レッジーナ1914
LFAレッジョ・カラブリア | |||
---|---|---|---|
原語表記 | LFA Reggio Calabria | ||
愛称 | Amaranto(深紅、臙脂) | ||
クラブカラー | 臙脂 | ||
創設年 | 1914年 | ||
所属リーグ | セリエD | ||
所属ディビジョン | 4部 | ||
ホームタウン | レッジョ・ディ・カラブリア | ||
ホームスタジアム | スタディオ・オレステ・グラニッロ | ||
収容人数 | 27,763人 | ||
代表者 | Virgilio Minniti | ||
監督 | Bruno Trocini | ||
公式サイト | 公式サイト | ||
| |||
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
LFAレッジョ・カラブリア(La Fenice Amaranto Reggio Calabria)は、イタリア・レッジョ・ディ・カラブリアを本拠地とするサッカークラブである。主にレッジーナ(Reggina)と呼ばれる。2023-24シーズンはセリエDに所属している。
概要
[編集]レッジョ・ディ・カラブリアはメッシーナ海峡を挟んでメッシーナと向き合っており、ACRメッシーナとの一戦は海峡ダービーとして盛り上がりを見せる。
日本人選手では、2002年より2005年まで中村俊輔が所属していた。1991年より会長を務めるパスクアーレ・フォーティは、弱小クラブであったレッジーナをセリエC1からセリエAまで昇格・残留させるなど、優れた手腕を発揮している。特に躍進を見せたのは2006-07シーズンであり、スキャンダル絡みのペナルティーで勝点15減(その後勝点11減に短縮)からのスタートで毎年のようにセリエA残留争いしていたクラブにとっては誰もが残留が絶望的かと思えた。ところが、就任3年目のワルテル・マッツァーリ監督の適材適所の采配が光り、最終的には残留ラインギリギリの14位に滑り込んだ。勝点減がなければ、UEFAカップ(現・UEFAヨーロッパリーグ)出場権まであと一歩だった。2008-09シーズンは、7年ぶりの降格が決定した。
2015年7月15日、レガ・プロへの登録基準を満たせず破産[1]。同年8月7日にレッジーナ・カルチョ(Reggina Calcio S.p.A.)からASDレッジョ・カラブリア(Associazione Sportiva Dilettantistica Reggio Calabria)へと改称して再建された[2]。
2016年、S.S.D. Urbs Sportiva Reggina 1914 a r.l.へ、さらにUrbs Reggina 1914 S.r.l.に改称した。
2019年7月1日、レッジーナ1914 S.r.l.に改称することを発表した[3]。
タイトル
[編集]国内タイトル
[編集]* セリエC : 1回
- 1964-65
* セリエC1 : 1回
- 1994-95
* セリエC2 : 1回
- 1983-84
- ユース
* トルネオ・インテルナツィオナーレ・マッジョーニ=リーギ : 1回
- 1991
* トルネオ・インテルナツィオナーレ・カーリンズ・ボーイズ : 回
- 2009
国際タイトル
[編集]なし
過去の成績
[編集]シーズン | ディビジョン | コッパ・イタリア | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
リーグ | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 勝ち点 | 順位 | ||
1997-98 | セリエB | 38 | 13 | 14 | 11 | 37 | 41 | 53 | 6位 | 2回戦敗退 |
1998-99 | セリエB | 38 | 16 | 16 | 6 | 45 | 32 | 64 | 4位 | 2回戦敗退 |
1999-00 | セリエA | 34 | 9 | 13 | 12 | 31 | 42 | 40 | 11位 | 2回戦敗退 |
2000-01 | セリエA | 34 | 10 | 7 | 17 | 32 | 49 | 37 | 15位 | 2回戦敗退 |
2001-02 | セリエB | 38 | 19 | 11 | 8 | 50 | 33 | 68 | 3位 | GS敗退 |
2002-03 | セリエA | 34 | 10 | 8 | 16 | 38 | 53 | 38 | 14位 | ベスト16 |
2003-04 | セリエA | 34 | 6 | 16 | 12 | 29 | 45 | 34 | 13位 | ベスト16 |
2004-05 | セリエA | 38 | 10 | 14 | 14 | 36 | 45 | 44 | 10位 | 2回戦敗退 |
2005-06 | セリエA | 38 | 11 | 8 | 19 | 39 | 65 | 41 | 13位 | 2回戦敗退 |
2006-07 | セリエA | 38 | 12 | 15 | 11 | 52 | 50 | ベスト16 | ||
2007-08 | セリエA | 38 | 9 | 13 | 16 | 37 | 56 | 40 | 16位 | ベスト16 |
2008-09 | セリエA | 38 | 6 | 13 | 19 | 30 | 62 | 31 | 19位 | ベスト16 |
2009-10 | セリエB | 42 | 15 | 9 | 18 | 51 | 56 | 54 | 12位 | 4回戦敗退 |
2010-11 | セリエB | 42 | 15 | 16 | 11 | 46 | 40 | 61 | 6位 | 4回戦敗退 |
2011-12 | セリエB | 42 | 14 | 13 | 15 | 63 | 59 | 55 | 10位 | 3回戦敗退 |
2012-13 | セリエB | 42 | 12 | 15 | 15 | 42 | 51 | 49 | 17位 | ベスト16 |
2013-14 | セリエB | 42 | 6 | 11 | 25 | 38 | 70 | 28 | 21位 | 4回戦敗退 |
2014-15 | レガプロ ・ジローネC | 38 | 8 | 9 | 21 | 33 | 59 | 19位[5] | 1回戦敗退 | |
2015-16 | セリエD・ジローネI | 36 | 15 | 11 | 10 | 47 | 38 | 56 | 4位[6] | — |
2016-17 | レガプロ ・ジローネC | 38 | 10 | 15 | 13 | 44 | 54 | 45 | 13位 | — |
2017-18 | セリエC・ジローネC | 36 | 9 | 14 | 13 | 29 | 36 | 41 | 15位 | — |
2018-19 | セリエC・ジローネC | 36 | 16 | 8 | 12 | 45 | 33 | 52 | 7位 | — |
2019-20 | セリエC・ジローネC | 30 | 21 | 6 | 3 | 54 | 19 | 69 | 1位 | 2回戦敗退 |
2020-21 | セリエB | 38 | 12 | 14 | 12 | 42 | 45 | 50 | 11位 | 3回戦敗退 |
2021-22 | セリエB | 38 | 13 | 9 | 16 | 31 | 49 | 14位 | 2回戦敗退 | |
2022-23 | セリエB | 位 |
現所属メンバー
[編集]- 2023年2月1日現在
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
|
|
ローン移籍
[編集]- in
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
|
|
- out
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
|
|
歴代監督
[編集]- ネヴィオ・スカラ 1987-1989
- フランコ・コロンバ 1997-1998
- フランコ・コロンバ 1999-2002
- ボルトロ・ムッティ 2002.6-2002.11
- ルイジ・デ・カーニオ 2002.11-2003.6
- フランコ・コロンバ 2003.6-2003.11
- ジャンカルロ・カモレーゼ 2003.12-2004
- ワルテル・マッツァーリ 2004-2007
- マッシモ・フィッカデンティ 2007.7-2007.11
- レンツォ・ウリヴィエリ 2007.11-2008.3
- ネヴィオ・オルランディ 2008.3-2008.12
- ジュゼッペ・ピッロン 2008.12-2009.1
- ネヴィオ・オルランディ 2009.1-2009.5
- ワルテル・ノヴェッリーノ 2009.6-2009.10
- イーヴォ・イアコーニ 2009.10-2010.2
- ロベルト・ブレダ 2010.2-2010.6
- ジャンルカ・アッツォーリ 2010.6-2011
- ロベルト・ブレダ 2011 - 2012.1
- アンジェロ・グレグッチ 2012.1-2012.4
- ロベルト・ブレダ 2012.4 - 2012.6
- ダヴィデ・ディオニージ 2012.6-2013.3
- ジュゼッペ・ピッロン 2013.3-2013.6
- ジャンルカ・アッツォーリ 2013.6-2013.10
- ファブリツィオ・カストーリ 2013.10-2013.12
- ジャンルカ・アッツォーリ 2013.12-
歴代所属選手
[編集]GK
[編集]- フランチェスコ・アントニオーリ 1994-1995
- パオロ・オルランドーニ 1998-1999
- マッシモ・タイービ 2000-2001
- ヴィンチェンツォ・フィオリッロ 2010
DF
[編集]- フランコ・カウジオ 1968-1969
- ルイジ・デ・アゴスティーニ 1993-1995
- ホルヘ・バルガス 1999-2003
- マルコ・カネイラ 2000-2001
- マルティン・イラーネク 2001-2004
- ブルーノ・チリッロ 1994-2000, 2005, 2008-2009
- カルロス・アドリアン・バルデス 2007-2010
- ジャンドメニコ・メスト 1998-2000, 2002-2007
- フランチェスコ・モデスト 2005-2008
MF
[編集]- シモーネ・ペッロッタ 1995-1998
- ロベルト・バローニオ 1999-2000
- アンドレア・ピルロ 1999-2000
- フランチェスコ・コッツァ 1999-2004, 2005-2006, 2007-2009
- カルロス・パレデス 2002-2006
- 中村俊輔 2002-2005
- エドガル・バレット 2007-2009
- カルロス・カルモナ 2008-2010
FW
[編集]- モハメド・カロン 1999-2000
- ダビド・ディ・ミケーレ 2002-2004, 2013-
- マルコ・ボリエッロ(2004-2005
- ニコラ・アモルーゾ (2005-2008
- ロランド・ビアンキ(2005-2007
- パスクアーレ・フォッジャ 2007
- スティーヴン・マキンワ 2008
- フランコ・ブリエンツァ 2008-2010
- エミリアーノ・ボナッツォーリ 2009-2012
- ドミニク・アディアー 2010
脚注
[編集]- ^ “レッジーナ、ベネツィア…かつて日本人選手が所属したクラブたちが破産”. フットボールチャンネル (2015年7月15日). 2016年2月11日閲覧。
- ^ “L’ASD Reggio Calabria ammessa in Serie D. Il Varese Calcio, in Eccellenza”. FIGC (2015年8月7日). 2016年2月11日閲覧。
- ^ "Cambio denominazione sociale" (Press release) (Italian). Reggina 1914. 1 July 2019. 2020年2月5日閲覧。
- ^ カルチョポリにより勝ち点11のペナルティ
- ^ 財政不備により4部へ降格
- ^ 昇格プレーオフに敗れたものの、レガ・プロに欠員が出た為、申請の後昇格となった
外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト
- レッジーナ1914 (reggina1914OfficialPage) - Facebook
- レッジーナ1914 (@Reggina_1914) - X(旧Twitter)
- レッジーナ1914 (@reggina_1914_official) - Instagram
- レッジーナ1914 (@reggina_1914_official) - TikTok
- レッジーナ1914 - YouTubeチャンネル