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ジム・レーラー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jim Lehrerから転送)
ジム・レーラー
Jim Lehrer
生誕 ジェームズ・チャールズ・レーラー
(1934-05-19) 1934年5月19日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国カンザス州ウィチタ
死没 2020年1月23日(2020-01-23)(85歳没)
アメリカ合衆国・ワシントンD.C.
教育 ミズーリ大学BA
職業
  • ジャーナリスト
  • ニュースアンカー
  • 作家
活動期間 1959年 - 2012年
代表経歴
配偶者
子供 3
親戚 J・B・チャップマン英語版(祖父)
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ジェームズ・チャールズ・レーラー英語: James Charles Lehrer[ˈlɛərə][1]1934年5月19日 - 2020年1月23日)は、アメリカのジャーナリスト、小説家、脚本家、劇作家[2]PBSの『PBSニュースアワー』の編集長及びニュースアンカーを務め、1988年から2012年まで12回のアメリカ大統領候補者討論会の司会を務め、大統領選挙期間中の討論司会者英語版としての役割で知られていた。歴史や政治への関心と共に、新聞記者としての経験を活かした数多くのフィクションやノンフィクションの本を執筆した。

幼少期と教育

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1934年5月19日カンザス州ウィチタに生まれる。母親のロイス・キャサリン(Lois Catherinenée チャップマン(Chapman))は教師兼銀行員で、父親のハリー・フレデリック・レーラー(Harry Frederick Lehrer)はバス停留所長だった[3][4]。父方の祖父母はドイツ移民だった。母方の祖父は、ナザレ教会英語版の著名な人物であるJ・B・チャップマン英語版だった[5][6]。ジムにはバプテストの牧師であるフレッド(Fred)という兄がいた[7][8]。ジムはウィチタの学校[3]テキサス州ボーモントの中学校に通い、サンアントニオトーマス・ジェファーソン高校英語版を卒業し、そこで「Jefferson Declaration(ジェファーソン宣言)」のスポーツ編集者を務めた。ビクトリア・カレッジ英語版準学位を取得し、1956年ミズーリ大学ミズーリ・スクール・オブ・ジャーナリズム英語版でジャーナリズムの学士号を取得して卒業した[3]

大学卒業後、父と兄に従い、1950年代後半にアメリカ海兵隊に入隊し、歩兵将校として3年間勤務した[9][10]。レーラーは自分の奉仕と旅行が自分自身を超えて目を向け、他の方法では経験できなかった世界とのつながりを感じるのに役立ったと考えていた[11]

キャリア

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1959年、テキサス州の「ダラス・モーニングニュース」でジャーナリズムのキャリアを開始した。その後、「ダラス・タイムズ・ヘラルド英語版」紙の記者として働き、1963年ジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件を取材した。そこで数年間政治コラムニストを務め、1968年にローカル記事編集者になった[12]

テキサス州ダラスのKERA-TV英語版で、広報担当エグゼクティブディレクター、オンエアホスト、夜のニュース番組の編集者としてテレビでのキャリアをスタートさせた[13]1972年にワシントンD.C.のPBSに移り、広報コーディネーター(Public Affairs Coordinator)、ジャーナリズム諮問委員会(Journalism Advisory Board)のメンバー、公共放送協会(CPB)のフェローになった[14]。レーラーはテレビ国家広報センター(National Public Affairs Center for Television、NPACT)の特派員として働き、そこでロバート・マクニール英語版と出会った。1973年、彼らは上院ウォーターゲート公聴会ウォーターゲートテープ放送の暴露をPBSで生中継した(この公聴会の報道は、後に『マクニール/レーラー・リポート(The MacNeil/Lehrer Report)』となるものにつながり、そのインスピレーションとなった)[15]。レーラーは下院司法委員会によるリチャード・ニクソン大統領の弾劾調査を取材した[15]

1975年10月、ニューヨークにあるThirteen/WNETの『ロバート・マクニール・リポート(The Robert MacNeil Report)』のワシントン担当記者となった。2ヶ月後の1975年12月1日、共同アンカーに昇進し、それに応じて番組は『マクニール/レーラー・リポート(The MacNeil/Lehrer Report)』と改名された。1983年9月、レーラーとマクニールは番組を『ザ・マクニール/レーラー・ニュースアワー(The MacNeil/Lehrer NewsHour)』としてリニューアルしたが、1995年のマクニールの降板を受けて『ザ・ニュースアワー・ウィズ・ジム・レーラー(The NewsHour with Jim Lehrer)』に改名された。同番組は2009年に『PBSニュースアワー』に改名された[16]

客観性を維持するために、レーラーは投票しないことを選択した[17]

2008年4月に心臓弁手術を受け、同年6月26日に復帰するまでレイ・スアレス英語版グウェン・アイフィル英語版ジュディ・ウッドラフが代わりにアンカーを務めることになった[18]1983年、49歳の時に軽い心臓発作から回復した[19]

2011年6月6日に『PBSニュースアワー』のアンカーを辞任したが、引き続き金曜日のニュース分析コーナーのモデレーターを務め、番組の制作会社であるマクニール/レーラー・プロダクションズ(MacNeil/Lehrer Productions)に携わった[20]

レーラーはジャーナリズムのキャリアの中で、ジョージ・フォスター・ピーボディ放送賞ウィリアム・アレン・ホワイト英語版財団ジャーナリズム功労賞、ミズーリ大学ジャーナリズム学部英語版の名誉勲章といった、いくつかのエミー賞を含むいくつかの賞や栄誉を受賞した。2004年マクダニエル・カレッジ英語版から名誉ジャーナリズム博士号を授与された[21][22]

大統領候補者討論会の司会者

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1976年以降の多くの大統領および副大統領候補者への独占インタビューの抜粋が含まれている2000年と2008年のドキュメンタリー『Debating Our Destiny』など、アメリカ大統領選挙候補者討論会に関連するいくつかのプロジェクトに携わった[23]。ジャーナリストのバーナード・ショーから「The Dean of Moderators」と呼ばれたレーラーは、1988年から2012年まで12回の大統領討論会で司会を務めた[24]。2016年、大統領討論委員会英語版(CPD)の委員を務めた[25]

レーラーが司会を務めた最後の討論会は、2012年選挙の最初の総選挙討論会英語版であった。当初、2008年以降はいかなる討論会の司会も辞任すると宣誓していたが、CPDは粘り強く、新しい形式に興味があるため受け入れた[26]。討論会はデンバー大学で行われ、国内政策問題が取り上げられた。司会者としてのパフォーマンスは、候補者に与えられた制限時間を超えることを頻繁に許可したが、様々な評価を受けた。時間ルールの厳格な適用や自由回答形式の質問で批判を受けた一方、候補者が自分の意思で討論をある程度コントロールできるようにした点でレーラーのアプローチは賞賛された[27][28]

ジム・レーラーが司会を務めた討論会
日付 討論タイプ 民主党候補者 共和党候補者 無所属候補者
1988年9月25日日曜日英語版 大統領 マイケル・デュカキス ジョージ・H・W・ブッシュ
1992年10月11日日曜日英語版 ビル・クリントン ロス・ペロー
1992年10月19日月曜日英語版
1996年10月6日日曜日英語版 ボブ・ドール
1996年10月16日水曜日英語版
1996年10月9日水曜日英語版 副大統領 アル・ゴア ジャック・ケンプ
2000年10月3日火曜日英語版 大統領 ジョージ・W・ブッシュ
2000年10月11日水曜日英語版
2000年10月17日火曜日英語版
2004年9月30日木曜日英語版 ジョン・フォーブズ・ケリー
2008年9月26日金曜日英語版 バラク・オバマ ジョン・マケイン
2012年10月3日水曜日英語版 ミット・ロムニー

私生活

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2011年のナショナル・プレス・クラブ・ブック・フェア(National Press Club Book Fair)で著書「Tension City: Inside the Presidential Debates, From Kennedy–Nixon to Obama–McCain」にサインするレーラー

亡くなるまでの60年間、同じく小説家であるケイト・レーラー英語版と結婚していた。彼らには3人の娘と6人の孫がいた。父親はバス運転手で、短期間バス会社を経営していた。レーラーは熱心なバス愛好家、趣味人であり、車両基地の標識、運転士の帽子、アンティークのおもちゃのバスなどのバス記念品のコレクターでもあった[29][30]。1950年代に大学生だった頃、テキサス州ビクトリアトレイルウェイズ英語版の切符販売員として働いていた。また、カリフォルニア州ウィリアムズ英語版にあるパシフィックバス博物館英語版ペンシルベニア州ハーシーにあるバス交通博物館英語版のサポーターでもあった。

多作な作家であり、数多くの小説、いくつかの演劇、脚本、3冊の個人回想録を執筆した。自身の著書「Top Down」は、ケネディ暗殺を巡る出来事に基づいた小説である[31]。自身の最後の戯曲「Bell」は、ナショナル・ジオグラフィック協会創立125周年記念式典の一環として制作された[32]

死去

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2020年1月23日、ワシントンD.C.の自宅で心臓発作により85歳で死去した[33][34]

栄誉と賞

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  • ミズーリ大学ジャーナリズム学部名誉勲章
  • ウィリアム・アレン・ホワイト財団ジャーナリズム功労賞
  • フレッド・フレンドリー憲法修正第1条賞
  • エミー賞を2回受賞
  • 全米テレビ芸術科学アカデミー支部、ワシントンD.C.のシルバーサークル(1999年)
  • テレビの殿堂(1999年)

著書

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小説

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  • Lehrer, Jim (1966). Viva Max!. ポピュラー・ライブラリー英語版. OCLC 2274328 

回顧録

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脚本

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演劇

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  • The Will and Bart Show[45]
  • Church Key Charlie Blue[45]


脚注

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  1. ^ Oxford English Dictionary Entry for Jim Lehrer”. Oxford Dictionaries (December 1, 2016). December 2, 2016時点のオリジナルよりアーカイブ。December 1, 2016閲覧。
  2. ^ Fieldstadt, Elisha (January 23, 2020). “Jim Lehrer: 'The Dean of Moderators' nightly newscast, dead at 85”. NBC. https://www.nbcnews.com/news/all/jim-lehrer-journalist-who-co-founded-pbs-newshour-dead-85-n1121331?cid=eml_nbn_20200123. "As an anchor of several iterations of the NewsHour, Jim reported the news with a clear sense of purpose and integrity, even as the world of media changed around him." 
  3. ^ a b c McFadden, Robert D. (January 23, 2020). “Jim Lehrer, Longtime PBS News Anchor, Is Dead at 85” (英語). ニューヨーク・タイムズ. ISSN 0362-4331. オリジナルのJanuary 23, 2020時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200123190313/https://www.nytimes.com/2020/01/23/business/media/jim-lehrer-dead.html January 23, 2020閲覧。 
  4. ^ (英語) Current Biography Yearbook. 48. H. W. Wilson Company. (1988). pp. 350. OCLC 2446272. https://books.google.com/books?id=yooYAAAAIAAJ&q=%22Harry+Frederick%22 
  5. ^ Stewart, David (April 6, 1998). “Lehrer takes his own advice: make sure it matters to you”. Current. January 24, 2020閲覧。
  6. ^ Gilmore, Joan (October 15, 1999). “SNU Celebration Features Jim Lehrer”. The Journal Record. https://www.questia.com/newspaper/1P2-5735874/snu-celebration-features-jim-lehrer January 24, 2020閲覧。 
  7. ^ McFadden, Robert D. (2020年1月23日). “Jim Lehrer, Longtime PBS News Anchor, Is Dead at 85” (英語). The New York Times. ISSN 0362-4331. https://www.nytimes.com/2020/01/23/business/media/jim-lehrer-dead.html 2022年2月12日閲覧。 
  8. ^ Stewart, David. “Jim Lehrer takes his own advice: Make sure it matters to you” (英語). Current. 2022年2月12日閲覧。
  9. ^ Jim Lehrer (November 10, 2006). “Jim Lehrer Reflects on Marines at Museum Dedication”. PBSニュースアワー. May 3, 2011閲覧。
  10. ^ Remembering Jim Lehrer” (英語). PBS NewsHour (2020年1月23日). 2022年6月23日閲覧。
  11. ^ Jim Lehrer (June 8, 2008). “Commencement speech of Jim Lehrer”. Harvard University. September 28, 2008閲覧。[リンク切れ]
  12. ^ Jim Lehrer – American Journalist and Author”. Britannica.com. Encyclopædia Britannica (August 30, 2011). December 9, 2016閲覧。
  13. ^ Jones, Gabrielle. “Jim Lehrer, PBS NewsHour Anchor Who Got His TV Start At KERA, Dead At 85” (英語). keranews.org. January 23, 2020閲覧。
  14. ^ Lauderville, Kristen D. (2008). “Lehrer, Jim (1934– )” (英語). Encyclopedia of Political Communication. SAGE. pp. 401. ISBN 978-1-4129-1799-5. https://books.google.com/books?id=-woKG0HTstwC&pg=PT443 
  15. ^ a b Covering Watergate: 40 Years Later With MacNeil And Lehrer”. PBS NewsHour (May 16, 2013). December 20, 2021時点のオリジナルよりアーカイブ。January 23, 2020閲覧。
  16. ^ About Us: Jim Lehrer, Executive Editor”. The PBS NewsHour (2012年). March 11, 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。February 4, 2013閲覧。
  17. ^ Jim Lehrer: Master of moderation”. politico.com. Politico (September 29, 2012). December 20, 2021時点のオリジナルよりアーカイブ。January 29, 2020閲覧。
  18. ^ The Associated Press (April 25, 2008). NewsHour Anchor Jim Lehrer Has Heart Surgery”. The International Herald Tribune. オリジナルのSeptember 3, 2012時点におけるアーカイブ。. https://archive.today/20120903234940/http://www.nytimes.com/marketing/iht/search/?iht September 26, 2008閲覧。 
  19. ^ “Lehrer Has Heart Attack” (英語). The New York Times. (1983年12月15日). ISSN 0362-4331. https://www.nytimes.com/1983/12/15/arts/lehrer-has-heart-attack.html 2022年11月19日閲覧。 
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  24. ^ “Jim Lehrer: 'The Dean of Moderators'”. NBC News. Associated Press. (September 29, 2004). オリジナルのDecember 20, 2021時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20211220173435/https://www.nbcnews.com/id/wbna6133830 September 26, 2008閲覧。 
  25. ^ Guthrie, Marisa (September 26, 2016). “Jim Lehrer Offers Advice to Debate Moderators: It's Not About You (Q&A)”. ハリウッド・リポーター. オリジナルのDecember 20, 2021時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20211220173426/https://www.hollywoodreporter.com/news/general-news/jim-lehrer-offers-advice-debate-932369/ June 16, 2019閲覧。 
  26. ^ Criticism Greets List of Debate Moderators”. The New York Times (October 4, 2012). March 10, 2018時点のオリジナルよりアーカイブ。October 4, 2012閲覧。
  27. ^ Bauder, David (October 4, 2012). “Tough Reviews for Jim Lehrer as Debate Moderator”. サンフランシスコ・クロニクル, California (ハースト・コミュニケーションズ). http://www.sfgate.com/entertainment/article/Tough-reviews-for-Jim-Lehrer-as-debate-moderator-3917905.php October 4, 2012閲覧。 
  28. ^ Jim Lehrer's Debate Performance Criticized, Defended, and Analyzed”. The Washington Post (October 4, 2012). December 2, 2016時点のオリジナルよりアーカイブ。October 4, 2012閲覧。
  29. ^ Lehrer, Jim – "A Bus of My Own", New York: Putnam – 1992. ISBN 978-0-399-13765-5.
  30. ^ Hari Sreenivasan – "Jim Lehrer's 'Super' Office Tour", On the Road, PBS, April 16, 2010.[1]
  31. ^ Lehrer, Jim – "Top Down: A Novel of the Kennedy Assassination", New York: Random House, 2013. ISBN 978-1-4000-6916-3.
  32. ^ Sheir, Rebecca (September 6, 2013). “National Geographic Society Brings 'Bell' To Life” (英語). WAMU. January 24, 2020閲覧。
  33. ^ Davenport, Anne Azzi (January 23, 2020). “Remembering Jim Lehrer”. PBSニュースアワー. PBS. January 24, 2020時点のオリジナルよりアーカイブ。January 23, 2020閲覧。
  34. ^ Schudel, Matt (January 23, 2020). “Jim Lehrer, understated PBS news anchor and presidential debate moderator, dies at 85”. ワシントン・ポスト. February 1, 2020時点のオリジナルよりアーカイブ。February 3, 2020閲覧。
  35. ^ Paul White Award”. Radio Television Digital News Association. February 25, 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。May 27, 2014閲覧。
  36. ^ Golden Plate Awardees of the American Academy of Achievement”. www.achievement.org. アメリカン・アカデミー・オブ・アチーブメント. December 15, 2016時点のオリジナルよりアーカイブ。December 1, 2020閲覧。
  37. ^ James C. Lehrer, member profile”. アメリカ芸術科学アカデミー. June 17, 2020時点のオリジナルよりアーカイブ。January 23, 2020閲覧。
  38. ^ Peabody Awards won by Jim LehrerArchived March 4, 2016, at the Wayback Machine. , accessed September 2014.
  39. ^ Walter Cronkite School of Journalism and Mass Communication”. March 25, 2016時点のオリジナルよりアーカイブ。November 23, 2016閲覧。
  40. ^ Simon, Brent (August 13, 2008). “Luke Wilson Wants to Direct... Again”. Shared Darkness. November 26, 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。October 4, 2012閲覧。
  41. ^ Truitt, Brian (September 8, 2010). “Luke Wilson shoots for the top in 'Middle Men'”. USA Today. オリジナルのMarch 16, 2016時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160316210222/http://usatoday30.usatoday.com/life/people/2010-08-09-lukewilson09_ST_N.htm October 4, 2012閲覧。 
  42. ^ Canby, Vincent (January 23, 1970). “Screen: 'Viva Max' and the History of the Alamo: Peter Ustinov Stars in Music Hall Comedy Jerry Paris Is Director of 24-Hour Siege”. The New York Times. オリジナルのMarch 4, 2016時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160304095209/https://www.nytimes.com/movie/review?res=9A02EFD91F39EF34BC4B51DFB766838B669EDE January 24, 2020閲覧。 
  43. ^ Leonard, John (November 6, 2000). “Camp Pain” (英語). New York Magazine. November 19, 2018時点のオリジナルよりアーカイブ。January 24, 2020閲覧。
  44. ^ Bernstein, Paula (June 20, 2000). “'Debate' stirs Showtime” (英語). Variety. May 28, 2020時点のオリジナルよりアーカイブ。January 24, 2020閲覧。
  45. ^ a b c PBS' Jim Lehrer Serves His Chili Queen in L.A. Feb. 20”. Playbill (February 20, 1998). January 25, 2020時点のオリジナルよりアーカイブ。January 23, 2020閲覧。
  46. ^ Laura Bennett (September 11, 2013). “An Anchor Tells Stories Onstage, but Off Camera”. September 12, 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。January 23, 2020閲覧。

参考文献

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  • ジム・レーラーをフィーチャーした「Art at Our Doorstep: San Antonio Writers and Artists」。ナン・キューバ、ライリー・ロビンソン編集(トリニティ大学出版局、2008年)。

外部リンク

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メディア
先代
放送開始前
ニュースアワー英語版』/『PBSニュースアワー』アンカー
1975年 - 2011年
同職:ロバート・マクニール英語版(1975年 - 1995年)
次代
グウェン・アイフィル英語版
ジュディ・ウッドラフ

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