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「雄琴温泉」の版間の差分

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アルカリ性単純温泉(低張性アルカリ性温泉)
アルカリ性単純温泉(低張性アルカリ性温泉)
== 温泉街 ==
== 温泉街 ==
普通の旅館・ホテルが10軒ほど、その南側の湖畔沿いに、関西最大級の特殊浴場群約40軒[[ソープランド]]がある。ソープランドに源泉がひかれているかは不明だが、前記の10軒の旅館等は大津市より源泉を引いている。近年は生き残り策として歓楽温泉のイメージ払拭を目指しており、各旅館とも女性客やファミリーなどをターゲットとした改装が相次ぎ、その成果が見え始めている。特殊浴場と普通の旅館が共存している感はなく、地理的にも隔絶され、特殊浴場街は港より南側のごく一部の地域、一般旅館は国道の山側と港より北側に位置しており、混同されることは無いのだが、他県から見れば1km四方の温泉街が同一視されるのは仕方の無いことではある。
普通の旅館・ホテルが10軒ほど、その南側の湖畔沿いに、関西最大級の特殊浴場群約40軒[[ソープランド]]がある。ソープランドに源泉がひかれているかは不明だが、前記の10軒の旅館等は大津市より源泉を引いている。近年は生き残り策として歓楽温泉のイメージ払拭を目指しており、各旅館とも女性客やファミリーなどをターゲットとした改装が相次ぎ、その成果が見え始めている。尤も、特殊浴場と普通の旅館が共存している感はなく、地理的にも隔絶され、特殊浴場街は港より南側のごく一部の地域、一般旅館は国道の山側と港より北側に位置しており、混同されることは無いのだが、他県から見れば1km四方の温泉街が同一視されるのは仕方の無いことではある。また、今後は最寄り駅の雄琴駅を雄琴温泉駅に変更する計画があり、観光温泉としてのブランドを売っていく姿勢が見られる。


== 歴史 ==
== 歴史 ==

2005年1月9日 (日) 12:35時点における版

雄琴温泉おごとおんせん)は、滋賀県大津市(旧国近江国)にある温泉。歓楽温泉のイメージが強いが、湖国随一の規模と歴史がある。

アクセス

JR湖西線雄琴駅下車、名神高速道路京都東インターチェンジから西大津バイパス経由仰木雄琴ランプより国道161号を500mほど南下。

泉質

アルカリ性単純温泉(低張性アルカリ性温泉)

温泉街

普通の旅館・ホテルが10軒ほど、その南側の湖畔沿いに、関西最大級の特殊浴場群約40軒ソープランドがある。ソープランドに源泉がひかれているかは不明だが、前記の10軒の旅館等は大津市より源泉を引いている。近年は生き残り策として歓楽温泉のイメージ払拭を目指しており、各旅館とも女性客やファミリーなどをターゲットとした改装が相次ぎ、その成果が見え始めている。尤も、特殊浴場と普通の旅館が共存している感はなく、地理的にも隔絶され、特殊浴場街は港より南側のごく一部の地域、一般旅館は国道の山側と港より北側に位置しており、混同されることは無いのだが、他県から見れば1km四方の温泉街が同一視されるのは仕方の無いことではある。また、今後は最寄り駅の雄琴駅を雄琴温泉駅に変更する計画があり、観光温泉としてのブランドを売っていく姿勢が見られる。

歴史

今から約1200年前、伝教大師最澄が開いた湯といわれているが、次のようなエピソードもある。昔はこの近くに八つの頭を持つ大蛇が棲んでいたといわれ、その大蛇の棲む谷には念仏池という池があった。この池は病気に効くというので、村人は念仏を唱えながら賽銭を投げ入れていたという。この池が雄琴温泉の由来だという。

雄琴という地名は、平安時代の貴族、今雄宿禰の荘園があり、その「雄」とその邸からはよく琴の音が聞こえてきたことから、「琴」をとって雄琴と呼ばれるようになった。

戦後は交通アクセスの良さで関西の奥座敷として発展した。特に1970年代前半から団体旅行客が増加、それに伴い、大規模な風俗街も作られた。しかし、この風俗街は雄琴のイメージを著しく下げ、一時は旅行ガイドから雄琴の名は退けられていたほどである。2005年現在も神戸の福原と並び、関西の一大ソープランド街を形成していることは間違いなく、京都・大阪に同様な街がないことから、その方面の集客力は変わっていないと思われる。バブル崩壊の1990年代から観光客が減少、生き残りを図るため1990年代後半から各旅館が改装に乗りだした。同時に旅館名の変更も相次いでおり、「雄琴国際ホテルきくのや」は「暖灯館きくのや」に、「國華荘」は「びわ湖花街道」に、「ロイヤルホテル雄山荘」は「里見昔話雄山荘」に変更している。

関連項目

外部リンク

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