Wikipedia:秀逸な記事の選考/池上競馬場 20150531
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賛成/条件付賛成/保留/反対 4/0/0/0 この選考は選考基準の賛成のみ3票以上を満たしています。 2015年9月9日 (水) 16:31 (UTC)(2015年9月10日 (木) 1:31 (JST))までに異論がなければ、この項目は秀逸な記事となります。
(ノート) 明治時代に3年間だけ開設された競馬場です。たった3年だけの競馬場ですが、日本競馬史の中で重要な転換点であり、現代の中央競馬につながる馬券黙許時代を切り開いたエポックメイキングな競馬場です。GAにしていただいた後にも加筆を試みましたが、最近加筆できそうな事柄は些末なトリビアばかりです。これ以上の加筆を試みても些末なトリビアばかりになるということはほぼ書きあがったのではないか?と考え推薦してみました。検討いただいて些末なトリビアではない加筆すべき事柄を指摘いただけたらそれはそれで結構なこと。よろしくお願いいたします。 目黒の隠居(会話) 2015年5月31日 (日) 11:16 (UTC)
- コメント 概ね読みやすい良い記事だと思いましたが、特に気になった点をいくつか。
- 今の記事構成だと「池上競馬場の歴史」ですよね。前史から競馬場開設までを描き、途中で設備やレース記録などについて言及して、最後はまた歴史の終盤について述べて閉鎖で締める形。読み物としてはとても良いのですが、いちおう百科事典の記事としては、歴史とそれ以外(設備やデータ、逸話)を分離したほうが良いのではないかと思います。
- 本文中では設備面への言及が少ないのですが、これ以上は難しいのでしょうか。
- 右側に配置されている画像とその詳細な説明は、置き場所をその内容に合った場所に移動したほうがよろしいかと思います。
- --氷鷺(会話) 2015年5月31日 (日) 13:48 (UTC)
- ご検討感謝します。なるほど、全体として歴史の流れで説明していました。構成については考えみましょう。設備面については彼以上の加筆は便所の数だとか2号館に馬券売り場があったとか些末なことばかりになってしまいそうで、逆に加筆しようと考えてまだ書いてないものが便所の数だとかになってしまうので概ね書ききれたのではないかと考えました。設備面への言及が少ないとお感じになったようですが、具体的にはどんなことが不足しているとお考えでしょうか?思いつくのは建屋が木造かコンクリかモルタルなのかみたいなことや便所の数などですが重要なことなのかよくわかりませんでした。。「右側に配置されている画像とその詳細な説明」これはごもっともですし、本文に組み込むのは容易ですが、歴史とそれ以外(設備やデータ、逸話)を分離と逆行してしまわないでしょうか?--目黒の隠居(会話) 2015年6月1日 (月) 07:14 (UTC)
- 設備については、たとえばコースのレーン数とか?土とか?観覧席の構造とか?厩舎などの付属設備とか?を考えていました。仮にも何千人が入れる施設ならそんなに粗末でも単純でもないでしょうし、日本競馬のごく初期ということで現在とは違うことも多々あるのではないでしょうか? 便所はまぁ良いとしても、馬券売り場は「些末」なことなのでしょうか?(馬券が問題となって廃止になったのに?)画像の配置については、本文に組み込むという意味ではなくて、右側に置くのはそのままで、風紀の問題を説明する画像は黙許時代や馬券廃止の節に、2つの時代の地図はそれぞれの時代に、レース風景写真は開場の節に……という風に考えていましたが、それでは拙いでしょうか。--氷鷺(会話) 2015年6月1日 (月) 14:55 (UTC)
- わかりました。もう一度資料を見てみましょう。少し時間をください。ちなみにコースにレーンはありません。スタート時にもスタートライン上にロープ(長網)が張ってあってロープのうしろに馬がたむろしている感じでロープが跳ね上がりスタートという感じだと思います。土は記事中にも書いてあるのですが、水田地帯に作ったので周辺の水田を掘って出た土をコースに盛ったもの。厩舎などの付属設備・・食堂、便所、門?食堂については書きましたが便所の数まで書く必要はないと思います。馬見所の平面図はあったと思うのでそれをコピーしてまいりましょう。--目黒の隠居(会話) 2015年6月2日 (火) 02:44 (UTC)
- 画像の位置などもご意見を参考にしてみました。--目黒の隠居(会話) 2015年6月2日 (火) 05:04 (UTC)
- 施設について加筆し、施設を節にしてみました。--目黒の隠居(会話) 2015年6月6日 (土) 09:53 (UTC)
- 画像の位置などもご意見を参考にしてみました。--目黒の隠居(会話) 2015年6月2日 (火) 05:04 (UTC)
- わかりました。もう一度資料を見てみましょう。少し時間をください。ちなみにコースにレーンはありません。スタート時にもスタートライン上にロープ(長網)が張ってあってロープのうしろに馬がたむろしている感じでロープが跳ね上がりスタートという感じだと思います。土は記事中にも書いてあるのですが、水田地帯に作ったので周辺の水田を掘って出た土をコースに盛ったもの。厩舎などの付属設備・・食堂、便所、門?食堂については書きましたが便所の数まで書く必要はないと思います。馬見所の平面図はあったと思うのでそれをコピーしてまいりましょう。--目黒の隠居(会話) 2015年6月2日 (火) 02:44 (UTC)
- 設備については、たとえばコースのレーン数とか?土とか?観覧席の構造とか?厩舎などの付属設備とか?を考えていました。仮にも何千人が入れる施設ならそんなに粗末でも単純でもないでしょうし、日本競馬のごく初期ということで現在とは違うことも多々あるのではないでしょうか? 便所はまぁ良いとしても、馬券売り場は「些末」なことなのでしょうか?(馬券が問題となって廃止になったのに?)画像の配置については、本文に組み込むという意味ではなくて、右側に置くのはそのままで、風紀の問題を説明する画像は黙許時代や馬券廃止の節に、2つの時代の地図はそれぞれの時代に、レース風景写真は開場の節に……という風に考えていましたが、それでは拙いでしょうか。--氷鷺(会話) 2015年6月1日 (月) 14:55 (UTC)
- ご検討感謝します。なるほど、全体として歴史の流れで説明していました。構成については考えみましょう。設備面については彼以上の加筆は便所の数だとか2号館に馬券売り場があったとか些末なことばかりになってしまいそうで、逆に加筆しようと考えてまだ書いてないものが便所の数だとかになってしまうので概ね書ききれたのではないかと考えました。設備面への言及が少ないとお感じになったようですが、具体的にはどんなことが不足しているとお考えでしょうか?思いつくのは建屋が木造かコンクリかモルタルなのかみたいなことや便所の数などですが重要なことなのかよくわかりませんでした。。「右側に配置されている画像とその詳細な説明」これはごもっともですし、本文に組み込むのは容易ですが、歴史とそれ以外(設備やデータ、逸話)を分離と逆行してしまわないでしょうか?--目黒の隠居(会話) 2015年6月1日 (月) 07:14 (UTC)
- コメント私は同じ分野の利用者として、とても関心のある記事です。が、私は予備知識がありすぎるので、きっと他の分野の執筆者さんに見てもらったほうが、客観的でいい意見が出ると思うので、当面は見守らせてください。
- ひとまず、すごくどうでもいいことだけ指摘します。考え過ぎかも、という感じもあるので、これ全部反映してください、ということでもありません。取捨選択していただいていいです。
- 冒頭文の最後の1文、「池上競馬場は」からの1文なんですが、私はこれ知ってるからなんともなく読めるんですが、なにも予備知識がないとわかりにくいんじゃないかなあと感じがします。単純に句点で切り分けると3つの文になり、それでもいいのかなあという感じもします。
- たぶん「土地と馬の用意」節が初出だと思うんですが、「内国産馬」って、何も知らない人がなんの説明もなしに理解できるものなのかなあ。「外国産馬」は字面だけでなんとなくわかるんだろうと思うんですが・・・。
- 「開場」節で“御賞典”という語が出てきます。もしかすると「御賞典」と「」をつけたほうがいいかもしれません。
- 「レース」節の1段落目のさいご、「報酬を辞退している[38]。」のあとに変な「←」があります。
- もし出典の面で可能だったらなんですが、「レース」節の表に出てくる「豪州産馬」「外国馬」とはなんぞや、ということをちょろっと説明することはできますか?どこかのタイミングで豪サラへリンクをはるというのでもいいと思います。
- 「池上競馬場の閉鎖」節で、「後の4つは」という言い回しがあるのですが、このあたりをなおした方がいいように思います。要は「松戸以外の4つ」を指しているのですが、直前での登場順は松戸が最後なので、「後の4つ」という表現がちょっと気になります。
- 「帝室御賞典競走」の2段落目で「古馬カツラ号」という表現があるのですが、その前に「12歳」とあるし、「古馬」というのはなくてもいいかなあという感じもします。というのも、今では「古馬」というと、「3歳馬(や2歳馬)」と対置される概念という感じになってしまうからです。この「古馬」は、ひょっとすると「長令」を念頭にしていませんでしょうか?(そこまで書く必要はないかなとも思いますが)レース節での「新馬」も、今の感覚では「2歳・3歳」を連想させます。また、「号」も考えどころです。この節にはほかにいくつも馬名が出てきて、そっちには「号」がついていません。最後の福園、浦河あたりでは、福園号、浦河号、(もしくは 「浦河」号 とか)としたほうが、これは馬名なんだよ、人名や地名じゃないよ、というのが明確になるような気もします。
- 資料と研究節の全体、あるいは「立川がいちばん精緻である」というところなんですが、個人的にはまあそうだろうなあとは思うんですが、「秀逸」基準では、これは「要出典」ないし「独自研究」になってしまうかもしれません。--柒月例祭(会話) 2015年5月31日 (日) 15:38 (UTC)
- いつもお世話になっています。ご指摘ありがたい。最初のご指摘、冒頭最後の「池上競馬場は」からの1文ですが、いろいろ考えたのですが私では句点を入れると、ぶつ切り文章になってしまいます。ぶつ切り文章はいかがなのでしょう?なにか良い文案はありますか?「内国産馬」と「豪州産馬」「外国産馬」については了解しました。内国産馬については日本語版に内国産馬があったのでリンクさせました。「豪州産馬」については豪サラにリンク。「外国産馬」については字面とおりなのでこれは大丈夫でしょう。JPOVかもしれないが日本の競馬場の話なので日本以外の国の産馬とすることもないかと。「開場」節で“御賞典”は仰せに従いました。「池上競馬場の閉鎖」節で、「後の4つは」はについても了解、表現を改めました。この当時の古馬は(はっきりした定義は見つからないのですが)7歳以上だとおもわれます。さすがに明治でも12歳はとんでもなく老齢なので「超長令」の意で書きましたが、柒月例祭さんに疑問を持たれた通り書かなくても良かったとおもいます。削りました。馬の名前はカタカナなので号を付けなくてもわかると思いますが、号を付けるかつけないかは私も悩んだところです。悩んだ挙句つけたりつけなかったりと中途半端になってしまいました。付けるなら付けないといけませんね。ご指摘の通りです。立川先生のことについては知っている人は知っているわけですが、たしかに百科事典的な記述ではありませんでした。これも削除しました。--目黒の隠居(会話) 2015年6月1日 (月) 07:14 (UTC)
- こんばんわ。まずは対応ありがとうございます。
- 冒頭文の件は、ほかの方の意見があってからでもいいと思います。特になにもなければこのままでも。
- 内国産馬等の件はありがとうございます。隠居さんには言うまでもないですが、外国産馬は、この記事での「外国産馬」のリンク先としては全く不適当な記事内容なので、単に同じ言葉だからという理由でリンクしてしまわないように気をつける、ぐらいのことが必要と思います。
- 説明を省いたので意図が伝わっているかどうか、なんですが、「御賞典」の件は、良質選考のときに「明治天皇への敬意表現」についての指摘があったことへの配慮です。この『御』は隠居さんが明治天皇への敬意のために「賞典」に前置しているんじゃなくて、ほとんど固有名詞だよ、ということを言っておきたかったのです。天皇賞の前身のアレのことを「帝室賞典」とはまず言わないのと一緒ということで。
- 私の理解でも、古馬=長令=7歳上(いまでいう6歳上)です。私もいまさらこれに出典をと言われると、どこを探そうか、という感じなのですが・・・。いずれにしろ、いまの概念とは異なっているので、「12歳」でいいんじゃないかなと思います。
- 馬名のことなんですが、文献によって「カツラ」「桂」だったり、「フクゾノ」「福園」、「ウラカワ」「浦河」だったりしません?というか、同じ文献の中でも混在している的な感じだったような・・・。いまパッと手元にあるのは『日本競馬史3巻』だけなんですが、これだとカタカナ(p30-31)。ただ3巻では池上競馬場はさらっとしか出てこないので、詳述している文献や当時の史料では漢字、とか、そんな感じじゃなかったでしょうかね。どっちが正しい、とかいう話でもないので、たとえば馬齢と同じように「本節ではカナ(漢字)で統一する」とか宣言しちゃってあとは注釈とか、そんな感じでどうでしょう?カタカナで統一しちゃえば「号」がなくてもいいような気もします。
- もしかすると氷鷺さんのご意見に対する1つの情報になるかもしれない、ということを。『日本競馬史3巻』では、「池上競馬場に関する正確な資料は戦災で焼失してしまったので、当時の朝日新聞の記事を手がかりに推測で書きます」とあります(考えようによっては、朝日=2次資料、日本競馬史=3次資料ということになりますかね。)。今手元にないので『東京競馬会及東京競馬倶楽部史』(3巻合わせると1500ページぐらいありますかねえ)ではどうだったかなあという感じ。もしかすると立川氏が史料を発掘しているかもしれないので(私は富山大学の論文は読んだことがないのです)確証はないのですが、情報源が限定されている、という感じかもしれません。設備がらみで、『日本競馬史3巻』に書いてあることで、いまの本文に無いことで、書いてもいいかなあというのは、「建物の設計が東京美術学校(東京芸術大学)の工学教授の古宇田実であること」「耐震・耐風設計であること」あたりかなあ。「下層は石・鉄骨も使われているが主に木造」というのもあるんですが、ちょっとアバウトすぎていまいちですね。古宇田さんというのは赤リンクにしましたが、コトバンクあたりで眺めた限りでは、複数の「人名辞典」に収録される程度には特筆性のある方のようですし、近代建築FILE(「信頼できる情報源」には該当しないと言われるかもしれないですが、参考文献は明記されているし、なかなか大したサイトだと思います)なんかを眺めた感じ、建築分野ではそれなりに、という感じのようです。脱線しますが、肩書は「教授工学士」とあり、「近代建築FILE」を信じれば「建築学科」を卒業して「教授」になっています。「教授」とか「学位」が今とは制度が違うんでしょうねえ。--柒月例祭(会話) 2015年6月1日 (月) 14:37 (UTC)
- (追記)私も「対応ありがとうございました」と言っておいてアレなんですが、隠居さん、もしかして投稿ボタン押すの忘れたとか、どこかで下書きしたのと、何か間違ってませんか?「リンクしました」「削除しました」等のお返事を頂いているんですが、記事の履歴をみても 2015-05-31T09:47:04 以降、隠居さんの編集がないし、記事を見ても変わっていないです。--柒月例祭(会話) 2015年6月1日 (月) 15:10 (UTC)
- 直っていませんね。どうしたのでしょう?プレビューだけで編集を保存し忘れたのでしょうか?きっとそうなのでしょうね。申し訳ない。HOPEさんからもアドバイスを頂いたのでそれを加えてやり直してみます。馬の名前は新聞雑誌で漢字表記の物があったような気がします。ただ、思い出せませんし、カタカナでいいとおもいます。「耐震・耐風設計であること」や設計者名が載っていることは私も存じておりましたが、氷鷺さんのお言葉もあり、そのあたりは後日追記したいと思います。--目黒の隠居(会話) 2015年6月2日 (火) 03:35 (UTC)
- 今度は治ったと思います。やはり、プレビューだけで保存していなかったようです。古宇田実のことや設計のことは次に直してみます。すこしお待ちください。--目黒の隠居(会話) 2015年6月2日 (火) 05:04 (UTC)
- 施設など追記してみました。--目黒の隠居(会話) 2015年6月6日 (土) 09:53 (UTC)
- コメント修正おつかれさまです。
- HOPEさんのコメントであった「馬の年齢の表記に関して~」の部分ですが、どっちがいいでしょうねえ。トータルとしては言ってることは一緒で、スタイルとしてはTemplate:馬齢旧のほうがコンパクトではあります。単純に、これを書いた時点ではTemplate:馬齢旧をまだ作っていなかったので使っていない、というだけですね。個人的には、テンプレートでは「馬齢表記が違うよ」というだけなのに対し、今の記述だと「7歳は6歳になるよ」と具体的に説明があるので、よそを見に行かなくてもここだけで情報が解決できる、という意味で親切じゃないかなあ、と思います。ものすごい説明しないとわからない、というほどでもないし、「秀逸」ならばある程度この記事で完結できるように今のままがいいんじゃないかなあ、と思うんですが、どうでしょう。Template:馬齢旧ではダメということでもないです。お任せします。
- これはもし、わかればなんですが、「コース(馬場)」のことです。加筆された部分も含めてなんですが、「はじめは土を敷いた、『ダート』とした、途中から芝を張った(半芝)」ということが書かれています。このへんって、実際、当時どう言っていたかわかりますか?天皇賞をやったときに鳴尾競馬場の馬場について、当時の記述をいくらみても「芝」とも「土」とも書いてなくて、単に距離しか書かれていない。私は「かつては芝・土・砂・ダートみたいな種別・区別の概念自体が無かったんじゃないか」と想像しているんです。当時から「土コース」「ダートコース」「芝コース」とかって言っていました?たとえば「速力比較表」なんかをみても、M40秋以前と以後で記述がわかれているわけでもなく、単に距離しか書いてないように思うんですよね。(記事にどう書くかも悩ましいですが)
- 私は『富山大学教養部紀要』は読んだことがないし、ほかの文献もしまいこんでいてすぐに出てこないもんだから聞いちゃうんですけども、「混乱と馬券の禁止」節の「賭博というものに免疫のなかった日本人」という表現なんですが、これは端的な出典はありましたでしょうか?感覚で言うと、合法・非合法はあるだろうけども明治以前だって賭博はあっただろうし(任侠もの・時代劇のみすぎかもしれないけれど)、馬券・賭博への熱狂やそこからの不正なんかは、日本だけじゃなくイギリスでもアメリカでもオセアニアでもある(むこうのほうがもっとひどい)と思うので、別に「明治期の日本人」だけの話でもないんじゃないかなーと思うんです。しかしまあ、そうかいてある出典があるならそれでいいです。貼ってない
- いまのところ
- という感じです。あとは、少し欲張りですが、隠居さんが瑣末として書かなかった「エピソード」なんかがちょっとあってもいいかなあとか。イダテンだかベンテンだかが観衆の前で射殺された、ってやつなんかはどうでしょう。新聞記事になった程度には「特筆性」があったはずだし。(あれは池上じゃなかったでしたっけ。)
- 「詳しくない読者にも」の部分については、もうちょっと時間をください。-柒月例祭(会話) 2015年6月7日 (日) 12:06 (UTC)
- 㭍月例祭さんもお気付きだとは思うのですが、明治時代の競馬と今の競馬の感覚はだいぶ違います。明治人がアバウトにやっていることに近代競馬の厳密な感覚を持ち込んでもどうかなっておもいます。当時もコースは土も砂もダートもターフもそんな概念はおそらくありません。彼らにとっては単に地面です。芝を張ることだってイギリス人に教わったのでしょう。芝を張れば馬に優しく砂ほこりもたたないよと。彼等には芝コース、土コース、ダートコースなどの定義などはおそらくは無いと思います。私は芝を張ってないという意味でダートとしています。現代のダートの定義ではありません。現代競馬の定義でもって明治の競馬は計れません。わざわざ競馬用に砂や土を遠くから持ってくるなんて感覚は明治人にはありません。「かつては芝・土・砂・ダートみたいな種別・区別の概念自体が無かったんじゃないか」もちろんです。したがって芝コースの記録と土コースの記録の区別などありません。立川先生の富山大学論文1991はこの時代を理解するうえで重要ですので読んでみてください。「賭博というものに免疫のなかった日本人」という言葉は立川論文にはありません。が、立川1991の60-61頁あたりの要約です。別に外国で賭博の弊害が無かったなんてことはこの記事にも書いていません。イギリス人が賭博に免疫があったとかそんなことは書いていません。日本では賭場などで隠れて行われ、非合法な日陰の存在、ごく一部の危ない人のものだった賭博が、馬券黙許で日の当たるところに出てきた。一般人がそれにはまってしまったということを言っています。それを要約したのが私の表現です。イダテンだかベンテンだかが観衆の前で射殺された、ってやつは目黒競馬場の話です。--目黒の隠居(会話) 2015年6月11日 (木) 04:49 (UTC)
- 㭍月例祭さんの指摘を受けて「賭博というものに免疫のなかった日本人」という言葉を改めました。--目黒の隠居(会話) 2015年6月11日 (木) 07:35 (UTC)
- ありがとうございます。イダテンだかベンテンだかの件は目黒でしたか。すみません。「賭博」まわりの件は、修正後のほうが明確になり、よくなったと思います。
- 私の方からはひとまずこれで以上になります。上の方の` を直しておきましたが、私としては納得の記事です。しかし・・・
- 「詳しくない読者にも云々」のところが一つの課題にはなりそうですね。QQ81さんのコメント、氷鷺さんのコメントからも、「詳しくない」読者に対して何ができるかを考えたほうが良さそうです。主題から言って、単なる競馬ではなく、明治の競馬なので、現代の競馬をよく知っている人でも、この記事の中身に関してはさっぱりわからんという面はけっこうあると思います。そこらへんをどうするかですね。隠居さんはちょっとお疲れかもしれません。取り下げする必要なんてないと思いますよ。選考期間はたっぷり3ヶ月あります。ナリタブライアンではたっぷり3ヶ月、オグリキャップでは4ヶ月かかっています。まだ始まって10日かそこらですから、これからじっくりやっていけばいいんです。私は自分が主筆として秀逸にチャレンジしたことがないのでちょっと他人ごとみたいになっちゃいますが、ウィキペディア内の最高峰といっていい格を取ろうとしているわけですから、すんなりとは行かないかもしれないですし、山あり谷ありということで。
- 氷鷺さん、QQ81さんのコメントから私が感じたのは、この記事が「いち競馬場」の記事とみられるということです。秀逸な記事には、今のところ競馬場の記事は無いです。この記事がベンチマークになります。良質な記事を見ても、隠居さんの一連の歴史記事しかないです。現役の競馬場の記事で、良質や秀逸がない、というところが一つポイントになると思います。
- 私にとっては池上競馬場というのは「JRAの原点」であり、府中競馬場の前身の前身であり、明治末期のアレです。池上の「池」みただけで安田伊左衛門の肖像写真とかが目に浮かぶレベルですが、一般の人から見れば「池上競馬場」という字面だけみても、今でも毎週日本ダービーや有馬記念をやるような場所なのか、中山競馬場と船橋競馬場と帯広競馬場の違いなんてわからん、てとこからなんでしょうね。我々からすれば、明治の終わりにたった3シーズンだけやったアレであり、その前には一連のアレがあり、そのあとは目黒で・・・ってことは自明なので、最初から「そもそも明治39年に・・・」で始まってもなんとも思わないし、ゴールも見えているんですが、池上競馬場が今でも毎週日曜日にダービーやってるのかしら、という一般の人からみれば「明治からかい!」ってなるんじゃないかなあ。
- ベストかどうかはわからないし、そういう一般の人がどう感じるかになっちゃいますが、私が思う一つの策は、概要節を設けること、節構成(見出し)を変えたり、節のレベルをもう少し階層化することです。
- 概要節を設けることで、冒頭文も大きく修正。冒頭文のなかで、「現存しないこと」「この記事では明治末期頃の競馬について歴史的な観点から概説すること」を宣言する。冒頭文の2段落目はまるごと概要節に移動。
- 隠居さんには言うまでもないことですが、池上競馬場は日本競馬史の重大事象です。日本史でいえば「鎌倉幕府(の誕生)」か「江戸幕府(の誕生)」ぐらいある。この記事ではちょっとしか出てこないですが、確かに同時代的に松戸やら何やらいくつもの競馬場の名前が出てきますけども、池上競馬場の重要性は同時代の他の競馬場とは比べ物にならない。中学校で競馬の歴史を教えるとしたら池上競馬場は教科書で太字で書かれて、創設年次の年号を暗記するレベル。だから同時代の競馬全体の歴史的な記述が多くなるんですが、「そこら辺にいっぱいある競馬場の一つ」と捉えられてしまうと、いちいち全体の歴史とかいいから、って印象になってしまうんでしょう。なんだろう、「弘前城」の記事で「そもそも鎌倉幕府とは~」みたいになっている印象なんじゃないかなあ。そうじゃなくて、この記事は「鎌倉幕府」の記事なので、「奈良時代は~朝廷は~貴族政治とは~武士政権とは~封建制度とは~中世とは~」みたいな記述が当然ある。そこらへんの全体像・位置づけを、まずは概要節で説明する。「鎌倉幕府」という記事なので、そりゃまあ幕府を物理的に構成していた建物の廊下の幅とかも書くかもしれないけれど、重要なのはそこじゃない。
- あとは節構成を、「1.歴史」「1.0 歴史節の概要」「1.1 前史」「1.1.2 前史のなんちゃら」「1.2 なんちゃら」みたいに階層化するとともに、読者に「いま歴史の話してますよー」というのをアピールする。今の「節名」は小説のサブタイトルみたいで私は嫌いじゃないし、節名をみただけでどんな話が繰り広げられるんだろうなあというのは想像できるんですが、普通の人には、目次で節名だけを眺めたときに、どこでどういう趣旨の話が展開されるのか予想がつかないんだと思うです。「歴史」「地理」「組織」「人物」というような節名はツマラナイですが、「ここではこういう話をしますよ」と宣言することで読む側が心の準備ができる、という意味ではしかたがないのかもしれません。
- たとえば「馬券黙許時代」という節名、私にはこの節がなにを書いていそうか想像がつきますが、普通の人には節名だけではチンプンカンプンでしょう。ここから「池上競馬場の閉鎖」までの4節は、大きく言えば歴史/馬券という切り口で流れていますから、大きな1つの節にして、下位の節にいくつかにわける。
- 基本的には、本文そのものは、そんなに大きくイジる必要はなく、節名・階層だけの修正でいいだろうと思います。隠居さんにとっては、メンドウではあると思いますが、難しくはないと思います。
- 隠居さんに対してはたいへん不遜な言い方になってしまいますが、各節ごとで「結論をまず先に述べる=最初のほうで簡単な概要を述べる」「それから詳述する」というふうにしてはどうでしょう。なにも知識がない前提で、さあこれから読むぞというときに、一体これからなにを読まされるんだろう、この後の長い文章を読むことでどこに着地しようとしているんだろうというのがわかっていないと、やっぱり読む側はツライ。細かい日付や数字が重要なのか、単なるディテールなのかわからないと、どこに重きをおいて読むのかわからない。このあとの長文はこういうことを言っていますから、そのつもりで読んでくださいね、という趣旨の「概要の段落」を節毎に設ける。概要に関しては、出典との兼ね合いはありますが、隠居さんならなんとかなるでしょう。3ヶ月ありますから、1週間や2週間ぐらい放置して休憩したってなんともないですよ。気長にやりましょう。--柒月例祭(会話) 2015年6月12日 (金) 11:10 (UTC)
- 施設など追記してみました。--目黒の隠居(会話) 2015年6月6日 (土) 09:53 (UTC)
- 今度は治ったと思います。やはり、プレビューだけで保存していなかったようです。古宇田実のことや設計のことは次に直してみます。すこしお待ちください。--目黒の隠居(会話) 2015年6月2日 (火) 05:04 (UTC)
- 直っていませんね。どうしたのでしょう?プレビューだけで編集を保存し忘れたのでしょうか?きっとそうなのでしょうね。申し訳ない。HOPEさんからもアドバイスを頂いたのでそれを加えてやり直してみます。馬の名前は新聞雑誌で漢字表記の物があったような気がします。ただ、思い出せませんし、カタカナでいいとおもいます。「耐震・耐風設計であること」や設計者名が載っていることは私も存じておりましたが、氷鷺さんのお言葉もあり、そのあたりは後日追記したいと思います。--目黒の隠居(会話) 2015年6月2日 (火) 03:35 (UTC)
- こんばんわ。まずは対応ありがとうございます。
- いつもお世話になっています。ご指摘ありがたい。最初のご指摘、冒頭最後の「池上競馬場は」からの1文ですが、いろいろ考えたのですが私では句点を入れると、ぶつ切り文章になってしまいます。ぶつ切り文章はいかがなのでしょう?なにか良い文案はありますか?「内国産馬」と「豪州産馬」「外国産馬」については了解しました。内国産馬については日本語版に内国産馬があったのでリンクさせました。「豪州産馬」については豪サラにリンク。「外国産馬」については字面とおりなのでこれは大丈夫でしょう。JPOVかもしれないが日本の競馬場の話なので日本以外の国の産馬とすることもないかと。「開場」節で“御賞典”は仰せに従いました。「池上競馬場の閉鎖」節で、「後の4つは」はについても了解、表現を改めました。この当時の古馬は(はっきりした定義は見つからないのですが)7歳以上だとおもわれます。さすがに明治でも12歳はとんでもなく老齢なので「超長令」の意で書きましたが、柒月例祭さんに疑問を持たれた通り書かなくても良かったとおもいます。削りました。馬の名前はカタカナなので号を付けなくてもわかると思いますが、号を付けるかつけないかは私も悩んだところです。悩んだ挙句つけたりつけなかったりと中途半端になってしまいました。付けるなら付けないといけませんね。ご指摘の通りです。立川先生のことについては知っている人は知っているわけですが、たしかに百科事典的な記述ではありませんでした。これも削除しました。--目黒の隠居(会話) 2015年6月1日 (月) 07:14 (UTC)
- コメント私も競馬分野の執筆者ですので、他分野の方の意見を重視する観点から当面は静観しますが、一部気になった点のみ記載しておきます。なお、表が間のびして見難かったので、表見出しの不要なスペースを詰めたうえで右揃いの箇所を除き中央揃いとしました。あわせて表見出しもBRタグで折り返しをつけ、コンパクトにしました。その際、一部の記述をrefnest化しています。目黒の隠居さんのほうで確認のうえ、不都合な点があれば修正いただけますでしょうか。
- 冒頭文はまだ改善の余地があるように思います。文章がちょっとまわりくどい印象があるのと、池上競馬場の記事であることは初っ端でわかるにも関わらず、文中にも頻繁に登場しているためくどいように見えます。
- 「明治39年までの日本の競馬の概要」節、上野不忍池競馬は「とてつもない」規模というくだりですが、「とてつもない」はやや大言壮語に感じます。別の言葉で置き換えるか、何と比較して「とてつもない」のかを明確にするか、何かしらの改善が必要と思います。
- いまのところは、こんなところです。--HOPE(会話) 2015年6月1日 (月) 11:36 (UTC)
- 冒頭の最後の文章は評判悪いので削りました。池上競馬場が所属した時代の説明ですが、なくても池上競馬場そのものの説明ではありません。「とてつもない」も不要でした。ご指摘の通りだと考え削りました。--目黒の隠居(会話) 2015年6月2日 (火) 05:04 (UTC)
- 少し直してみました。ご点検くださるとありがたい。--目黒の隠居(会話) 2015年6月6日 (土) 09:53 (UTC)
- 施設面の加筆が図られ、文章もかなりの面で改善してきたと思います。ここからは「重箱の隅」みたいになりますが、過去に秀逸案件を手がけた際の経験則も含め、提言します。
- いくつかの年に内部リンクがされていますが、リンク先に記事主題についての言及がないのであれば、外したほうがいいと思います。私が天皇賞を秀逸な記事に推薦した際も同じ指摘を受けたため、天皇賞ではすべての年から内部リンクを外しました。私のほうで冒頭文を書き換えた際も、年の内部リンクは外してあります。外すか残すかの最終判断は、目黒の隠居さんにお任せします。
- 「池上競馬場開場」節、「パソコンも電卓も、モニターもない時代に1日に最大12レースで数万枚の馬券を扱うには人手が要ったようである」との記述ですが、「…のようである」は執筆者の独自解釈と受け取られかねないため、避けたほうがいいと思います。出典にて言及されているのであれば言い切りの形にするとか、もしも言及がないのであればこの部分にも出典の明記が必要でしょう。
- 「明治天皇と池上競馬場」の節ですが、小さな文字で「※本節では、馬の年齢の表記に関して「旧表記(2000年以前の表記方法)」により記述している。このため本節で「7歳」といった場合、2001年以降の表記では「6歳」に相当する。詳しくは馬齢#日本における馬齢表記を参照」と付記していますが、Template:馬齢旧といったテンプレートもありますので、置き換えられるようであればこちらもご利用ください。もしご存知であったなら、失礼をお詫びいたします。
- 以上です。--HOPE(会話) 2015年6月6日 (土) 10:25 (UTC)
- ご検討ありがとう
- 年号へのリンクなどですが、私も年号のリンクは疑問に思っていたところです。私が新しい記事を書くとすかさずそういうリンクをしに来る方が少なからずいます。そういうリンクが好きな方が多いようなのでそんなものかと思っていましたが、実は私もあまり過剰にリンクを付けるのは好きではありません。ただ、今の池上競馬場で年へのリンクはありましょうか?パッと見たところ年はすべて黒くなっているように思えます。--目黒の隠居(会話) 2015年6月6日 (土) 12:52 (UTC)
- 「池上競馬場開場」節、「パソコンも電卓も、モニターもない時代に1日に最大12レースで数万枚の馬券を扱うには人手が要ったようである」ごもっとも。訂正しました。
- 「明治天皇と池上競馬場」節の小さな文字の部分。これも私が書き加えたわけではなく㭍月例祭さんが書き加えられた部分です。そのあたりは㭍月例祭さんとHOPEさんで方針をすり合わせていただけると幸いです。どちらでもよいのであればテンプレートとやらはあまり使いたくありません。--目黒の隠居(会話) 2015年6月6日 (土) 12:52 (UTC)
- 年の内部リンクですが、確認した限りでは「明治39年までの日本の競馬の概要(1箇所:1884年)」「日露戦争と馬政(1箇所:1905年)」が内部リンクとして残っているようです。もしかしたら「消し忘れ」かもしれませんね。
- 他2点については了解しました。その点が解消されれば、私としては賛成票を投じてもよい段階まで来ています。よろしくお願いします。--HOPE(会話) 2015年6月6日 (土) 13:03 (UTC)
- 「明治39年までの日本の競馬の概要(1箇所:1884年)」「日露戦争と馬政(1箇所:1905年)」の年へのリンクは見当たりませんがHOPEさんがリンクを外してくださったのですね。それはありがとう。--目黒の隠居(会話) 2015年6月7日 (日) 07:12 (UTC)
- いえいえ、差し出がましいようで失礼しました。--HOPE(会話) 2015年6月7日 (日) 09:44 (UTC)
- 個人的には、年については(10年以上前ならなるべく、30年以上前なら必ず)リンクを張っておいたほうが良いと思っているのですが、リンク嫌いな方にそれを強いるつもりもありませんので、手は出さずにおきます。日付のリンクは単なるトリビアにしかなりませんから、題材にとっての記念日程度で良いでしょうが、年なら時代背景(どのあたりの時代か、どんなことがあった年か)を理解するのに役立つので原則的に全てリンクを張ってしまっても良いと思うのですが。--Hisagi/氷鷺(会話) 2015年6月7日 (日) 16:49 (UTC)
- 「明治39年までの日本の競馬の概要(1箇所:1884年)」「日露戦争と馬政(1箇所:1905年)」の年へのリンクは見当たりませんがHOPEさんがリンクを外してくださったのですね。それはありがとう。--目黒の隠居(会話) 2015年6月7日 (日) 07:12 (UTC)
- ご検討ありがとう
- 施設面の加筆が図られ、文章もかなりの面で改善してきたと思います。ここからは「重箱の隅」みたいになりますが、過去に秀逸案件を手がけた際の経験則も含め、提言します。
- 少し直してみました。ご点検くださるとありがたい。--目黒の隠居(会話) 2015年6月6日 (土) 09:53 (UTC)
- 冒頭の最後の文章は評判悪いので削りました。池上競馬場が所属した時代の説明ですが、なくても池上競馬場そのものの説明ではありません。「とてつもない」も不要でした。ご指摘の通りだと考え削りました。--目黒の隠居(会話) 2015年6月2日 (火) 05:04 (UTC)
- コメント競馬はさっぱりわからず、誤解を恐れずに言えば興味もあまりない門外漢ですが……
- 氷鷺さんのご指摘と重なる部分が多くなるとは思うのですが、第一印象として「競馬場の記事」になっていない、と感じました。競馬場という「場」の説明であるからには、基本情報としてどこにあったのか、どんな建物なのか、どんな設備があるのか、どこから馬を集めてどのようなレースを開いていたのか、運営主体は誰でどう儲けているのか?といった所の情報がまず期待される所に、いきなり『明治39年までの日本の競馬の概要』と大上段から構えられても困惑します。もちろん後段にそういう情報はちゃんと詳しく挙げられているのですが、これも歴史の一部という形になっていて、「要するになんなの?」というイメージが掴みづらく、はっきり言って読みにくいと感じました。
- 競馬史的に重要な競馬場だからこそ歴史を主体に書いている、というのは理解は出来るのですが、項目名が「池上競馬場」であるからには、競馬場そのものを主題にした記事であるべきです。どんな建物、どんな施設、どんな使われ方をするものなのかを最初に明らかにした方がいいと思います。現存しない施設なのですから尚更でしょう。歴史の記述はどんな記事でも非常に重要なものですが、だからといって基本情報に優越するものではないです。その物がなんなのかを明らかにした上で、そこに深みを与えるのが歴史だと考えます。
- これが明治時代の競馬とか馬券黙許時代という記事だったらわかるんですけどね。『明治39年までの日本の競馬の概要』から『東京競馬会設立』までや、『馬券黙許時代』『混乱と馬券の禁止』あたりの節は、一競馬場の記事にここまで詳しく書くべきなのかな、と思いました。競馬の歴史 (日本)という記事があるので、こちらを充実させた上で、当記事は池上競馬場に直接関係のある所だけに整理することは出来ないでしょうか。もし、本当に書きたいのは明治期の競馬の歴史であって、池上競馬場がたまたまその中心だから主題に据えてみたということなのであれば、主従が逆転していますので、それこそ明治時代の競馬を起こすなり競馬の歴史 (日本)に統合するなりして、特筆性の薄い池上競馬場については軽く触れるに留める、ということも考えるべきだと思います。(そうではないんだろうと思いますが、敢えて意地悪な書き方をしています)
- ということでホンネは「保留」寄りですが、内容や出典に不足がある訳でもないですし、よくわからない分野の選考を止めるのも失礼なので票としては入れません。ここまで書いたことも競馬分野では案外全くの的外れなのかもしれませんが、一つの感想として参考になればと思います。--QQ81(会話) 2015年6月11日 (木) 14:09 (UTC)
取り下げそうですか・・・読みにくいとまで言われるような記事を提供してしまい申し訳なかったです。私の力量ではQQ81さんの言う通りにしても不出来な記事しかできませんし、なによりも、そういう記事は書きたくない。土下座してお詫びしたうえで推薦は撤回いたします。--目黒の隠居(会話) 2015年6月11日 (木) 23:31 (UTC)- 㭍月例祭さんの指摘を受けて氷鷺さんやQQ81さんが言われる「どんな施設なの?」を概要節を作って盛り込んでみます。少しお待ちください。『馬券黙許時代』『混乱と馬券の禁止』あたりの節は池上競馬場の記事であって馬券黙許時代の記事ではないのでたったこれっぽっちしか書いてないのです。ともあれ、「どんな施設なの?」は概要節を作ってみます。--目黒の隠居(会話) 2015年6月13日 (土) 10:24 (UTC)
- 賛成 しばらくぶりです。隠居さんが現時点でどの程度のモチベーションを維持されているか、わかりかねるのですが、私は私でブレイクに入ってしまっており、このままというのもアレなので、賛成票を投じます。以前は「他の人がどう言うか」ということで保留のままでしたが、私は私一人の判断と責任において、概略節の整備を以って「詳しくない読者にもその主題について理解できるように、わかりやすく書かれている。」はクリアされたものと考えます。本文は「高度に専門的」な面があり、ふつうの競馬ファンでも「ん?」となる部分はあるかもしれません。しかし、「関連記事を読んで理解していることを前提にするのは問題ない。」わけで、完成の域に達していると思います。--柒月例祭(会話) 2015年8月14日 (金) 15:55 (UTC)
- ありがとうございます。たしかに一時期モチベーションが無くなってwikipediaから遠ざかっていたのですが、最近やっと気持ちも落ち着いて目黒競馬場について加筆しようと思いだしました。競馬に限らず明治の人の感覚は現代日本人の感覚からしたら?ということはたくさんあります。それこそ関東州や満州、日本統治時代の朝鮮などではそれはさらに強い。競馬だからではなく、それが時代・歴史というものではないでしょうか?関東州や満州の競馬の事を調べていると?ということはたくさんあります。しかしそれはそれで受け入れないとならない。現代人の感覚でなんでも理解できるわけではないとおもいます。
- 賛成 興味深く読ませていただきました。私も特別に競馬の知識を持たない、というよりも馬券を買ったことさえない人間なので、事実関係の正確性などについては判断つかないことをお断りしておきます。その点については、知識のある方にレビューを勝手ながらお願いしたいと思います。柒月例祭さんが見ていただいているので大丈夫だろうと勝手に思っております(笑)。記事の方ですが、池上競馬場の前史から最期まで、日本の競馬に与えた影響まで、非常によくわかる記事になっています。これまで意見を反映した結果、選考に出された時点での記事[1]よりも、全体的な構成の整理や内容の充実が図られ、さらに良くなったと感じます。記事全体が時系列に沿って説明されながらも、適当な節分けによって、例えば施設情報を知りたい人は「池上競馬場の施設」を見ればよいというように、各情報へのアクセス性も良くなっています。全体的に説明が丁寧になされ、予備知識を持たない私にもスムーズに読むことができました。
- 精読する過程で、内容に変更を加えない範囲で主に読みやすさを向上させる意図で細かな編集を行いました(差分)。もしまずい変更がありましたら再修正ください。1点不明に感じたのは、「イカガワシイ」というカタカナ表記があったことで、普通はひらがな表記ではないでしょうか。出典の表記に忠実にしているなら「」で括るなどして、特別にそういう表記にしている意味合いを持たせた方が良いかもしれません。--Yapparina(会話) 2015年8月15日 (土) 16:34 (UTC)
- ありがとうございます「いかがわしい」と「イカガワシイ」には私の中では微妙な感覚の違いはあるのです。しかし、その微妙さを説明することは困難ですし、カッコつきにするのもどうかと思いましたのでひらがなになおします。--目黒の隠居(会話) 2015年8月16日 (日) 08:42 (UTC)
- コメント 私も競馬にはあまり詳しくないのですが、読んでみて、既に上記の意見に沿った改良がある程度進んでいて、わかりやすくなっているものと思いました。私も、上記の柒月例祭さんの意見にあるように、歴史は歴史の節にまとめて、施設や馬券のシステム、競走の結果といったものを解説する節が別にある方が好みですが、この点についてはあまり大きな問題ではないと思います。私が気になったのは、全体に過去のことであっても現在形を使って書いている文が多いというところです。たとえば、「池上競馬場開場」の節の最初の段落、「女性客も2-3割を占めたという」は、伝聞形なので現在形でもあまりおかしくないと思うのですが、その次の「場内では音楽隊が演奏する」は、過去形にしないといくらなんでも変ではないでしょうか。過去のことでも現在形で書いてしまう場合もあるのですけど、この記事はあまりにも過去形が少ない感じがしました。このあたり、もう少し推敲できないでしょうか。あとは、現在残されているというモニュメントの写真が手に入ればいいですが、これは条件とはしません。どうぞよろしくお願いいたします。--Tam0031(会話) 2015年9月2日 (水) 15:45 (UTC)
- 最初に大前提としてこれは明治37年から明治42年ごろの話ですよ。というのがありまして、その明治37年から明治42年ごろの中での話の動きについては進行形、現在形でもいいのではないかと思いましたが、様々な見方があるようです。御趣旨に沿って見直してみました。--目黒の隠居(会話) 2015年9月3日 (木) 03:23 (UTC)
- モニュメントについては、私の住まいからはそれほど遠いわけではないですが、私の動線からは近くに行くこともない場所ですので、すぐにとは約束できませんが、折を見て画像を撮ってきましょう。--目黒の隠居(会話) 2015年9月3日 (木) 03:30 (UTC)
- 賛成 ありがとうございます。修正を確認しました。賛成とします。--Tam0031(会話) 2015年9月3日 (木) 13:58 (UTC)
- 気になりましたので横やりですみませんが少しコメントさせてもらいます。過去の話であっても過去形を徹底し続けると語尾が単調になり、文章も単調になってしまうので、文脈から過去の話であることが明らかならば誤解のない範囲で現在形を時折挿入するのは、文章にリズムを持たせて読みやすくする一般的な改善策の1つであるというのは説明しておきたいと思います。信頼のできる情報源かどうかわかりませんが、とりあえずウェブ上で確認できる解説として、[2], [3], [4]などあります。私は目黒の隠居さんがいくつかを過去形に統一する前の版でも読みやすいと思いましたし、私自身もこの編集[5]で1か所だけですけどそういう変更もしました。もちろん、事実を淡々と書き積み重ねていくのがwikipediaの(あるいは百科事典の)基本的書き方なので、上記手法の乱用には気を付ける必要がありますが。戻してくれという要望ではありませんが1つの意見としてここに書き残させてもらおうと思います。--Yapparina(会話) 2015年9月3日 (木) 14:47 (UTC)
- ええ、仰る通り、適宜現在形にする場合もあることは、先のコメントでも触れたとおりです。ただ今回の記事の場合はあまりに現在形になり過ぎではないかと思ったもので、そのように指摘させていただきました。--Tam0031(会話) 2015年9月3日 (木) 15:15 (UTC)
- 気になりましたので横やりですみませんが少しコメントさせてもらいます。過去の話であっても過去形を徹底し続けると語尾が単調になり、文章も単調になってしまうので、文脈から過去の話であることが明らかならば誤解のない範囲で現在形を時折挿入するのは、文章にリズムを持たせて読みやすくする一般的な改善策の1つであるというのは説明しておきたいと思います。信頼のできる情報源かどうかわかりませんが、とりあえずウェブ上で確認できる解説として、[2], [3], [4]などあります。私は目黒の隠居さんがいくつかを過去形に統一する前の版でも読みやすいと思いましたし、私自身もこの編集[5]で1か所だけですけどそういう変更もしました。もちろん、事実を淡々と書き積み重ねていくのがwikipediaの(あるいは百科事典の)基本的書き方なので、上記手法の乱用には気を付ける必要がありますが。戻してくれという要望ではありませんが1つの意見としてここに書き残させてもらおうと思います。--Yapparina(会話) 2015年9月3日 (木) 14:47 (UTC)
- 賛成 ありがとうございます。修正を確認しました。賛成とします。--Tam0031(会話) 2015年9月3日 (木) 13:58 (UTC)
- 賛成 記事の構成や内容は格段に充実したと感じます。他の方のコメントにあるような文体を整えるなどの改善点は残されていますが、私としては賛成票を投じます。--HOPE(会話) 2015年9月2日 (水) 16:31 (UTC)
- ありがとうございます。--目黒の隠居(会話) 2015年9月3日 (木) 03:23 (UTC)
(秀逸)選考基準の賛成票のみ3票以上を満たし1週間、特に異論がありませんでしたので、この項目は秀逸な記事となりました。--ぱたごん(会話) 2015年9月10日 (木) 11:10 (UTC)