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Wikipedia:井戸端/subj/史料引用における著作権について


史料引用における著作権について

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歴史関係の記事で、史料を引用する機会に迫られることは多いと思うのですが、この場合著作権の線引きはどうなるのでしょう。というのは、史料そのものは問題ないとしても、それを影印ではなく、近年活字として出版された物を底本とするときに編集著作権とかは、どの程度考慮しなくてはならないのでしょうか。中国漢文の場合、句読をきるのも素人には難しいですし、多くある版本を摺り合わせ校勘するのが大変であることは経験者なら理解していただけると思います。たとえばWikisorceの魏志倭人伝が、仮に(実際にそうかはわたしには不明ですが)、1970年代出版の本を底本としている場合、著作権的に問題ないのでしょうか。史料引用はWikipediaにもありますので、ここで訊いてみました。ご教授願います。--218.221.4.167 2006年5月29日 (月) 09:23 (UTC)[返信]

漢文史料の内容に対しては何百年も前の著作であり、著作権問題が無いことは明白です。問題はその句読点及び校勘内容であると考えています。しかし句読点に関しては漢文が読める人間であれば、ほぼ同様の句読を行いますので、著作権で保護されるべき内容ではないと考えています。(相当独創的な句読であれば別ですが)校勘に関しては編集の独自性が強い場合がありますので、こちらの引用に関してはより詳しい知識をお持ちの方々に、更なる議論を重ねていただきたいと思います。--Yonoemon 2006年5月29日 (月) 10:09 (UTC)[返信]
ほぼYonemonさんのお考えと同趣旨ですが、一応、過去の議論としてWikipedia:井戸端の過去ログ/2004年8月#漢文の書き下し文についてがあります。―sketch/ 2006年5月29日 (月) 11:02 (UTC)[返信]
句読点についてですが、中国研究についてご存じない方もいると思うので一言述べます。ご判断の材料として下さい。本来の漢文史料は段落はおろか、句読もありません。現代の人が読むときは、これに段落・句読を入れます。そしてこれは漢文が読める人なら誰もが同じ、というわけではありません。読点はともかく、どこに句点を設けるかについては、個人差がでます。またこれはさる国立大学の名誉教授のお話ですが、清代の史料の「議政王大臣」という一節をうっかり「議政、王大臣」ときってしまい話題となったことがあります。正しくは「議政王、大臣」です。念のため申し上げますが、この方は大変高名でいくつも本を出版されている方です。つまり名誉教授でさえも句読をきることは万全ではありえません。また中国人が句読をきった資料集に誤りがみつかることもしばしばあります。とすると、句読を入れる作業は、単なる校正ではなく、二次著作物にあたるのではという考えも可能かと思います。校勘については、他の方も議論の余地有りと考えておられるようなので、句読についてのみ書いてみました。--218.221.4.167 2006年5月29日 (月) 15:28 (UTC)[返信]

引用した文献名を明記すればよいのではないでしょうか。『魏志倭人伝』なら、〈岩波文庫旧版(1953年)〉とか、〈北京中華書局版(1957年)〉とか。(年次は記憶なのであいまいですが)もちろん、白文史料を記事作成者が書き下し文や口語訳をされるのならば、著作権問題は発生しません。 --ねこぱんだ 2006年5月29日 (月) 23:17 (UTC)[返信]

切り方の違いは、みな学説の違いです。著作権は人それぞれの個性が発揮される創作表現を保護するもので、学説を一人に独占させるものではありません。校勘についても、基本的に同じとみてよいでしょう。もっとも、法的な事情がどうであっても、出典を記すのは良いことだと思います。Kinori 2006年5月30日 (火) 00:16 (UTC)[返信]

ウィキソースの魏志倭人伝を見てみました。句読点が付けられ、節に分けられています。句読点については、二十世紀後半に出版された活字版には標点が付けられ読みやすくなっていると言うことなので、問題はないと思うのですが、問題は四つの節分けをしていることです。これを、どう考えるかと言うことが残るように思います。(提起者指摘のURLが履歴になっています。本文の方はこちらs:魏志倭人伝です。)--Higashi 2006年5月30日 (火) 07:03 (UTC)[返信]

付随する質問ですが、一、専門的な技術の有無は著作権判定に関与するか否か。二、句読や校勘などに関する過去の判例の有無。三、図書館などにある判例検索PCなどで、簡単にその有無が調べられるか。調べられるのであれば、時間をとって調べに行こうと思っています。専門家でないと分からないのであれば無駄かもしれませんが。 校勘については青空文庫ではテキスト化を見送った例があるようです。参考。また直接には参考にできませんが、お隣の中国では校勘・句読は著作権侵害裁判において判断の素材とされているようです。訳文完全一致というのが大きいとは思いますが。「韓非子全訳」でサイト内を検索してみてください。中国の判例--218.221.4.1672006年5月30日 (火) 13:12

(質問1)その作品の著作物性は、あくまでも「表現の創作性」の有無によって判断されるので、作品を作り上げるのに専門的な技術が必要であったとか、莫大なコストがかかったというような事情は、著作物性の判断に影響しないというのが通説です。
(質問2)参考になるかどうかわかりませんが、「将門記」(変体漢文)の訓読文が翻案(=2次的著作物)に当たるとした判例があります(東京地裁昭和57年3月8日)。一方で、翻訳にも翻案にも当たらないとする見解もあります(コピライト237号5ページ)。
以上 --全中裏 2006年6月1日 (木) 13:38 (UTC)[返信]
全中裏さん、お教えいただきありがとうございます。当方もちょっと調べましたので報告します。さる著作権を扱う法人に電話で尋ねたのですが、ただ名前をネットに出すなといわれたので、信用性としてはかなり劣ることをまずお断りします。質問1については全く全中裏さんのおっしゃるとおりで、例として名画の修復に際しいかに高い技術を有し手間暇かかってもその人には著作権・編集著作権は生じないとのことでした。質問2については、適当な判例をちょっと思いつかないとのことでした。ですので全中裏さんの教えていただいた情報は大変有益でした。重ねてお礼申し上げます。それで結論ですが、その人個人の見解と断った上で言われてたのですが、原文を校勘・句読を付すだけでは著作権侵害にあたる可能性は低い、しかし裁判になる可能性も否定できないし、勝ったとしても煩わしい思いをするだろう、とのことでした。ですので問題はこのリスクをどう解するかということだと思います。投稿者本人が責を負うのは当然としても、WikipediaやWikisourceが責を問われるかどうか、ということです。なお複数の出版社(漢籍解説書を出している)にメールを送り回答を求めたのですが、M社(名前を出していいのか分からないのですが)は「漢文資料の原資料(原文)は、それ自体に著作権はありませんが、これに返り点や送り仮名などをつけたり、あるいは原文を訓読した文章などには、通常(著作権法の解釈)、著作権があると考えられております(小社も、そのように考えております)。著作物から一部でも掲載をするような場合は、著作権者や出版社などに掲載の許諾を取られるようにしたほうがよろしいかと存じます。」との返事がありました。つまり載せるにしても、ねこぱんださんやKinoriさんが言われるようにソースを提示するのは前提になるのかもしれません。原文に関するど真ん中の判例があれば、ルール・線引きが明確化できると思ったのですが、どうしましょう。ご意見引き続きお待ちします。--218.221.4.167 2006年6月2日 (金) 01:31
「史料引用はWikipediaにもありますので、、、」とは、どの項目の引用をさしているのですか?線引きに煮詰まりつつあるように思いますので、具体的に考えていってもいいと思いまして。--Ussissi 2006年6月3日 (土) 22:45 (UTC)[返信]

インデント戻します。具体例として挙げられるのはたとえば、原文掲載の例としては白村江の戦い拓跋余などがあります。原文+書き下しの例で言うと李白李賀などがあります。私見としては「性則理」や「格物致知」といったワンフレーズのものは全く問題にすらならないとは思うので特に挙げませんでした。後誤解無いよう申し上げますが、書き下し(訓読)の例として挙げた所は別に著作権に抵触しているから挙げたというわけではありませんので、ご注意を。その点全然調べていませんし、たぶん問題は無いかと思います。ただ書き下しとはどういうものか知ってもらうためだけのために挙げました。--218.221.4.167 2006年6月4日 (日) 14:18

調べてみると原文と書き下ししている項目倭・倭人関連の中国文献が見つかりました。--Ussissi 2006年6月5日 (月) 01:53 (UTC)[返信]
あの済みません。ルール素案とか出した方がいいかなと思っていた矢先、別の出版社からより厳しい回答来ました。「以上のお問い合わせですが、著作権が切れて公有となっている著作物でも、校訂し、句読や点を打っておりますので、編集著作権が発生します。よって、公表後50年は著作権が存続いたしますので、インターネット上で公開なさる場合には事前に著作権者の許諾を得る必要があると存じます。まずは、底本の出版社に連絡なさるのがよろしいかと存じます。」これはD社です。こうなると掲載そのものがほとんどできないですね。ちょっと手に余りつつあるので、本当に知恵拝借願います。--218.221.4.167 2006年6月5日 (月) 12:30

学問的な引用の場合にはある程度までは認められる、と考えて引用(出典の明記は必要)か、自分で訓読し、現代語訳をしたのだと主張できるものを書くか、(それでも訓読に関しては結果的に同一になりますが)という形になるのでしょうか。 --ねこぱんだ 2006年6月5日 (月) 13:09 (UTC)[返信]

ご提案ありがとうございます。わたしの意見としてはWikipediaには基本的に史料原文を載せない、ただし漢詩は例外とする(五言律詩などきれるところがはっきりしている場合が多いし、韻を理解するためには原文は必須なため)。載せない代わりに投稿者の訓読または翻訳を掲載するようにしたらどうかというものです。ですのでねこぱんださんの後者案に同意します。ただ訓読といえど、長いものになると個性が出てきます。出版社が著作権に抵触するといっていますので、翻訳文と同じ扱いとし、何をもとに書き下したが出典も明記するとしたいと思います。これは字句の異同を知るために便利という側面もあります。(ただし一文程度なら不要)Wikisourceについては思案中です。だめとなったら影響が大きすぎるため。見落としている点のご指摘などご意見お願いします。--218.221.4.167 2006年6月6日 (火) 13:19
ここで話し合われていることとWikipedia:引用のガイドライン/草案との関係をどういうふうに考えればいいのでしょうか?--Musashi 2006年6月7日 (水) 05:40 (UTC)[返信]
一応この話題の見出しには「引用」とされていますが、話題の中心は引用ではなく、翻案の転載をめぐるものです。翻案には創作が加わって二次著作物になるものと、そうはならないものとの二種があります。その翻案が二次著作物なら、引用だけが可能になります。二次著作物でないなら、引用も転載も可能になります。どちらなのかを見極めるのがここの主題です。他方のWikipedia:引用のガイドライン/草案は、相手が著作物であることを前提に、引用だけに絞って方法を論じています。Kinori 2006年6月7日 (水) 06:38 (UTC)[返信]

どうも結論が出そうですが、日本の古文の場合も、同じような理由で、校訂された本文は二次著作物になりますね。昭和30年までに出版され、校訂者も昭和30 年以前に亡くなっている場合には、著作権は発生しない、それ以後のものは、記事執筆者が自分で訳すのが原則でしょうか。 考えてみれば、古文・漢文以外の史料なら、現代日本語に訳して記述しますよね。それの準用と考えればいいのかもしれません。 --ねこぱんだ 2006年6月7日 (水) 06:57 (UTC)[返信]

なるほど日本の古文もそういう風に扱われているのですか。知りませんでした。教えていただきありがとうございます。ところでもう少しここでいろいろな方のご意見を賜ろうとは思うのですが、MUSASHIさんの質問にあるようにこの先ルールあるいはガイドラインとするためには、ふさわしい場所に議題を移した方が良いかも知れませんね。--218.221.4.1672006年6月7日 (水) 13:43

話題の進行から遅れましたが、「将門記」についての半田正夫の判例評釈(『判例時報』)を読みました。このケースは、訓読文を44ページにわたって写真複製し、本の一部に採録したものです。判決は、訓読文について二次著作権を認め、かつこのやり方は正当な引用ではないとしています。他の人が作った先行する訓読文と比べたときに異なる箇所が多々あるということが、創作性の証拠として重視されたようです。原文がどうなるかについては踏み込んでいません。

評釈者は、個性が発揮されたかどうかによって対応を分けるべきという意見で、判決も同じ趣旨と思われます。その点、全中裏さんが紹介してくださった『コピライト』の評釈より判決に好意的です。が、逆に言えば創作性を認められない訓読文もあるということです。

原文の場合も訓読文の場合も、まともに二次著作物と認めると、後続の研究成果が(一部先学に従った箇所があることにより)「改変」とみなされてしまいます。偉い先生(および偉くもなんともないその子と孫)が後進の発表を握りつぶす権利を持っているとは思えません。まあ、そこまで過激な判決が出ることはないでしょうし、著作者・出版社もそういう裁判は起こさないでしょうから、改変については、裁判がないままに今後も安全に行使されていくのでしょう。

結局のところ、訓読文をごっそり転載すると著作権侵害とみなされる可能性があるが、判定基準は一般の文章や現代語訳よりは緩いということなのでしょう。原文について判例はないので、大丈夫かもしれないが侵害と認められる可能性もある、といったところでしょうか。最近出版されたものの転載については、著作権法で問題がなくとも不正競走防止法のデッドコピーや民法上の不法行為にあたるという説もあるようで、そちらの筋から攻められると創作性の有無に立ち入らずに損害賠償が認められそうです。そうしますと大量転載は控えておくほうがよさそうですが、「参考にしたが自分で考えて書いた」という抗弁の余地は一般の文章より広いとみていいのだと思います。

そこで、ウィキペディアが定める推奨方式としては、ねこぱんださんが述べた「引用(出典の明記は必要)か、自分で訓読し、現代語訳をしたのだと主張できるものを書く」というのが良いと思います。

しかし、それをそのまま削除基準として運用するのは、難しいと思います。法的には問題なさそうだがウィキペディアの内規に反するから削除、というのは、既存の歴史記事を多数削除依頼に送り込む理由としては弱いと思うのです。Kinori 2006年6月8日 (木) 04:10 (UTC)[返信]

ご意見ありがとうございます。今までの話をWikipediaに限ってまとめると、一、ガイドラインか(削除を視野に入れた)ルールか、二、原文の二次著作物性、三、訓読の二次著作物性という三つの検討課題があることになりますね。本当はもう少し書きたいことがあるのですが、夏風邪で頭痛がひどく後日意見述べさせていただきます。すみません。--218.221.4.167 2006年6月8日 (木) 15:20
昨日途中で書くのやめましたが、考えまとまっていない部分があってそんなに書くことありませんでした。ただ原文掲載について法律から離れた見解をば少し述べさせていただきます。原文を載せなくても良いのでは、の意見の補論です。今現在、ネット上だろうと紙媒体だろうと百科事典や一般教養書の類では原文を画像以外で掲示することはありませんし、それどころか査読雑誌でも基本的には訓読か訳です。(これは論文寄稿者がどれだけ史料を読めているかのバロメーターになるからで、経験上正確に読めない人というのは結構います。)読者に分かりやすく提示するという観点からすると翻訳、一歩譲っても訓読の方が適切かなぁと。そうすればWikipediaを読む人がその史料引用が適当か否か、判断しやすくなると思います。それによく投稿される原文の一つ中国正史なんかは、全文公開しているサイトがいくつかあって、(しかも一字から検索可能)、今更Wikipediaを参照しようという人は、ほとんどいないだろうという予想も理由の一つです。たとえばここもしくは外部リンクで十分でしょう。また原文掲載を許してしまうと、むしろこうしたサイトから無断で貼り付けることを誘発しかねず、問題がややこしくなるのではと、ちょっと危惧しています。中国語Wikisourceはこの恐れが非常に大と考えます。以上が原文掲載についての意見です。
ただ載せれば削除か、と言われると問題は大きいですね。ガイドラインどまりが適切かも知れません。--218.221.4.1672006年6月9日 (金) 15:02
載せないように希望するしかないのでは。たしかに、初翻刻以外は、史料原文は載せないのが基本的なルールとなっていますね。なお、50年経過しているケースとしては、岩波文庫の『史記平準書・漢書食貨志』『旧唐書食貨志・旧五代史食貨志』があります。 --ねこぱんだ 2006年6月10日 (土) 13:10 (UTC)[返信]

結論は、どうなるのでしょうか? 問題提起の方は、何が目的であったのでしょうか?--yamato 2006年7月23日 (日) 13:23 (UTC)[返信]