コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

タグ・ホイヤー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
TAG Heuerから転送)
TAG Heuer S.A.
種類
子会社
業種 時計製造業
設立 1860年 (164年前) (1860)
創業者 エドウアルト・ホイヤー
本社
事業地域
世界の旗 世界
主要人物
ジュリアン・トルナーレ(CEO
製品 時計,アクセサリー
親会社 LVMH
ウェブサイト tagheuer.com

タグ・ホイヤー (TAG Heuer) は、スイスの高級時計メーカーである。

概要

[編集]

ドイツ系スイス人で、ベルン州ブリュックドイツ語版出身のエドウアルト・ホイヤードイツ語版1840年 - 1892年)が1860年に設立した。設立当初からストップウオッチや、クロノグラフといったスポーツウオッチの開発に力を注いでおり、クロノグラフの歴史に貢献している。近年では、トゥールビヨンや磁気を利用した新たなムーブメントの開発を行っている。

1985年までの社名はホイヤーであった。クォーツショックで資金難だったところをマンスール・オジェ率いるTAGグループ (Techniques d'Avant Garde) から資金援助を受け、現在の社名に変更。その後1999年9月にLVMHが同社の株式の50.1%を取得し、現在はLVMH傘下となっているが、前グループの冠(TAG)は外していない[1]

2003年まではF1の公式計時を担当していたが、同年限りでF1の公式計時から撤退する一方で、2004年よりインディカー・シリーズの公式計時を担当している。

日本における人気

[編集]

スイス時計協会FHが2016年に実施した消費者意識調査によると、日本人男性(30万円以上の腕時計に関心がある人)が所有している腕時計ブランドのランキングにおいて、タグ・ホイヤーがロレックスオメガスウォッチに次いで4位、また日本人男性が欲しい腕時計ブランドのランキングにおいては、ロレックス、オメガに次いでタグ・ホイヤーが3位に位置している[2]

歴史

[編集]
  • 1840年2月15日 - ビール近郊のブラグで[3]創業者のエドウアルト・ホイヤー (Edouard Heuer ) が産まれた[4]
  • 1856年 - 創業者のエドウアルト・ホイヤーがサンティミエの時計メーカーLs.Kierneur&Filsに入社[3]
  • 1859年 - エドウアルト・ホイヤーがスザンナ・マグダレナ・シェルツと結婚した[4]
  • 1860年 - エドウアルト・ホイヤーによりスイスのサンティミエでエドウアルト・ホイヤー・ウォッチメーカーズ設立[3]
  • 1861年 - 創業者の長女ルイズ(ルイーゼ)・ホイヤー (Louise Heuer ) が産まれた[5]
  • 1869年 - ビールに移転した[3]
  • 1871年 - 創業者の長男シャルル(カール)・ホイヤー (Charles Heuer ) が産まれた[6]
  • 1876年 - ロンドンに支社を設立した。
  • 1878年 - ルイズ・ホイヤーが入社した[3]。時計メーカー向けの宝飾加工を行なっていたフリッツ・ラムベレが事業に参加し、ホイヤー・ラムベレ&カンパニー・ビエンヌ&ロンドンを設立[3]
  • 1882年 - クロノグラフで特許取得[3]。懐中時計のクロノグラフの製造を開始した[3]。ロンドン支店閉鎖[3]
  • 1885年 - フリッツ・ラムベレが独立し、エド・ホイヤーに商号変更した[3]
  • 1892年 - エドウアルト・ホイヤー死去[6]
  • 1896年 - シャルル・ホイヤーの長男シャルル・ホイヤーJr.が産まれた[4]
  • 1901年 - シャルル・ホイヤーの次男ウベール(フーベルト)・B・ホイヤー (Hubert B. Heuer ) が産まれた[7]
  • 1916年 - シャルル・ホイヤーJr.が入社。世界初の100分の1秒まで計測可能なストップウオッチ『マイクログラフ』を開発。
  • 1920年 - アントワープオリンピックの公式計時を初めて担当。高級ブランドだったユール・ヤーゲンセンを購入した。
  • 1923年 - シャルル・ホイヤーの次男ウベール・B・ホイヤーが入社[8]。シャルル・ホイヤー死去[9]
  • 1929年 - ホイヤーのロゴが作成された[8]
  • 1932年 - ジャック・W. ホイヤーが産まれた[4]
  • 1953年 - 日本で商標登録した[10]
  • 1964年 - クロノグラフの製造会社レオニダスと合併、正式な社名はホイヤー=レオニダスとなる[11]
  • 1967年 - 自動巻クロノグラフ、キャリバー11の開発を始めた[12]
  • 1969年 - 角型時計としては世界初の防水クロノグラフ『モナコ』、世界初の自動巻きクロノグラフ『クロノマチック』などを発表[12]
  • 1971年 - スクーデリア・フェラーリのF1公式計時を初めて担当、当時のドライバーはクレイ・レガツォーニジョー・シフェール[12]スティーブ・マックイーンが映画栄光のル・マン中で『モナコ』を着用し、レーシングスーツにホイヤーのロゴをつけて出演した[13]。スイススキー連盟と契約を締結、スイススキーチームがホイヤーのクロノグラフを使用した[12]
  • 1974年 - シャルル・ホイヤーJr.死去[6]
  • 1982年 - ピアジェの傘下に入る。4代目ジャック・W. ホイヤーが社長から退任し、創業者一族による経営は途絶えた。ジャック・W. ホイヤーは、その後コンピューター関係の仕事に携わった。
  • 1985年 - ピアジェの傘下から離れ、TAGグループからの資金援助を受けて『ホイヤー』から『タグ・ホイヤー』に社名を変更。
  • 1999年 - テクニーク・ダバンギャルド (Techniques d'Avant Garde) から売却され、LVMHの傘下に入る。しかし、既に商標として定着している為、元親会社の商標が外されず、現在も社名に-TAG-を残す。その為、元親会社許諾を得て商標を使用している。
  • 2001年 - CEOジャン・クリストフ・ババンの懇請で、ジャック・ホイヤーが名誉会長に就任。
  • 2004年 - インディカー・シリーズの公式計時を初めて担当。
  • 2013年 - ジャン・クリストフ・ババンがブルガリCEOに就任し、代わってステファン・リンダーがCEOに就任[14]。ジャック・ホイヤーが、81歳誕生日の前日11月17日に名誉会長を退任[15]
  • 2016年 - イングランドプレミアリーグの公式タイムキーパーを担当[16]、同リーグのマンチェスター・ユナイテッドFCと公式タイムキーパー並びにグローバルパートナー契約を結ぶ[17]Jリーグとのトップパートナー契約も締結し、公式タイムキーパーとなった[18]
  • 2020年 - 新CEOとして親会社であるLVMH会長のベルナール・アルノーの三男であるフレデリック・アルノーが就任。
  • 2024年 - 新CEOとしてグループ会社であるゼニスCEOであったジュリアン・トルナーレが就任。

代表モデル

[編集]
モナコ
  • アクアレーサー (Aquaracer )
  • カレラ (Carrera )
    • グランドカレラ (Grand Carrera )
  • エレノア (Erenoa )
  • F1(1986年発売[19]) - 樹脂を使用したモデル[20]
    • F1クロノグラフ
  • キリウム (Kirium )
  • リンク (Link ) アイルトン・セナが愛用していた「Se/l」コレクションの後継機としてリリースされた。
  • モナコ (Monaco ) - 1971年映画『栄光のル・マン』中、主役のスティーブ・マックイーンが装着したことで知られる。古くからモータースポーツの計時を担当していたホイヤー社(現在のタグ・ホイヤー)と縁のあるサーキットがモナコであり、そのグランプリに敬意を表し、ホイヤー社は新たなモデルを開発。それがマイクロローターを採用した世界初の自動巻きクロノグラフムーブメント「クロノマティック」を搭載。後に、復刻モデルが多数リリースされ、豊富なモナコ・ファミリーがラインナップされた。
  • モンツァ (Monza )
  • フォーミュラ (Formula )
  • S/el(セル、スポーツ・アンド・エレガンスの略称、1987年発売[21])現在は廃番。リンクに継承された。
    • S/elレザー(1991年発売[19]) - 革バンドを採用した[22]
    • S/elクロノグラフ(1988年発売) - クォーツモデルの一部で1/100秒までの計測が可能[23]
  • 1000シリーズ(1000Series 、1985年発売[19]
  • 1500シリーズ(1500Series 、1990年発売[19]) - 入門用の手頃な価格のモデル[24]
  • 2000シリーズ(2000Series 、1983年発売[19]) - 基本ラインでクォーツと自動巻があり、200m防水[25]。現在は廃番。アクアレーサーに継承された。
    • 2000クロノグラフ(1988年発売) - クォーツモデルの一部で1/100秒までの計測が可能。
  • 3000シリーズ(3000Series 、1985年発売[19]
  • 4000シリーズ(4000Series 、1990年発売[26]
  • 6000シリーズ(6000Series 1991年発売[19]) - 最高級ライン[27]
    • 6000ゴールド(1994年発売[19]) - ケース素材にK18ゴールドを採用、クロノメーター規格に合致した自動巻を搭載する[27]

モータースポーツ

[編集]
レッドブル・RB13 タグ・ホイヤー

自動車レースの最高峰・F1にて、ホイヤーは1970年代にフェラーリのスポンサーとなる。一方TAGは、79年から83年シーズンまでウィリアムズチームのスポンサーとなる。1984年からマクラーレンチームの要請でポルシェが開発した、1,500ccV6ターボエンジンに資金提供したため「TAG」のバッジネームを付けて参戦。1984年から1986年まで、3年連続でF1のチャンピオンエンジン(86年はドライバーズタイトルのみ)となる。86年シーズンから「TAG HEUER」ロゴを掲出し、スポンサーとして2015年まで同チームを支える。2016年からレッドブル・レーシングのスポンサーとして長期に渡って活動している。その関係でアイルトン・セナ片山右京キミ・ライコネンなどF1ドライバーの名前を冠したモデルを多数発売している。

2016年から2018年までレッドブル向けに製造されたルノーパワーユニットエンジン+ハイブリッドシステムの総称)は、両社の紛糾の結果として[28]『タグ・ホイヤー』のバッジネームで供給が行われていた[29]

スポンサー活動

[編集]

タグ・ホイヤーはロンドン・シカゴ・ニューヨークシティのワールドマラソンメジャーズ大会、マンチェスター・ユナイテッドFIM世界耐久選手権レッドブル・レーシングF1モナコグランプリFIAフォーミュラE選手権インディアナポリス500MXGPオーストラリアン・オープンなどのオフィシャルタイムキーパーとして務めている。かつてタイガー・ウッズも名前を冠したモデルなども存在し、この時計を身につけたが、不倫スキャンダル問題で契約を解除した。マリア・シャラポワも2016年3月の緊急会見にてドーピングが報じられたことから、契約を中断した。

アンバサダー

[編集]

過去のアンバサダー

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ TAG accepts LVMH bid CNN Money 1999年9月13日
  2. ^ 腕時計に関する消費者意識調査2016スイス時計協会FH、2016年5月30日、23・26頁https://www.fhs.jp/file/121/2016_Japan_Consumer_Survey_-_Summary_-_Jpn.pdf 
  3. ^ a b c d e f g h i j 『タグ・ホイヤー物語』p.36。
  4. ^ a b c d 『タグ・ホイヤー物語』p.31。
  5. ^ 『タグ・ホイヤー物語』p.31、p.36。
  6. ^ a b c 『タグ・ホイヤー物語』p.31、p.37。
  7. ^ 『タグ・ホイヤー物語』p.31、p.38。
  8. ^ a b 『タグ・ホイヤー物語』p.38。
  9. ^ 『タグ・ホイヤー物語』p.31。p.38。ただしp.37は1920年とする。
  10. ^ 『タグ・ホイヤー物語』p.40。
  11. ^ 『タグ・ホイヤー物語』p.40、p.41。
  12. ^ a b c d 『タグ・ホイヤー物語』p.41。
  13. ^ 『タグ・ホイヤー物語』p.41、年表では1970年だが栄光のル・マンの公開は1971年。
  14. ^ タグ・ホイヤーの新CEOにステファン・リンダーが就任2013年5月7日、2013年7月10日閲覧
  15. ^ 『カレラ完全マスターBOOK2013』P.5
  16. ^ タグ・ホイヤー、イングランド プレミアリーグと契約!”. ORICON STYLE (2016年4月27日). 2016年12月24日閲覧。
  17. ^ マンチェスター・ユナイテッド、タグ・ホイヤーとパートナーシップを締結”. TAG Heuer (2016年7月24日). 2016年12月24日閲覧。
  18. ^ タグ・ホイヤーがJリーグとのパートナー契約締結発表会を実施 SOCCER KING(2016年10月26日)2017年6月25日閲覧
  19. ^ a b c d e f g h 『タグ・ホイヤー物語』p.43。
  20. ^ 『タグ・ホイヤー物語』p.135。
  21. ^ 『タグ・ホイヤー物語』p.43、p.99。
  22. ^ 『タグ・ホイヤー物語』p.111。
  23. ^ 『タグ・ホイヤー物語』p.105。
  24. ^ 『タグ・ホイヤー物語』p.129。
  25. ^ 『タグ・ホイヤー物語』p.121。
  26. ^ 『タグ・ホイヤー物語』p.43、117。
  27. ^ a b 『タグ・ホイヤー物語』p.89。
  28. ^ レッドブルが勝てない原因をルノーに求め、公に批判することを続けた結果、ルノーは供給の条件として同社以外の名義を求めたため
  29. ^ レッドブル、ルノー製『タグ・ホイヤー』PUを発表”. オートスポーツweb. 2015年12月4日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 『タグ・ホイヤー物語』ワールドフォトプレス
  • 『TAG Heuer カレラ完全マスターBOOK2013』、WATCHNAVI2013年夏号

外部リンク

[編集]