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SCバスティア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
SECバスティアから転送)
SCバスティア
原語表記 Sporting Club Bastiais
愛称 I Turchini (コルシカ語で青の意)
Les Bleus (フランス語で青の意)
I Lioni di Furiani (フリアニ英語版のライオン)
クラブカラー    
   
創設年 1905年
所属リーグ フランスプロサッカーリーグ(LFP)
所属ディビジョン リーグ・ドゥ(2部)(2024-25
昨季リーグ順位 リーグ・ドゥ13位(2023-24
ホームタウン コルス地域圏の旗 バスティア
ホームスタジアム
スタッド・アルマン=チェサーリ英語版[1]
収容人数 16,048
代表者 フランスの旗 クロード・フェランディ
監督 フランスの旗 Benoît Tavenot
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

SCバスティア(Sporting Club Bastiais, コルシカ語: Sporting Club di Bastia)は、フランスコルシカ島コルス地方公共団体バスティアを本拠地とするサッカークラブチーム。2021-22シーズンからはリーグ・ドゥに所属する。

歴史

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UEFAカップ1977-78のPSVとの決勝の様子

主なタイトルは1961年に獲得したフランスカップ。また、1978年にUEFAカップ決勝にまで進んだが、PSVアイントホーフェンに敗れた。1981年には決勝でASサンテティエンヌに勝利してフランス杯優勝を果たしている。同じコルシカ島を本拠地とするACアジャクシオとはライバル関係にあり、両チームの対戦は「コルシカ・ダービー」と呼ばれる。

1992年5月5日、フランス杯準決でオリンピック・マルセイユをホームで迎えた。対戦相手のクオリティーとクラブの躍進が並々ならぬ話題を呼び、コルシカ全体が熱気に包まれていた。キックオフの数分前に歓喜が頂点に達し、多くのサポーターを満足させようとして急遽建てられた仮設の北スタンドが崩壊。のちにフリアニの悲劇と呼ばれ、この事故によって18人が亡くなり、2,300人以上が負傷した[2]

2005年に親会社が破産してリーグ・ドゥ(2部)への降格処分を受け、2010年にはフランス全国選手権(3部)へ再度降格。しかし、その翌年にフランス全国選手権で優勝して1年で返り咲くと、2012年にはリーグ・ドゥでも立て続けに優勝し、3部降格から2年で再びリーグ・アンの舞台へ舞い戻った。

2014-15シーズンからはクロード・マケレレが指揮するも、リーグ戦で2勝しか挙げられず11月に解任された[3]

2016-17シーズンに最下位となり、リーグ・ドゥ降格が決定したが、2017年6月22日、リーグ・ドゥに参加するための資金調達が困難となったため、DNCG(フランスサッカー経営管理総局)はフランス全国選手権への降格を申し渡した。2017年8月、更なる財政不正問題でフランス全国選手権3に降格となった[4][5]

5部リーグ1年目は2位となり昇格を逃したが、翌年の夏にはバスティア出身でかつてクラブにも在籍し、当時チュニジア代表で10番を背負っていたワフビ・ハズリからの資金援助[6]も追い風となり3シーズン連続で首位昇格を果たした。

バスティアとコルシカのナショナリズム

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1700年代に起きたコルシカ独立戦争に代表されるように、コルシカ島はかつてより独立や自治権拡大を強く求めている。コルシカでナポレオン・ボナパルトが誕生する3ヶ月前にフランス領になったが、島はそれ以前の紀元前からどこかの植民地として扱われてきた歴史があるからである[注釈 1][7]。 独立志向はコルシカを拠点に活動するバスティアのサポーターらにも反映されており、クラブの公式サイトは主にフランス語で案内されているが、一部のサポーターらはコルシカ語で案内するべきと主張している[8]

また、人口も少ないコルシカのクラブがフランスの主要タイトルを獲得する機会は限られ、故にクラブが脚光を浴びるような活躍を見せるとサポーターはフランス中に恨みをぶつける機会を得ようと躍起になる。とりわけ、パリFCパリ・サンジェルマンFCなどフランスの首都パリを拠点とするクラブと対戦する際には抗議がより一層活発になる[9]。例えば、1994-95シーズンのクープ・ドゥ・ラ・リーグ決勝でパリ・サンジェルマンとパルク・デ・プランス対戦で対戦することになった際には、タイトル獲得の可能性がありながらバスティアはベストメンバーでは臨まないと抗議した[10]

他にも、2002年にクープ・ドゥ・フランス決勝でFCロリアンと対戦した際には、試合前のラ・マルセイエーズ斉唱中に2万人以上のコルシカ独立派が絶え間なくブーイングをした。そのブーイングはフランス大統領選挙を終えて観戦に訪れていたジャック・シラク大統領が激怒し、試合開始を待たずに帰路に就くほどのものであった。さらに2014年にもOGCニースとの試合でバスティアが勝利すると、バスティアの控えGKジャン=ルイ・レカ英語版がコルシカ国旗を振って勝利を祝ったことを受けてニースのサポーターらがピッチに乱入し衝突する出来事があった。なお、試合前、バスティアに関連する色やシンボルを振り回すことは、挑発的な行為となる可能性があり、暴力事件のリスクを高めるという理由で、地域当局によって禁止されていた。しかしクラブはレカは単にコルシカ人選手が重要な勝利を祝ったに過ぎないと主張し擁護した。その後も試合のオープニングセレモニーでのコルシカ国旗を含む地方旗の掲揚禁止令について、SCバスティアと地元のライバルACアジャクシオの一部サポーターらは拒否し、さらに一部の独立運動家はこのような規制の実施はコルシカ人への人種差別に相当すると主張した[8]

つまり、非常に長い間植民地化されてきたコルシカの人々にとって、SCバスティアは単なるサッカークラブ以上の存在でありコルシカのナショナリズムと地域アイデンティティに深く結びつき、クラブの活動や成功はコルシカの文化的、社会的、経済的な発展に大きく寄与している。

エンブレム

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エンブレムに描かれているムーア人の頭

SCバスティアのエンブレムには「ムーア人の頭」と呼ばれるシンボルが描かれているが、彼らがこれを選んだのには約900年前まで遡る必要がある。

アラゴン王国の国章

1096年、ペドロ1世アラゴン軍アル=ムスタイン2世英語版率いるサラゴサ軍ら連合軍の前に圧倒的劣性で敗北は必至だった。しかし、(伝説として)聖ゲオルギオスが戦場に現れアラゴン軍に味方し4人のムーア人指揮官の首を刎ねて勝利を収めた。その勢いのままペドロ1世はウエスカを占領し、アラゴン軍はレコンキスタの期間中最初の都市をイスラム教徒から奪還した。この転機はアラゴン王国にとって重要な出来事であり、王国の紋章にも4人のムーア人の首が描かれた。

1755年までのコルシカの国旗

この時期、ペテロ1世はコルシカ島を含む地中海一帯を支配していたため、王国内での地位を示すものとして軍事上重要な拠点であったコルシカ島には首を落とされたムーア人のシンボルが与えられた。それから、このシンボルはパスカル・パオリによるコルシカ独立戦争を経てコルシカ共和国が成り立った18世紀半ばまで変わらなかった。独立までの国旗は斬首のために目隠しをされたムーア人の頭であったが、パオリはコルシカが独立するに際し「コルシカ人ははっきりと見たい。自由は哲学の松明によって歩まなければならない。(The Corsicans want to see clearly. Freedom must walk by the torch of philosophy)[注釈 2]」と述べ、布で目を覆わず現在のように額に上げるように命じた。

エンブレムにあるムーア人の頭は、かつてコルシカの人々が受けた支配とその支配からの解放のシンボルで彼らの闘争と独立の歴史を思い起こさせるものであり、コルシカ人の誇りとアイデンティティの象徴とされている。そして、SCバスティアを含む今日までコルシカ島に現存するクラブチーム全て(ACアジャクシオ、Gazelec Ajaccio)は、コルシカの歴史を語る上で欠くことのできないこのシンボルをエンブレムに描いている[11]

タイトル

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国内タイトル

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国際タイトル

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過去の成績

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シーズン リーグ戦 カップ戦 リーグ杯
ディビジョン 順位
1965-66 ディヴィジオン・ドゥ 4位 45 36 18 9 9 60 46 +16 ベスト32
1966-67 3位 44 34 19 6 9 48 34 +14 ベスト8
1967-68 1位 50 34 21 8 5 53 22 +31 ベスト64
1968-69 ディヴィジオン・アン 6位 34 34 13 8 13 50 66 -16 ベスト64
1969-70 17位 24 34 10 4 20 50 74 -24 ベスト16
1970-71 17位 32 38 12 8 18 52 83 -31 ベスト64
1971-72 9位 42 38 20 2 16 58 57 +1 準優勝
1972-73 9位 38 38 15 8 15 59 41 +18 ベスト32
1973-74 15位 41 38 14 8 16 44 49 -5 ベスト8
1974-75 6位 45 38 15 11 12 54 47 +7 ベスト4
1975-76 8位 45 38 14 13 11 59 53 +6 ベスト8
1976-77 3位 47 38 20 7 11 82 53 +29 ベスト64
1977-78 5位 44 38 19 6 13 62 44 +18 ベスト8
1978-79 14位 35 38 13 9 16 53 65 -12 ベスト16
1979-80 16位 32 38 14 4 20 39 51 -12 ベスト64
1980-81 12位 35 38 13 9 16 50 55 -5 優勝
1981-82 12位 35 38 12 11 15 43 65 -22 ベスト4 1回戦敗退
1982-83 17位 32 38 9 14 15 41 52 -11 ベスト32
1983-84 10位 36 38 14 8 16 36 43 -7 ベスト32 2回戦敗退
1984-85 14位 32 38 11 10 17 39 68 -29 ベスト16
1985-86 20位 20 38 5 10 23 30 79 -49 ベスト32 2回戦敗退
1986-87 ディヴィジオン・ドゥ 5位 41 34 17 7 10 62 50 +12 ベスト32
1987-88 8位 33 34 15 3 16 41 52 -11 ベスト32
1988-89 5位 51 34 14 9 11 46 44 +2 7回戦敗退
1989-90 6位 39 34 14 11 9 46 38 +8 ベスト64
1990-91 6位 35 34 12 11 11 46 35 +11 ベスト64 ベスト16
1991-92 4位 39 34 12 11 11 56 46 +10 ベスト4 1回戦敗退
1992-93 7位 37 34 11 15 8 52 39 +13 7回戦敗退
1993-94 3位 53 42 21 11 10 44 29 +15 ベスト32 1回戦敗退
1994-95 ディヴィジオン・アン 15位 44 38 11 11 16 44 56 -12 ベスト16 準優勝
1995-96 15位 44 38 12 8 18 45 55 -10 ベスト64 ベスト32
1996-97 7位 61 38 17 10 11 54 47 +7 ベスト32 ベスト32
1997-98 9位 50 34 13 11 10 36 31 +5 ベスト32 ベスト32
1998-99 13位 38 34 10 8 16 37 46 -9 ベスト64 ベスト32
1999-2000 10位 45 34 11 12 11 43 39 +4 ベスト64 ベスト4
2000-01 8位 45 34 13 6 15 45 41 +4 ベスト16 ベスト16
2001-02 11位 41 34 12 5 17 38 44 -6 準優勝 ベスト8
2002-03 リーグ・アン 12位 47 38 12 11 15 40 48 -8 ベスト64 ベスト32
2003-04 17位 39 38 9 12 17 33 49 -16 ベスト64 ベスト16
2004-05 19位 41 38 11 8 19 32 48 -16 ベスト64 ベスト16
2005-06 リーグ・ドゥ 6位 58 38 16 10 12 47 40 +7 ベスト16 1回戦敗退
2006-07 9位 53 38 14 11 13 52 49 +3 ベスト64 2回戦敗退
2007-08 11位 49 38 14 9 15 45 46 -1 ベスト16 2回戦敗退
2008-09 11位 48 38 13 9 16 38 47 -9 8回戦敗退 ベスト32
2009-10 20位 39 38 10 9 19 40 48 -8 7回戦敗退 1回戦敗退
2010-11 フランス全国選手権 1位 91 40 27 10 3 81 24 +57 7回戦敗退 ベスト16
2011-12 リーグ・ドゥ 1位 71 38 21 8 9 61 36 +25 ベスト16 1回戦敗退
2012-13 リーグ・アン 12位 47 38 13 8 17 50 66 -16 ベスト32 ベスト8
2013-14 10位 46 38 12 10 16 42 58 -16 ベスト32 ベスト16
2014-15 12位 47 38 12 11 15 37 46 -9 ベスト32 準優勝
2015-16 10位 50 38 14 8 16 36 42 −6 ベスト32 3回戦敗退
2016-17 20位[a] 34 38 8 10 20 29 54 -25 ベスト32 ベスト16
2017-18 フランス全国選手権3 2位 53 26 15 8 3 46 18 +28 3回戦敗退
2018-19 1位 61 24 19 4 1 62 9 +53 ベスト16
2019-20 フランス全国選手権2 1位 53 21 17 2 2 37 15 +22 5回戦敗退
2020-21 フランス全国選手権 1位 66 34 19 9 6 57 28 +29 5回戦敗退 大会廃止
2021-22 リーグ・ドゥ 12位 46 38 10 16 12 38 36 +2 ベスト8
2022-23 4位 60 38 17 9 12 52 45 +7 ベスト32
2023-24 13位 50[b] 38 14 9 15 44 48 -4 7回戦敗退
2024-25 38
  1. ^ 財政不正を含む財政問題により強制降格
  2. ^ 勝ち点1が剥奪

現所属メンバー

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2024年7月25日現在[12]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
2 MF コートジボワール Christ Ravynel Inao Oulaï
4 DF フランス アントニー・ロンカリア英語版
5 DF フランス Julien Maggiotti
6 DF フランス ドミニク・ギディ英語版
7 MF フランス クリストフ・ヴァンサン英語版 (キャプテン)
8 MF フランス ジュリアン・マジョッティ英語版
11 FW フランス ラミーヌ・シセ英語版
13 MF フランス トム・デュクロク英語版
14 MF カメルーン Loïc Etoga
15 MF ルクセンブルク フロリアン・ボーネルト英語版
16 GK フランス アントニー・メゾンニアル英語版
17 FW フランス フロリアン・ビアンキーニ英語版
18 MF フランス フェリックス・トミー英語版
No. Pos. 選手名
19 MF フランス マテオ・ルバティエール英語版
20 DF フランス キリアン・カイブエ
22 DF マリ共和国 シャルル・トラオレ
23 GK フランス ジュリアン・ファブリ
24 DF フランス トム・メイナディエ英語版
25 FW フランス Clément Rodrigues
26 MF フランス アミン・ブトラ英語版
28 DF トーゴ ギュスターヴ・アクエゾン英語版
29 DF フランス Steevy Mazikou
30 GK ハイチ ジョニー・プラシド
32 GK フランス ジュリアン・ファブリ
42 DF カーボベルデ ディラン・タヴァレス英語版
66 MF シエラレオネ ジョセリン・ジャネー英語版
99 DF フランス イラン・オコウ英語版
監督
  • フランスの旗 Benoît Tavenot

歴代監督

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歴代所属選手

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GK
DF
MF
FW

脚注

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  1. ^ 紀元前6世紀以降はフェニキアエトルリアカルタゴ共和政ローマ、紀元後はヴァンダル人東ローマ帝国神聖ローマ帝国ローマ教皇ピサ共和国ジェノヴァ共和国に支配されていた。独立戦争後はフランス領となったが、それ以前はフランスと歴史上での関係性は薄く、島で使われている言語や「コルシカ」という名前自体がイタリア語に近い。
  2. ^ 「コルシカの人々が真実や正義を見極めるためには、理性や知識、深い思索(哲学)の導きが必要であり、その上に立って初めて我々に真の自由をもたらす」
  1. ^ JPGIACOBBI (2016年10月17日). “Le stade” (フランス語). Sporting Club Bastia. 2021年10月11日閲覧。
  2. ^ Histoire du club” (フランス語). SC Bastia. 2024年7月25日閲覧。
  3. ^ バスティアがマケレレ監督の解任を発表…リーグ戦で2勝と低迷”. サッカーキング (2014年11月4日). 2024年7月25日閲覧。
  4. ^ Bastia (National 3) recrute trois joueurs sous contrat fédéral et un joueur avec le statut amateur” (フランス語). L'Équipe. 2021年10月11日閲覧。
  5. ^ French side Bastia relegated twice in one season | Squawka Football”. web.archive.org (2017年6月22日). 2018年4月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月11日閲覧。
  6. ^ W杯ベルギー戦でゴールした代表“10番”、育ったクラブを救うために寄付”. Qoly (2018年8月28日). 2024年7月24日閲覧。
  7. ^ 佐々木 夏子. “ジャコバン共和国におけるアイデンティティをめぐる試論” (pdf). 2024年7月25日閲覧。
  8. ^ a b National and Linguistic Minorities in the Context of Professional Football across Europe: Five Examples from Non-kin State Situations” (英語). ECMI (2022年12月21日). 2024年7月24日閲覧。
  9. ^ RIOTS: PSG - Bastia 11.04.2015” (英語). Ultras-Tifo (2015年4月11日). 2024年7月25日閲覧。
  10. ^ 伝説の50の試合 クープ ドゥ ラ リーグ初優勝”. Paris Saint-Germain FC (2020年4月5日). 2024年7月24日閲覧。
  11. ^ Understanding SC Bastia’s Badge” (英語). Breaking The Lines (2021年10月9日). 2024年7月25日閲覧。
  12. ^ Effectif & Staff” (フランス語). scbastia.corsica. 25 July 2024閲覧。
  13. ^ Ligue 2 : Régis Brouard nouvel entraîneur de Bastia” (フランス語). L'Équipe. 2 October 2021閲覧。

外部リンク

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