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バス (哨戒フリゲート)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
EK-29 (警備艦)から転送)
バス
基本情報
建造所 フローミング・ブラザーズ社
艦歴
起工 1943年8月23日
進水 1943年11月14日
就役 1943年9月9日
その後 海上自衛隊に貸与
要目
基準排水量 1,430トン
常備排水量 2,415トン
全長 92.6m
最大幅 11.4m
吃水 4.1m
機関 ボイラー3基 5,500軸馬力
タービン2基 2軸推進
最大速力 20ノット
乗員 170名
兵装 50口径3インチ単装緩射砲×3基
56口径40mm連装機銃×2基
70口径20mm単装機銃×9基
ヘッジホッグ対潜迫撃砲×1基
片舷用爆雷投射機(K砲)×8基
Mk.9爆雷投下軌条×2条
レーダー SA 対空捜索用×1基
SL 対水上捜索用×1基
Mk.51 射撃指揮装置×2基
ソナー QBFまたはQJA 探信儀×1基
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バス (USS Bath, PF-55) は、アメリカ海軍の哨戒フリゲートタコマ級フリゲートの1隻。艦名はメイン州バスに因む。その名を持つ艦としては2隻目。

艦歴

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バスは海事委任契約(船体番号1480)の下、1943年8月23日ウィスコンシン州ミルウォーキーのフローミング・ブラザーズ社で起工した。4月15日まではPG-163と呼ばれた。1943年11月14日にフレッド・R・E・ディーン夫人によって命名、進水ニューオーリンズのペンドルトン造船所で竣工し、1944年9月9日に艦長ジョン・R・スチュアート沿岸警備隊中佐の指揮下就役した。

バスは9月25日にニューオーリンズを出発し、バミューダで整調訓練を行った後11月1日フィラデルフィア海軍工廠に到着、整調後の修理および改修が行われた。メイン州ロックランド沖で公試を行い、フィラデルフィアで信頼性試験を行った後1944年12月30日デラウェア岬を発ち、イースタン・シー・フロンティア隷下の第20.9任務群に合流するためニューヨークに向かった。

フロンティアの拠点であるニューヨーク州スタテンアイランドトンプキンズヴィルでバスは第38護衛部隊に加わり、1945年1月6日に船団護衛任務でグアンタナモ湾に向かう。25日にニューヨークに帰還し、その後5月半ばまでトンプキンズヴィルから他の護衛艦と共に対哨戒任務に当たった。ステーションでの任務の間、バスはニューヨーク付近で船団ルートに接近する船舶を警戒した。

1945年5月17日に船団護衛任務を解除され、翌18日にバスは第10海洋気象ステーションに到着、ジャック・W・ウィルク (USS Jack W. Wilke, DE-800) と任務を交代したが、バス自身も同日任務を交代することとなった。ニューヨークに帰還すると、6月11日太平洋へ向かうよう命じられる。ベスレヘム・スチールのマリナーズ・ハーバー造船所で修理および改修が行われた後、スタテンアイランドで保管された。7月14日レンドリース法に基づきソ連海軍に貸与されることが決定し、22日パナマ運河を通過、30日カリフォルニア州サンペドロに到着した。その後ワシントン州シアトルに移動し、バスは1945年8月28日シベリアに向けて出航した。9月9日ペトロパヴロフスクで退役、9月25日付けで赤色海軍太平洋艦隊に就役した。

ソ連では「護衛艦」を意味する「EK」の略号が付与され、EK-29ロシア語:ЭК-29エーカー・ドヴァーッツァヂ・ヂェーヴャチ)と命名された。ソ連海軍で実戦に参加することはなく、1949年11月15日には除籍された。同日、横須賀でアメリカ海軍に返還され、同地で保管された。

1953年12月23日、日米船舶貸与協定に基づく最終引渡し艦として警備隊(後の海上自衛隊)に貸与され、「まき (PF-18) 」として就役し、同日付で「けやき」、「とち」、「しい」とともに第3船隊を新編した。1954年4月10日、第3船隊は第2船隊群(後の第2護衛隊群)に編入された。1957年9月1日、艦籍番号がPF-298に変更された。1961年12月1日にアメリカ海軍から除籍され、1962年8月28日に貸与から供与へと変更された。1964年3月15日、第3護衛隊が廃止となり、呉地方隊に編入。その後、1966年3月31日練習船YTE-09)に区分変更され、1969年3月31日に除籍。1971年7月12日にアメリカ海軍に返還され、同年12月13日台湾の Chin Ho Fa Steel and Iron Co. にスクラップとして売却された。

外部リンク

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