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== 来歴 ==
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* 父親の影響で、3歳より[[柔道]]を始める。[[清風中学校・高等学校|清風高校]]から[[近畿大学]]へ入学。
* 父親の影響で、3歳より[[柔道]]を始める。[[清風中学校・高等学校|清風高校]]から[[近畿大学]]へ入学。
* 卒業後、[[大韓民国|韓国]]へと渡り、[[市役所]]に勤務しながら韓国代表としてオリンピック出場を目指した。しかし、僑胞への差別は激しく、韓国代表となることを断念して2001年9月、[[日本]]へ帰国、日本[[国籍]]を取得した。[[平成管財]]へ入社し、柔道81kg級で活動した。2004年7月からフリーのプロ[[格闘家]]として活動している。
* 卒業後、[[大韓民国|韓国]]へと渡り、[[市役所]]に勤務しながら韓国代表としてオリンピック出場を目指した。しかし、[[僑胞]]への差別は激しく、韓国代表となることを断念して2001年9月、[[日本]]へ帰国、日本[[国籍]]を取得した。[[平成管財]]へ入社し、柔道81kg級で活動した。2004年7月からフリーのプロ[[格闘家]]として活動している。
* 日本に[[帰化]]し、[[釜山広域市|釜山]][[アジア競技大会|アジア大会]]に出場・優勝した際、韓国のマスコミに対し「柔道をするために[[日本国籍]]を得た」とインタビューに答えたため、却って韓国の[[マスコミ]]の批判・バッシングを受ける結果となった。
* 日本に[[帰化]]し、[[釜山広域市|釜山]][[アジア競技大会|アジア大会]]に出場・優勝した際、韓国のマスコミに対し「柔道をするために[[日本国籍]]を得た」とインタビューに答えたため、却って韓国の[[マスコミ]]の批判・バッシングを受ける結果となった。
* [[2006年]]8月5日より開催される[[HERO'S]][[ライトヘビー級]][[トーナメント]]により、本格的な総合格闘技選手との対戦により彼の実力の全貌が明るみになることが期待されたが、一回戦は再び、総合ルールデビュー戦の元K-1戦士[[金泰泳]]との対戦であった。この試合は[[腕挫十字固|腕ひしぎ十字固め]]により勝利を収めた(その後協議され、判定勝ちに変更)。
* [[2006年]]8月5日より開催される[[HERO'S]][[ライトヘビー級]][[トーナメント]]により、本格的な総合格闘技選手との対戦により彼の実力の全貌が明るみになることが期待されたが、一回戦は再び、総合ルールデビュー戦の元K-1戦士[[金泰泳]]との対戦であった。この試合は[[腕挫十字固|腕ひしぎ十字固め]]により勝利を収めた(その後協議され、判定勝ちに変更)。

2007年5月30日 (水) 10:53時点における版

秋山成勲
基本情報
本名 秋山成勲(秋成勲)
通称 反骨の柔道王
国籍 日本の旗 日本大韓民国の旗 韓国
生年月日 1975年7月29日
出身地 日本の旗 日本
大阪府大阪市生野区
身長 177cm
体重 84.5kg
階級 ライトヘビー(HERO'S)
バックボーン 柔道
テーマ曲 Time To Say Good Bye
総合格闘技戦績
総試合数 11
勝ち 9
KO勝ち {{{KO}}}
一本勝ち {{{wins_submission}}}
判定勝ち {{{wins_decision}}}
敗け 1
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一本負け {{{losses_submission}}}
判定負け {{{losses_decision}}}
引き分け 0
無効試合 1
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秋山 成勲(あきやま よしひろ、旧名:秋成勲、チュ・ソンフン、추성훈1975年7月29日 - )は元柔道家総合格闘家大阪市生野区在日韓国人として生まれ、後に日本国籍を取得した。身長177cm、体重84.5kg。柔道三段。ニックネームは、「反骨の柔道王」。

試合での入場曲は、サラ・ブライトマンの『Time To Say Good Bye』。

来歴

  • 父親の影響で、3歳より柔道を始める。清風高校から近畿大学へ入学。
  • 卒業後、韓国へと渡り、市役所に勤務しながら韓国代表としてオリンピック出場を目指した。しかし、僑胞への差別は激しく、韓国代表となることを断念して2001年9月、日本へ帰国、日本国籍を取得した。平成管財へ入社し、柔道81kg級で活動した。2004年7月からフリーのプロ格闘家として活動している。
  • 日本に帰化し、釜山アジア大会に出場・優勝した際、韓国のマスコミに対し「柔道をするために日本国籍を得た」とインタビューに答えたため、却って韓国のマスコミの批判・バッシングを受ける結果となった。
  • 2006年8月5日より開催されるHERO'Sライトヘビー級トーナメントにより、本格的な総合格闘技選手との対戦により彼の実力の全貌が明るみになることが期待されたが、一回戦は再び、総合ルールデビュー戦の元K-1戦士金泰泳との対戦であった。この試合は腕ひしぎ十字固めにより勝利を収めた(その後協議され、判定勝ちに変更)。
  • 2006年10月9日に開催されたHERO'Sライトヘビー級決勝トーナメント準決勝でケスタティス・スミルノヴァスをKOで下し、決勝ではメルヴィン・マヌーフを一本で下して、HERO'Sライトヘビー級王座に就いた。
  • みのもんたと懇意にしていて、2006年5月の試合では勝利した後、リング上で抱擁した。
  • 週刊ヤングジャンプに連載されている漫画『TOUGH』に、秋山をモチーフとしたキャラが登場している。
  • 2006年12月31日、K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!において、反則行為により、FEG主催大会への無期限出場停止の処分を受けている。
  • 2007年3月に、ファッションモデルのSHIHOと交際しているところが週刊誌にスクープされた[1]

不正および疑惑

柔道

  • 2003年2月4日放送のフジテレビジャンクSPORTS』に柔道家として出演した秋山は、番組中に「胴着を滑りやすくして有利に試合をすすめる」、「母親が柔軟剤ハミングを使って洗っている」といったコメントを残している。
  • 同年、世界柔道選手権大会の日本代表決定戦となる全日本選抜柔道体重別選手権大会に優勝。しかし、この決勝戦において対戦相手の中村兼三に「柔道着が滑る」と抗議された。また、髪を脱色したまま出場し、この点においても物議を醸している。
  • 同年10月の世界柔道選手権で2回戦から4回戦の対戦相手であるフランスモンゴルトルコの3カ国から「柔道着が滑る」という抗議を受けた。なお、1回戦は不戦勝であり、すべての対戦相手から抗議を受けるのは史上初の珍事。国際柔道連盟のチェックでは大きな問題なしとされたが、「疑われるようなことが問題」という山下泰裕理事の指示で柔道着が交換させられた。[2]本人は「洗ったばかりで石鹸が少し残っていた」と弁明。柔道着を交換した後は準決勝、敗者復活戦で2連敗して5位。世界選手権で優勝すればアテネオリンピックに向けて代表の有力候補となっていたが落選した。

総合格闘技

  • 2006年12月31日、K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!桜庭和志と対戦。桜庭の試合中断要求(秋山の足が「滑る」と猛アピール)をレフェリーを務めた梅木良則は、受け入れずに試合を続行させた。秋山はそのままパンチのラッシュからオープンガードの上を取り、桜庭にパンチ、鉄槌を打ち込み続けた。その最中、殴られながらも桜庭は「滑るよ!」と抗議したが試合は続行された。その後、レフェリーストップ(平直行審判長と前田SVの判断)のゴングが鳴り、秋山が勝利。試合後、桜庭の抗議を受け、秋山の体をレフェリーがチェックしたとのことだが、秋山の背中を2度、左肩を1度、胸を1度なでた程度だった。しかも、そのチェックの前に秋山は、Tシャツを着ているセコンドのトレーナーと2度(2度目に抱き合う直前にカメラのアングルが桜庭に変わっている)抱き合い、その次に清原と、がっしりと体をなすりつけるように抱き合っている。結局、桜庭の片足タックルをすり抜けた足、秋山の試合着、及びグローブについては一切チェックしなかった。桜庭は試合後も激しく抗議し、やっと実現した夢のカードは、疑惑・疑念を残す後味の悪い試合となった。また試合後は、お互いを讃え合うこともせず、秋山は桜庭と目も合わせていない。[3]この試合についてイベントプロデューサー谷川貞治は「最後に試合を止めたのは、レフェリーと前田SVの判断。秋山の体から油らしきものは出なかった。金的(急所への攻撃)やサミングがあったなら試合は止めるべきだが、あれは桜庭の主張なので止めるべきではない。しかし、あんなに桜庭が怒りを露わにするのを見たのは初めてだ」とコメントした。[4]この件に関して秋山は、2007年1月1日の記者会見で「多汗症なんですよ」と今までとは違う理由で弁解している。また、試合出場時にはボディーチェックがなされるが、この時はスタッフがイベントの流れをスムーズにするよう指示されていたことや、チェック時に本人が何故か走っていたことからほとんどチェックできなかったことが後になって判明した。
  • 2007年1月11日、都内ホテルにおいて、前述のK-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!における秋山VS桜庭戦に関する記者会見が行われ、秋山が試合前、全身にスキンクリーム(米国製)を塗っていた事実を明らかにした。しかも、成分にワセリンやグリセリンも含まれているものだった。クリームは、秋山が乾燥肌で、それを防ぐために普段から使用しているものとした。秋山は、ワセリンやタイオイルの類いではないので、塗っても大丈夫という認識だったようである。またFEG側は、テレビカメラの前で堂々と塗っている事から、秋山サイドに悪意は無く、過失と判断した。[5]しかし、HERO'Sルールは、試合前に体に何かを塗る事自体を禁止している為、試合はノーコンテスト(無効試合)、秋山のファイトマネーは全額没収となった(ルール上「選手双方がルール違反を犯した場合」ノーコンテストとなる筈であり、桜庭にルール違反がないまま「ノーコンテスト」となったことは不可解ではあるが)。その後1月17日、FEGが主催する大会への無期限出場停止(事実上の永久追放)の追加処分が下された。また、この件に伴い、レフェリーを務めた梅木良則や他の審判員も処分を受けている。尚、ネット上で指摘されていたグローブの不正疑惑については「ロゴがはがれやすいもの」だったため、ウォーミングアップ中に剥がれ落ちたと判断され、試合後回収されたグローブも試合前に渡したものであり、バンテージにも問題が無かった事が確認されている。しかし一方で、このグローブを製作したメーカーであるイサミの関係者は「簡単にロゴが剥がれるような物は作っていない」とも言っている。
  • しかしながら、当該試合において秋山の手のひらに「銀色の異物」(メリケンサックとの説が強い)を確認できる写真が存在している。この「銀色の異物」は桜庭および他選手の手のひらになかったものであり、この点に関する嫌疑は残ったままである。
  • この一連の騒動は、ネットでも大きく話題に上り、日本では秋山に対する批判や失望の声が多く挙がった。同時に、不自然・唐突な結末だった為、「オフィシャルが承知の上で秋山サイドに加担した」と疑う者も多く現れ、K-1TBS、そしてスポンサーにまで少なからぬ影響を及ぼした。
  • 日本の一部メディア・ネット上では、「ヌル山」「ヌルヌル」(インタビュー等で高山善廣もこの表現を使っている)などと揶揄されている。一方、韓国では主催側の秋山への処分に対する不満が発生している。その具体例として、「不敬罪」、「在日同胞に対する差別」[6]、「日本人は怒りと屈辱を同時に感じたのだ。(秋山を)目障りな奴だと思われたのだろう」、これに対して日本では「民族差別などではなく、純粋に反則行為に対する処分で妥当だ」といった趣旨の書き込みが多い。[7]

柔道の主な戦歴

総合格闘技の戦歴

11戦9勝1敗1無効試合(2007年1月現在)

脚注

  1. ^ 秋山成勲&SHIHO【CM6本出演】 「通い愛☆《2ショット》デート」現場 フライデー 2007年3月16日号
  2. ^ 「Dynamite!!」不正疑惑の秋山成勲選手が失格、無効試合に。
  3. ^ ターザン山本桜庭VS秋山戦について。」(プロ格コラム、2007年01月01日)
  4. ^ 桜庭VS秋山疑惑?試合 レフリーのブログ大炎上 (J-CAST)
  5. ^ 秋山は反則行為で失格、秋山vs桜庭はノーコンテストに
  6. ^ <K-1>ネチズン「在日だから秋山を差別?」
  7. ^ 秋山処分「在日だから」?? 韓国でトンデモ報道横行

外部リンク

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