コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ウニベルシダ・カトリカ (チリ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウニベルシダ・カトリカ
原語表記 Club Deportivo Universidad Católica
愛称 Los Cruzados (十字軍)
UC (ユーシー)
La Franja (ラ・フランハ)[1]
クラブカラー 白・青・赤
創設年 1937年
所属リーグ チリリーグ
所属ディビジョン プリメーラ・ディビシオン
ホームタウン サンティアゴ
ホームスタジアム エスタディオ・サン・カルロス・デ・アポキンド
収容人数 20,000[2]
代表者 チリの旗 フアン・タグレ
監督 チリの旗 ニコラス・ヌニェス
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

クルブ・デポルティーボ・ウニベルシダ・カトリカスペイン語: Club Deportivo Universidad Católica)は、チリの首都サンティアゴに本拠を置くサッカークラブである。プリメーラ・ディビシオン(1部)に在籍している。

同じように大学のクラブをルーツとするウニベルシダ・デ・チレ(チリ大学)との間には強いライバル関係がある。チリ大学にはスポーツ面でも学問面でもライバル意識を持っており、両クラブの対戦はクラシコ・ウニベルシタリオ(Clásico Universitario、大学クラシコ)と呼ばれる。

ウニベルシダ・カトリカのサポーターはチリ全土に広がっている。その中には大衆的な地域や町もあるが、スタジアムやクラブハウスは首都の高級街の一角にあり、その他の要因も合わさって、上流階級のファンが多いとされる。この理由により、サンティアゴ市内の別場所への新スタジアムの建設が計画されている。今日のウニベルシダ・カトリカはチリ国内のみならず南米でも名声を博しており、南米大陸で最も充実したクラブハウスや練習場を持つクラブのひとつとして知られている。下部組織も充実しており、何人ものスター選手を輩出している。

スタジアム

[編集]

歴史

[編集]
1939年のウニベルシダ・カトリカ
1949年のウニベルシダ・カトリカ

チリ・カトリック大学のサッカークラブとして活動を始めた。サッカーチーム自体の創設は1910年頃だが、プロクラブとして創設されたのは1937年4月21日であり、クラブは公式かつ法的な設立年を1937年としている。プロデビュー戦はプリメーラB(2部)のウニベルシダ・デ・チレ戦だった。

1993年にはコパ・リベルタドーレスに出場し、決勝でサンパウロFC(ブラジル)に敗れたものの、今日でも過去最高位となる準優勝という成績を残した。1994年のコパ・インテラメリカーナにはサンパウロFCが出場を拒否したため、準優勝のウニベルシダ・カトリカが繰上がりで出場し、デポルティーボ・サプリサ(コスタリカ)に勝って優勝した。

画像にはウニベルシダ・カトリカの大ファンの一部が映っています。これは、ビーニャ・デル・マールのサウサリート・スタジアムでの2021年12月4日に相当する。その日、チームは4年連続の全国タイトルを獲得し、その日までに合計16回の優勝を達成した。

2005年にはコパ・スダメリカーナで準決勝に進出したが、最終的に優勝したボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)に敗れた。2006年のコパ・リベルタドーレスでも調子の良さを見せたが、UANLティグレス(メキシコ)との試合ではロスタイムに失点し、グループステージ敗退となった。2007年はコパ・リベルタドーレスの出場権を得られなかった。2008年にもコパ・リベルタドーレスに出場したが、CAリーベル・プレート(アルゼンチン)とクラブ・アメリカ(メキシコ)に得失点差で及ばずにグループステージ敗退となった。2010年も調子が良くなく、ウニベルシダ・デ・チレとCRフラメンゴ(ブラジル)に次ぐグループ3位で敗退した。2011年大会はグループステージを首位で終え、ラウンド16ではグレミオFBPA(ブラジル)を勝って準々決勝に進出した。準々決勝ではCAペニャロール(ウルグアイ)と対戦。モンテビデオで行われたファーストレグに0-2で敗れ、ホームでは2-1で勝利したものの、2試合合計2-3で敗退となった。かつて選手としてもウニベルシダ・カトリカでプレーしたマリオ・レペ監督が率いた2012年大会は、ホームでわずか1勝しか挙げられなかったほか、コロンビアとボリビアでのアウェーゲームに敗れ、グループステージ最下位で敗退した。

2018年から2021年にかけて国内4連覇を達成した後の選手とファンの間での祝賀会。

2018 年から 2021 年にかけて、チームは地元で最高の栄誉を獲得しました。カトリカは4年連続のタイトルを獲得し、合計16回のタイトルを獲得した。 「長い」トーナメント形式、つまりラウンドロビンでこれまでこの成績を達成したチームは他にありませんでした。

タイトル

[編集]

国内タイトル

[編集]
  • プリメーラ・ディビシオン (1部) : 16回
    • 1949, 1954, 1961, 1966, 1984, 1987, 1997アペルトゥーラ, 2002アペルトゥーラ, 2005アペルトゥーラ, 2010, 2016クラウスラ, 2016アペルトゥーラ, 2018, 2019, 2020, 2021
  • コパ・チレ : 5回
    • 1983 (コパ・ポーリャ・ゴル), 1983 (コパ・レプブリカ), 1991, 1995, 2011
  • スーペルコパ : 4回
    • 2016, 2019, 2020, 2021
  • リギージャ・プレ=リベルタドーレス : 8回
    • 1985, 1989, 1991, 1992, 1994, 1995, 1996, 1998
  • リギージャ・プレ=スダメリカーナ : 3回
    • 2003, 2015-C, 2015-A
  • アペルトゥーラ・コンソレーション・トーナメント : 1回
    • 1949

国際タイトル

[編集]

記録

[編集]
  • プリメーラ・ディビシオン (1部) 在籍 : 66シーズン
  • プリメーラB (2部) 在籍 : 3シーズン
  • プリメーラ・ディビシオン最高位 : 1位
  • プリメーラ・ディビシオン最低位 : 18位
  • シーズン (通年制) 最多勝利 : 27勝 (1999)
  • シーズン (前後期制) 最多勝利 : 18勝 (クラウスーラ2005)
  • シーズン (通年制) 最多得点 : 102点 (1999)
  • シーズン (前後期制) 最多得点 : 56 (アペルトゥーラ2002)
  • 連続無失点キーパー : ホセ・マリア・ブルフバシッチ (1352分連続無失点)
  • コパ・リベルタドーレス最多出場 : マリオ・レペ (76試合)

過去の成績

[編集]

2012年までは暦年 (1月-12月) を1シーズンとし、暦年前半にアペルトゥーラ、暦年後半にクラウスーラを行なっていた。2013-14シーズンからはシーズン開始時期を半年ずらし、7月-翌年6月を1シーズンとし、暦年後半にアペルトゥーラ、暦年前半にクラウスーラを行なっている。移行期間となった2013年は半年を1シーズンとし、トランシシオン(移行)という名称のシーズンを行なった。

シーズン 順位 試合数 得点 失点 勝ち点
2005アペルトゥーラ 3位 19 14 2 3 39 13 44
2005クラウスーラ 1位 19 15 4 0 33 3 49
2006アペルトゥーラ 6位 18 9 5 4 27 20 32
2006クラウスーラ 7位 18 9 4 5 24 18 31
2007アペルトゥーラ 2位 20 14 4 2 36 14 46
2007クラウスーラ 5位 20 10 4 6 33 21 34
2008アペルトゥーラ 7位 19 11 3 5 37 19 36
2008クラウスーラ 6位 18 9 2 7 37 33 29
2009アペルトゥーラ 4位 17 8 3 6 26 18 27
2009クラウスーラ 2位 17 11 5 1 43 13 38
2010 1位 34 23 5 6 77 39 74
2011アペルトゥーラ 2位 17 11 5 1 34 18 38
2011クラウスーラ 4位 17 8 4 5 29 18 28
2012アペルトゥーラ 6位 17 8 6 3 31 17 30
2012クラウスーラ 9位 17 6 5 6 24 23 23
2013トランシシオン 2位 17 12 2 3 36 19 38
2013アペルトゥーラ 2位 17 12 3 2 37 13 39
2014クラウスーラ 2位 17 10 3 4 32 19 33
2014アペルトゥーラ 14位 17 5 2 10 20 25 17
2015クラウスーラ 4位 17 8 5 4 40 31 29
2015アペルトゥーラ 2位 15 10 2 3 33 15 32
2016クラウスーラ 1位 15 9 2 4 33 25 29
2016アペルトゥーラ 1位 15 9 4 2 37 18 31
2017クラウスーラ 4位 15 7 2 6 25 23 23
2017トランシシオン 11位 15 4 4 7 17 19 16
2018 1位 30 17 10 3 39 25 61

現所属メンバー

[編集]
2022年12月7日現在[4]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK チリ ビセンテ・ベルネド
3 DF チリ エウヘニオ・メナ
5 DF チリ ダニエル・ゴンサレス
6 DF アルゼンチン ギジェルモ・ブルディッソ
7 FW アルゼンチン フランコ・ディ・サント
8 MF チリ イグナシオ・サーベドラ
9 FW アルゼンチン フェルナンド・サンペドリ
10 MF チリ César Pinares
11 MF エクアドル Juan Francisco Rossel
12 GK チリ Thomas Gillier
13 FW チリ アクセル・セルダ
14 FW チリ ルイス・エルナンデス
15 DF チリ クリスティアン・クエバス
No. Pos. 選手名
16 MF コロンビア Brayan Rovira
17 DF チリ ブランコ・アンプエロ
18 FW チリ Alexander Aravena
19 MF チリ ブライアン・ゴンサレス
20 FW チリ ゴンサロ・タピア
21 MF チリ Diego Corral
22 GK アルゼンチン Nicolás Peranic
23 DF チリ バイロン・ニエト
24 DF チリ アルフォンソ・パロ
26 FW チリ ディエゴ・オッサ
27 FW チリ ホルヘ・オルティス
35 FW チリ クレメンテ・モンテス
55 DF ウルグアイ ガリー・カヘルマチェル

歴代監督

[編集]


歴代所属選手

[編集]

プリメーラ・ディビシオン得点王

[編集]
大会 得点数 選手
1943 プリメーラ・ディビシオン 17得点 チリの旗 ビクトル・マンシーリャ
1987 21得点 チリの旗 オスバルド・ウルタード
1994 33得点 アルゼンチンの旗 アルベルト・アコスタ
1997[A] 15得点 アルゼンチンの旗 ダビド・ビスコンティ
2010 19得点 チリの旗 ミロバン・ミロセヴィッチ

南米カップ戦得点王

[編集]
大会 得点数 選手
1993 コパ・リベルタドーレス 9得点 アルゼンチンの旗 フアン・カルロス・アルマダ
1997 11得点 アルゼンチンの旗 アルベルト・アコスタ
2006 5得点 アルゼンチンの旗 ホルヘ・キンテロス
2012 コパ・スダメリカーナ 5得点 チリの旗 ミチャエル・リオス

アメリカ大陸ベストイレブン

[編集]

GK

[編集]

DF

[編集]

MF

[編集]

FW

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ (スペイン語) Bulla, Indio Pije y Textiles: el origen de los apodos de todos los equipos en Chile. Redgol. (2024-01-16). https://redgol.cl/chile/bulla-indio-pije-y-textiles-el-origen-de-los-apodos-de-todos-los-equipos-en-chile-20240116-RDG-258912.html 2024年11月11日閲覧。 
  2. ^ (スペイン語) Modernización Estadio San Carlos de Apoquindo. Wsp. (2023). https://www.wsp.com/es-cl/proyectos/estadio-san-carlos-de-apoquindo 2024年1月28日閲覧。 
  3. ^ a b c d Estadio” (スペイン語). cruzados.cl. Cruzados SADP. 7 October 2024時点のオリジナルよりアーカイブ13 November 2024閲覧。
  4. ^ Primer equipo - Club Universidad Católica” (スペイン語). Cruzados. 19 April 2022時点のオリジナルよりアーカイブ2021年12月16日閲覧。

外部リンク

[編集]