ソー・バッド・レビュー
ソー・バッド・レビュー | |
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出身地 | 日本(関西) |
ジャンル | ファンク・ソウル |
活動期間 | 1975年 - 1976年・2014年 |
レーベル | フィリップス・レコード |
メンバー |
ソー・バッド・レビュー[注 1](Sooo Baad Revue)は、関西を拠点とした8人編成のソウルファンクバンド。1975年、ウエスト・ロード・ブルース・バンドを脱退した山岸潤史(ギター)を中心に結成。
来歴
[編集]土井が石田、上田正樹らとともに結成していた「上田正樹とバッドクラブバンド」の解散後、渡米を経て構想し、メンバーを集めたのが始まりとなる[1]。
1975年8月8日、大阪・万博記念公園において開催された「8.8 ROCK DAY」に「山岸潤史スーパーグループ」が出演(北、石田、永本、土居、清水が参加)。この3日後に山岸が渡米、11月下旬に帰国。この頃までにメンバーが揃い、バンド名を「ソー・バッド・レビュー」とする。この名前は、北が気に入っていた「Sooo Baad!(最高!)」という言葉をバンド名に使いたかったことから[2]。1976年4月から、ロサンゼルスのエレクトラ・スタジオにおいてレコーディングを行う。同年8月8日、去年に引き続き8.8 ROCK DAYに出演。その直後、清水が脱退[2]。これは清水が高校卒業と共にアメリカへ留学したためで、結成前からメンバーに伝えていた(ただし、11月の解散の直後に父親が他界したため清水は帰国し、国際基督教大学へ編入学する)[1]。8月25日、デビュー・アルバム『ソー・バッド・レビュー』をリリース。11月頃、大隈講堂で行われたライブを最後に解散[2](清水は、詳細は分からないが解散の理由はメンバーの個が強すぎたためではないかと評している[1])。メンバーは、それぞれ個々の活動へ移行する。解散後も、石田、砂川、国府が参加した「ザ・ボイス・アンド・リズム」、山岸、石田が参加した「勉強トリオ」、土居、国府、永本が参加した「ベーカーズ・ショップ」、山岸、清水が参加した「MYX」といったバンド活動またはセッションを通じてメンバー同士の共演が行われている。
2014年7月25日、フジロックフェスティバルにおいて、北、山岸、石田、永本、土居、清水の6人でソー・バッド・レビューとして一日限定の再結成ライブを行う[4]。
メンバー
[編集]- 北京一(ボーカル)
- 砂川正和(ボーカル、パーカッション)
- 山岸潤史(ギター)
- 石田長生(ギター)
- 永本忠(ベース)
- ベーカー土居(ドラム)
- 国府輝幸(キーボード)※現・国府利征
- チャールズ清水(キーボード)
ディスコグラフィー
[編集]シングル
[編集]- 最後の本音/おおきにブルース(1976年)
アルバム
[編集]- ソー・バッド・レビュー(1976年)
- ライブ!(1977年)※1976年9月および10月のライブ音源
- ジ・アザー・サイド・オブ・ソー・バッド・レビュー(2022年)※1976年1月のライブ音源[6]
オムニバス・アルバム
[編集]- '75 8.8 ROCK DAY(1975年)
- 「山岸潤士スーパーグループ With 北京一/With 北京一&石田長生」表記で2曲収録
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 作品によっては「ソー・バッド・レヴュー」と表記されている。
出典
[編集]- ^ a b c “ソー・バッド・レビューから続く道。シンガーソングライター&ピアニスト/翻訳家 チャールズ清水が目指す『FUTURE CLUES』”. ANTENNA (2023年6月14日). 2024年10月9日閲覧。
- ^ a b c 『ジ・アザー・サイド・オブ・ソー・バッド・レビュー』CDブックレット内「ソー・バッド・レビュー座談会~The 最後の本音 of Sooo Baad Revue」(2022年6月)
- ^ “スナガワ マサカズ PROFILE”. sunagawa masakazu official page. 2022年6月23日閲覧。
- ^ “LIVE REPORT - SOOO BAAD REVUE”. FUJIROCK EXPRESS 2014 (2014年7月25日). 2022年6月23日閲覧。
- ^ “石田長生Twitter” (2015年7月8日). 2022年6月23日閲覧。
- ^ “ソー・バッド・レビュー / The Other Side of Sooo Baad Revue”. BRIDGE INC. ONLINE STORE. 2022年6月23日閲覧。
関連項目
[編集]- 加川良 - アルバム収録曲に詞を提供