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Wikipedia:秀逸な記事の選考/反ユダヤ主義 20190203

賛成/条件付賛成/保留/反対 0/0/0/1 この項目の選考期間は、2019年5月3日 (金) 21:41 (UTC)(2019年5月4日 (土) 06:41 (JST))までです。

秀逸な記事の条件を全て満たしているため。--ボンバスパンチ会話2019年2月3日 (日) 21:41 (UTC)[返信]

  • 全体の形式について:記事全体として年表に短い解説文がついたような形式であるのが気になります。網羅している話題は多岐にわたりますが、それぞれの記述の間の関連性がわからず何を説明したいのかがぼやけているように感じます。例えば§フランク王国では以下のような文章になっています
  1. 「636年、東ローマ皇帝ヘラクレイオスがイスラム勢力のアラブ人に敗北すると、占星術で「キリスト教王国は、割礼をほどこされた民(イスラム教徒アラブ人、ユダヤ教徒)に滅ぼされる」との予言が出された。ヘラクレイオスから予言を伝えられたメロヴィング朝フランク王ダゴベルト1世は王国内のユダヤ教徒に即時改宗か国外退去を命じた。」
  2. 「カロリング朝でもユダヤ人大商人が活躍し、カロリング時代には「ユダヤ人」と「商人」は同義語だった。王室の庇護を受けたユダヤ人はキリスト教共同体に対して改宗活動を展開したが、これにキリスト教聖職者は反発した。」
  3. 「8世紀初め、ウマイヤ朝が西ゴート王国を滅ぼし、フランク王国を征服しようとした時、ユダヤ教徒がイスラムに手を貸したとキリスト教側の記録に記されている」
一見して明らかなように文と文の繋がりが希薄で関連する事項を羅列した感があり、最終的にこの節を読んでもフランク王国時代の反ユダヤ主義の詳細についてその特質や歴史的経緯などを読み取る事ができません。
  • そもそも反ユダヤ主義とは何か:反ユダヤ主義という記事名にもかかわらず、反ユダヤ主義とは何か、という説明が冒頭文の短い概要のみでほとんど無いのは大きな問題です。「19世紀以降に人種説に基づく立場を反セム主義(はんセムしゅぎ)または~」と冒頭の説明にあり、さらに「以下では、反ユダヤ主義の歴史だけでなく、反ユダヤ主義が生まれた背景として、ユダヤ人をとりまく時代ごとの状況、各国各社会のなかでのユダヤ人の取扱いや、またユダヤ側の反応などの歴史を述べる。 」と冒頭文は締めくくられていますが、実際に記事の目次を見ると、一番最初から「古代の反ユダヤ主義」という節タイトルで始まっており、反ユダヤ主義という用語は定義不明瞭のまま古代から確固として使用されている状態になっています。反セム主義という用語も、冒頭で特記されている割には、反ユダヤ主義という用語との具体的な差異についての記述が本文に無く、反ユダヤ主義の定義の曖昧さに拍車をかけています。そもそも紀元前から現代に渡る時間的範囲と、ロシアを含む全ヨーロッパとアメリカ、イスラーム世界を含む地理的範囲を「反ユダヤ主義」というテーマの下で叙述するのであれば、その学術的定義についての記述は相当しっかりしたものが必要なはずです。現状の記事内容からは、新バビロニアによるエルサレム神殿の破壊、中世ヨーロッパのユダヤ人の迫害、イスラーム圏における弾圧、19世紀以降の理論化された反セム主義、ナチスのユダヤ人虐殺といった事項を同一の「反ユダヤ主義」というテーマでくくる蓋然性がよくわからないように見えます。
  • 個別の事項の正確性:分量が多く個別に検証するのは時間がかかりすぎるので、ぱっと見て自分にわかる古代・中世の範囲で確認した限りですが、個々の事項の正確性に(特に論争のあるテーマや反ユダヤ主義との関連性について)疑問がある箇所がいくつもあります。こうした大テーマの場合、専門家の書いた書籍でも細部は甘くなりがちなのでやむをえないところはあるとは思いますが、例えば具体的には以下のようなものがあります。
  • 「紀元前167年にユダヤ人の反乱マカバイ戦争が起きると、アンティオコス4世は弾圧政策を開始したが、そこにはユダヤ種は他の民と友好関係を結ぼうとせずにすべてを敵とみなしているため完全に絶やす意図があったと記録されている」:アンティオコス4世がマカバイ戦争時にユダヤ教の信仰に介入したのは事実ですが、これはユダヤ人同士の内乱への介入という形態をとっており少なくとも現代の研究の水準から考えてポセイドニオスの証言を元に上記の文章を作るのは飛躍が過ぎると考えます。
  • 「330年、コンスタンティヌス1世がローマからコンスタンティノープルへ遷都し、やがて西ローマ帝国と東ローマ帝国に分かれていった。 」:この文以降から始まるローマ帝国の東西分割についての説明が大雑把かつ不正確に過ぎるように思います。分裂の年次を457年(テオドシウス朝の末年から?)とするのも一般的とは言えません。またこれらの事件との反ユダヤ主義とのかかわりが不明であり、現状では関連する記述全体にあまり意味が無いように見えます。
  • 「759年にサラセン人に占領されていた南フランスのナルボンヌを奪回したピピン3世は武器援助をしたユダヤ人にナルボンヌの3分の1の領地への居住を許し、ユダヤ共同体の代表が「ユダヤの王」を名乗るのを許可した。」:ナルボンヌは759年以前にフランク王国の統治下に入ったことがなく、「奪回した」という文章は不正確です。「キリスト教の教会(ecclesia)がイスラームから失地を回復した」という文脈でならば奪回ともいえるかもしれませんが、そうしたことは現状読み取れません。
とりあえず上記3点のみで締めますが、細部といえば細部の話ではあるもののやはり改善は必要であると考えます。
  • 記事全内として:100万バイト近い記事をきちんと出典と紐づけつつ記述された労力は素晴らしいものであると思いますが、現状のサイズは必要だからそうなったというよりも関連する事項を片っ端から収集した結果のように見え、読者の理解を促すためには適切な情報の選別と各節で説明する事項の整理が必要であると思います。また、反ユダヤ主義とは何かという定義の説明や、その研究史・変遷史などについては逆に不十分であり加筆が必要であるとも思います。これほど多くの情報が詰め込まれているにもかかわらず、この記事が何を説明したいのかがわからないため、それぞれの事項が頭に入ってきづらいように感じます。記事が説明すべきテーマを明確にした上で、些細な情報はそぎ落とし、大枠の中に入らない事項は記事分割をするなどして構成を見直す必要があると考えます。--TEN会話2019年3月4日 (月) 16:42 (UTC)[返信]
コメント 現在の状態になるまで主に加筆した者です。「詳しいコメントや議論は当該記事のノートで行って下さい。」とWP:FACにあるので、ここでコメントすべきではないのかもしれませんが、TENさんの貴重なコメントをありがたく拝聴しますとともに、返答します。
  • 反ユダヤ主義の定義についてですが、冒頭で紹介した世界大百科事典による「ユダヤ人に対する敵意、憎悪、迫害、偏見」以上の定義は必要でしょうか。たとえば物体のような学術用語のごとき定義は可能でしょうか。反ユダヤ主義とは学術用語というよりも、ユダヤ人を攻撃・非難・批判した人や社会の思想や感情の歴史の総体ではないでしょうか。そこに共通した論理はありますが、私は世界大百科事典での必要最小限の定義で十分だと思います。百科事典マイペディアでは「反セム主義ともいう。宗教的・経済的・人種的理由からユダヤ人を差別・排斥しようとする考え方。」と定義されていますが、これを加筆してもよいのですが、TENさんの指摘はそういうことではないように見受けられます。なお、「反セム主義という用語も、冒頭で特記されている割には、反ユダヤ主義という用語との具体的な差異についての記述が本文に無く」というTENさんの指摘については、エルネスト・ルナンやヴィルヘルム・マル、及び「「セム人」とアーリア主義」節でかなり詳細を紹介していますので違います。「具体的な差異」といっても百科事典マイペディアでは同義とされています。「反ユダヤ主義」の内実とは、「反ユダヤ主義の歴史」そのものではないでしょうか。反ユダヤ主義の定義について、ノーマン・コーン、ポリアコフ、アレント、アモス・エロンなどの定義(言及)を羅列してもいいのかもしれませんが、私はその必要性を感じていません。(加筆には反対しません)
  • 全体の構成については、英語版en:History of antisemitismの構成が「古典古代期」「キリスト教とイスラムの勃興」「後期ローマ帝国」「中世」「近世」「17世紀」「18世紀」「19世紀」「20世紀」「21世紀」「英語圏における反セム主義」となっており、日本語版の構成と大差ありません。私はポリアコフ「反ユダヤ主義の歴史」全5巻を基本文献としました。ポリアコフはhttp://jairo.nii.ac.jp/0065/00001380にあるように歴史学者ではありますが、思想史のアプローチで反ユダヤ主義を研究しました。したがって、たとえば古代史について彼は専門家ではありません。ご指摘のように、本記事ではマカバイ戦争の評価をポセイドニオスの記録のみですが、それ以外の歴史学的評価についてはマカバイ戦争での記載が適切でしょう。この箇所の執筆意図は、ヨーロッパにおける反ユダヤ主義の歴史が福音書以降のキリスト教神学によって本格化したことを踏まえ、その前段階または背景として「古代の反ユダヤ主義」節冒頭は位置づけました。この問題に限らず「ユダヤ人の歴史」に書くべきかも悩みましたが、「ユダヤ人の歴史」と「反ユダヤ主義の歴史」を切り離すことは難しいです。TENさんの指摘の諸点につきましては、まずはレオン・ポリアコフの本を繙くことをおすすめします。そのうえで、私の紹介不足や間違いなどがあればぜひ修正なさってください。
  • 「フランク王国時代の反ユダヤ主義の詳細についてその特質や歴史的経緯などを読み取る事ができません。」との件については、私の知る限りでは、まだ研究が蓄積されていないようです。フランク王国の反ユダヤ主義について当時の状況を傍証的に記載して記述を厚くすることは可能でしょうが、ここでは簡単な紹介にとどめることで十分と考えました。
  • ローマ帝国の東西分割との関連性についてですが、古代末期のキリスト教で私が執筆した内容をここで再説するのは煩雑にすぎるので省略しました。「関連性」でいえば、「そのような時代であった」程度でいいように思います。「ローマ帝国の東西分割が、反ユダヤ主義と関連した」ことの紹介ではなく、東西帝国双方で反ユダヤ主義が存在していったということに触れるために書きました。
  • そもそも、反ユダヤ主義の通史が本記事の内容ですが、それぞれの時代の事象について綿密に書くとさらに膨大になります。以前より分割提案がなされましたが、私は「通史」なので分割すると古代から現代までの連関が見えなくなってしまうので反対しています。その結果、「長くて分かりにくい」という指摘もわかりますが、興味のある方ならばわかっていただけるだろうと思います。(秀逸な記事の選考基準「高度に専門的な主題を扱ったものであれば、関連記事を読んで理解していることを前提にするのは問題ない。」を踏まえます。)
  • 英語版「反セム主義の歴史」en:History of antisemitismを見ると、キリスト教以前の「アンチ・ユダイズム」(en:Anti-Judaism)、「キリスト教における反セム主義」(en:Antisemitism in Christianity)、「人種的反セム主義」(en:Racial antisemitism)、現代の「新反セム主義」(en:New antisemitism)などの関連記事が作成されています。日本語版でもこれを踏襲してもいいと思いますが、日本では「反ユダヤ主義」に比べて「反セム主義」は一般的にはほとんど知られていない問題があります。情報量が過大になっている原因の一つは、関連記事が少ないのもあります。関連記事は少しずつ作成していますが、気が遠くなっています。
  • 私自身、記事全体のバランスがいいとは思っていませんので、現在も引き続き、関連記事を作成したり書誌情報や詳細にすぎる情報を移動して減らそうと努力しています。現在ある日本における反ユダヤ主義ロシアにおける反ユダヤ主義以外にもドイツにおける反ユダヤ主義フランスにおける反ユダヤ主義など各国ごとの記事作成も考えていますが、特にドイツとフランスは相互に緊密に関係しているので、簡単ではありません。--27.83.145.210 2019年3月7日 (木) 14:47 (UTC)[返信]
返信 返信ありがとうございます。基本的には記事の選考以上の何かを本記事についてするつもりは今はないですが、一応問題点と感じた点について返信を受けてもう少し書かせていただきます。なお英語版の件ですが、en:History of antisemitismはそのまま「反ユダヤ主義の歴史」であり、反ユダヤ主義の記事と対応するのはen:Antisemitismではないでしょうか。そして当該記事はまず「Etymology、Usage、Definition、Evolution of usage」から解説を始めています。
  • 一般的に言って日本語圏ではユダヤ人にも反ユダヤ主義にも縁が遠く、読者が豊富な事前知識を有していることは期待できません。そして多少とも歴史分野に触れれば明らかなように、特定の民族や集団、階級に対する「敵意、憎悪、迫害、偏見」というのは全く珍しいものではありません。ですので、Capsellanautさんの指摘と同じですが「反ユダヤ主義」という概念が独立した用語として成立する理由・定義の解説がもう少し詳細に必要です。極めて単純化して言えば、以下の点についてまず読者に確認しておく必要があるだろうと思います。
  1. キリスト教圏におけるユダヤ人への迫害が、国・地域を問わず普遍的に見られた事。
  2. この迫害がイエス・キリストの殺害などと関連して宗教的正統性を与えられていたこと。
  3. 上記のことが、中世から近代、場合によっては現代までユダヤ人の生業や居住地、そして追放と移動の傾向を強く規定してきたこと(一方で社会機構に不可欠な存在として商業などの分野で卓越した影響力を持ってもいたこと)。
  4. 19世紀以降には進化論や優生学、人種観念の発達からも影響を受けて前時代からの迫害と偏見にある種の疑似科学的な要素を含んだ学術的体裁が与えられていったこと。反セム主義(反ユダヤ主義)という用語の登場と確立
  5. ナチス・ドイツによるホロコーストを頂点とする近現代の反ユダヤ主義の現実政治における実践と戦後に生じたその反動。
  6. 一連の過程を説明する上で使用される「反ユダヤ主義」という用語の意味上の定義、およびその変化。更にはその曖昧さの説明。
  • これらについて大雑把な理解があって初めて歴史上の事件についての言及が反ユダヤ主義という用語との関連の中で理解されると思うのです。また、「歴史」について述べる際にも、なぜ「反ユダヤ主義」という言葉が存在しなかった古代から始まるのか、ということ自体の説明が必要です。この点はen:History of antisemitismでは少なくともその構成の根拠、つまりJerome Chanesが前キリスト教時代から現代に至るまでの発展段階を6つに分類したこと、が示されています。
  • 「フランク王国時代の~」の件については、個々の文が文脈をもって繋がっていない(=年表に短い解説がついたものに近い)ことの具体例としてあげたもので、フランク王国の反ユダヤ主義の詳細が必要だ、ということではないです。§古代の反ユダヤ主義、§ロシア革命とイギリスの反ユダヤ主義、などでもこの傾向は顕著です。前者について言えば、以下のような文章です。

1. 紀元前586年、新バビロニア王国のネブカドネザル2世がユダ王国を征服した。エルサレム神殿は破壊され、ゼデキヤ王を含めたユダヤ人は捕虜となり、バビロニアに強制移住させられた(バビロン捕囚)。紀元前538年にペルシャ王キュロス2世が新バビロニアを征服し、ユダヤ人に神殿の再建を許可し、解放した。この時、一部のユダヤ商人はパレスチナへ帰還せず、バビロンや各地に留まり、こうしてペルシャ支配の時代(紀元前537年〜紀元前332年)にユダヤ人は離散(ディアスポラ)した。
2. 紀元前4世紀のギリシアの哲学者アブダラのヘカタイオス[* 2]はモーセは人間らしさと歓待の精神に反する生活様式を打ち立てたと記した。

3. 紀元前2世紀、セレウコス朝シリアの王アンティオコス4世はエジプトのプトレマイオス朝を打倒して当地のユダヤ人を支配した。紀元前167年にユダヤ人の反乱マカバイ戦争が起きると、アンティオコス4世は弾圧政策を開始したが、そこにはユダヤ種は他の民と友好関係を結ぼうとせずにすべてを敵とみなしているため完全に絶やす意図があったと記録されている。
  • この連続した3つの文章はそれぞれが全く意味を持って繋がっておらず羅列されている状態です。別の言い方をすればこの一連の文章は「説明」をしていません(執筆者がその意図をもっていたとしても、読み手は文章からそれを理解できないです)。
  • 仮にですが「(反ユダヤ主義が)キリスト教神学によって本格化したことを踏まえ、その前段階または背景として」古代の状況を説明するのだとしたら、「古代においてユダヤ人は複数の外国との接触の過程で各地に居住するようになり、ギリシア人とも近い距離で生活するようになった。その結果ギリシアの知識人たちによる当時のユダヤ人への言及が残されている。その言及には後世の反ユダヤ主義の萌芽ともとれるような内容の物がある。実際にギリシア人の王アンティオコス4世がユダヤ人を弾圧し信仰を禁じた例もある。」という文脈の上に載せて初めてバビロン捕囚やアブダラのヘカタイオスの言葉、マカバイ戦争といった個別の事項への言及が意味を持つと思うのです。(ただ、アンティオコス4世に関わる部分についてはレオン・ポリアコフがどのように言及していたとしても強い違和感を感じるのは前に述べた通りです。)
  • 長々と書きましたが、私が秀逸な記事に反対で投票した理由は「詳細にすぎる情報」よりも上記のような「全体的な文脈の欠如」と「説明の不足」が主です。わかりにくいのは長いことだけが原因ではないと思います。きちんと説明することで、必ずしも移動しなくても不要な情報は随時省いていくこともできるのではないでしょうか。--TEN会話) 2019年3月8日 (金) 17:15 (UTC) (誤字修正)--TEN会話2019年3月9日 (土) 02:30 (UTC)[返信]
  • コメントこの分野に関しては完全に無知といっていい、しかも記事をマジメに読んでさえいない、というような人間のコメントだとして、軽く聞き流してほしいのですが。
  • 率直な印象としては「読む気しない」「読んでも分かる気しない」。難しいテーマですし、私が理解できないのもまあ当然、みたいな部分もあるのですが、何故そういう印象になってしまうかというと、(TENさんの指摘とも重複する部分もありますが)リード文に最小限の定義文しかなく、反ユダヤ主義って結局何なのよ、という感覚のまま物凄く詳細な歴史に話が進んでしまう構成にあるような気がします。少なくとも「反ユダヤ主義」という語が存在する以上、単に漠然とユダヤ人を嫌ってる人がいるよ、というような話ではないはずです(ピーマンを嫌いな子が多いからと言って「反ピーマン主義」なんて言い回しがされないようなものでしょうか)。憎悪の引き金となる重大な事件があったり、何らかの類型があったり、あるいは時代に応じてそれが変化したり……みたいな「反ユダヤ」を貫く何かしらが(おそらく)あるはずで、それが分からない状態でこの記事を読もうにも混乱するほかない、という感じです。きちんとした予備知識があれば別なのかもしれませんが、それを関連項目を読みながら解き進められるかというと、それもやっぱりハードルが高いような(関連記事も多いうえ、それぞれがそれなりにボリュームありますので)。
  • また、本文も全体的に歴史的事実の記述に終始していて、それってどういうことなの?という部分が分かりにくい気がします。例えば1.1冒頭の『紀元前586年、新バビロニア王国のネブカドネザル2世がユダ王国を征服した。……ユダヤ人は離散(ディアスポラ)した』とありますが、それがどう反ユダヤと関係してくるの?みたいな部分が見えません(丁寧に読み解けば分かるのかもしれませんが、私のような無学な読者にそれを要求するのは酷に思います)。で、記事において重要なのはむしろ歴史の詳細よりも「どう関係するの?」の方なのではないかと思うのです。
  • というわけで、個人的な意見としては、リード文なり概要節を作るなり(どちらかというと後者が適切でしょうか)して、最初に「反ユダヤ主義」なる全体像が見えるようにしてほしいな、各時代・地域の項目についても冒頭にサマリーを入れるなりなんなりして見通しを良くしてほしいな、本文も歴史的事実に対してどんな意味付けがあるのかを明確化してほしいな、というところです。
  • 先に述べたように私は主題を全然理解できていないので、この記事を評価することはできませんが、TENさんも仰るように大変な労力をかけた力作であることは感じられます。であるならば、きちんと「分かる」構成にして、初学者を含む多くの読者がすんなり理解できる形にした方が、IP27.83.145.210さんの努力も報われるのではないでしょうか。--以上の署名のないコメントは、Capsellanaut会話投稿記録)さんが 2019年3月8日 (金) 11:25 (UTC) に投稿したものです(totti会話)による付記)。[返信]