コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

K2

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
K-2から転送)
K2
K2
標高 8611 m
所在地 パキスタンの旗 パキスタン
ギルギット・バルティスタン
中華人民共和国の旗 中国
新疆ウイグル自治区タシュクルガン・タジク自治県
位置 北緯35度52分57秒 東経76度30分48秒 / 北緯35.88250度 東経76.51333度 / 35.88250; 76.51333座標: 北緯35度52分57秒 東経76度30分48秒 / 北緯35.88250度 東経76.51333度 / 35.88250; 76.51333
山系 カラコルム山脈
初登頂 1954年7月31日
アキレ・コンパニョーニ英語版
リーノ・ラチェデッリ英語版
イタリア隊 アルディト・デジオ英語版隊長)
K2の位置(パキスタン内)
K2
K2の位置(アジア内)
K2
プロジェクト 山
テンプレートを表示

K2(ケーツー)は、カラコルム山脈にある山。標高は8611 mで、エベレストに次ぐ世界第2位の高さである。パキスタンギルギット・バルティスタンインドの主張によればインドカシミールのパキスタン占領地)と、中華人民共和国新疆ウイグル自治区との国境に位置する。

K2という頭文字はKarakoram No.2 、つまりカラコルム山脈測量番号2号を意味する。

パキスタンと新疆ウイグル自治区の最高峰であり、カラコルム山脈の最高峰でもある。

山名

[編集]
測量局のトーマス・ジョージ・モントゴメリーが描いたK1(マッシャーブルム)とK2のスケッチ

世界第2位の高峰であるにもかかわらず、人里から遠く離れた奥地にあるため、19世紀末まではほとんど人々に存在を知られることもなく、名前さえも無かった。

イギリス統治時代のインド測量局英語版トーマス・ジョージ・モントゴメリー1856年からカラコルム山系の測量を始めた際に、南方210 kmから測量した特に標高が高い山々にカラコルム(Karakoram)の頭文字「K」を取って順に、K1, K2, K3, K4, K5 と測量番号を付けた。その後K2以外の山には、新たに名前が付けられたり、現地の名前が採用されたりしたが、K2だけは測量番号がそのまま山名に残った[1]

王立地理学会が命名に反対したものの、この地域を探検したイギリスの探検家ヘンリー・ハーバーシャム・ゴッドウィン=オースティン英語版の名前を冠してゴッドウィン=オースティン山Mt. Godwin-Austen)と呼ばれることがある。中国名はチョゴリ喬戈里峰 拼音: Qiáogēlǐfēng チアオコーリーフォン)で、これはチベット語系のバルティ語で「大きい山」を意味する「チョゴリ(Chogori)」が由来である。

登山

[編集]

中国側(北側)からアプローチするのは困難なため、ほとんどの登山者はパキスタン側からアプローチをする[1]。登頂の難しさでは世界最高峰のエベレストよりも上で、「世界一登ることが難しい山」とも言われる。その理由として、人が住む集落から遠く離れた奥地に存在する[注 1]ことによるアプローチの困難さ、エベレストよりも厳しい気候条件、急峻な山容による雪崩滑落の危険性などが挙げられる。K2登山に関しては一般的なルートでさえ、エベレストのバリエーションルートに匹敵すると言われる。これらの困難さから、14座ある8000メートル峰の中で最後まで残った冬季未登頂峰であったが、2021年1月16日、ネパールの登山隊によって初めて達成された[2][3]。2012年3月までの時点で登頂者数306人に対し、死亡者数は81人に達し[4](その時点でのエベレスト登頂者数は5656人[4]遭難者の数も多い。チャールズ・ハウストン、ロバート・ベイツ共著の書籍のタイトルから「非情の山」とも呼ばれる[1]

登山史

[編集]

登頂の記録

[編集]
  • 2004年初めの時点で、登頂に成功した女性登山家は5人しかいなかった。この5人がいずれも酸素ボンベなしで登頂を果たしたことは特筆に価する。また、この5人のうち3人が下山中に死亡し、残りの2人は他の8000メートル峰で遭難死しており、誰も存命していない[11]
  • 2009年6月、ミシェル・フェイトが山頂からの滑降に挑戦したが転倒して死亡。当時、同行していたスウェーデンのプロスキーヤー、フレドリック・エリクソンは、翌2010年に挑戦を決意するものの、同年8月登頂中に難所であるボトルネックから滑落して死亡[12]。ボトルネックは滑落すると到底助からないとされ、同氏も900 m滑落した[1]。遺体の回収も困難で、両親の希望もあり遺体はその場所に残された。すぐ横で滑落を目撃したカルテンブルンナーも登頂を断念した[1]。2011年8月カルテンブルンナーらは再びK2にアタックし無酸素登頂を成し遂げたが、カルテンブルンナー自身は4度目の挑戦であり、パーティーには7回目の挑戦となるメンバーもいた[1]

持ち込まれる装備とゴミ

[編集]

4人程度のアタッカーに必要な装備は、2011年のゲルリンデ・カルテンブルンナーの北稜登攀のケースでは、無酸素であっても総重量2.2トンに達する(酸素ありの場合は酸素ボンベが加わるので更に重量が増える。食料として500個以上の鶏卵なども含まれる)[1]。一方で他の山と同様にゴミも問題となっている。雪崩のためにK2登頂を断念した写真家のトミー・ハインリヒは、余った時間を利用してK2に廃棄された800 kgの登山家のゴミを回収した。氷河の一つの場所だけで390 kgものゴミが回収された[1]

画像

[編集]

K2を主題とした作品

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 最も近い村から直線距離で約80 kmも離れており、道も整備されていないため、K2を直接眺めるだけでも約1週間徒歩で歩く必要がある。
  2. ^ 一次アタック隊の馬場口隆一、寺西洋治、小林利明、宇津孝男、ナジール・サビルは悪天候のため登頂を断念。

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p ナショナル ジオグラフィック(編)「K2 頂をめざして」『NATIONAL GEOGRAPHIC (ナショナル ジオグラフィック) 日本版』2012年 04月号、ナショナルジオグラフィック社、2012年3月、ASIN B007JL98CE 
  2. ^ a b 時事通信:初のK2冬季登頂 ネパール人登山家達成”. JIJI PRESS. 2021年1月16日閲覧。
  3. ^ ネパール隊がK2の冬季登頂に初成功 世界第2の高峰”. mainichi.jp. 毎日新聞 (2021年1月17日). 2021年1月17日閲覧。
  4. ^ a b “Stairway to heaven”. The Economist. (May 29, 2013). http://www.economist.com/blogs/graphicdetail/2013/05/daily-chart-18 2013年5月30日閲覧。 
  5. ^ クルト・ディームベルガー 著、梅津正彦 訳『K2嵐の夏』山と渓谷社、2000年9月。ISBN 978-4635178129 [要ページ番号]
  6. ^ K2 南南東リブ 1996”. 日本山岳会. 2019年1月2日閲覧。
  7. ^ 中国のチベット 事実と数字”. 中国網. 2018年3月22日閲覧。
  8. ^ レコードチャイナ:世界第2の高峰K2で、11人が遭難死―パキスタン”. Record China. 2012年9月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月2日閲覧。
  9. ^ 平出和也・中島健郎 K2 西壁遠征最終の報告 - 石井スポーツ 2024年8月22日 (PDF)
  10. ^ K2西壁未踏ルート滑落の登山家2人 所属先が遭難死の見解「追悼」 - 朝日新聞デジタル 2024年8月22日
  11. ^ ジェニファー・ジョーダン 著、梅津正彦 訳『K2 非情の頂―5人の女性サミッターの生と死』山と溪谷社、2006年3月。ISBN 978-4635178136 [要ページ番号]
  12. ^ CNN.co.jp:K2登山中のプロスキーヤーが死去 滑走挑戦の途上で”. 2010年8月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月2日閲覧。
  13. ^ 山崎智之 (2018年6月1日). “【インタビュー】ドン・エイリー”. HMV&BOOKS online. Lawson Entertainment. 2021年8月29日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]