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ワム!

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Whamから転送)
ワム!
ジョージ・マイケル(左)とアンドリュー・リッジリー(右)
基本情報
出身地 イングランドの旗 イングランド ハートフォードシャー ブッシー英語版
ジャンル
活動期間
レーベル
旧メンバー

ワム!英語: Wham!)は、ジョージ・マイケルアンドリュー・リッジリーで構成されるイギリスポップデュオ[1][2]1980年代前半から中盤にかけヒット曲を連発し、高い人気を誇った。

略歴

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1981年、小学校からの同級生であるジョージ・マイケルアンドリュー・リッジリーのデュオとして活動を開始。音楽面をジョージ、ステージ構成やビジュアル面をアンドリューがそれぞれ分担して受け持った。

1982年、シングル「Wham Rap! (Enjoy What You Do)」で、彼らの知人が運営していたインナーヴィジョン・レコーズよりCBSレコード経由でのインディーズとしてデビュー。

2枚目のシングル「Young Guns (Go for It)」から徐々に人気が高まり、ポップで快活な曲調と2人のルックスの良さも相まって話題となった。また、BBCの人気番組『トップ・オブ・ザ・ポップス』に出演したことで一気に知名度が上昇。一躍ティーンのカリスマとしてアイドル的人気を得た。

1983年、ファースト・アルバム『ファンタスティック』を発表。イギリスでは史上4組目となるデビュー・アルバムの初登場1位を獲得。「バッド・ボーイズ」などのヒット曲を放ち、イギリス国内では瞬く間にトップスターとなる。同時期にアメリカでもデビュー。しかし、アメリカでは当初ビルボード誌にチャートインこそしたが、ヒットには至らなかった。

年末にプロモーションで初来日、『レッツゴーヤング』『ザ・トップテン』等の歌番組などにも出演した。

しかし、その後、所属していたインナーヴィジョン・レコーズが、12インチ・シングル『CLUB FANTASITIC MEGAMIX』(アルバム収録曲をメガミックスした楽曲を収録、日本未発売)を本人達の承諾を得ず勝手に楽曲を編集、レコードを発売したため2人は激怒し、「この12インチ・シングルを絶対に購入しないように」とファンに呼びかけた。

1984年、前述の騒動から所属レーベルをエピックに変更し、アルバム『メイク・イット・ビッグ』を発表。このアルバムからは「ケアレス・ウィスパー」をはじめ数々のヒット曲が生まれ、イギリスのみならず世界中で爆発的な人気を博した。日本でもマクセルカセットテープのテレビCMに2人で出演(CMソングには「バッド・ボーイズ」と「フリーダム」が使われた。但し、歌詞が両方ともオリジナルとは全く異なる)した。人気の上昇に伴い、1985年1月に来日公演が行われた。

日本の新御三家であった西城秀樹郷ひろみが、共にリアルタイムでワム!の楽曲「ケアレス・ウィスパー」をカバーした(西城は「抱きしめてジルバ -Careless Whisper-」の題名でリリース)。

同年に発表されたシングル「ラスト・クリスマス」は、現在もクリスマスソングの定番曲として親しまれている。

1985年、イギリスのポップ・アーティストとしては初めて大々的な中華人民共和国での公演を北京(4月7日に北京工人体育館)と広州(zh:中山纪念堂 (广州))にて行った[3]。中国滞在中のワム!の様子は、「フリーダム」のミュージックビデオで確認することができる。

人気が絶頂を極める中、1986年に突如解散を発表。日本盤ベストアルバム『ザ・ベスト』のライナーノーツで解散理由を「ユニットとしてやることはやりつくしたから」と記載している。

1986年6月28日、ウェンブリー・スタジアムにて解散ライブを敢行。デビューしてから解散するまで、わずか4年ほどであった。

ディファレント・コーナー (A Different Corner) は、後に歌手・編曲家の Marc Engelhard も録音した大ヒット曲である[4]

1991年、ブラジルで行われたイベント『ロック・イン・リオII』でジョージの公演が行われた際、アンドリューがゲスト出演。一夜だけ再結成(実際は解散後にジョージが出演したエイズ撲滅コンサート『Live Stand by Me』にて、アンドリューと一緒に『Everything She Wants』を演奏した)され、二人がステージ上にてパフォーマンスを行った。

2006年12月、ジョージのソロ公演にアンドリューが15年振りにゲストとして参加。これが2人での最後のパフォーマンスとなる。その後再結成の話も持ち上がったが、最終的にこの話は流れた。

2016年12月25日、ジョージが死去[5][6]

ディスコグラフィ

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順位は各チャート最高位

アルバム

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シングル

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日本公演

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関連項目

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脚注

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  1. ^ a b c d e Nimmervoll, Ed. Wham! | Biography & History - オールミュージック. 2020年7月31日閲覧。
  2. ^ Rettenmund, Matthew (15 October 1996). Totally awesome 80s. St. Martin's Press. pp. 60-. ISBN 978-0-312-14436-4. https://books.google.com/books?id=Q7rELTyAeAsC&pg=PT60 2020年7月31日閲覧。 
  3. ^ McCarty, L. Y. (2010). “‘Big in Japan’: Orientalism in 1980s British Pop Music”. The Mid-Atlantic Almanack 19. http://mapaca.net/almanack/2010/contents. 
  4. ^ Past Corner” (2019年). 2022年4月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年4月18日閲覧。
  5. ^ “Ex-Wham! singer George Michael dies”. BBC. (2016年12月). http://www.bbc.com/news/uk-38432862 
  6. ^ “ジョージ・マイケルさん死去 53歳、元「ワム!」”. 朝日新聞. (2016年12月26日8時23分). http://www.asahi.com/articles/ASJDV2Q3HJDVUHBI002.html 2016年12月26日閲覧。 
  7. ^ ワム!のベーシスト、デオン・エスタスが65歳で死去 | NEWS | MUSIC LIFE CLUB

外部リンク

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