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山本寛太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
KEN 蘭宮から転送)

山本 寛太郎やまもと かんたろう)は、日本の音楽家シンガーソングライター作曲家(作詞提供あり)。一時、ディスクジャケット等で「KANTAROW」表記を用いた時期もある。

1978年頃、テイチクからメジャー・デビュー。シングル数枚発売後、1980年頃、レコード会社をキャニオン・レコードに移籍。アルバム1枚・シングル数枚を発売。「マンハッタンドリーム」が一部で注目され知名度がアップしたことを受け、その後のシングルが、夜間のテレビニュースに用いられた時期もあった。他の歌手へ作品提供も行ったが、1980年代半ばに活動休止。1995年に、グラスバレー解散後の本田恭之(現・本田海月)とOPCELLを結成、ビクターエンタテインメントからアルバムリリース。現在は静岡県に住居を構え、釣りのルアーの会社(有限会社オプセル Opcell)を経営している。

プロフィール

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キャニオンレコードの当時のプロモーション資料の「PROFILE」より

使われているコピーは「ハートがシビレてあったかい。WARM HEART●HOT POP」

ディスコグラフィ

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シングル

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特記以外 作詞・作曲・山本寛太郎

(調査中)

  • 1978年
    • マーガレット・ライン」(編曲・大村雅朗)/B面「エンドレス・ラブ」(作詞・作曲・網倉一也、編曲・大村雅朗)(RS-130)
  • 1979年
    • 恋のタイミング」/B面「マイボート」(両編曲・椎名和夫)(RS-154)
    • シルバー・スイート・ハート」/B面「まどろみの中で」(両編曲・椎名和夫)(RS-182)
  • 1981年
    • マンハッタンDream」(編曲・瀬尾一三)/B面「Last Time」(編曲・武部聡志)(7A-0069)
    • 「Sweet Vibration」(作詞・山本寛太郎・喜多島隆雄、編曲・大村雅朗)/B面「君がその人」(編曲・大村雅朗)(7A-0110)
    • 「ナチュラル・ハプニング 時、とめてコーヒータイム」/B面「パッシングレイン」」(両編曲・佐藤準)(7A-0125)
  • 1982年
    • 「サウス・ウィンド(君を待つ渚)」(作詞・伊達歩、編曲・武部聡志)/B面「黄昏にまぎれて」(編曲・武部聡志)(7A-0180)

アルバム

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特記以外 作詞・作曲・山本寛太郎

  • アトラントローグ(ATLANTROOG)(1981年)C28A-0165
    • A-1: Jumping High Way(編曲:瀬尾一三
    • A-2: Over-lap(編曲:瀬尾一三)
    • A-3: 回帰線の彼方へ(編曲:瀬尾一三)
    • A-4: マンハッタンDream(編曲:瀬尾一三)
    • B-1: アトラントローグ(編曲:瀬尾一三)
    • B-2: クラクションに気をつけて(編曲:瀬尾一三)
    • B-3: ハレーション(編曲:山本寛太郎・瀬尾一三)
    • B-4: Sweet Vibration(作詞:山本寛太郎・喜多島隆雄、編曲:大村雅朗)
    • B-5: 君がその人(編曲:大村雅朗)
  • OPCELL(オプセル)(1995年1月21日)VICL-634 - OPCELL・KEN蘭宮としての参加作品。

提供曲

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  • THE GOOD-BYE気まぐれONE WAY BOY
  • 中村容子ティーンエイジ・ソルジャー
    • 作詞:橋本淳、作曲:山本寛太郎、編曲:大谷和夫(1984年、デビュー曲)
    • 中村容子には、他にアルバムの楽曲を提供している。
  • 水谷麻里ハロー!ス・キ!」(1987年、ビクター)
    • 作詞:福永ひろみ、作曲:山本寛太郎、編曲:大村雅朗
    • アルバム『ほがらか』の7曲目。
  • 福山かずお(福山一男)「マンハッタン・ドリーマー/エデンの東」(1982年、ビクター、SV-7267)
    • マンハッタン・ドリーマー 作詞:橋本淳、作曲:山本寛太郎、編曲:甲斐正人
    • エデンの東 作詞:橋本淳、作曲:山本寛太郎、編曲:惣領泰則
  • ハイスクール・オーラバスターイメージ・アルバム(『ハイスクール・オーラバスターOriginal Album 2 "END OF SILENCE"』PICA-1042・1994年)にて2曲歌唱。
    • SAVE YOUR HARDBLADE(作詞:K.INOJO、作曲・編曲:本田恭之)
    • END OF SILENCE(作詞:藤谷直季・若木未生、作曲・編曲:本田恭之)

シティ・ポップ

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 次の論文には、1980年代に山本寛太郎が「シティ・ポップ」と呼ばれていたことがあるという記載がある。しかし、具体的にどのような文献(仮に雑誌の場合には加えてどの号)に掲載されているかについては記載されていない。

  • ポピュラー音楽のジャンル概念における間メディア性と言説的構築 ―「ジャパニーズ・シティ・ポップ」を事例に ― モーリッツ・ソメ(ケルン大学)/加 藤   賢 訳

なお、全曲について作曲とボーカルをしている、実質的なセカンド・アルバムである『OPCELL』が2021年10月20日にビクターから再発されたときには、「【マスターピース・コレクション<シティ・ポップ名作選>】第二期」のうちの1枚であり、「幻のCITY POPプロジェクト」と紹介されていた。

外部リンク

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脚注

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出典

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