「酒田大火」の版間の差分
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市の中心部を含め1767棟が焼失し、被害総額は約405億円にも上る。死者1名、被災者約3300名。 |
市の中心部を含め1767棟が焼失し、被害総額は約405億円にも上る。死者1名、被災者約3300名。 |
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なおこの火災による死者は、当時の酒田地区消防組合消防長で、火災発生2日後に火元とされる映画館で発見された。 |
なおこの火災による死者は、当時の[[酒田地区消防組合]]消防長で、火災発生2日後に火元とされる映画館で発見された。 |
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証言によると火災発生の知らせを自宅で受け、通りがかりの車に便乗して現場に到着後、人命検索のため進入し煙に巻かれたものとされる。 |
証言によると火災発生の知らせを自宅で受け、通りがかりの車に便乗して現場に到着後、人命検索のため進入し煙に巻かれたものとされる。 |
2008年3月3日 (月) 12:05時点における版
酒田大火(さかたたいか)とは、1976年10月29日に山形県酒田市で発生した大火を指す。この火災で酒田市内中心部の商店街、約22.5haが焼失した。
概要
1976年10月29日午後5時40分頃、酒田市中町にあった映画館「グリーンハウス」から出火し、強風の影響で隣接していた木造ビルや木造家屋に燃え広がった。火災は西よりの強風(元々酒田市周辺は、日本海から内陸部への風の通り道であり、出火時も風速12.2mの風が吹いていた)によって更に範囲が拡大していく。
また、その強風により大量の飛び火や火の粉が発生し、消火活動が思うように進まなかった。
翌日30日の午前3時には新井田川まで迫ったものの、対岸からの直上放水と雨の影響で延焼が食い止り、午前5時に鎮火した。
被害
市の中心部を含め1767棟が焼失し、被害総額は約405億円にも上る。死者1名、被災者約3300名。 なおこの火災による死者は、当時の酒田地区消防組合消防長で、火災発生2日後に火元とされる映画館で発見された。
証言によると火災発生の知らせを自宅で受け、通りがかりの車に便乗して現場に到着後、人命検索のため進入し煙に巻かれたものとされる。
復興活動
鎮火した翌日の10月31日早朝から、酒田市役所において、山形県・庄内支庁建設部・酒田市都市計画課・建設省などにより「火災復興都市計画」の作業が開始された。この作業は大変スピーディーに行なわれ、翌日の11月1日には「防災都市づくりの計画概要」が完成した。この復興計画は「防災都市の建設」を柱とし、「将来交通量に対応した幹線道路の整備」「近代的な魅力ある商店街の形成」「住宅地の生活環境の改善整備」「商店街と住宅街の有機的な結びつけ」を掲げていた。 特に商店街の復興に合わせた災害に対する整備と緑地化が積極的に行なわれ、わずか2年半後の1979年には復興式典が行なわれている。
また、この短期間での都市復興は、1995年に発生した阪神・淡路大震災において参考とされた。