Wikipedia:秀逸な記事の選考/余部橋梁 20110628
賛成/条件付賛成/保留/反対 3/0/0/0 この項目は選考基準の賛成のみ3票以上を満たしています。2011年7月28日 (木) 03:00 (UTC)(2011年7月28日 (木) 12:00 (JST))までに異論がなければ、この項目は秀逸な記事となります。
(ノート) 《推薦理由》 自薦させていただきます。ちょうど架け替えというトピックもあったこともあり、昨年より順次加筆を進めてきて、ほぼ記事として完成に至ったと判断しました。まだ新橋梁の綺麗な写真を得ていないことと、これから旧橋梁の展望台としての開業を控えていますが、記事自体の完成度に問題はないものと考えております。事前に査読依頼も出しましたが、橋守の実名表記の是非だけしかコメントをもらえなかったこともあり、こちらで批評をいただければと思います。よろしくお願いいたします。--Tam0031 2011年6月28日 (火) 15:34 (UTC)
条件付賛成 まずは執筆お疲れ様です。拝見いたしましたが、道路橋にしろ鉄道橋にしろここまで丁寧に記述され、かつ出典も豊富に提示されている橋の記事はなかなか無く、橋記事の見本としてふさわしい記事かと思われます。私見としては二点ほど追加されたほうが良いかなという点がありましたので、下記に述べさせて頂きます。
- 余部橋梁の完成により山陰本線が全線開通したとありますが、これによる山陰地方への経済的影響や交通面の改善といったいわゆるインフラストラクチャー的な視点での余部橋梁の果たした役割が記載されると、なお良いかと思われます。技術的な視点だけでなく地域に及ぼした正の側面を入れると、その後の負の側面との対比が図られると思います。
- 土木学会田中賞を受賞した橋梁ということですが、日本の橋梁技術に何か影響を与えた面はないでしょうか。無いのであれば結構ですが、当時としてはこれだけの大規模な橋梁が建設された訳ですから、なにがしかの影響はあったのではないかと思います。私は橋の歴史については詳しくないのですが、ダムという建造物をフィールドにして記事を書いている関係上、余部橋梁という橋梁が後世の橋梁技術に何らかの影響を与えているように思えますし、その辺りを知りたいとも思いました。
以上二点について、御高察頂ければ幸いです。ご回答が済み次第、賛成票を投じさせて頂きます。なお、橋守の実名記載の可否については、特筆性があるのなら記載しても良いとは思いますが。--河川一等兵 2011年6月30日 (木) 14:37 (UTC)
- コメントありがとうございます。まず、山陰地方への経済的影響や交通面の改善については、本質的には山陰本線の記事で扱うべき内容で、それを構成するインフラストラクチャーの1つに過ぎない余部橋梁の記事で扱うと多数の重複が生じかねないと判断して書いておりません。余部橋梁に近い桃観トンネルも、その開通で山陰本線が全通したことに変わりはないので、そちらにも同じ内容を書く必要があるということになってしまいます。どうしても顕著なものがあれば2、3挙げるのもやぶさかではないのでしょうが、それ以前の海路に比べて所要時間・運賃共に半分になった、という程度のことしか分かっていないというのが実情です。
- 技術的な影響ですが、これはそういうことをずばっと述べてくれている文献が見つからないので、独自研究を避けなければならない関係上書けなかったというのが実情です。旧橋梁と新橋梁に分けていいますとまず旧橋梁は、当時としては規模こそ大きかったものの、そもそもトレッスル橋という形態自体が日本では2007年時点で道路橋も含めて12橋しか存在しないという珍しい形態でして、ここで何かの技術的な発展があったからその後それが生かされた、というようなことは特にないのだと思います。旧橋供用時点でアメリカではこれをはるかに上回るトレッスル橋が普通に供用されていましたから、設計上も橋脚の製作上もアメリカの技術の影響下にあった以上は特にブレイクスルーがあるわけでもないのだと思います。それがあればこそ「世界一」ではなく「東洋一」と言っていたわけですし、それとてビルマに既により大きなものがあったのを見落としていたわけです。そして、この橋の形式選定のときにも揉めていましたが、この後はPC橋が普通に建設される時代に移ってしまうので、技術の過渡期に古い方の技術で建設されたという微妙な位置づけになってしまいます。これがPC橋で建設していたなら、日本のPC橋の創始期に建設された一大橋梁ということになって技術的に大きなランドマークになったのでしょうが。旧橋では、海岸に近いところで鋼橋をずっと腐食から守ってきたという保守作業の方が大きなポイントであって、それについては十分本文で説明できているのではないかと思います。
- そして新橋についていえば、日本で初めての「橋桁移動旋回工法」がやはり特徴だと思います。田中賞の受賞理由が明示されたものを見たことがないのですが、おそらくそのあたりの施工管理を評価しているのではないかと思っています。実は知人の橋梁技術者に話を聞くと、話題性こそ大きかったものの、現代の技術ではこの程度の橋は「技術的に大したことがない」そうです。PCラーメン橋からPCエクストラドーズド橋に形式が途中で変更され、その理由ももっともらしく本文中に記載してありますが、これとて「おそらく地元からの要望が大きな理由のはずで、技術的にはどちらの形式でも何とでもなる」と聞いていて、まったく新規に建設されたならそれほど世間に知られる橋ではなかったのでしょう。長い歴史と保守の苦闘、美しい風景などから、ある意味「記録より記憶」的なところのある橋なのだと思います。その点について、独自研究にならない範囲では今の記事程度にしか書けなかった、ということになります。
- 実は、この余部橋梁の周囲の地域は今回の架け替えまで、先日の執筆コンテストでも出ていた地図混乱地域でして、新橋梁建設に伴って買収する土地の登記で、1年7か月にわたる交渉と訂正作業が必要だったという話があります。それに際して、遠くに居住している抵当権者などとの交渉でも、余部橋梁の知名度がとても役に立ったと担当の方が書いていて、そういう面を象徴しているかと思います。あまりに瑣末かと思って本文に書いていなかったのですが、こういうことも書くべきでしょうか。
- 橋守の実名掲載については、プライバシー上の問題はないものの、他の橋にもかつては橋守が配置されていたことがあるという実例が出てきて、余部だけで記載するほどの特筆性はないのではないか、ということで合意が成立しているため、今後新しい事情が出てこない限りは特にこだわらないつもりです。今回のご指摘、ありがとうございました。--Tam0031 2011年6月30日 (木) 17:21 (UTC)
- ご回答ありがとうございます。技術的な面についてはそういう事情があるなら止むを得ないかもしれませんね。私も記事を書いていて悩む所は「独自研究」の線引きであり、本来なら書くべき項目もその絡みがあって躊躇してしまうことが何度もありました。ですから無理に書く必要はないでしょう。なお土木学会田中賞の受賞理由は、土木学会ホームページに掲載されていたかとは思いますが、理由までは載っていなかったのかもしれません。橋守については合意が取られているならばそれを尊重いたします。
- 一方でインフラ関連についてですが、私はある程度内容が複数記事で重複していても構わないと思います。閲覧者は山陰本線の記事を見て余部に飛ぶかも知れませんし、その逆もまた然りです。ならばどちらの記事でもある程度の記載をしておけば鉄道や橋梁について余り詳しくない閲覧者視点からは親切になると思います。私の例で恐縮ですが、利根川記事における矢木沢ダムの役割と、矢木沢ダム記事の利根川における役割は重複した内容になりますが、両記事にも概ね同様の記載をしております。ただ、バランスの問題にもなると思いますから、例えば山陰本線にはインフラに関する重厚な記載をし、関連する余部橋梁や桃観トンネルには「詳細は山陰本線を参照」という注釈を入れつつ比較的簡略化して記載する形としても良いでしょう。山陰本線を閲覧しましたが山陰地方への経済的影響等の記載はほとんどありませんでしたので(路線案内・技術的視点に偏りがちな鉄道記事の一つの問題点かもしれません)、やはり記載はある程度する必要があると考えます。一例を挙げるなら海運から陸運に切り替わったことによる海運業への影響など、切り口は多いです。あと登記に関する項目ですが、これは瑣末ではなく特筆性のある項目だと思います。地図混乱地域での事業というのが存外知られていないので、建設に関わる諸問題として記載することは余部橋梁における一つのトピックとして記述する方がさらに記事が充実すると思います。ダムもそうですが建造物建設における補償というのは、固有の建造物の歴史を知る上での重要な項目です。
- 以上雑感を述べさせて頂きました。多少厳しい視点ではありますが、今後の日本における鉄道・橋梁記事発展を図る上で余部橋梁の記事は試金石だと思いますので、ご容赦下さい。技術面については了解いたしました。後は可能な限りで構いませんからインフラ関連の加筆が済み次第賛成票に切り替えますので、宜しくお願いいたします。--河川一等兵 2011年7月1日 (金) 11:46 (UTC)
- 現状の山陰本線の記事にはあまり記載されていないのは承知の上で、あくまで「完成した百科事典」というものを想定したら、そういう記事間の分担になるであろう、ということを考えて述べておりました。海運から陸運への転換というのは確かに起きているのですが、実はそれ以前の主要航路であった舞鶴-境航路も鉄道院直営であったので、国鉄内での転換に過ぎないというところがあります。連絡船からの転移、それに伴う所要時間と運賃の低下、そして当時の鳥取県の主要産業であった製糸業との関係について、分かる範囲で加筆をしてみました。ただ、鳥取県史の編纂をされている方が「山陰本線の影響は確かに大きなものであったことは間違いないが、生活や文化への影響についてまでの実証は難しく、今後の課題である」と述べているので、引き続き調査をしてみますが、かなり厳しいところがあるように思います。地図混乱地域の問題については、簡単に記載してみました。--Tam0031 2011年7月1日 (金) 17:33 (UTC)
- 賛成 なるほど。『鳥取県史』ですら実証が難しいのですか。ですが加筆については良く記述されています。現状としてはこれが精一杯と思われますので、あとは資料が見つかれば適宜追記で良いと思います。無理難題申し上げたことを陳謝しつつ、賛成票に切り替えます。改めまして執筆お疲れ様でした。--河川一等兵 2011年7月2日 (土) 00:59 (UTC)
- 図書館で『鳥取県史』を参照してきました。山陰本線開通に伴う鳥取県への影響がより詳しく記載されていたので、それをベースに影響をさらに加筆してみました。もっとも県史関係者が言っているように、産業面での影響は数値で示されていますが、生活や文化などの側面まではやはり実証的な研究が不足しているようです。今のところはこんな感じだと思います。--Tam0031 2011年7月3日 (日) 17:02 (UTC)
- 加筆お疲れ様です。内容は十分だと思います。一つ注文としては、折角の加筆ですので橋梁の技術的視点内より独立させて、「地域への影響」のような節を新たに作りそこに加筆部分を移転させたほうがより分かり易いと感じました。「負の遺産」といった部分も地域への影響の一つですから、そこにまとめた方がスッキリするのではないでしょうか。--河川一等兵 2011年7月4日 (月) 11:25 (UTC)
- 単純に、建設の節の後半を「開通の影響」という節に分割してみました。後段の、橋に伴う騒音や落下物というのは余部地域特有の橋に伴う問題であるのに対して、鳥取県への影響というのは山陰本線開通の影響ですので、同じ節で扱うのはちょっと違うと考えました。--Tam0031 2011年7月5日 (火) 16:26 (UTC)
- 加筆お疲れ様です。内容は十分だと思います。一つ注文としては、折角の加筆ですので橋梁の技術的視点内より独立させて、「地域への影響」のような節を新たに作りそこに加筆部分を移転させたほうがより分かり易いと感じました。「負の遺産」といった部分も地域への影響の一つですから、そこにまとめた方がスッキリするのではないでしょうか。--河川一等兵 2011年7月4日 (月) 11:25 (UTC)
- 図書館で『鳥取県史』を参照してきました。山陰本線開通に伴う鳥取県への影響がより詳しく記載されていたので、それをベースに影響をさらに加筆してみました。もっとも県史関係者が言っているように、産業面での影響は数値で示されていますが、生活や文化などの側面まではやはり実証的な研究が不足しているようです。今のところはこんな感じだと思います。--Tam0031 2011年7月3日 (日) 17:02 (UTC)
- 賛成 なるほど。『鳥取県史』ですら実証が難しいのですか。ですが加筆については良く記述されています。現状としてはこれが精一杯と思われますので、あとは資料が見つかれば適宜追記で良いと思います。無理難題申し上げたことを陳謝しつつ、賛成票に切り替えます。改めまして執筆お疲れ様でした。--河川一等兵 2011年7月2日 (土) 00:59 (UTC)
- 現状の山陰本線の記事にはあまり記載されていないのは承知の上で、あくまで「完成した百科事典」というものを想定したら、そういう記事間の分担になるであろう、ということを考えて述べておりました。海運から陸運への転換というのは確かに起きているのですが、実はそれ以前の主要航路であった舞鶴-境航路も鉄道院直営であったので、国鉄内での転換に過ぎないというところがあります。連絡船からの転移、それに伴う所要時間と運賃の低下、そして当時の鳥取県の主要産業であった製糸業との関係について、分かる範囲で加筆をしてみました。ただ、鳥取県史の編纂をされている方が「山陰本線の影響は確かに大きなものであったことは間違いないが、生活や文化への影響についてまでの実証は難しく、今後の課題である」と述べているので、引き続き調査をしてみますが、かなり厳しいところがあるように思います。地図混乱地域の問題については、簡単に記載してみました。--Tam0031 2011年7月1日 (金) 17:33 (UTC)
- 以上雑感を述べさせて頂きました。多少厳しい視点ではありますが、今後の日本における鉄道・橋梁記事発展を図る上で余部橋梁の記事は試金石だと思いますので、ご容赦下さい。技術面については了解いたしました。後は可能な限りで構いませんからインフラ関連の加筆が済み次第賛成票に切り替えますので、宜しくお願いいたします。--河川一等兵 2011年7月1日 (金) 11:46 (UTC)
(インデント戻す) 回答が遅くなりましたが、現状の構成で問題ありませんでした。秀逸な記事に選ばれることを期待しております。--河川一等兵 2011年7月17日 (日) 14:32 (UTC)
条件付賛成 加筆・編集お疲れ様です。以前は活発に記述していましたが大分離れており、権利があるようなので投票側に回ります。現在、項目で大きく欠落している内容は、橋が持つ経済的影響のひとつ「観光資源」の側面です(特に旧鉄橋)。項目の出典で「観光」の文字が入った資料が度々あることから橋の持つ重要な要素と考えられるのに、それについて深く掘り下げられた文章・節がなく、ノートで筆者間でも記述可能な内容に挙げられているのに、執筆されずに秀逸な記事に選出されてしまった場合、その価値や威厳を下げてしまうことになると思います。資料はウェブ上や検討会第1回会議資料で分析されているなどで豊富にあるのですが、雛形が見えてこないと確かにまとめにくい部分でもあるので、結果的に自分は放置状態にしてしまいましたが、秀逸な記事とするならば重要な要素なので「観光資源」の側面に関して早急に手を加える必要性があると思います。以上の点が補完されたら賛成票を投じさせて頂きます。--茶務 2011年7月2日 (土) 09:35 (UTC)
- 観光資源についても加筆する必要があるという話をしていたのに忘れていました。すみません。とりあえず、年表より下(場所はまだ検討の余地もありますが)に「観光資源としての側面」の節を付け加えて書いてみました。これは、旧橋と新橋の両方についての説明をしている節なので、どちらかの節の下には置けないという考えです。「建設の背景」が、新橋があの位置に建設された理由でもあるという考えで、旧橋の節よりも前に独立させておいてあるのと同様です。内容については、余部への観光客数の数値を挙げ分類して分析している資料がちょうどあった(これ自体はかなり以前に発見していたのですが)ので、それを基本にまとめてみました。このような感じでどうでしょうか。--Tam0031 2011年7月3日 (日) 17:02 (UTC)
- 賛成 回答が遅くなりましたが、加筆お疲れ様でした。節のスタートとしてはこんな感じでいいかと(自分も一時期観光客が減った資料は知っていたけど活かせませんでしたが…)。条件を満たしたので賛成票に切り替えました。あとは資料で有用な内容があったら加筆を行い、節の充実化が進めば良いと思います。--茶務 2011年7月21日 (木) 03:00 (UTC)
- 賛成 秀逸な記事の目安はすべて満たしているようですので賛成します。建設・運用、地域住民とのかかわりなど余部橋梁に関するさまざまな知識が歴史を追いながら得られるようになっており、トピックの網羅度という点において充実していることはもちろん、構成も優れていると感じました。内容や語句の確認のために読み返すことがあまりなかったのですが、それもしっかりとした構成の下にわかりやすく記述されているからでしょう。--Pastern 2011年7月16日 (土) 08:48 (UTC)
- (秀逸)賛成のみ3票より一週間が経過、特に異論もありませんでしたので、この項目は秀逸な記事となりました。--totti 2011年7月28日 (木) 19:03 (UTC)