コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

コールド・フィーバー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Cold Feverから転送)
コールド・フィーバー
Á köldum klaka
監督 フリドリック・トール・フリドリクソン
脚本 フリドリック・トール・フリドリクソン
ジム・スターク
出演者 永瀬正敏
リリ・テイラー
音楽 ヒルマル・オルン・ヒルマルソン
撮影 アリ・クリスティンソン
公開 アイスランドの旗 1995年2月10日
日本の旗 1995年10月28日
上映時間 83分(英語版)
85分(ドイツ語版)
製作国 アイスランドの旗 アイスランド
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
日本の旗 日本
ドイツの旗 ドイツ
 デンマーク
言語 英語
アイスランド語
日本語
ドイツ語
製作費 ISK 130,000,000
テンプレートを表示

コールド・フィーバー』(英語タイトル:Cold Feverアイスランド語タイトル:Á köldum klaka)は、1995年アイスランドのドラマ・コメディ映画。監督はフリドリック・トール・フリドリクソン

解説

[編集]

アイスランドを舞台にしたこのロード・ムービーは、フリドリックの作品としては初めて英語で製作された。アイスランドを訪れた日本人男性の旅のもようが描かれている。

フリドリックの他の映画『春にして君を想う』、『ムービー・デイズ』とともに3部作を構成する[1]

日本人を主役としたのは、1984年8月にアイスランドで発生した、東京大学の地質調査隊3名の死亡事故[注釈 1]をモチーフにしているためである。 フリドリックはこの事故に関するニュース映像を観て映画を思いついたという。事故の数年後に日本から遺族が来て、アイスランドを横断して事故現場に行き、川にを注ぐなどして供養を行なった。亡くなった人々の慰霊をするその儀式に心惹かれたのだという。フリドリックは、日本もアイスランドもともに火山島であり、海と共存して暮らし、霊的な存在や精神的なものに人々が魅せられていると語った[1]。また主人公を演じた永瀬正敏は新聞のインタビューに対し、今も精霊の存在を信じているらしいアイスランド人が、自分達と共通する精神性を日本人の供養の様子に感じたのではないか、と語った。映画には精霊も登場する[5]

映画のプロデューサーのジム・スタークは以前永瀬が出演した映画『ミステリー・トレイン』のプロデューサーでもあった[6]。アイスランドのレイキャビク映画祭でフリドリックが映画を観て永瀬に興味を持ち、スタークを通じて連絡してきたという[5]

映画は1993年1月と2月に撮影されたが、これは作中に冬の場面が必要だったためで、アイスランドでは初めて冬に撮影された映画だという[6][1]。1995年、映画はエジンバラ映画祭最優秀新人監督賞を受賞している[7]

あらすじ

[編集]

日本人のサラリーマン、平田アツシ(永瀬正敏)は正月休暇をハワイで過ごすつもりだったが、祖父(鈴木清順)の言葉を思い出し、予定を変更してアイスランドへ行くことにした。彼の父母は7年前、学術調査のため向かったアイスランドの渓流で、事故で亡くなっている。その場所で供養をしなければと思い直したのだ。航空機で冬のさなかのアイスランド、ケフラヴィーク国際空港に到着したが、目的地はレイキャビクから遠かった。露天風呂に迷い込んだり、教会での葬式に参加したりして旅は順調にはいかない。移動手段がなく旧式の赤いシトロエンDSを入手したものの、途中でアメリカ人男女のヒッチハイカーを拾ったところ、彼らに拳銃で脅されて車を奪われてしまう。ホテルで出会った老人スィギから酒を勧められるなどして親しくなり、を貸してもらい、彼とともに父母の魂の眠るカルダクヴィスル川[注釈 2]へと向かった。

スタイル

[編集]

画面のアスペクト比が、冒頭の日本での場面ではテレビサイズの1.33:1であるが、アイスランドへ向かう航空機の場面以降はシネマスコープの2.35:1に変わる。 アイスランドでは初めてのシネマスコープの映画である[1]。冒頭の東京での築地市場や人の多い交差点をはじめとする狭苦しい場面[8]から一転してアイスランドのスケールの広い空間をより強調して表現するねらいがあった[1]

キャスト

[編集]

スタッフ

[編集]
  • 監督:フリドリック・トール・フリドリクソン
  • 脚本:ジム・スターク、フリドリック・トール・フリドリクソン
  • 撮影:アリ・クリスティンソン
  • 音楽:ヒルマル・オルン・ヒルマルソン
  • 編集:スティングリムール・カールソン
  • 音響:キャルタン・キャルタンソン
  • 美術:アオルニ・パオッル・ヨハンソン
  • 製作:ジム・スターク
  • 共同製作:ジョージ・グントIII世
  • 製作総指揮:フリドリック・トール・フリドリクソン、クリスタ・サルディ、レインハルト・ブランディック、ピーター・アールベーク・ヤンセン

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 事故は1984年8月10日に発生[2]東京大学理学部助手2名と同大学生1名が地質調査のためアイスランドを訪問中、車で川を渡ろうとした際の事故であった[3][2]。アイスランドでは首都とその周辺以外の道路には川に橋が架かっていないことが多く、こういう場所では車で川に入って渡らなければならない[4]。一行がジープで渡ろうとしたリュプナブレッククヴィスル (Rjúpnabrekkukvísl) 川は、前日からの高温によってヴァトナ氷河から溶け出した水で増水し、平時の約2倍の深さになっていた。水が濁っており川底は見えない状態だったという[2]
  2. ^ 映画パンフレット37頁の地図によると、ヴァトナ氷河の西側。
  3. ^ 映画パンフレットの「プロダクション・ノート」(33頁)によると、当初祖父役には永瀬が推薦した笠智衆をとフリドリックは考えていたが、笠はクランク・インの前に亡くなった。

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e 映画パンフレット34頁でのフリドリックによるメッセージ。
  2. ^ a b c 久城育夫アイスランドにおける遭難事故」『東京大学理学部廣報』第16巻第4号、東京大学理学部、1984年11月、4-8頁、hdl:2261/27598NAID 120001630874 
  3. ^ “3人の遺体を確認 アイスランドの自動車転覆事故”. 朝日新聞東京夕刊. (1984年8月13日) 
  4. ^ 島村英紀. “島村英紀のホームページ 島村英紀が撮ったシリーズ「道」”. 2012年3月5日閲覧。
  5. ^ a b “永瀬正敏、アイスランド映画「コールド・フィーバー」主演 厳寒の地で精霊見る”. 読売新聞東京夕刊. (1995年8月23日) 
  6. ^ a b “「そりゃあ寒かったです」映画「コールド・フィーバー」主演の永瀬正敏”. 毎日新聞東京夕刊. (1995年10月31日) 
  7. ^ 映画パンフレット40頁、ビデオソフト(アスク講談社映像事業部、ACH1-62358)パッケージ。
  8. ^ 映画パンフレット32頁。

外部リンク

[編集]