ACRメッシーナ
表示
(FCメッシーナから転送)
ACRメッシーナ | |||
---|---|---|---|
原語表記 | Associazioni Calcio Riunite Messina s.r.l. | ||
愛称 | Giallorossi(赤と黄) | ||
クラブカラー | 赤と黄 | ||
創設年 | 1900年 | ||
所属リーグ | セリエC | ||
所属ディビジョン | 3部 | ||
ホームタウン | メッシーナ | ||
ホームスタジアム |
サン・フィリッポ | ||
収容人数 | 38,722 | ||
代表者 | Pietro Sciotto | ||
監督 | エツィオ・カプアーノ | ||
| |||
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
ACRメッシーナ(A.C.R. Messina)は、イタリア・メッシーナを本拠地とするサッカークラブチーム。2023-24シーズンはセリエCに所属している。
メッシーナはメッシーナ海峡を挟んでレッジョ・ディ・カラブリアと向き合っており、レッジーナ1914との一戦はデルビー・デッロ・ストレットとして盛り上がりを見せる。
歴史
[編集]1900年にメッシーナFCの名前で創設[1]。
2002年、メッシーナ海峡でフェリー業などを展開していた実業家ピエトロ・フランツァがクラブを買収。積極的な補強策でチームを強化する。2004-05シーズンにセリエAに昇格。柳沢敦、小笠原満男[2]が在籍していたことで日本でも馴染みの深いクラブチームである。
2005-06シーズン終盤に騒がれたセリエAの八百長問題で、メガクラブの処分後にレッジーナ1914と共に疑いがかけられたが、処分は下されなかった(レッジーナは減点)。
しかし、セリエA時代のフランツァ会長による積極経営はクラブの財政力を無視しており、クラブは経営難となった。2006-07シーズンにセリエBに降格し、2007-08シーズンはセリエBで14位となった。シーズン後、財政難のためにプロリーグ登録が認められず[3]、セリエD降格となった。2014年夏、現在のクラブ名に改称した。
タイトル
[編集]国内タイトル
[編集]- セリエB : 1回
- 1962-63
- セリエC : 2回
- 1949-50, 1985-86
- セリエC2 : 3回
- 1982-83, 1999-00, 2013-14
- セリエD : 2回
- 1973-74, 2012-13
- カンピオナート・ナツィオナーレ・ディレッタンティ : 1回
- 1997-98
- ウィテカー・チャレンジカップ : 2回
- 1905, 1906
- コッパ・アゴルダード : 1回
- 1913
- コッパ・レストゥッチャ : 1回
- 1913
- コッパ・サンタガータ : 1回
- 1921
国際タイトル
[編集]なし
過去の成績
[編集]シーズン | ディビジョン | コッパ・イタリア | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
リーグ | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 勝ち点 | 順位 | ||
2000-01 | セリエC1・ジローネB | 34 | 16 | 13 | 5 | 40 | 26 | 61 | 2位 | — |
2001-02 | セリエB | 38 | 11 | 14 | 13 | 41 | 42 | 47 | 14位 | ベスト16 |
2002-03 | セリエB | 38 | 10 | 16 | 12 | 51 | 54 | 46 | 15位 | 1回戦敗退 |
2003-04 | セリエB | 46 | 21 | 16 | 9 | 71 | 45 | 79 | 4位 | GS敗退 |
2004-05 | セリエA | 38 | 12 | 12 | 14 | 44 | 52 | 48 | 7位 | 2回戦敗退 |
2005-06 | セリエA | 38 | 6 | 13 | 19 | 33 | 59 | 31 | — | |
2006-07 | セリエA | 38 | 5 | 11 | 22 | 37 | 69 | 26 | 20位 | 2回戦敗退 |
2007-08 | セリエB | 42 | 13 | 10 | 19 | 38 | 62 | 49 | 14位[5] | 1回戦敗退 |
2008-09 | セリエD・ジローネI | 36 | 12 | 11 | 13 | 29 | 34 | 47 | 12位 | 2回戦敗退 |
2009-10 | セリエD・ジローネI | 34 | 10 | 11 | 13 | 41 | 38 | 41 | 13位 | — |
2010-11 | セリエD・ジローネI | 36 | 15 | 8 | 13 | 43 | 48 | 9位 | — | |
2011-12 | セリエD・ジローネI | 34 | 16 | 11 | 7 | 50 | 36 | 4位 | — | |
2012-13 | セリエD・ジローネI | 34 | 23 | 8 | 3 | 59 | 24 | 1位 | — | |
2013-14 | レガ・プロ・セコンダ・ジローネB | 34 | 15 | 12 | 7 | 43 | 33 | 57 | 1位[6] | — |
2014-15 | レガプロ ・ジローネC | 38 | 6 | 16 | 16 | 38 | 55 | 34 | 15位[7][8] | 1回戦敗退 |
2015-16 | レガプロ ・ジローネC | 34 | 10 | 15 | 9 | 37 | 41 | 45 | 8位 | — |
2016-17 | レガプロ ・ジローネC | 38 | 12 | 10 | 16 | 38 | 52 | 14位 | 2回戦敗退 | |
2017-18 | セリエD・ジローネI | 34 | 14 | 11 | 9 | 57 | 39 | 53 | 6位 | — |
2018-19 | セリエD・ジローネI | 34 | 11 | 10 | 13 | 40 | 44 | 43 | 12位 | — |
2019-20 | セリエD・ジローネI | 26[9] | 11 | 3 | 12 | 30 | 29 | 36 | 8位 | — |
2020-21 | セリエD・ジローネI | 34 | 21 | 11 | 2 | 66 | 25 | 74 | 1位 | — |
2021-22 | セリエC ・ジローネC | 36 | 10 | 9 | 17 | 40 | 57 | 39 | 14位 | — |
2022-23 | セリエC ・ジローネC | 位 |
歴代監督
[編集]- ダニエレ・アッリゴーニ 2001-2002
- ボルトロ・ムッティ 2003-2006.3
- ジャンピエロ・ヴェントゥーラ 2006.4-2006.6
- ブルーノ・ジョルダーノ 2006.7-2007.1、2007.4-5
- アルベルト・カバジン 2007.1-2007.4
歴代所属選手
[編集]→詳細は「Category:ACRメッシーナの選手」を参照
- マルコ・ストラーリ 2002-2007
- フランスの旗 ランドリー・ボンヌフォワ 2003-2004
- ディミトリオス・エレフテロプーロス 2004-2005
- マルコ・マテラッツィ 1990-1991
- ダニエル・プロダン 2002
- マルコ・ザンキ 2004-2008
- ラフマン・レザイー 2003-2006
- マルク・ユリアーノ 2006-2007
- フランスの旗 ヴァンサン・カンデラ 2007.1-2007.9
- 小笠原満男 2006-2007
- エドガル・アルバレス 2006-2007
- サルヴァトーレ・スキラッチ 1982-1989
- アマウリ 2002-2003
- ニコラ・アモルーゾ 2004-2005
- 柳沢敦 2004-2006
- クリスティアン・リガノ 2006-2007
- イブラヒマ・バカヨコ 2007.1-2007
脚注
[編集]- ^ “ACR Messina”. 2021年12月12日閲覧。
- ^ “小笠原満男選手のメッシーナへの期限付き移籍正式決定” (2006年8月30日). 2021年12月12日閲覧。
- ^ “メッシーナがイタリアリーグ未登録の危機”. (2008年7月13日) 2021年12月12日閲覧。
- ^ カルチョ・スキャンダルによる順位繰上げ
- ^ 財政難によりアマチュアリーグである5部へ降格
- ^ 首位だが、扱いとしてはリーグ再編による3部昇格
- ^ プレーアウトに敗れ降格となったが、ヴィゴル・ラメーツィア・カルチョが不正により最下位扱いとなったため翌シーズンは3部へ登録となった
- ^ “La Corte ribalta tutto: Vigor in serie D, il Messina torna in Lega Pro!”. (2015年8月29日) 2021年12月12日閲覧。
- ^ 新型コロナの影響でリーグが途中で打ち切られた