SRY
SRY(Sex-determining region Y、Y染色体性決定領域遺伝子)とは哺乳類のY染色体上にあり、胚の性別を雄に決定する遺伝子[5][6][7]である。哺乳類特有の性決定遺伝子であり他の生物ではアフリカツメガエルのDM-W[8]、メダカのDMY[9]のように別の遺伝子が性決定に関与する。
"Sex-determining region Y"を日本語に翻訳すると「Y染色体性決定領域遺伝子」となるが、通常SRYまたはSRY遺伝子と表記する。翻訳産物であるSRYタンパク質は遺伝子本体が不明だった時代にはTDF(testis determining factor:精巣決定因子・睾丸決定因子)と呼ばれ[10][11][12]、遺伝子が同定された後もタンパク質の呼称としてはTDF・SRY双方が使われている。
機能と構造
[編集]SRYは脊椎動物で初めて発見された性決定遺伝子である[13]。Y染色体短腕のY染色体特異的領域に存在しており、限性遺伝する[14]。大部分の哺乳類で雄への性決定を行う遺伝子であるが、単孔類と一部のネズミには存在しない[15][16][17]。
- 機能
- SRYの発現は胚の性決定のスイッチとなり、未分化の生殖腺を精巣へと誘導する。SRY自体はその後の性分化の過程には直接関わらず、精巣で作られたアンドロゲンが雄への性分化を支配する[7]。SRYが精巣決定因子の機能を持つことは、マウスXX胚にSRY遺伝子を導入すると精巣が形成されて雄となることで確認された[18]。
- SRYが機能欠損あるいは欠失した場合、つまりSRY遺伝子に突然変異が起きて機能しない場合あるいは不等乗換えによってSRYがX染色体上に転座した場合などにはY染色体を持つ胚でも生殖腺は卵巣に分化しその個体は雌となる(スワイヤー症候群)[19]。
- 2006年に公表された論文では成熟雄ラットの神経系においてSryが発現しており、その結果、性ホルモンを介在せずに脳の性差をもたらしていることが示唆されている[20]。
- 構造
- SRYのDNA塩基配列はイントロンを含まず、タンパク質の構造の特徴としてHMGボックスと呼ばれるDNA結合領域を持つ[19]。このHMGボックス構造を含みSRYと60%以上の相同性を持つ遺伝子群はSOX(SRY-related HMG box)遺伝子ファミリーと呼ばれる[6][21]。SRYおよびSOXファミリーは、HMGボックスで他の遺伝子の発現制御部位のDNA配列に結合する転写因子であると考えられている[22][23]。
性別判定への利用とその問題点
[編集]ヒトの性決定について性染色体の関与の判明、さらに進んでSRYの同定がなされるとそれらを用いた性別判定が行われるようになった。1960年代では、女性に特異的なX染色体ヘテロクロマチン構造(バー小体=Xクロマチン)および男性特異的なY染色体ヘテロクロマチン構造(Yクロマチン)の観察によって性別判定が行われた[24][25]。
SRYが同定された後の1992年および1996年の近代オリンピックでは、SRYの存在が性別判定に用いられた。しかしながら、アメリカ合衆国の各種医療団体・学術団体はこれらの判定方法に問題があることを指摘した[25][26]。その結果、2000年のオリンピック以降、SRYによる性別判定は行われていない。
上記で問題とした性染色体の存在数あるいはSRY遺伝子の存在による性別判定の不確実性は前述の「機能」の副節で触れたSRY転座 X/Y染色体による性別の逆転(XX男性・XY女性)、突然変異(1塩基欠失・1塩基置換)によるTDF機能不全SRYでは表現型が女性となることなどからもたらされている。また性分化に関与するSRY以外の遺伝子群の一部の遺伝子に突然変異がある場合も、性分化異常症による性分化疾患をもたらすことも[7]、上記判定法が不正確になる要因となっている。
脚注
[編集]- ^ a b c GRCh38: Ensembl release 89: ENSG00000184895 - Ensembl, May 2017
- ^ a b c GRCm38: Ensembl release 89: ENSMUSG00000069036 - Ensembl, May 2017
- ^ Human PubMed Reference:
- ^ Mouse PubMed Reference:
- ^
遺伝子記号およびタンパク質記号の表記は、生物種ごとに異なっている(右の付表および遺伝子命名法を参照)。この記事では明らかにラット・マウスの遺伝子である場合を除いて、哺乳類Sex-determining region Y遺伝子のオーソログ全てをSRYで統一して表記する。 付表.Sex-determining region Y 遺伝子とタンパク質の表記 種 遺伝子記号 タンパク質記号 ヒト Homo sapiens SRY SRY ラット Mus musculus
マウス Rattus norvegicusSry SRY - ^ a b 武藤照子「哺乳類における性決定遺伝子と生殖巣の分化」(岡田益吉、長濱嘉孝、中辻憲夫編『生殖細胞の発生と性分化』)
- ^ a b c 諸橋憲一「哺乳類における生殖腺の性分化」『蛋白質核酸酵素』2004年2月号
- ^ Yoshimoto S, Okada E, Umemoto H, Tamura K, Uno Y, Nishida-Umehara C, Matsuda Y, Takamatsu N, Shiba T, Ito M (2008). “A W-linked DM-domain gene, DM-W, participates in primary ovary development in Xenopus laevis”. Proc Natl Acad Sci USA 105: 2469-2474. doi:10.1073/pnas.0712244105 2009年5月2日閲覧。.
- ^ Matsuda M, Nagahama Y, Shinomiya A, Sato T, Matsuda C, Kobayashi T, Morrey CE, Shibata N, Asakawa S, Shimizu N, Hori H, Hamaguchi S, Sakaizumi M (2002). “DMY is a Y-specific DM-domain gene required for male development in the medaka fish”. Nature 417: 559-563. doi:10.1038/nature751. PMID 12037570.
- ^ 長井光三「哺乳動物における性決定の分子機構」『蛋白質核酸酵素』1994年8月号
- ^ 八杉竜一ら編「性決定物質」『岩波生物学辞典(第4版)』
- ^ 八杉竜一ら編「精巣決定因子」『岩波生物学辞典(第4版)』
- ^ Sinclair AH, Berta P, Palmer MS, Hawkins JR, Griffiths BL, Smith MJ, Foster JW, Frischauf AM, Lovell-Badge R, Goodfellow PN (1990). “A gene from the human sex-determining region encodes a protein with homology to a conserved DNA-binding motif”. Nature 346: 216-217. doi:10.1038/346240a0. PMID 1695712.
- ^ SRY遺伝子が発現すると雄に分化するため、厳密に言うとSRYは限性遺伝の原因となる遺伝子である。
- ^ 黒岩麻里「Y染色体を失った哺乳類,トゲネズミ」『生物の科学 遺伝』2009年1月号
- ^ デイヴィッド・ベインブリッジ『X染色体:男と女を決めるもの』79-83ページ
- ^ Veyrunes F, Waters PD, Miethke P, Rens W, McMillan D, Alsop AE, Grützner F, Deakin JE, Whittington CM, Schatzkamer K, Kremitzki CL, Graves T, Ferguson-Smith MA, Warren W, Marshall Graves JA (2008). “Bird-like sex chromosomes of platypus imply recent origin of mammal sex chromosomes”. Genome Res 18: 965-973. doi:10.1101/gr.7101908 2009年5月24日閲覧。.
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- ^ Dewing P, Chiang CW, Sinchak K, Sim H, Fernagut PO, Kelly S, Chesselet MF, Micevych PE, Albrecht KH, Harley VR, Vilain E (2006). “Direct regulation of adult brain function by the male-specific factor SRY”. Curr Biol 16: 415-420. PMID 16488877.
- ^ アメリカ合衆国・国立生物工学情報センター(NCBI) - HomoloGene
- ^ 諸橋憲一「哺乳類生殖巣の分化」(岡田益吉、長濱嘉孝、中辻憲夫編『生殖細胞の発生と性分化』)
- ^ SOXファミリーの一部は性分化に強く関与しているものと考えられているが、その機能は哺乳類と他の生物では異なる場合もある。たとえばSOX9は哺乳類の生殖腺形成に関与しているが、鳥類では発現時期が異なるため異なる作用を持つと考えられている(諸橋憲一「哺乳類における生殖腺の性分化」『蛋白質核酸酵素』)
- ^ 八杉竜一ほか編「性染色質」「Yクロマチン」『岩波生物学辞典』
- ^ a b Elsas, LJ; Ljungqvist A, Ferguson-Smith MA, Simpson JL, Genel M, Carlson AS, Ferris E, de la Chapelle A, Ehrhardt AA (2000). “Gender verification of female athletes”. Genetics in Medicine 2 (4): 249–254. PMID 11252710.
- ^ Dickinson, BD; Genel M, Robinowitz CB, Turner PL, Woods GL (2002). “Gender verification of female Olympic athletes”. Medicine & Science in Sports & Exercise 34 (10): 1543. PMID 12370551.
参考文献
[編集]- 黒岩麻里「Y染色体を失った哺乳類,トゲネズミ」『生物の科学 遺伝』2009年1月号、15-19ページ、2009年、TNS。
- 長井光三「哺乳動物における性決定の分子機構」『蛋白質核酸酵素』1994年8月号(Vol.39 No.8)、1445-1457ページ、1994年、共立出版。
- デイヴィッド・ベインブリッジ『X染色体:男と女を決めるもの』長野敬、小野木明恵(翻訳)、青土社、2004年、ISBN 978-4791761524。
- 武藤照子「哺乳類における性決定遺伝子と生殖巣の分化」(岡田益吉、長濱嘉孝、中辻憲夫編『生殖細胞の発生と性分化』)共立出版、478-483ページ、2000年、ISBN 978-4320055230。
- 諸橋憲一「哺乳類生殖巣の分化」『生殖細胞の発生と性分化』共立出版、484-490ページ、2000年, NAID 40002328484。
- 諸橋憲一「哺乳類における生殖腺の性分化」『蛋白質核酸酵素』2004年2月号(Vol.49 No.2)、130-134ページ、2004年、共立出版。
- 八杉竜一ほか編「性決定」「性決定物質」「性染色質」「精巣決定因子」「Yクロマチン」『岩波生物学辞典(第4版)』岩波書店、1996年、ISBN 4-00-080087-6。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 日本語バイオポータルサイト Jabion - SRY遺伝子情報
- 神戸バイオサイエンス研究会 - 第71回(2007年10月24]):生物の雄・雌が決まる仕組みはどこまで解明されたかほか(2009年6月3日閲覧)