年、東京大学卒業後、自治省に入省。1981年4月、奈良県副知事に就任。1993年1月、自治省税務局長に就任。1995年1月17日阪神・淡路大震災の当日に、消防庁長官に就任し現場を指揮する。1996年10月、第41回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で奈良2区に出馬し初当選。当時総裁派閥だった平成研究会(小渕派)所属の新人代議士となる。
2000年6月の第42回衆議院議員総選挙でも小選挙区で再選、2001年1月6日自身の古巣・自治省が省庁再編で生まれ変わった総務省の初代大臣政務官に就任。同年4月26日第1次小泉内閣発足に伴い政務官を一旦退任するが翌2002年1月8日の政務官改造人事で再び総務大臣政務官に就任。2003年11月の第43回衆議院議員総選挙では民主党公認候補・中村哲治に敗れたものの、比例近畿ブロック復活で3連続当選を果たす。2004年9月29日、法務副大臣に就任。
郵政民営化反対と新党日本へ
2005年7月4日、郵政国会で郵政民営化法案に反対するため、法務大臣に副大臣の辞表を提出。翌7月5日、同法案に青票(反対票)を投じる。その後、辞表は受理されず法務副大臣を罷免となる。同年8月21日、自由民主党を離党し、長野県知事(当時)・田中康夫が結成した新党日本に入党、党副代表に就任。9月11日の第44回衆議院議員総選挙で、小選挙区では奈良1区より「刺客候補」として転出した自民党公認候補・高市早苗に敗れるが比例近畿ブロックで復活当選。新党日本公認では唯一の当選者かつ衆議院議員となった。その後、自民党より除名を命じられた。10月4日、新党日本総務会長となる。
同総選挙後、新党日本は衆議院と参議院において国民新党と統一会派を結成。衆議院では無所属1名(野呂田芳成)を含め「国民新党・日本・無所属の会」が滝の所属会派となるが、2006年9月26日に参議院で党幹事長・荒井広幸が首班指名選挙において民主党代表・小沢一郎や国民新党代表・綿貫民輔でなく、自民党総裁・安倍晋三に投票したことが国民新党側の不興を買い、10月2日に衆参の統一会派を解消。滝の衆議院における所属は(新党日本所属議員が1名のみで衆議院における会派の用件を満たさないため)無所属となった。なお、滝はこの首班指名選挙では綿貫に投票している。
現在、滝は比例代表選出のため新党日本が他の政党と合併し新党を結成しない限り現職衆議院議員として自民党に復党したり民主党を始めとする選挙当時に存在した他の政党への移籍は公職選挙法上不可能となっている。但し、離党して無所属議員となること、選挙後に結成された政党や当選者本人が比例選出された選挙区で当該比例区に候補者を擁立しなかった政党へ移籍することは可能。従って、2005年の近畿ブロック比例区に候補者を擁立していない国民新党へ滝が入党することは可能ということになる。
そして、滝が今期在職中に何らかの事由により議員の職を失った場合、新党日本で近畿ブロック候補者名簿2位の宮本一三が小選挙区で法定得票数(有効投票総数の10%)を獲得しておらず、他党からの繰上げも認められないため、欠員扱いとなる。
新党日本を離党、民主党入りへ
第21回参議院議員通常選挙を目前にした2007年7月5日、参議院の荒井広幸と共に代表・田中の党運営及び参院選に際しての選挙公約(主として憲法問題)が党所属国会議員である滝と荒井の了承を経ずに決定されたことを批判し、解党を要求する。田中がこの要求を拒否したことから滝は荒井と共に新党日本を離党、無所属となった。これに伴い、新党日本は7月29日の投開票において田中が当選し参議院議員となるまで一時的に所属国会議員が誰もおらず、政党助成金を受け取れない状態となった。
滝自身は地元の奈良県選挙区において、かつて奈良2区で争った間柄である民主党候補の中村哲治を支援し、自民党候補に約10万票の大差を付けて勝利。これを直接の契機として12月5日、次回総選挙において奈良2区より民主党推薦で出馬することを表明した。なお、現在の任期中は議員職を維持したまま民主党に移籍することができないため、衆議院解散後に民主党へ入党し公認候補となる見込みであり、国会活動においては院内会派「民主党・無所属クラブ」に参加する方向で調整中(現在も無所属ながら民主党の部門会議に参加し、民主党・無所属クラブより質問時間の割り当てを受けている)。
いわゆる「郵政造反組」の中で民主党に鞍替えしたのは川上義博に続いて2人目であり、滝の推薦内定後には松宮勲も民主党に鞍替え(民主党公認での衆院選出馬内定)している。
一方、袂を分かった田中は民主党と新党日本(後に国民新党も参加)の統一会派「民主党・新緑風会・国民新・日本」を、荒井は古巣の自民党と統一会派「自由民主党・無所属の会」を参議院でそれぞれ結成している。
著作
単著
- 『阪神大震災の熱く長い一日』(日本法制学会、1995年) ISBN 4931147232
- 『ボランティア好きな人きらいな人』(日本法制学会、1998年) ISBN 4931147240
- 『一人ひとりを大切にする国家-危機管理の原点を求めて』(日本法制学会、2002年) ISBN 4931147275