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'''ペリリュー神社'''(ペリリューじんじゃ)は、[[パラオ]]諸島の小島[[ペリリュー州|ペリリュー島]]にある[[神社]]である。
ペリリュー神社(ペリリューじんじゃ)は、パラオ諸島の小島ペリリュー島にある神社である。


ペリリュー島には[[1934年]][[天照大神]]を祭神とする南興神社(ペリリュウ神社)が建立され、現地の日本人住民は島の繁栄を祈願してきた。[[1944年]]、ペリリュー島で日米による激しい戦闘([[ペリリューの戦い]])が行われた。日本兵の遺体の発掘は地元住民の信仰から許可されていない。日本の遺族会などの各団体により慰霊碑が建立された。
ペリリュー島には1934年に天照大神を祭神とする南興神社(ペリリュウ神社)が建立され、現地の日本人住民は島の繁栄を祈願してきた。1944年、ペリリュー島で日米による激しい戦闘(ペリリューの戦い)が行われた。日本兵の遺体の発掘は地元住民の信仰から許可されていない。日本の遺族会などの各団体により慰霊碑が建立された。

1982年、青年神職南洋群島慰霊巡拝団の滑川裕二(現NPO南洋交流協会理事長)が日本から運搬した材料を使って、イサオ・シゲオ尊長ら島民が見守る中、ペリリュー神社が再建された。この際、ペリリュー島で戦死した一万余名の英霊が合祀された。日本からの慰霊団や観光客からの外貨取得にも寄与している。尚、パラオ国民の多くはキリスト教徒である。


[[1982年]]清流社が組織した青年神職南洋群島慰霊巡拝団の[[滑川裕二]](現NPO南洋交流協会理事長)が日本から運搬した材料を使って、イサオ・シゲオ尊長ら島民が見守る中、ペリリュー神社が再建された。この際、ペリリュー島で戦死した一万余名の[[英霊]]が合祀された。日本からの慰霊団や観光客からの外貨取得にも寄与している。尚、パラオ国民の多くはキリスト教徒である。


[[Image:Text of Nimitz.JPG|300px|thumb|ニミッツ提督の詩文が彫られた碑文]]
[[Image:Text of Nimitz.JPG|300px|thumb|ニミッツ提督の詩文が彫られた碑文]]

2008年1月10日 (木) 10:09時点における版

ペリリュー神社
ペリリュー神社鳥居
ペリリュー神社鳥居
所在地 パラオ共和国ペリリュー州
主祭神 天照大神
ペリリュー島で戦死した英霊
創建 昭和19年(1944年)
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ペリリュー神社(ペリリューじんじゃ)は、パラオ諸島の小島ペリリュー島にある神社である。

ペリリュー島には1934年に天照大神を祭神とする南興神社(ペリリュウ神社)が建立され、現地の日本人住民は島の繁栄を祈願してきた。1944年、ペリリュー島で日米による激しい戦闘(ペリリューの戦い)が行われた。日本兵の遺体の発掘は地元住民の信仰から許可されていない。日本の遺族会などの各団体により慰霊碑が建立された。

1982年、青年神職南洋群島慰霊巡拝団の滑川裕二(現NPO南洋交流協会理事長)が日本から運搬した材料を使って、イサオ・シゲオ尊長ら島民が見守る中、ペリリュー神社が再建された。この際、ペリリュー島で戦死した一万余名の英霊が合祀された。日本からの慰霊団や観光客からの外貨取得にも寄与している。尚、パラオ国民の多くはキリスト教徒である。


ニミッツ提督の詩文が彫られた碑文

ペリリュー神社の境内には、「日本軍の戦いぶりに衝撃を受けた太平洋艦隊総司令官のチェスター・ニミッツの言葉」「Tourists from every country who visit this island should be told how courageous and patriotic were the Japanese soldiers who all died defending this island (故 名越二荒之助 氏による日本語訳文)諸国から訪れる旅人達よ この島を守るために日本軍人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い そして玉砕したかを伝えられよ」という日本軍の戦いぶりに強い衝撃を受けたニミッツ太平洋艦隊総司令官の感動的な碑文が彫られた石碑(1994年に建立)がある。 この碑文(英文)は元航空幕僚長浦茂氏が昭和59年に渡米し、ニミッツの資料を求めてアナポリス海軍兵学校を訪れた時、教官からニミッツの詩として伝えられたもの。

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