プロジェクト‐ノート:紀年法/過去ログ
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作成者から、議論が必要と考えられる点をあらかじめ整理して示します。ご意見をいただければ幸いです。以下の節で署名のない部分は初版でNovoが書いたものです。--Novo 2007年2月16日 (金) 20:33 (UTC)
ガイドライン草案及びガイドライン草案のノート、元号記事フォーマットもご参照ください。--Novo 2007年3月26日 (月) 12:49 (UTC)ノートへの誘導を追記。--田英 2007年4月8日 (日) 12:08 (UTC)
個別元号の記事のフォーマット
[編集]- 日本 - 大化
- すでに立項は終了しており、問題ないものと思われる。注記:「日本型」ではなくzh:Wikipedia:专题/年号に基づくフォーマットのようである。--Novo 2007年2月18日 (日) 04:36 (UTC)
- 日本以外 - 建元 (漢)
- 上のいわゆる「日本型」フォーマットにある「典拠」「○○期の出来事」などの節は不明か、または実質的意味を持たないと思われる。現在一部に「日本型」のフォーマットにしたがっているものがある。 6字追加--Novo 2007年2月18日 (日) 04:36 (UTC)
元号及び暦日に関する、信頼できる、依拠すべき典拠
[編集]書誌情報の提示をお願いします。コメントがあれば加筆をお願いします。
一般
[編集]- 三省堂編修所編『コンサイス世界年表』(三省堂、1976年、絶版)
- 藤島達朗・野上俊静『東方年表』平楽寺書店 ISBN 4831301205(1978、元は1955)--いまさらですが、これは典拠には不適でしょうか?これも東アジア漢字文化圏ですが。--田英 2007年3月21日 (水) 03:14 (UTC)
- 情報ありがとうございます。この本の存在は知らなかったので見てみたいと思います。基本的には公式に出版された書籍であればガイドライン草案に加えていただいて全く問題ないと思います。細部に異同があれば原典に当たるということで。--Novo 2007年3月21日 (水) 08:06 (UTC)
- すみません、ISBN間違えました(13桁ISBNの下10桁を書いておりました)ので、訂正しました。学生時代に用いていたもので、書名からGoogle検索して書き戻しました。--田英 2007年3月21日 (水) 08:18 (UTC)
中国
[編集]- 二十四史(中華書局から出版されているものでいいのではないでしょうか?Yonoemon)そうですね。賛成します。--Novo 2007年2月20日 (火) 01:00 (UTC)
- 資治通鑑(同上)同上--Novo 2007年2月20日 (火) 01:00 (UTC)
- 方诗铭、方小芬编著《中国历日和中西历日对照表》(上海 : 上海辞书出版社,1987年12月)
- 李崇智,《中國歷代年號考》(中華書局,2001年1月 ISBN 7101025129)—以上の署名の無いコメントは、Yonoemon(会話・履歴)氏が[2007年2月19日 (月) 05:31 (UTC)]に投稿したものです(Novoによる付記)。
中国周辺の諸王朝
[編集]朝鮮
[編集]--田英 2007年2月20日 (火) 15:09 (UTC)
- 高句麗のほかの元号はもっぱら考古資料の発見によるものなんでしょうか?--Novo 2007年2月22日 (木) 00:22 (UTC)
- 永楽を含めて、高句麗の年号については三国史記、三国遺事には見られなかったと思います。もういちど点検はしておきますが、該当記事を編集された方へ延寿などの出典の問合せをしてみます。--田英 2007年2月22日 (木) 03:40 (UTC)
- 『三国史記』第3巻 金富軾撰 井上秀雄訳注、平凡社〈東洋文庫454〉、1986 ISBN 4-582-80454-3 は三国史記の「表」「志」の訳注本ですが、いくつかの高句麗年号が記載されていました。原書には高句麗年号は現れません。--田英 2007年2月23日 (金) 11:22 (UTC)
- 永楽を含めて、高句麗の年号については三国史記、三国遺事には見られなかったと思います。もういちど点検はしておきますが、該当記事を編集された方へ延寿などの出典の問合せをしてみます。--田英 2007年2月22日 (木) 03:40 (UTC)
- ひとまず元号一覧 (朝鮮)の新羅の節、高句麗の節に出典について追記しておきました。高句麗の年号は編集された方へ問合せしたのですが回答が得られず、{{要出典}}を貼り付けています(中文版から転記したのではないかと思いますが)。--田英 2007年3月18日 (日) 00:46 (UTC)
ベトナム
[編集]- 黎僖ほか撰、陳荊和編校『校合本 大越史記全書(上中下)』(東洋学文献センター叢刊42,44,47、東京大学東洋文化研究所附属東洋学文献センター刊行委員会、1984-1986年)
- 『大南寔録』(慶應義塾大学言語文化研究所出版影印本)
- 山本達郎編『ベトナム中国関係史 曲氏の抬頭から清仏戦争まで』(山川出版社、1975年)所収「ベトナム中国交渉年表」
元号「使用」の定義
[編集]2007年2月17日現在、元号一覧 (中国)には、
- 名称に諸説ある場合があるが、正史や『資治通鑑』といった歴史書の紀年に使われているものに限らず、歴史学や考古学の考証に基づき当時、実際に使われていたと考えられるものを代表として載せている。
元号一覧 (ベトナム)には、
- 元号名および紀年とも、史書により異同が多く、ここに掲げた以外の説も存在する。
とあるが、
- 史書への記載しかなく、実際の使用例を確認できない私年号の場合、どこまでを記載・立項するか。記載する場合、末年をどこに置くか。
- 史書に建元・改元の記載がなく、個別の使用例しかない(私)年号の場合、使用例の紀年から逆算した元年から「使用」したと見なすか。末年をどこに置くか。
- 中国の場合、中国帝王一覧との対応も考慮する必要があろう。
西暦紀年「他の紀年法」のフォーマット
[編集]現在提案されているフォーマットはWikipedia‐ノート:各年のスタイルガイド#他の起源法についてにありますが、必ずしも守られていません。
西暦紀年「他の紀年法」に登載する紀年法の範囲
[編集]2007年2月17日現在確認できるもの:
- 少々補足付け加えました。--Monaneko 2007年2月17日 (土) 09:08 (UTC)
- 干支
- (補足)60年周期の表記
- 日本:元号及び皇紀
- (補足)元号は645年の大化元年から。一時中断&二つの年号が並存した期間(南北朝時代)あり。
- (補足)皇紀の紀元はB.C.660年。1873年(皇紀2533年)から使用開始。
- 中国:元号及び中華民国暦
- (補足)中華民国暦の紀元は1912年。1912年(民国元年)から使用開始。
- 朝鮮:元号・開国紀元・大韓民国紀元・檀紀・主体暦
- (補足)主体元年は1912年。1997年9月9日(主体86年)から使用開始。
- (補足)檀紀元年はB.C.2333年。1948年(檀紀4281年)9月25日から使用開始。1962年から公用禁止に。
- ベトナム:元号
- モンゴル:共戴紀元
- チベット暦(1935年のみ)
- 仏滅紀元
- (補足)東南アジアで使用されている。ウィキペディアではタイ仏暦を基準に書かれている。
- イスラム暦
- (補足)イスラム圏で使用されている太陰暦。
- ユダヤ暦
- (補足)ユダヤ人が使用している太陽太陰暦。
- 修正ユリウス日
- (補足)ユリウス日から-2,400,000.5日したもの。1858年11月頃が起点。
- リリウス日
- (補足)1582年10月15日(グレゴリオ暦使用開始日)からの通算日
- 共和暦
- (補足)フランス革命時における暦
- Unix Time
- (補足)1970年1月1日00:00:00(UTC)からの通算秒
上記に付け加えるべき他の紀年法
[編集]- ユリウス暦 - 1582年10月15日以降は食い違いが発生していて、他の紀年法なので。--Monaneko 2007年2月17日 (土) 09:08 (UTC)
問題点
[編集]- 旧暦の公式使用が途絶える1945年以降も旧暦の暦日を加えるか。
- 「中国」にどの範囲の王朝の元号までを登載するか。
- 私年号を入れるか。
- 周辺王朝の元号を「中国」に入れるか。
- 「朝鮮」に国王在位紀年は登載するか(市販年表では登載あり。使用実績もあり)。
- 各種紀元(特に皇紀・中華民国暦・朝鮮開国紀元・檀紀・主体暦・イスラム暦)について、実際に使用が開始された年から登載するか、それとも遡及するか。遡及する場合、「紀元前」を登載するか(中華民国暦には実際の使用例あり)。
- 「中国」と区別せずに国号(または王朝名)のみ記せば、この王朝は中国の王朝だとか、この国は朝鮮に属するだとか、ベトナムに属するとか問題にせずに済みます。あと、問題になるのは「過去に存在していた国の通年型の紀元は表記してもいいか?」ですかね。あと、あまり大量に表記すると見栄えが悪いとか・・・--Monaneko 2007年2月17日 (土) 08:37 (UTC)
- (国別の区分をしない)これは名案ですね。100%貫けるかはわかりませんが(ベトナムなどは明記しないとまぎらわしいかも)、他の方々のご意見も伺いたいと思います。--Novo 2007年2月18日 (日) 04:36 (UTC)
- (過去の通年型紀元)これも難題だと思っていました。「現在使われている紀元」も含め、結局、「その紀元が実際に使われていた期間」だけにするか、「さかのぼって「紀元前」まで書き、またくだって現在・未来まで書くか」という選択肢だと思うのですが、結局個別に決めるしかないでしょうか。--Novo 2007年2月18日 (日) 04:36 (UTC)
- (項目の制限)「見栄えが悪い」ということは考えに入れるべきでしょうね。でも中国元号を全部入れるとそれだけで10個ぐらい並ぶ年もありえます。--Novo 2007年2月18日 (日) 04:36 (UTC)
- もう一つ、旧暦を表示する場合旧暦2033年問題をどうするかという問題が。--Monaneko 2007年2月17日 (土) 09:11 (UTC)
- 未来のことが頭になかったのではっとさせられましたが、2033年と2034年だけを適当に「XX月」と書けばいいのではないでしょうか。--Novo 2007年2月18日 (日) 04:36 (UTC)
- (すこしピントがずれてすみません)Wikipedia上の問題として元号そのものの記事のTemplateの扱い。Wikipedia:削除依頼/Template:没の問題との兼ね合いですが、元号記事の下部の元号の先代次代のようなものは、テンプレートの仕様変更に追随する必要度が低いと思われます。subst処理をしておくことで後々の負荷軽減をしておくべきか、それとも記事のサイズを抑制しておくべきか、どちらがいいのかを見極めておきたいと思います。ちなみに、新羅の年号についてSubst処理をすると、600バイト増になってしまいました。→「(差分) (履歴) . . 太和 (新羅); 00:39 . . (+600) . . 田英 (ノート | 投稿記録) (→関連項目 - subst:)」--田英 2007年2月17日 (土) 09:32 (UTC)
- 詳しくないのですが、もっと簡易なTemplate(炎興など)も見かけるのですが、あれに戻すことはできないのでしょうか。--Novo 2007年2月18日 (日) 04:36 (UTC)
- 日本の元号のテンプレートに準じて作成したのですが、表示上としてもソースのサイズとしても、より小さなものに収めるということについては同意します。テンプレートのまま残すのではなく、Subst:によってhtmlタグ記述に展開しておくことで、後々のサーバ負荷を回避することを是としてはどうか、との提起のつもりで書いておりました。--田英 2007年2月18日 (日) 10:23 (UTC)
- お話よくわかりました。私は詳しくない分野ですが、ほかの方々からもご異議なければその方向に決めるということでいいと思います。--Novo 2007年2月18日 (日) 23:15 (UTC)
- 日本の元号のテンプレートに準じて作成したのですが、表示上としてもソースのサイズとしても、より小さなものに収めるということについては同意します。テンプレートのまま残すのではなく、Subst:によってhtmlタグ記述に展開しておくことで、後々のサーバ負荷を回避することを是としてはどうか、との提起のつもりで書いておりました。--田英 2007年2月18日 (日) 10:23 (UTC)
- 私年号の取り扱いに関してですが、中国の場合は王朝交代期には当初は私年号であったものが、中国を統一する過程の中で正式なものに変化する場合が見受けられます。そのためたまたま正式な年号になりそこねた私年号でも史書に記載された、或いは考古学の成果により使用が確認されているものに関しては記載しても問題ないかと考えています。--Yonoemon 2007年2月17日 (土) 13:48 (UTC)
- お話の通りですね。その上で「元号「使用」の定義」をどうするか、という問題があるかと思い、上のほうに書きましたので、ご意見をいただければありがたいです。私年号を載せる場合、文中での出典の明示を条件にすべきだ、というのが私の考えです。--Novo 2007年2月18日 (日) 04:36 (UTC)
- 正史に記載された周辺国や私年号に関しては記事が煩雑になりますので出典不要かと考えています。稗史にのみ記載された年号に関しては今後は出典を記載して編集作業を行ないたいと思います。--Yonoemon 2007年2月19日 (月) 05:23 (UTC)
- うーん、そうですねえ、煩雑といってもそれほど字数が増えることもありませんし、もともと個別年号の記事は平均的に短いですから、むしろ「項目の充実」になるのではないでしょうか。少なくとも、通常日本で市販されている、入手容易な年表等で確認(検証)できない私年号には、正史であれ稗史であれ、学術論文であれ出典明示が必要だと思うのですが(私自身出典をほとんど知りません)。--Novo 2007年2月20日 (火) 00:47 (UTC) 9字追加--Novo 2007年2月20日 (火) 01:08 (UTC)
- 建元 (漢)に出典文書を参考文献として記載しました。今後は出典を参考文献に記載するように致します。--Yonoemon 2007年2月20日 (火) 07:49 (UTC)
- どうもお疲れ様です。中原王朝に関してはほとんど異説はないと思いますので、異説のあるものについてのみ典拠を示して注記すればよいと思います。すでに作成された記事全てへの加筆を求めるつもりはありません(というか、自分でほとんど書かずに人の書いた記事に文句をつけているばかりではフェアでないですね)。「私年号」の範囲についてコンセンサスを作る方向で議論を進めたいと思いますが、いかがでしょうか。--Novo 2007年2月20日 (火) 16:06 (UTC)
- 正史の列伝等に記載のある私年号に関しては、掲載の巻数をもって出典として良いのではと考えます。(時期に異説のあるものは除く)--Himetv 2007年2月23日 (金) 13:34 (UTC)
- 私もHimetvさんに賛成です。正史、稗史問わず書名(、本紀・列伝等の名)、巻数を明記することでいいと思います。この場合「私年号」であるかどうかは、正史に「本紀」ないしそれに類するものが立っているかいないかで区別するのでしょうか。何らかの二次資料(年表など)の「慣例」に従うのでしょうか。--Novo 2007年2月24日 (土) 02:33 (UTC)
- 正史の列伝等に記載のある私年号に関しては、掲載の巻数をもって出典として良いのではと考えます。(時期に異説のあるものは除く)--Himetv 2007年2月23日 (金) 13:34 (UTC)
- どうもお疲れ様です。中原王朝に関してはほとんど異説はないと思いますので、異説のあるものについてのみ典拠を示して注記すればよいと思います。すでに作成された記事全てへの加筆を求めるつもりはありません(というか、自分でほとんど書かずに人の書いた記事に文句をつけているばかりではフェアでないですね)。「私年号」の範囲についてコンセンサスを作る方向で議論を進めたいと思いますが、いかがでしょうか。--Novo 2007年2月20日 (火) 16:06 (UTC)
- 建元 (漢)に出典文書を参考文献として記載しました。今後は出典を参考文献に記載するように致します。--Yonoemon 2007年2月20日 (火) 07:49 (UTC)
- うーん、そうですねえ、煩雑といってもそれほど字数が増えることもありませんし、もともと個別年号の記事は平均的に短いですから、むしろ「項目の充実」になるのではないでしょうか。少なくとも、通常日本で市販されている、入手容易な年表等で確認(検証)できない私年号には、正史であれ稗史であれ、学術論文であれ出典明示が必要だと思うのですが(私自身出典をほとんど知りません)。--Novo 2007年2月20日 (火) 00:47 (UTC) 9字追加--Novo 2007年2月20日 (火) 01:08 (UTC)
- 史料出典を記載することには賛成ですが、史料自体に誤謬がある場合もありますので、私年号に関しては史料を過信することなく史料批判をお願いします。--Yonoemon 2007年2月27日 (火) 00:45 (UTC)
- 基本的に賛成します。出典明示自体、第三者の検証によって誤謬を抑止するためのひとつの条件ですし、吟味した上での投稿が求められると思います。ただ、これは私もよくわかりませんが、投稿者の史料批判による情報の合成は独自調査にはあたらないのかということです。独自調査禁止をあまりやかましくいうのもどうかと思いますが、私の考えの力点は史料の信ぴょう性に疑いがある場合には立項しない、というところにあります。私年号については詳しくないのでご教示いただきたいのですが、たとえば稗史の信ぴょう性など、その辺の線引きについてはいかがですか。--Novo 2007年2月27日 (火) 03:42 (UTC) 18字追加--Novo 2007年2月27日 (火) 04:10 (UTC)
- どの史料を採用するか、どの学説を採用するかに関しては投稿者に任せ、諸説有る場合は正始 (北燕)のように別説も記載していくという方針で如何でしょうか。史学会の学説も定説化されたものばかりとは言えず、それらの諸説を出来る限り紹介し、定説化した場合は諸説を削除するという方針が最も中立的な編集方針だと考えています。
- 稗史のみならず遺物解読の信憑性に関してのガイドラインは実質上不可能ですので、諸説の集大成のような編集が行なわれることで閲覧者の利便を図って行きたいと考えています。--Yonoemon 2007年2月27日 (火) 04:43 (UTC)
- (上段落にインデントを加えました)なるほど、「史料批判」の意味を取り違えていました。二次史料を含め、狭義の史料批判(つまり考証)はせずすべて両論併記(ないし全論併記)でいくということですね。それなら公平ですね。その場合、たとえば字に異説がある場合のページ名については投稿者の判断に任せるということになりますか。--Novo 2007年2月27日 (火) 05:08 (UTC)
- あと、そのような編集方針を採るのであれば、私年号については、「だれだれの時代に用いられていたとされる年号」というような定義にして、私年号であることを明示する必要もありますね。--Novo 2007年2月27日 (火) 05:12 (UTC)
- 基本的に賛成します。出典明示自体、第三者の検証によって誤謬を抑止するためのひとつの条件ですし、吟味した上での投稿が求められると思います。ただ、これは私もよくわかりませんが、投稿者の史料批判による情報の合成は独自調査にはあたらないのかということです。独自調査禁止をあまりやかましくいうのもどうかと思いますが、私の考えの力点は史料の信ぴょう性に疑いがある場合には立項しない、というところにあります。私年号については詳しくないのでご教示いただきたいのですが、たとえば稗史の信ぴょう性など、その辺の線引きについてはいかがですか。--Novo 2007年2月27日 (火) 03:42 (UTC) 18字追加--Novo 2007年2月27日 (火) 04:10 (UTC)
- 正史に記載された周辺国や私年号に関しては記事が煩雑になりますので出典不要かと考えています。稗史にのみ記載された年号に関しては今後は出典を記載して編集作業を行ないたいと思います。--Yonoemon 2007年2月19日 (月) 05:23 (UTC)
- 前漢の元号と干支との対応について。前漢の元号と干支紀年が対応されて記述されていますが、当時、使われていたのは干支紀年法ではなく、木星の鏡像の位置で年を記した太歳紀年法です。各暦によって太歳の位置や超辰法に対する考え方が違いますので、例えば太初元年(紀元前104年)は、顓頊暦では丙子、太初暦では丁丑、三統暦では丙子と紀年が異なっています。ですから、前漢については干支紀年法によって遡って紀年したことを明記するなり、顓頊・太初・三統の紀年を並記するなりしたほうがよいのではないでしょうか。--Philolo 2007年2月27日 (火) 14:31 (UTC)
- Philoloさん、貴重なご意見ありがとうございます。やはり暦学・天文学も勉強しておかなければいけないですね。干支を拝見しましたが、実質的には西暦紀元後は問題ないということでよろしいでしょうか。今のところ紀元前には西暦各年ページがないので、さしあたり元号記事の記述をどうするかを検討する必要があるかと思います。別途ほかの問題とあわせてみなさまにおはかりします。--Novo 2007年2月27日 (火) 18:27 (UTC)
- 実質的に西暦紀元後というのはそう間違ってはいないと思います。太初暦に従えば、太初元年(前104年)から、三統暦に従えば太始2年(前95年)から、見かけ上、干支紀年と同じですから、史官たちがいつ木星によらず紀年するようになったかははっきり断定できませんが、史料で言えば、『史記』の司馬遷は太初の改暦作業に加わった人物であり、班固の『漢書』は劉キンの三統暦を掲載しているので、太歳紀年ということができ、干支紀年は『後漢書』からということはできます。しかし、よく考えると、後の通史は干支紀年法で遡って紀年しており、西暦で後から遡って紀年しているのと同じと考えれば、私が細かすぎるのかもしれません。--Philolo 2007年2月28日 (水) 01:30 (UTC)
- この指摘はいつか来るなと予測はしていました。私見ですが通史が干支紀年法を過去に遡及して使用していることから現状の記載で問題ないと考えています。史学を志した者としては顓頊・太初・三統の併記も有益な情報とも考えますが、大多数の閲覧者は干支紀年法以外の詳細な記載を行なうと混乱を招くのではと考えています。前漢の元号でなく、別の項目にこれらの情報を掲載したいですね。--Yonoemon 2007年2月28日 (水) 01:48 (UTC)
- 実質的に西暦紀元後というのはそう間違ってはいないと思います。太初暦に従えば、太初元年(前104年)から、三統暦に従えば太始2年(前95年)から、見かけ上、干支紀年と同じですから、史官たちがいつ木星によらず紀年するようになったかははっきり断定できませんが、史料で言えば、『史記』の司馬遷は太初の改暦作業に加わった人物であり、班固の『漢書』は劉キンの三統暦を掲載しているので、太歳紀年ということができ、干支紀年は『後漢書』からということはできます。しかし、よく考えると、後の通史は干支紀年法で遡って紀年しており、西暦で後から遡って紀年しているのと同じと考えれば、私が細かすぎるのかもしれません。--Philolo 2007年2月28日 (水) 01:30 (UTC)
「他の紀年法」の編集方針について
[編集]#元号「使用」の定義も関連しますのであわせてご参照ください。
すでに私も含め何人かの方から提起されている問題ですが、ある西暦年を他の紀年法と対照するときに、
- A. 遡及優先
- 今現在の観点や利便性を重視し、今使われている紀年法を遡及する。その当時にその紀年法が使われていたかどうかは顧慮しない。
- B. 史実優先
- その年に実際に使われていた紀年法を考証・復元する。現在の観点、利便性より史実を優先する。
以上二つの方向性があると思います。このどちらをとるかによって、「他の紀年法」及び個別元号記事の編集方針が大きく変わってきます。今簡単に具体例を表で整理してみます。
紀年法 | 遡及優先 | 史実優先 |
---|---|---|
太歳紀年法 | 言及しない | 干支と併記(または干支に代えて単独で記述) |
現行の各種紀元 | 元年から未来まで(または紀元前も)記述 | 使用開始年から未来まで記述 |
過去の各種紀元 | 元年から終了年まで(または紀元前も)記述 | 使用開始年から終了年まで記述 |
私年号 | 元年から終了年(と推定できる年)まで記述 | 使用が確認できる年だけ記述 |
私年号はやや話がずれますが、これは、確実な一次史料による建元や改元の出典がない元号の場合、使用が確認できる年から元年を逆算するかどうか(ほんとうに元年から使われていたのか)、という点でパラレルな問題になります(ですからたとえば高句麗の元号や日本の天皇在位紀年なども視野に入ってくる話です)。また、檀紀のように「現行」なのか「過去」なのか曖昧な場合、選択肢は4通りになり、問題がさらに複雑になります。
もちろん、どちらの方針も完全に徹底することはできないと思いますが、個別に考えていると編集方針を確定できないので、ここでいろいろな例を出していただいてまとめて検討したいと思います。ご意見をいただければ幸いです。--Novo 2007年3月1日 (木) 19:16 (UTC)
- 私年号の類では遡及優先で構わないように思います。文献の断片でも金石文の断片でも「ほげほげ○年」とあるならば、少なくとも元年~○年までは使われていたであろう事が強く推測できます(今後の発見例が増えることで、埋められると考えたいのです)。ただ、終了年のほうについては推定であることを示したほうがいいと思います。歳星紀年・太歳紀年は私自身が十分に理解できていないので、自らの意見は控えます。--田英 2007年3月2日 (金) 14:05 (UTC)
- 私は、私年号については、原則史実優先で、ある程度の合理性を基準に遡及する、という考えでいます。具体的に言いますと、「定義部で使用例しか史料的根拠がない(私)年号と明示する」「投稿者が確認できる使用例を全て(またはなるべく多く)出典提示する」「その上で、遡及した元年と終了推定年の西暦を"?"付きで載せる」というものです。具体的な編集方針は田英さんとそれほど変わりませんけれども、いかがでしょうか。--Novo 2007年3月5日 (月) 07:59 (UTC)
曖昧さ回避ページ作成の基準について
[編集]- 同一の元号が複数の年代に用いられている場合
- 個別の記事のページ名に「(王朝名。同一王朝が複数回同一元号を定めた場合は君主名)」をつけること。( )なしのページ名はすべて曖昧さ回避ページとすること。(以上Novo試案)
私の試案に基づいて、Yonoemonさんが「元和」を元和 (日本)へ移動し、元和(曖昧さ回避)を作成してくださいましたが、おもての解説にあるように、リンク元ページの修正を含めるとたいへん手間のかかる作業だとのご意見をいただきました。最初に試案を作成したときには日本のことをあまり考慮に入れていなかったので、再検討を要するかと思います。現時点での私の考えは、
- 原則徹底案
- 現在日本元号が記述されている項目は全て「(日本)」をつけたページ名に移動する。作業量が多いので、Yonoemonさんのご意見のように手分けして作業を行う。この案であれば、リンクを張る人がいちいち( )付けを意識しなくても、リンク先へ進んだ人が確実に目的のページに到達できます。ただし、リンク元ページの編集をしないと「曖昧さ回避ページにリンクを張らない」という原則からはずれること、現状では日本元号へのリンクが最も多いだろうと予想されるので、日本元号の執筆者、参照者の方々から異論が出る可能性があります。
- 省力案1
- ( )なし項目に日本元号の記述がある場合にはテンプレート{{otheruses|hoge|a|A|b|B|c|C|d|D|e|E|f|F}}で対応し、他の用例へ誘導する。現状はこの形の対応が多いのではないかと思います(ノート:元和 (日本)での2006年8月の議論でもこの案に収束しています)が、引数が6項までしかない。今後仮に私年号の項目まで作成するとすれば、足りない可能性がある。
- 省力案2
- ( )なし項目に日本元号の記述がある場合にはテンプレート{{otheruses}}で対応し、「○○ (曖昧さ回避)」へ誘導した上で、そこにほかの用例を記述する。移動の作業をせずにすみ、リンク元編集の必要も(おそらく)少ない分労力をかけなくてすむ。
の3つです。
個人的には「省力案」はやや「日本POV」かという思いもありますが、大規模な編集は大変ですし、「他の紀年法」の編集などもっと労力を要する編集作業もまっていますので、柔軟に考えたいと思います。これまで日本の元号の執筆者の方々にはこのプロジェクトの存在についてあまり広報していなかったので、そちらからもご提案やご意見をお寄せいただければ幸いです。Yonoemonさんから問題提起をいただいたことに感謝いたします。--Novo 2007年2月20日 (火) 06:17 (UTC)
- 上記案について少し補足しますが、原則徹底案の場合、リンク元の修正はプロジェクトの作業として義務付けなくてもよいのではないか、という考えを持っています。確かに「曖昧さ回避ページにリンクを張らない」という原則はあるのですが、作業量が膨大になります。またむしろ「"(曖昧さ回避)"のついてない曖昧さ回避ページ」にリンクする方がリンク元編集者にとっても楽ですし、全ての用例に対して平等な形になります(参照者にとっては迂回が面倒ですが、別の用例を知ることも出来ます)。
- 選択肢としては、
- 原則徹底案
- 省力案1(用例が少ないとき)+省力案2(用例が多いとき)
- という選択肢が現実的かなというのが私の考えです。
- いずれにしても、表の「解説」に書いてある私の草案も、ここのノートの議論も、まだ合意が形成され、オーソライズされた状態にはなっていないので、賛否双方を含むご意見をいただければと思います。議論に参加したから作業をしなければならないということはまったくありませんので、よろしくお願いいたします。--Novo 2007年2月22日 (木) 00:13 (UTC)
- 個人的には原則徹底案を支持したいです。そしてリンク元も完全修正…問題は誰がこの作業をやるかという点でしょう。やはり別の用例を提示することで、閲覧者の知識の増大に繋がるというのが最大の理由です。省力案もいいのですが、曖昧さ回避への誘導の表記を巡って編集合戦に発展している例もあるので、原則優先としておけば編集合戦になった場合の対応方針の提示になるかとも考えています。--Yonoemon 2007年2月23日 (金) 05:17 (UTC)
- 同じく、原則徹底案を支持します。リンク元の修正についてはbot対応も考えられるのですが、どなたかにお願いするとしても、該当語句のすべてが同一の修正内容にはならない(建元→建元 (漢)、建元 (前趙)、建元 (東晋)、建元 (前秦)、建元 (南朝斉)、建元 (新羅)、となりうる)ので、自動化というのは難しいですね。そもそも私にはbot運用の知識がありませんので現実的ではないですし、手作業で気長に修正していく、というのでも構わないと思います。--田英 2007年2月23日 (金) 11:22 (UTC)
- 原則徹底案支持が多いですね。私も同意しますが、リンク元修正については、全部やるとなると、田英さんのお話の通り自動化も困難ですし、新しい記事も続々現れるので、常時メンテナンスが必要ということになります。プロジェクト外とするか、作業順位を後に回したほうがいいように思います。それから、「大正」はベトナム莫朝に用例がありますが、「[[大正]]」を「[[大正 (日本)|大正]]」に張り替える作業は膨大さの割に益が少ないですし、本体の記事の移動を差し戻す人が定期的に現れて編集合戦になるかもしれません。日本元号がからむケースを洗い出してリストにする必要があるかもしれませんね。--Novo 2007年2月24日 (土) 02:33 (UTC)
- チェックしてませんでしたが、大正にはすでに大正 (曖昧さ回避)がありました。--Novo 2007年2月24日 (土) 02:45 (UTC)
- 同じく、原則徹底案を支持します。リンク元の修正についてはbot対応も考えられるのですが、どなたかにお願いするとしても、該当語句のすべてが同一の修正内容にはならない(建元→建元 (漢)、建元 (前趙)、建元 (東晋)、建元 (前秦)、建元 (南朝斉)、建元 (新羅)、となりうる)ので、自動化というのは難しいですね。そもそも私にはbot運用の知識がありませんので現実的ではないですし、手作業で気長に修正していく、というのでも構わないと思います。--田英 2007年2月23日 (金) 11:22 (UTC)
- 個人的には原則徹底案を支持したいです。そしてリンク元も完全修正…問題は誰がこの作業をやるかという点でしょう。やはり別の用例を提示することで、閲覧者の知識の増大に繋がるというのが最大の理由です。省力案もいいのですが、曖昧さ回避への誘導の表記を巡って編集合戦に発展している例もあるので、原則優先としておけば編集合戦になった場合の対応方針の提示になるかとも考えています。--Yonoemon 2007年2月23日 (金) 05:17 (UTC)
(インデント戻します)事例報告として、咸安が、咸安(東晋年号)、咸安郡(韓国慶尚南道)、咸安区(中国湖北省)という状態です。リンク元の件数を見ても手作業で推し進めてしまえるレベルだとは思いますが、方針決定までは様子見としておきます。咸安についてはzh:咸安 (年号)というリンクもありますので、外国語版への影響を考えると原則徹底とは言いにくくなるかもしれませんね。--田英 2007年2月26日 (月) 14:17 (UTC)
- お調べありがとうございます。外国語版へのリンクについては、ページ名は必ずしも同じでなくてもかまわないと思いますので、原則徹底案でも対応可能かと思います。しかし地名記事にまで影響があるとは考えが及びませんでした。いよいよ大規模な作業になりますね。リンク元修正、どうしましょうか。--Novo 2007年2月26日 (月) 18:35 (UTC)
原則として、括弧なし項目を曖昧さ回避ページにするということで良いとは思いますが、リンクされる記事数が500を超えるような場合は、大正式にした方が良いとは思います。元和は移動した際にすべてリンクのはりかえをされたとのことですが、既に張り替えが必要なリンクが増えていています。私も建武の張り替えをしましたが、次々に発生してきて、きりがありません。botの導入についても、元和や建武にリンクしているものが、必ずしも日本であるとは限らないので機械的に置換するわけにもいかず、難しいと思います。なお、括弧なしと括弧つきとの2つしかない場合は、「○○_(曖昧さ回避)」は作成しないということでいいですよね。oxhop 2007年4月15日 (日) 17:35 (UTC)
- プロジェクト参加のご署名をいただきありがとうございます。また共有ウォッチリスト拝見しました。大変便利なページを作成いただいて助かりました。
- 曖昧さ回避ページの取り扱いは難しい問題で、ご提案は上の「省力案1(2用例)+省力案2(3用例以上かつリンク元500以上)+原則徹底案(3用例以上かつリンク元500以下)」と理解します。私もある程度の手間を省く必要はあると考え、むしろ逆に考えて「プロジェクトとしてはリンク元の修正を義務付けない」という一文を原案に入れましたが、これはWikipedia全体のルールからは外れるものですし、そのままでいいかどうか再確認する必要があるかと思っておりました。改めてみなさまのご意向をうかがいたいと思います。--Novo 2007年4月16日 (月) 14:41 (UTC)
「プロジェクトとしてはリンク元の修正を義務付けない」とする件は、どちらでも良いのですが、個人的に放っておけない質で……。上では一応の目安として500件と書きましたが、私自身は元号記事に限らず、既存の括弧なし記事のリンク元を見て100件以上あったら、移動した上で曖昧さ回避化という方法をとるのに躊躇してしまいます。手間がかかって面倒なことの他に、需要という観点からもじっくり検討してみます。それで、迷ったときは、とりあえず、記事冒頭部から{{Otheruses}}で直接誘導、あるいは、複数ある場合は「_(曖昧さ回避)」のページをつくってそこへ誘導するようにしておけば、変更するのも簡単です。もしも逆に、移動して曖昧さ回避化してしまった後で、やっぱり戻そうということになった場合、元通りにするには管理者に削除してもらって移動という手順が必要になりますから。なお、
- 正統年号と私年号が1つずつの場合は、前者を括弧なし、後者を括弧付きにして、冒頭部で{{Otheruses}}を使って誘導。
- 同名地名(中国の市・県・区)がある場合、そちらには「市」「県」「区」が記事名につくので、1つしかない場合は、冒頭部で{{Otheruses}}を使って誘導(例: 長興)。
という感じでやってますが、どうでしょう。--oxhop 2007年4月19日 (木) 14:25 (UTC)
- なるほど。ご紹介いただいた方針は説得力あるものと感じました。私の「移動した上で曖昧さ回避化」という原案は、日本元号を他の元号と平等に扱うという発想から作り、現実の作業量や、需要の問題は最初考慮しておらず、あとから「リンク元修正義務解除」という間に合わせの対応策を付け加えたものです。プロジェクトとしてもどう決めておくかを再確認しておく必要があるかと思います。--Novo 2007年4月21日 (土) 06:26 (UTC)
- あえて苦言を呈させていただければ、「リンク元修正義務解除」は確かに編集する側には便利ですが、利用する側の事が余り考慮されていないように見受けられます。全ての人が曖昧さ回避にされた項目から適切な項目を見つけ出せる事を期待するのは余りにも酷ではないのでしょうか? 分からない事を調べに来たのに逆に迷子になったら、その利用者のウィキペディアに対する信頼は失墜するのではないのか? 私はその点を憂慮します。「リンク元修正義務解除」は一時的な措置としてはともかく長期に亘って適用すべき方針ではないと思います。--水野白楓 2007年4月28日 (土) 13:32 (UTC)
- ご忠言ありがとうございます。ご指摘の通り、利用者視点をおろそかにしていたと反省いたします。方向付けとしては、リンク元修正よりも曖昧さ回避を優先させるのではなく、膨大な件数のリンク元修正をしてまで移動するべきかどうかを判断し、移動した場合にはリンク元修正を行なう、というものに軌道修正を図ろうと思います。--田英 2007年4月28日 (土) 13:58 (UTC)
- やはり省力案をガイドライン化して、「リンク元修正義務解除」条項は削除した方がよろしいのでしょうかね。どちらのやり方をとるにしても、編集する側が気づかずに括弧なし元号に内部リンクした場合には、利用者は曖昧さ回避ページへ誘導され、そこから必要なページをクリックすることになりますから、水野白楓さんの指摘される「迷子」の可能性はゼロにはならないと思いますけれども。--Novo 2007年4月28日 (土) 14:24 (UTC)
- 上でoxhopさんも指摘されているように、移動後に曖昧さ回避ページにリンクされるケースの発生頻度を想定して、移動するのであれば慎重に、移動したならリンク元修正は必須としたいですね。あえて移動のことに触れないで(移動の基準については根本ルールの範疇として)、PJガイドラインでは省力案2としたほうがよいかも知れません。いずれにせよ「リンク元修正義務解除」条項の削除は必須と思いました。--田英 2007年4月28日 (土) 14:52 (UTC)
- そうですね。やはりWikipedia全体のガイドラインから外れる条項は入れない方がいいですね。oxhopさんのお話の通り、だいたい移動時のリンク元100ぐらいを基準にして原則徹底案と省力案を分ければいいかと思いますが、いかがでしょうか。--Novo 2007年4月28日 (土) 15:02 (UTC)
- 上でoxhopさんも指摘されているように、移動後に曖昧さ回避ページにリンクされるケースの発生頻度を想定して、移動するのであれば慎重に、移動したならリンク元修正は必須としたいですね。あえて移動のことに触れないで(移動の基準については根本ルールの範疇として)、PJガイドラインでは省力案2としたほうがよいかも知れません。いずれにせよ「リンク元修正義務解除」条項の削除は必須と思いました。--田英 2007年4月28日 (土) 14:52 (UTC)
- やはり省力案をガイドライン化して、「リンク元修正義務解除」条項は削除した方がよろしいのでしょうかね。どちらのやり方をとるにしても、編集する側が気づかずに括弧なし元号に内部リンクした場合には、利用者は曖昧さ回避ページへ誘導され、そこから必要なページをクリックすることになりますから、水野白楓さんの指摘される「迷子」の可能性はゼロにはならないと思いますけれども。--Novo 2007年4月28日 (土) 14:24 (UTC)
- ご忠言ありがとうございます。ご指摘の通り、利用者視点をおろそかにしていたと反省いたします。方向付けとしては、リンク元修正よりも曖昧さ回避を優先させるのではなく、膨大な件数のリンク元修正をしてまで移動するべきかどうかを判断し、移動した場合にはリンク元修正を行なう、というものに軌道修正を図ろうと思います。--田英 2007年4月28日 (土) 13:58 (UTC)
他の元号との対照表
[編集]自分で検索する際にあったら便利な情報として、他の元号との対照表を試験的に作成してみました。黄初で作成した表記に関し、修正すべき点などありましたらご意見をお願いしたいと存じます。--Yonoemon 2007年2月23日 (金) 05:17 (UTC)
- うーん、これはちょっとどうでしょうか。黄初二年→221年でリンクされており、221年の記事で他の年号を一覧参照できることですし、あえて拡大しなくてもいいように思いました。対照記載する範囲も中国だけでなく諸国へと拡げるのかどうか、年号がなく王の○年とした情報との比較が表現しきれなくなったりするので、○○○年記事の充実を図るほうが好ましいと考えます。--田英 2007年2月23日 (金) 11:22 (UTC)
- 王朝が並立していた三国時代や南北朝時代 (中国)、五代十国、五胡十六国に関しては史書を読む際に多王朝の年号が飛び交うことがあるので内容を拡張させてもいいかと考えています。とりあえずは三国時代のみ対照表を整備してみまして、それ以外は合意形成後の整備としたいと思います--Yonoemon 2007年2月23日 (金) 13:06 (UTC)
- 王朝の交代期には私年号も含めたものがあると良いと考えます。隋末唐初や明末等は特に。--Himetv 2007年2月23日 (金) 13:24 (UTC)
- 私は田英さんの意見に賛成なのですが、中文版にはYonoemonさんの案よりも簡便な形の例示(例:zh:黄初)があります。記述があれば便利なことは確かなので、さしあたりプロジェクトとしては作業順位を「他の紀年法」節の整備終了後にまわすということではいかがでしょうか。--Novo 2007年2月24日 (土) 02:33 (UTC)
- 王朝の交代期には私年号も含めたものがあると良いと考えます。隋末唐初や明末等は特に。--Himetv 2007年2月23日 (金) 13:24 (UTC)
- 簡便な記述として中文版を挙げておられますが、実際に史料を読解する際には一覧表形式の方が利便性が高いという経験から一覧表形式を採用しました。先ずは各項目を整備し、この問題は将来の課題と捉えたいと思います。--Yonoemon 2007年2月25日 (日) 08:09 (UTC)
- ひとまず将来課題とすること、一覧になっていることの利便性については同意です。対照表そのものは西暦年をキーにしておけば共通のものとして利用できるので、すべての年号記事に対照表をつけるよりは、10年単位(例として550年代など)、または50年単位(これは新設でしょうか)、100年単位(世紀だと大きすぎるかも)の一覧記事へ誘導する、というのはどうでしょうか。各記事に記述をするよりはディスク資源の消費を抑えられると思いました。誘導先の一覧表は#サンプル1のような感じで考えました。--田英 2007年2月25日 (日) 11:19 (UTC)
- 王朝が並立していた三国時代や南北朝時代 (中国)、五代十国、五胡十六国に関しては史書を読む際に多王朝の年号が飛び交うことがあるので内容を拡張させてもいいかと考えています。とりあえずは三国時代のみ対照表を整備してみまして、それ以外は合意形成後の整備としたいと思います--Yonoemon 2007年2月23日 (金) 13:06 (UTC)
サンプル1
[編集]西暦 | 551年 | 552年 | 553年 | 554年 | 555年 | 556年 | 557年 | 558年 | 559年 | 560年 |
干支 | 辛未 | 壬申 | 癸酉 | 甲戌 | 乙亥 | 丙子 | 丁丑 | 戊寅 | 己卯 | 庚辰 |
日本 | 欽明天皇12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 |
西魏 | 大統17 | -- | -- | -- | -- | -- | -- | -- | -- | -- |
北周 | -- | -- | -- | -- | -- | -- | -- | -- | 武成元 | 2 |
北斉 | 天保2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 乾明元/皇建元 |
新羅 | 開国元 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
自分で作っておいてナンですけど、横幅が不揃いでブサイクですね。--田英 2007年2月25日 (日) 11:19 (UTC)
サンプル2
[編集]日本 | 欽明12 | 欽明13 | 欽明14 | 欽明15 | 欽明16 | 欽明17 | 欽明18 | 欽明19 | 欽明20 | 欽明21 |
西魏 | 大統17 | -- | -- | -- | -- | -- | -- | -- | -- | -- |
北周 | -- | -- | -- | -- | -- | -- | -- | -- | 武成元 | 武成2 |
北斉 | 天保2 | 天保3 | 天保4 | 天保5 | 天保6 | 天保7 | 天保8 | 天保9 | 天保10 | 乾明元 皇建元 |
新羅 | 開国元 | 開国2 | 開国3 | 開国4 | 開国5 | 開国6 | 開国7 | 開国8 | 開国9 | 開国10 |
横幅のバランスを考え欽明天皇を欽明と表記し、改元の場合は改行とした上記はいかがでしょう?また西暦と干支ですが、これらの情報までまとめてしまうと、本来元号と西暦の対象を検索したい閲覧者にとって過剰な情報となり見づらいのではと考えています。西暦・干支の対照と元号対照は節を分けた方が無難なのではないでしょうか?
これらの点に関しては10年単位のページに誘導して表記するのであれば問題は解決しますが、10年単位ですと期間が短すぎますし、100年単位だと長すぎるという欠点があります。新に50年単位のページを作成することは検索の便宜上賛成しかねます。この点に関してはより議論を深める必要があると感じています。--Yonoemon 2007年2月25日 (日) 13:38 (UTC)
- (節分けさせていただきました→#サンプル2)50年単位のページの新設についてはそれほど強く主張するつもりはありませんので、ご放念ください。年号同士の対照表は、「どの項目に対して、対照範囲を何処まで広げるか」をしっかり見据えないといけないと感じます。三国時代、五胡十六国、宋遼金元について対照とするのは理解しやすいところですが、非漢字圏(乱暴なくくりですが)への対照は除外という認識でよろしいでしょうか?--田英 2007年2月26日 (月) 14:17 (UTC)
- 対照表の案を拝見しました。2サンプルとも力作と思います。2の方が幅が一定で見やすいですが、3字以上の元号だと結局一定にはならないですよね。
- ひとつ確認したいのですが、最初Yonoemonさんは個別元号記事への利用を考えていらっしゃったと思うのですが、西暦紀年の記事にも張りますか。特に10年紀や世紀の記事にも張るとなると、プロジェクトのもうひとつの大事業になりますね。田英さんのお話のように、項目をどの範囲にするのかということも問題になると思います(西暦紀年記事の一般性から考えると、元号以外の記載も考慮に入れないといけないかもしれません)。それから世紀に張るとなると、紀元前も対象に入ってきます(現状では各年の記事は1年以降なので元号は前漢末以降だけ考えればいいですが、世紀は紀元前30世紀まであります)ので、景帝 (漢)以前の在位紀年のことも考えておく必要が出てきます。古代は中国王朝でも異説が出てきますので、フォーマットと内容と両面からの検討が必要になるかと思います。--Novo 2007年2月26日 (月) 18:35 (UTC)
- 私は個別年号での使用を念頭においていました。西暦記事に使用するとなると、対象が広がりすぎてしまい、収集が付かなくなるのではと考えています。西暦の場合は各年のページに記載することで対応可能だと考えています。--Yonoemon 2007年2月27日 (火) 00:55 (UTC)
ガイドラインの策定と正式プロジェクトへの移行
[編集]参加者のみなさまのお力添えをいただいたおかげで、議論と提案が活発化しており、うれしく存じます。これまでの議論の展開から見て、もうそろそろ正式のプロジェクトへの移行を考えていいかと思いますが、いかがでしょうか。
移行のためにはガイドラインの策定が必要となります。これまでいただいたご意見を集約して、私の方で後日こちらにとりあえずの草案を提案させていただきたいと存じます。作成にはしばらく時間がかかると思いますので、その間に、まだ煮詰まっていない論点、議論が止まっている論点についても、随時ご意見いただければ幸いです。現時点での移行の可否についてもご意見があればお寄せください。よろしくお願いいたします。--Novo 2007年2月26日 (月) 19:01 (UTC)
- 取りまとめお疲れ様です。ただ、現在の内容だと、PJ紀年法というよりはPJ元号の位置に留まっているようにも思います。紀年で捉えようとする範囲は元号・年号だけではなく「君主の○○年」にも及ばせるべきものとも思いますので、その辺りを汲んでいただいて草案作成されますことをお待ちいたします。--田英 2007年2月27日 (火) 02:06 (UTC)
- 了解しました。上のほうで提起しておいたのですが、朝鮮の国王在位紀年はすべて載せるという方向でよろしいでしょうか(今のところ「独自の紀年法なし」とわざわざ書いてある西暦年記事もあったりします)。あと日本書紀に基づく天皇在位紀年のほうは全部まじめに入れるべきでしょうか。琉球史では中国元号のほかに独自に国王在位紀年をつかうこともあるのですが、どうしたらいいでしょうか。たぶん世界中にはほかにも在位紀年は多いと思いますが、あまり知識がないので、これについては他の詳しい方からのご指摘を待つことにします。
- 議論が元号に集中するのは、やはり改元のない紀元と比べて元号が複雑であるからだと思います。紀元についても何かありましたら「上記に付け加えるべき他の紀年法」のところに加えていただくと助かります。みなさまよろしくお願いいたします。--Novo 2007年2月27日 (火) 05:34 (UTC)
- 私の観点は西暦年基点になっていて、○○○年記事に対してその当時に存在した国家の王の在位年を網羅することを想定しておりました。特に「朝鮮国王」の在位紀年を載せたいという意図ではありません。元号の問題はややこしくて皆さんの智恵を持ち寄るべきテーマあると思いますが、元号関連に偏りすぎていると、紀年法を扱うPJとしては東アジアPOVではないか、と思ったわけです。(西暦年基点ということで西欧POVとの突っ込みがあるかもしれませんが)--田英 2007年2月27日 (火) 07:06 (UTC)
- なるほど、了解しました。ちなみに「朝鮮の国王」という表現はやや不用意で、新羅や高句麗や百済も入れるか、という趣旨のつもりでした。私は李朝を入れるなら、それから日本の天皇在位紀年を入れるなら、同様に入れていいと思います。
- 「その当時に存在した国家の王の在位年を網羅する」というのは大変な作業ですね。さしあたりプロジェクトとしては在位紀年法使用の実績のある君主に限った方がいいのではないでしょうか。責任を持って書ける執筆者(特に西洋史方面)のご参加が今のところありませんし。
- ここで決めるガイドラインはそれほど強制力があるものではありませんし、現時点の参加者から言って「東アジアPOV」であることはやむを得ないと思います。もう少し広く宣伝した方がいいのでしょうか(マルチポストになってしかられるかな)。--Novo 2007年2月27日 (火) 18:05 (UTC)
- 私の観点は西暦年基点になっていて、○○○年記事に対してその当時に存在した国家の王の在位年を網羅することを想定しておりました。特に「朝鮮国王」の在位紀年を載せたいという意図ではありません。元号の問題はややこしくて皆さんの智恵を持ち寄るべきテーマあると思いますが、元号関連に偏りすぎていると、紀年法を扱うPJとしては東アジアPOVではないか、と思ったわけです。(西暦年基点ということで西欧POVとの突っ込みがあるかもしれませんが)--田英 2007年2月27日 (火) 07:06 (UTC)
これまでいただいたご意見や提案に基づいて、ガイドライン草案を提案させていただきました。なお検討が必要な部分もあると思いますので、ご意見をノートの方におよせいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。--Novo 2007年3月9日 (金) 19:58 (UTC)
正式リリースの提案
[編集]ガイドライン草案提案後いろいろご意見をいただいて修正してきましたが、そろそろガイドライン及びプロジェクト全体の正式リリースに向けて集約していきたいと考えておりますので、引き続きご意見等をお寄せ下さい。大きなご異議がなければ、1,2週間後には移行したいと考えております。よろしくお願いいたします。--Novo 2007年3月26日 (月) 07:06 (UTC)
- その後引き続きWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 紀年法/ガイドライン草案での検討が続いており、リリースは合意形成の後に行うことになります。ご報告いたします。--Novo 2007年4月21日 (土) 06:26 (UTC)
カテゴリ:五代十国の元号について
[編集]Category:五代十国の元号とCategory:五代十国時代の元号が重複しました。Category:五代十国時代の元号は私が作成したので、中身を以前から存在していたCategory:五代十国の元号に移動させ、Category:五代十国時代の元号を削除すべきだと考えます。--小川尚明 2007年5月16日 (水) 04:37 (UTC)
- どうも、はじめまして、田英といいます。ご承知かとは思いますが、カテゴリの中身の移動はできないので、対象となる記事(応順など)のほうでカテゴリ修正をしていただき、採用されている記事がない状態にしてから削除依頼に提出としていただければよいと思います。仰るとおり、「Category:五代十国時代の元号」を削除対象としていただければよいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。--田英 2007年5月16日 (水) 12:38 (UTC)
- コメント遅れましてすみません。私も「Category:五代十国時代の元号」を削除すればいいと思います。作成者の方からご意見をいただきましたので、作業を進めさせていただきます。よろしくお願いします。--Novo 2007年5月17日 (木) 13:02 (UTC)
- 削除依頼出しました。--Novo 2007年5月17日 (木) 14:13 (UTC)