クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル
クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル | |
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基本情報 | |
別名 |
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出身地 | アメリカ合衆国 カリフォルニア州エル・セリート |
ジャンル | |
活動期間 | 1959年 - 1972年 |
レーベル | ファンタジー・レコード |
旧メンバー |
クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(Creedence Clearwater Revival, 略称CCR)は、アメリカ合衆国のロックバンド。単純明快なロックンロールのベースに、ロカビリー、ブルース、R&B、カントリーから影響を受けた、豊かな音楽性を持っていた。
カリフォルニア州サンフランシスコ出身であるが、西海岸らしからぬ南部ルーツ音楽寄りの姿勢はアメリカ南部で隆盛を極めたサザン・ロックの先駆的存在であり、また泥臭いサウンドはスワンプ・ロックの代表ともいえる存在でもあった。
4年間余りという短い活動期間であったが、シングル、アルバムともに多くのヒット作を残した。1993年にロックの殿堂入りした。ローリング・ストーンの選んだ「歴史上最も偉大な100組のバンド」で第82位。
来歴
[編集]1959年にジョン・フォガティ (Vocal&G)、ステュ・クック (B)、ダグ・クリフォード (Ds) の3人が中学校時代に出会って結成されたザ・ブルー・ベルベッツを前身とする。後にジョンの兄で、既にバンド活動をしていたトム・フォガティ (G) が加入する。メンバーは全員がカルフォルニア州出身である。1967年にサンフランシスコを拠点とするジャズ系ローカル・レーベルのファンタジーと契約(当時のレーベル・マネージャーのソウル・ゼインツによって、半ば契約させられた説あり)、バンド名を「ゴリウォッグス」と変えてデビュー。ゴリウォッグスは、醜い面相の男たちの意味であり、メンバーは無理やりレーベル側から着せられた衣装と共に、この名前も気に入らなかったという[5]。
翌1968年にバンド名をクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルと改めた。クリーデンス(信用)はトムの友人「クリーデンス・ニューボール」から、クリアウォーターはビールのCMを見ていて、流れる水の映像が気に入ったことと、メンバー全員の関心事であったエコロジーの観点から、リバイバルはバンドの復活、新しいバンド名で再出発との意味をこめて名付けられた[5]。
同年にデビュー曲として発表されたルイジアナのシンガーソングライター、デイル・ホーキンスのカバー「スージーQ 」はサンフランシスコ・ベイエリアやシカゴのラジオ局でオンエアされた[6]。ファースト・アルバムはこの長尺な「スージーQ」で、スクリーミン・ジェイ・ホーキンズの「アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー」カバーなどが収録され、内容はブルース・ロックとサイケな曲などを含み、当時ヒッピー文化が全盛だったサンフランシスコでも人気となった。
1969年から1971年にかけて、彼らの代表曲となる「プラウド・メアリー」、「ダウン・オン・ザ・コーナー」、「雨を見たかい」といったヒットを飛ばす。ところが「プラウド・メアリー」(3週連続)、「バッド・ムーン・ライジング」、「グリーン・リヴァー」、「トラベリン・バンド」(2週連続)、「ルッキン・アウト・マイ・バック・ドア」という、この5曲は全てビルボード・シングルチャートで全米第2位のみ。しかも現在まで全米No.1を獲得できなかった歌手、グループの中で最多5曲の全米第2位楽曲を持つという珍しい記録となっている。
人気バンドになったCCRだったが、楽曲のほとんどを作曲し、サックスからピアノまで自分で演奏するジョンの才能に注目が集まりすぎたためにメンバー間の軋轢が生じ(ジョン以外のメンバーがベーシックトラック録音のみに参加した曲も存在し、特に6枚目「ペンデュラム」が実質ジョンのワンマンレコーディング作ではないかと思われたことがあった[5])、1971年1月にバンドのマネージャーも兼任していたトムがジョンと仲違いになり脱退。ジョンが新マネージャーとして連れてこようとしたアラン・クレインは、「ビートルズを解散させた男」として悪名高い人物だった[5]。71年の「雨を見たかい」はビルボード8位のヒットとなった。この曲の歌詞が「ベトナム戦争の反戦歌で、「雨」はアメリカ軍によるナパーム弾爆撃の隠喩である」という説が広く信じられているが(映画「マイ・バック・ページ」でもそのことに言及するセリフがある)、作詞作曲者のジョン・フォガティ自身は、1997年に当時のオフィシャル・ウェブサイトで次のように発言し、反戦歌であることを否定している。
「この事は、ベイエリアでは他の地区よりもよく起こる。陽が照ってるのに雨が、虹と雨粒が降って来る事がある。風が吹くと、雨が金門橋を越えてサンフランシスコ湾に飛ばされて来るんだ。『雨を見たかい』はCCRの崩壊についての歌なんだ。"Have you ever seen the rain coming down, sunny day?" の部分は、sunny dayは黄金時代のクリーデンスを示してる。しかし、俺たちに雨が降りかかって来るのが見えたって事を言ってるわけさ」Hank Bordowitz著 "Bad Moon Rising" p.107-108
一方、ドラムのダグは、ひとつ前のアルバムの曲「フォール・ストップ・ザ・レイン」と混同されたのではないかと語っている。この曲の「雨」はニクソン政権による空爆を指しているという[5]。翌1972年に発表した7枚目のアルバム「マルディ・グラ」は、各メンバーの手掛けた曲やヴォーカル曲も取り入れ人気曲「サムデイ・ネバー・カムズ」を収録した作品であったが、同年10月にバンドはおよそ4年余りの活動で解散した。
解散後のソロ活動
[編集]ジョン・フォガティは73年にはブルーリッジ・レインジャーズ名義でソロ・アルバムを発表した[注 1]。75年にもソロ・アルバムを発表したが、ファンタジー・レコードの社長との訴訟が長引き、約10年間迷路に入り込んだような、苦しい時期をすごすことになった。しかし85年に「オールド・マン・ダウン・ザ・ロード」がヒットし、ファンを喜ばせた。1998年にはハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星を獲得している[7]。
ステュ・クック、ダグ・クリフォードの2人は、1976年に結成した「ザ・ドン・ハリスン・バンド」(1977年に解散)を経て、様々なセッションに参加し[注 2]、1995年に結成した「クリーデンス・クリアウォーター・リビジテッド」のメンバーとしてライブを行っている。これまでジョンとの交流、接触は一切絶っているという噂もあるが、実際にはイベントで顔を合わせている。
トム・フォガティは、脱退後ソロ・アルバムを数枚リリースしたがいずれもセールスでは失敗に終わり、1976年に結成した彼自身のリーダー・バンドの「トム・フォガティ&ザ・ルビー」で、ボビー・クックレンらとともに活動を続けていたがこちらも成功には程遠く、1980年にいったん解散し、1982年に再結成するも、トムが糖尿病を患ったために1984年、再び解散した。1990年(日本の洋楽ロック系書籍や雑誌では何故か1991年と表記されていた)、闘病生活をしていたトムは糖尿病関連の疾病手術で受けた輸血から感染したエイズにより、息子のジェフを含む数人の子供たちに看取られながら、9月6日に48歳でこの世を去った。仲違いだったジョンとのわだかまりは消えたかどうかは不明。
ヒッピー文化全盛だった60年代後半に登場した西海岸のバンドは、アルバム志向のバンドも多く存在したが、CCRはシングルヒットが多かったバンドだった。CCRの音楽は元祖サザンロック(南部のロック)と呼ばれたが、メンバーはカリフォルニア(西海岸)出身である。ステュ・クックは「音楽雑誌の記者たちは(僕らのことを)勝手に南部出身だと思い込んでいた様だね。僕らの音はジョンの想像世界と南部への憧れから生まれたんだ。流行のロックとは違う僕らの音楽を、分類して記事を書きやすくするために作られた造語だよ」と語っている[5]。ジョン・フォガティも「色々と分類されるのは真っ平御免だったよ。クリーデンスは一介のロック&ロール・バンドに過ぎなかったんだから」と反論していた。
1969年の発表された2枚目のアルバム「バイヨー・カントリーではルイジアナ のバイヨーを採り上げ、バイヨー一帯のリアルな描写を歌い、シングルの発表された「プラウド・メアリー」はジョンがミシシッピ川を連絡する蒸気船「メアリー・エリザベス号 (Mary Elizabeth)」の写真から想像し[注 3] 書き上げ、この曲がヒットし演奏公演で初めてアメリカ南部地域を訪れ、その際に「メアリー・エリザベス号」を見物したという逸話があるが、カントリー・ミュージック、ブルースの影響が濃いため、リアルタイムで聴いた当時のリスナーは、CCRを南部のバンドではないかと思いこむファンも多かった。NHKで放送された「スターの殿堂 エド・サリバンショー」で、CCRの出演した際の映像が紹介された。
ディスコグラフィ
[編集]オリジナル・アルバム
[編集]- Creedence Clearwater Revival (1968) (US #52)
- Bayou Country (1969) (US #7)
- Green River (1969) (US #1)
- Willy and the Poor Boys (1969) (US #3)
- Cosmo's Factory (1970) (US #1)
- Pendulum (1970) (US #5)
- Mardi Gras (1972) (US #12)
ライブ・アルバム
[編集]- Live In Europe (1973) (US #143)
- The Concert (1980) (US #62)
ベスト・アルバム
[編集]- Creedence Gold (1971) (US #12)
- More Creedence Gold (1973) (US #46)
- Chronicle, Vol. 1 (1976) (US #100)
- Chronicle, Vol. 2 (1986)
シングル
[編集]1968
- Porterville / Call It Pretending
- Suzie Q (Part One) (US #11) / Suzie Q (Part Two)
- I Put A Spell On You (US #58) / Walk On The Water
1969
- Proud Mary (US #2) / Born On The Bayou
- Bad Moon Rising (US #2) / Lodi (US #52)
- Green River (US #2) / Commotion (US #30)
- Down On The Corner (US #3) / Fortunate Son (US #14)
1970
- Travelin' Band (US #2) / Who'll Stop The Rain (US #2)
- Up Around The Bend (US #4) / Run Through The Jungle (US #4)
- Lookin' Out My Back Door (US #2) / Long As I Can See The Light (US #2)
1971
- Have You Ever Seen The Rain (US #8) / Hey Tonight
- Sweet Hitch-Hiker (US #6) / Door To Door
1972
- Someday Never Comes (US #25) / Tearin' Up The Country
1976
- I Heard It Through The Grapevine (US #43) / Good Golly Miss Molly
日本公演
[編集]- 2月25日 愛知県体育館
- 2月28日 大阪厚生年金会館大ホール (昼夜2回公演)
- 2月29日 日本武道館
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 「ジャンバラヤ」などが収録されている。
- ^ クックはもと、13thフロア・エレベーターズのロッキー・エリクソンのバンドなどに参加していた。
- ^ [1] 着想のはじまりは女給仕についての歌だったが船の歌に変化したという。
出典
[編集]- ^ a b c d e Unterberger, Richie. “Creedence Clearwater Revival | Biography & History”. AllMusic. All Media Group. 2021年1月18日閲覧。
- ^ Roberts, Randall (2016年8月13日). “Listen to Ozomatli's Spanish-language tribute to CCR, and two live albums to put on your playlist”. Los Angeles Times. Nant Capital, LLC. 2021年1月18日閲覧。
- ^ King, Stephen A. (June 1, 2011). I'm Feeling the Blues Right Now: Blues Tourism in the Mississippi Delta. Univ. Press of Mississippi. p. 52. ISBN 978-1-61703-011-6
- ^ Stuessy, Joe (2003). Rock and Roll: Its History and Stylistic Development. Prentice Hall. p. 318. ISBN 978-0-13-099370-0
- ^ a b c d e f 2010年4月22日放送 BS-TBS 「Song To Soul」#44 雨を見たかい - ジョン・フォガティ以外のメンバー、エンジニアなどのインタビューで構成されている。
- ^ http://www.oldiesloon.com/il/wls101468.htm%7Ctitle= WLS890 Hit Parade|work=Mike Gallant
- ^ John Fogerty | Hollywood Walk of Fame ハリウッド・ウォーク・オブ・フェイム 2020年12月1日閲覧