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「疑似科学」の版間の差分

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なかには、フロイトの治療業績のいくつかは、---Anna Oの有名な奇跡すら---、捏造であると告発する者すらいる(Borch-Jacobsen 1996)。
なかには、フロイトの治療業績のいくつかは、---Anna Oの有名な奇跡すら---、捏造であると告発する者すらいる(Borch-Jacobsen 1996)。
(詳細は[[精神分析学]]を参照<ref>ただし現代のアカデミックな心理学まで疑似科学だと誤解しないように注意する必要がある。現代のアカデミックな心理学はおおむね科学的方法を守っている。(フロイトなどの)精神分析学は、心理学の本流ではなく、あくまで傍流である。それについては[[心理学]]の項の「誤解」の節も読むこと。</ref>)
(詳細は[[精神分析学]]を参照<ref>ただし現代のアカデミックな心理学まで疑似科学だと誤解しないように注意する必要がある。現代のアカデミックな心理学はおおむね科学的方法を守っている。(フロイトなどの)精神分析学は、心理学の本流ではなく、あくまで傍流である。それについては[[心理学]]の項の「誤解」の節も読むこと。</ref>)
<!--ノートで通知通りコメントアウト:==== ソーカル事件 ====

==== ソーカル事件 ====
また、哲学者や[[文芸評論]]家、[[文芸理論]]家などが自分の説を権威づけるために科学用語を無意味に並べたてているのが散見される。
また、哲学者や[[文芸評論]]家、[[文芸理論]]家などが自分の説を権威づけるために科学用語を無意味に並べたてているのが散見される。


代表的な事例は、[[ソーカル事件]](1995年頃~)である。主に[[ポスト・モダン]]と呼ばれる一派に属する哲学者達が科学用語を無意味に並べたてる事に業を煮やした物理学者([[素粒子]]理論)のソーカルは、あえて科学用語をデタラメに使った疑似哲学論文を書き上げて、有名な哲学評論誌に送りつけたところ、それが載録されてしまったのである。
代表的な事例は、[[ソーカル事件]](1995年頃~)である。主に[[ポスト・モダン]]と呼ばれる一派に属する哲学者達が科学用語を無意味に並べたてる事に業を煮やした物理学者([[素粒子]]理論)のソーカルは、あえて科学用語をデタラメに使った疑似哲学論文を書き上げて、有名な哲学評論誌に送りつけたところ、それが載録されてしまったのである。


その後ソーカルは1998年に『「知」の欺瞞』という本を書き、[[ジャック・ラカン]](当時、すでに没)、[[ジャン・ボードリヤール]]、[[ジル・ドゥルーズ]]、[[フェリックス・ガタリ]]、[[ジュリア・クリステヴァ]]、[[ミッシェル・セール]]、[[ポール・ヴィリリオ]]、[[ジャン=フランソワ・リオタール]]といった売れっ子だった哲学者達の(科学用語を使用した)記述のナンセンスぶりを暴露した<ref>これらの科学用語の使用はあくまで比喩に過ぎないという反論もあるだろうが、ソーカルが批判したのは科学用語を用いた比喩自体ではなく、あくまでその無意味さである。テレビのお笑い番組などでは比喩を面白おかしく使うのももっともではあるが、科学の論文や教科書においては比喩は難しい事を簡単に説明する為に用いるはずのものである。</ref>。(詳細は『「知」の欺瞞』<ref>アラン・ソーカル、ジャン・ブリクモン『「知」の欺瞞―ポストモダン思想における科学の濫用』岩波書店、2000、ISBN 4000056786</ref>、[[ソーカル事件]]を参照)
その後ソーカルは1998年に『「知」の欺瞞』という本を書き、[[ジャック・ラカン]](当時、すでに没)、[[ジャン・ボードリヤール]]、[[ジル・ドゥルーズ]]、[[フェリックス・ガタリ]]、[[ジュリア・クリステヴァ]]、[[ミッシェル・セール]]、[[ポール・ヴィリリオ]]、[[ジャン=フランソワ・リオタール]]といった売れっ子だった哲学者達の(科学用語を使用した)記述のナンセンスぶりを暴露した<ref>これらの科学用語の使用はあくまで比喩に過ぎないという反論もあるだろうが、ソーカルが批判したのは科学用語を用いた比喩自体ではなく、あくまでその無意味さである。テレビのお笑い番組などでは比喩を面白おかしく使うのももっともではあるが、科学の論文や教科書においては比喩は難しい事を簡単に説明する為に用いるはずのものである。</ref>。(詳細は『「知」の欺瞞』<ref>アラン・ソーカル、ジャン・ブリクモン『「知」の欺瞞―ポストモダン思想における科学の濫用』岩波書店、2000、ISBN 4000056786</ref>、[[ソーカル事件]]を参照)-->


=== 疑似科学の悪影響 ===
=== 疑似科学の悪影響 ===

2008年3月22日 (土) 06:03時点における版

疑似科学(ぎじかがく)とは、英pseudoscienceの訳語であり、「虚偽の」を表すギリシア語 ψευδήςpseudēs プセウデース)と、「学問」を表すラテン語 scientia(スキエンティア)の複合語である。学問学説理論知識研究等のうち、その主唱者や研究者科学であると主張したり科学であるように見せかけたりしていながら、現時点(As of Today)での知見において科学の要件として広く認められている条件(科学的方法)を十分に満たしていないものを言う[1]

概説

この語が最初に使われたのは1843年のことで、フランソワ・マジャンディーによるものである[2]

類似の表現・概念との比較

日本語では、「科学ではない」ということをはっきりさせるために、ニセ科学あるいはエセ科学という語を用いる人もいるが、単に「科学でない」ということであるならば文字通り「非科学」という表現がある。

類似の概念で、科学的方法を採用するが未だ至らないもの、至っているが社会全般に科学であると認められていないものをプロトサイエンス未科学異端の科学)という。

フリンジサイエンス(境界科学)という表現もあるが、この表現を使う人の立場や話の前後状況によって肯定的な使い方か、または否定的ではあるが完全な揶揄や非難を避けたい場合の表現法であるかが微妙に変わるので要注意である。いずれにしても、従来の正統な科学ではない意味となる[3]

また、本来、「オカルト」等に分類すべき対象を疑似科学に分類すべきではない。迷信オカルトは、それが科学であると誤解されるような要因を持ち合わせない。サイエンス・フィクション(SF)は科学風の表現を多用する非科学的な言説である。その内容がオカルト等と同じく科学的と誤解されることがなければ疑似科学ではないのだが、少年や青年の一部にSF作品中の理論づけなどをてっきり本物の科学的な説明だと誤解する者がごく稀に存在することもあるため[4]、疑似科学に分類される。

擬似科学と「正しい」科学の境界線

20世紀初頭の哲学界において、何が擬似科学で何が「正しい」科学であるかの境界線を巡る議論があった。これを境界設定問題という。この問題について詳細な探求を行った代表的なグループがウィーン学団である。ウィーン学団は、論理実証主義を用いて既存の科学を検証した。その結果、「あらゆる理論の中には、必ず未実証の部分が含まれている」ため、存在する全ての科学は「最終的には疑似科学と区別ができない」という結論に達した。

故に、現代の自然科学では、少なくとも人間によって合理性が認められる理論を「今のところ正しい(正しい可能性が高い)」と仮定し、それ以外の理論を「正しくない(正しい可能性が低い)」とする考え方が一般化した。(→仮説[5] もっとも現実には、学会の権威者の意向、科学雑誌の編集長の個人的な考え、その他の政治的な理由などで"正しさ"が決定されることも少なくない。

疑似科学の傾向

ハインズによる指摘

アメリカ合衆国心理学者テレンス・ハインズは自著[6]において疑似科学の傾向を以下のようにまとめた

  1. 反証が不可能であること[7]
  2. 検証への消極的態度
  3. 立証責任を転嫁する

マーティン・ガードナーによる指摘

アメリカ合衆国懐疑論マーティン・ガードナーは、その著書(1952年初版)[8]において、疑似科学者の傾向として以下の5項目が挙げられるとした。

  1. 自分を天才だと考えている。
  2. 仲間たちを例外なく無知な大馬鹿者と考えている。
  3. 自分は不当にも迫害され差別されていると考えている。
  4. もっとも偉大な科学者や、もっとも確立されている理論に攻撃の的を絞りたいという強迫観念がある。
  5. 複雑な専門用語を使って書く傾向がよく見られ、多くの場合、自分が勝手に創った用語や表現を駆使している。

またガードナーは同著において以下のようにも述べた。

「もしある人が、手に入る限り全ての証拠に矛盾するし、また真剣な検討に値するような合理的な根拠を何一つ提供しないような考え方を頑固に提唱し続けるのなら、仲間から奇人というレッテルをつけられるのも当然だろう」

その他

また、疑似科学に属する主張では、データの取り上げ方が恣意的である、想定された結論に矛盾するデータを無視する、などといったものがしばしば見られる。

その他の傾向として、疑似科学者のなかにはディプロマミルで取得した博士号を権威付けに使うこともある。

疑似科学の中には、「既存の科学理論の間違いを見つけたと主張する」ものがあるが、この場合科学理論の「直観的に分かりやすい」部分や「一般人にとって知名度が高い」理論が攻撃されやすいとされる。これは、疑似科学者の多くは科学的知識に乏しくて複雑な科学理論を理解できない事と、科学理論の間違いを示した時に一般人の反響が大きい事などが原因であろう。

例えば「時空が歪む」とする相対性理論や「永久機関は存在しない」とする熱力学の法則は、疑似科学者達に頻繁に攻撃される傾向にある。

特に相対性理論は素人には誤解されやすい理論であり、こうした攻撃の根拠の一つとして「宇宙はシンプルである」事が挙げられる。すなわち、シンプルであるはずの宇宙で、時空が歪むような「複雑な」現象が起こるはずがない、というのが彼らの主張である。

疑似科学と悪徳商法

疑似科学を用いる者には法的には悪意の者(自分で説いている説明が科学的でないことを承知の上で非科学的な説明をして相手に何らかの不利益を与えようとしている者)もいれば善意の者(自らも信じており、それが非科学的とは思っていない者)もいる。善意の者は心から信じきっていることから「ビリーバー」とも呼ばれる。

疑似科学は悪徳商法とも親和性が高く、商品等を消費者に売って金品を得んがために用いられることがしばしばある。

金融商品の販売の現場においては、金融工学としては間違っている説明をあたかも金融工学的あるいは科学的であるかのように見せかけ、説明されたほうもそれが科学的と信じていることがある。

ねずみ講連鎖販売取引MLM)の分野において、数式や図式を用いてミクロ経済学を装い事実と異なる説明が行われる場合があり、説明されたほうも自分は科学的で合理的な行動をとっていると思っている場合がある。

工業製品の販売に疑似科学が用いられることがある。節電器マイナスイオンなどを参照。

疑似科学は、偽医療の分野に親和性が高く、療法の根拠として使われることがある。世間に広く知れ渡っている医学的俗説の中には、医学的な正当性がないにも拘らず、(一般の人ばかりでなく)それを信じている医師が多いものもあるため、不適切な医療行為の原因になる恐れが指摘されている[9]

ニセ科学批判

疑似科学の社会的な悪影響を問題視する場合に、ニセ科学という表現が使われることがある。笑えるトンデモ科学やサイエンス・フィクションのように社会的に有害性があるとまでは言えない疑似科学も多いため、ニセ科学という表現は、単に疑似科学というだけではなく、それが社会に対し大きな有害性を持っているとの見解を暗に表明するために用いられる。例えば、悪徳商法の手段となっている疑似科学を強く批判し、その社会的な害悪を防止する活動などを自ら評してニセ科学批判と呼ぶ。ニセ科学批判の目的が科学の啓蒙社会の論評であるといった誤解がなされることがあるが、正しくは「社会的な有害性を持った疑似科学」による被害の防止を目的とした活動である。疑似科学的な表現を含む商品説明によってある特定の事業者が法令違反を犯していると仄めかす記述が大学のサイトで公開されている状態をお茶の水女子大学が削除の要請を拒否してまで放置したことが名誉毀損に当たるとして、法的紛争にまで発展している事例もある[10][11][12]。参加申立人代理人の壇俊光弁護士(Winny弁護団事務局長)は、科学的根拠を伴わずに「環境にやさしい」ことを謳った商品宣伝が行われていたとして、事業者による「エコ偽装」疑惑を追及する弁論を展開した[13]。さらには、 事業者が扱っている商品について「効能の,貝体的内容を明らかにせず」に販売していた点を追及して、そのような販売方法は社会通念上の重大な問題があるとして、また、Wikipediaの悪徳商法の記述を有力な根拠として、当該事業者を悪徳商法に該当するものであると公然と断定してよいことを立証しようとした[14]。 ニセ科学批判の実際の態様については天羽優子氏のコメントが参考になる[15][16]。 因みに、もう一人の参加申立人代理人は、ロス疑惑三浦和義元被告を弁護した人権派弁護士の弘中惇一郎である。


学問と疑似科学

文系学問における疑似科学

疑似科学は上で挙げたような分野のみならず、大学で研究されている学問の中にも存在している事がたびたび指摘されている。

精神分析学

ポパーなどの科学哲学者は精神分析学を疑似科学として断じた。というのも精神分析学反証可能性を持っておらず、たとえ精神分析学が間違っていようとも、うまく言い逃れができてしまう構造を精神分析学は内包しているからである。 Grunbaumにいたっては、精神分析学は反証可能性をもつ---なぜならそもそも精神分析学は全くの間違いであるから---と批判した。 なかには、フロイトの治療業績のいくつかは、---Anna Oの有名な奇跡すら---、捏造であると告発する者すらいる(Borch-Jacobsen 1996)。 (詳細は精神分析学を参照[17])

疑似科学の悪影響

有名でない人物が正しい成果を出した際、単なる疑似科学と誤解されてしまい、世に成果を発表できない事がある。

科学でなく数学の例だが、インドの天才数学者ラマヌジャンが無名時代にイギリスのヒル教授、ベイカー教授、ボブソン教授に自己の成果を送ったが、見向きもされなかった。 しかし藤原正彦によれば、こうした無理解も「仕方がな」い事であった。というのも「著名数学者はしばしば、大問題を解決したという数学マニアからの、ナンセンスな「論文」や手紙に悩まされ」ており、「私(=藤原)程度の人物にも年に1、2通は(そうした手紙が)届けられる」からである。[18] 同様にζ(3)の無理数性を証明したアペリは大学の教官ではなく高校教師だったので、信用されなかった。

なお、ラマヌジャンの場合はハーディがラマヌジャンの手紙を読んでくれた為亊無きを得た。ハーディも最初は「狂人のたわごと」程度にしかとらなかったが、ラマヌジャンの成果の中に自分の未発表の成果と同じものが含まれているのを発見して、ラマヌジャンを評価したのである。

疑似科学批判の信頼性

疑似科学の主張には明らかに馬鹿げていると見えるものもままあるため、非科学的・非論理的な「批判」が行われてしまうことがある。誤った「批判」は、科学的思考の妨げであるだけでなく、巧妙な外見を持った疑似科学を『科学者という暴君に弾圧される殉教者』のように見せ、科学的であるかのように誤認させる可能性がある。

科学的に評価する例として、アメリカでは1990年以降、国家機関が科学とは合わない理論をもつ代替医療の有効性についての臨床比較実験を行っている。このように科学的な手法によって有効性があるのかどうかを調査するか、既に行われた調査をもとにして批評を行うことが科学的な態度である。これを欠いた場合、批判者の批判も疑似科学となってしまう。

問題のある「批判」としてまず挙げられるものとして、「明らかに誤っている」「あり得ない」という態度で、検証・論証を抜きにした頭ごなしに否定することがある。こういった否定論は、地動説大陸移動説のように当初は認められなかった学説が後に定説となった科学史上の事例によって容易に反駁され、その否定された疑似科学の主張があたかもそのような不遇の学説であるかのように語られるという、否定論者の意に反した結果になりがちである。 これほど単純ではないが同様の問題を持つ「批判」が、対象となる疑似科学の主張や論理を十分理解せずに思い込みで行われる「批判」である。この種の論では検証や論証が行われるのだが、実はそれらが的外れなものになってしまうことがある。その場合、批判される側は「批判者は無知・傲慢にとらわれている」「彼らは愚かだから分からない」と反駁することができ、やはり批判が逆効果となる可能性がある。

例えば「魔女は魔力を利用してホウキで空を飛ぶ」という主張があるとする。この時、ともすれば「なぜ魔力で空を飛べるのか?(魔力は浮力や推進力に変換出来るのか?)」といった批判になりがちである。しかしこの批判はすでに的はずれである。なぜなら魔力が存在することを前提に議論しているからである。ここですべき批判は「魔女や魔力という言葉は何を指しているか?」である。魔力が浮力を産むかどうかの検証をしようとしてはいけない。また「血液型と性格には相関がある」という主張に対して「ないことが実証されている」という批判も的はずれである。なぜなら相関とは2つの数量(数値データ)に対して定義されるものであって、血液型も性格も数量(数値データ)ではないからである。相関について議論する前に考察の対象にする数量を特定しなければならない。

なお、少なくない疑似科学批判者や懐疑論者により、大槻義彦超常現象に対する言動がこのような安易な「批判」であるとの指摘がなされている。

疑似科学とみなされる事が多いもの

マーチン・ガードナーが『奇妙な論理』[8]で挙げているもの

英語版の疑似科学例より

疑似科学とは言い切れないが、疑似科学扱いされているもの

その他

関連項目

類義語

疑似科学批判

関連理論

考察対象

関連書

出典 脚注

  1. ^ 例えば、当該分野で認められた科学的方法をとっていることが疑問であるため、科学専門誌への掲載が受理されないだけでなく、おそらく査読にすら回らない「論文もどき」など。
  2. ^ フランソワ・マジャンディは、実験生理学の先駆者と評価されている人物である。en:François Magendie
  3. ^ 周辺科学とは、自分が主体となる科学分野から見た、その周辺の別分野の科学領域を指すものであり、疑似科学などの表現とはまったく関係がない。だが「境界科学」と紛らわしい表現なので注意が必要。
  4. ^ 例えばWikipediaにSF作品中のフィクションが科学的な事実や理論であるかのように書き込まれていることがある。
  5. ^ 但し、原理といった一般に広く真実と受けとめられている事柄を前提条件とし、その確かさ(不確かさ)に依存させつつ、ある理論の"正しさ"を、それなりに評価することは可能である。だが、科学の世界では、ある時(時代)に当たり前と思っていた前提が、後にあっけなく崩れることがあるので要注意である。また、法則は、有効範囲がどこまでなのか、事前には予測がつかないことも多い(科学哲学者ツールミンの指摘など)。
  6. ^ テレンス・ハインズ『ハインズ博士「超科学」をきる―真の科学とニセの科学をわけるもの』化学同人、1995、ISBN 4759802754
  7. ^ ここでいう「反証が不可能である」とは、科学哲学者カール・ポパーが線引き問題の解決策、線引きの一基準として提案した「反証可能性 (falsifiability)」を満たしていないということである。 例えば、相対性理論から導かれる有名な結論として、「いかなる質量も真空中の光速を超えて運動することはない」というものがある。そのため、ある物体を超光速まで加速してみせること、あるいは加速した結果を示すことができれば相対性理論は否定される。これが反証可能性であり、カール・ポパーは、これによって相対性理論を科学理論に分類できる、と考えた。
  8. ^ a b マーティン ガードナー『奇妙な論理〈1〉―だまされやすさの研究(ハヤカワ文庫NF)』早川書房、2003、ISBN 4150502722。原題 in the Name of Science。原著は1952年初版であり、この分野の古典ともされる。だが同時に、すでに50年前の本であるので、現代の日本の状況とはあまり一致しない記述も多々見うけられる。
  9. ^ R. C. Vreeman and A. E. Carroll, Medical myths, BMJ, 335 (2007), 1288-1289.
  10. ^ 「お茶の水女子大学を神戸地裁に提訴しました」(マグローブ株式会社 会長 吉岡英介)
  11. ^ 平成19年(ワ)第1493号 損害賠償等請求事件 参加人 準備書面2
  12. ^ 平成19年(ワ)第1493号 損害賠償等請求事件 原告 準備書面3
  13. ^ 平成19年(ワ)第1493号 損害賠償等請求事件 参加人 独立当事者参加の申出書
  14. ^ 平成19年(ワ)第1493号 損害賠償等請求事件 参加人 準備書面1
  15. ^ 「「ニセ科学」関連・最終記事」(津村ゆかり)のコメント欄 ― Posted by: apj | 2007.08.26 at 05:31 PM
  16. ^ 「ニセ科学批判に関する個人的な考察」(Jack周遊記)のコメント欄 ― Posted by apj at 2007年12月23日 16:10
  17. ^ ただし現代のアカデミックな心理学まで疑似科学だと誤解しないように注意する必要がある。現代のアカデミックな心理学はおおむね科学的方法を守っている。(フロイトなどの)精神分析学は、心理学の本流ではなく、あくまで傍流である。それについては心理学の項の「誤解」の節も読むこと。
  18. ^ 『天才の栄光と挫折―数学者列伝』、p162。

外部リンク

日本語サイト

英文サイト

リンク集

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