コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

クリス・ドネルス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
C・Dから転送)
クリス・ドネルス
Chris Donnels
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス
生年月日 (1966-04-21) 1966年4月21日(58歳)
身長
体重
182 cm
84 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 三塁手一塁手
プロ入り 1987年 MLBドラフト1巡目
初出場 MLB / 1991年5月7日
NPB / 1996年3月30日
最終出場 MLB / 2002年9月29日
NPB / 1998年10月9日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

クリストファー・バートン・ドネルス(Christopher Barton Donnels、1966年4月21日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身の元プロ野球選手内野手)。

1996年近鉄バファローズ1997年 - 1999年までオリックス・ブルーウェーブに所属した。1996年、1998年登録名は「C・D」。

現在はオリックス・バファローズ米国駐在スカウト。

経歴

[編集]

1987年MLBドラフト1巡目(全体の24番目)でニューヨーク・メッツに入団。1991年5月7日にメジャーデビュー。1993年にはヒューストン・アストロズでレギュラー三塁手ケン・カミニティの控えとして自身最多の88試合に出場した。

1995年途中からボストン・レッドソックスでプレー後、1996年近鉄バファローズに入団。20本塁打を放ち活躍したものの、左投手に対する弱さを理由に1年で退団させられる。翌1997年のシーズン途中、不振のD・Jに代わる外国人選手としてオリックス・ブルーウェーブへ入団。当初は三塁手として期待されたが、守備難ですぐに一塁へ転向。打撃面では打率3割をマークしチームの勝利へ貢献した。しかし翌1998年は成績が低下し、1999年は一軍出場がなく解雇された。

日本プロ野球には4年間在籍していたが、登録名を偶数年度は「C・D」、奇数年度は「ドネルス」としていた。

2000年ロサンゼルス・ドジャースでメジャー復帰。2001年5月5日の対シカゴ・カブス戦では、1対20と大量リードされた場面で一度だけ投手を務め、打者1人(ゲイリー・マシューズ・ジュニア)をファーストゴロに打ち取っている。

2002年アリゾナ・ダイヤモンドバックスでプレー後、自由契約となり、シカゴ・カブス、フロリダ・マーリンズコロラド・ロッキーズのマイナーでプレーするがメジャーには昇格できず、2004年オフに引退した。

2007年、ミッチェル報告書に名前が記載された。報告書の中で、2001年から2004年の間に元メッツの球団職員カーク・ラドムスキーから運動能力向上薬物を購入した事を告白した。

2009年、選手時代に由縁のあったオリックス・バファローズの米国駐在スカウトに就任。

薬物問題

[編集]

2007年12月13日に発表されたミッチェル報告書では、作成時に調査スタッフによる聴取に応じている。報告書の中で、カーク・ラドムスキーは2001年から2004年にわたり、ドネルスにアナボリックステロイドヒト成長ホルモン(HGH)の両方を販売したと述べている。ラドムスキーは8つの小切手や郵便為替を手掛けた。一番古いのは2001年11月29日で、一番新しいのは2004年6月23日のものであり、総額で9950ドルとなった。連邦捜査官が押収したラドムスキーのアドレス帳にもドネルスの名前が記載されていた。ドネルスは1993年にアストロズで一緒にプレーしていたケン・カミニティとステロイドの話題について頻繁に会話を持ち、共に研究を行った。カミニティはステロイドを試そうとしていた事をドネルスに話したが、ドネルスは良くないと感じたので使用しなかった。2000年にドジャースと契約を結んだドネルスは手術した肩の回復を早めるために独自でHGHについて詳しく研究した。HGHは当時違法だと知っていたが、MLBがHGHについてのテストをまだ実施していないと認識していた。2001年に背中を怪我した際に、1992年以来話をしていなかったラドムスキーに会い、彼からテストステロンダイアナデカ・デュラボリン、HGH、バイコディンアンフェタミンを購入した。ドネルスはその後は2002年・2003年と禁止薬物の使用を続けた。2004年にも薬物を購入したが、最終的には使用しない事を決めたと述べている[1]

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1991 NYM 37 104 89 7 20 2 0 0 22 5 1 1 1 0 14 1 0 19 0 .225 .330 .247 .577
1992 45 139 121 8 21 4 0 0 25 6 1 0 1 0 17 0 0 25 1 .174 .275 .207 .482
1993 HOU 88 199 179 18 46 14 2 2 70 24 2 0 0 1 19 0 0 33 6 .257 .327 .391 .718
1994 54 99 86 12 23 5 0 3 37 5 1 0 0 0 13 0 0 18 1 .267 .364 .430 .794
1995 19 33 30 4 9 0 0 0 9 2 0 0 0 0 3 2 0 6 1 .300 .364 .300 .664
BOS 40 101 91 13 23 2 2 2 35 11 0 0 0 1 9 0 0 18 1 .253 .317 .385 .701
'95計 59 134 121 17 32 2 2 2 44 13 0 0 0 1 12 2 0 24 2 .264 .328 .364 .692
1996 近鉄 108 379 324 50 91 20 2 20 175 53 3 3 0 0 54 4 1 86 5 .281 .385 .540 .925
1997 オリックス 112 478 384 55 116 25 1 17 194 67 0 1 0 8 84 2 2 80 10 .302 .423 .505 .928
1998 44 164 140 17 37 9 0 5 61 22 1 1 0 0 23 0 1 44 6 .264 .372 .436 .808
2000 LAD 27 41 34 8 10 3 0 4 25 9 0 0 0 1 6 1 0 7 3 .294 .390 .735 1.126
2001 66 101 88 8 15 2 0 3 26 8 0 0 0 0 12 2 1 25 2 .170 .277 .295 .573
2002 ARI 74 93 80 5 19 4 1 3 34 13 0 0 0 3 10 1 0 14 2 .238 .312 .425 .737
MLB:8年 450 910 798 83 186 36 5 17 283 86 5 1 2 6 103 7 1 165 17 .233 .319 .355 .674
NPB:3年 264 1021 848 122 244 54 3 42 430 142 4 5 0 8 161 6 4 210 21 .288 .401 .507 .908

年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
2001 LAD 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 1 0.1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0.00 0.00
MLB:1年 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 1 0.1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0.00 0.00

記録

[編集]
NPB

背番号

[編集]
  • 23 (1991年 - 1992年)
  • 3 (1993年 - 1995年)
  • 6 (1995年)
  • 22 (1996年)
  • 3 (1997年 - 1999年)
  • 50 (2000年 - 2001年)
  • 18 (2002年)

登録名

[編集]
  • C・D(1996年、1998年)
  • C.ドネルス (1997年、1999年)

脚注

[編集]
  1. ^ Mitchell Report” (PDF) (英語). Office of the Commissioner of Baseball. pp. 190-194. 2013年11月26日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]