斎藤春子
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(齋藤春子から転送)
さいとう はるこ 斎藤 春子 | |
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生誕 |
1873年3月10日 日本・東京都 |
死没 |
1971年9月14日(98歳没) 日本 |
出身校 |
東洋英和女学校中退 明倫女学校卒業 |
配偶者 | 斎藤実(夫) |
子供 | 斎藤斉(養子) |
親 |
仁礼景範(父) 仁礼寿賀子(母) |
斎藤 春子(さいとう はるこ、1873年(明治6年)3月30日 - 1971年(昭和46年)9月14日)は、日本の華族。第30代内閣総理大臣夫人。斎藤実子爵夫人。
経歴
[編集]東京都出身。1873年〈明治6年)3月30日、薩摩藩士で海軍の重鎮であった仁礼景範の長女として生まれる[1]。兄の仁礼景一は日露戦争で初瀬分隊長として戦死、弟の仁礼景雄は昆虫学者[2]。1884年(明治17年)に明倫女学校(現在の横浜清風高等学校)を卒業。その後、東洋英和女学校に進学したが中退。
1892年(明治25年)2月5日に斎藤実と結婚。斎藤実との間には子供はなく、斎藤斉を養子に迎えている[1]。
1932年(昭和7年)5月、斎藤実の内閣総理大臣就任により、内閣総理大臣夫人となる。内閣総理大臣夫人は1934年(昭和9年)までつとめた。
1935年(昭和10年)、斎藤実は内大臣に就任。翌1936年(昭和11年)2月26日、二・二六事件で自邸の寝室に居たところを陸軍将兵らの襲撃を受け、斎藤実は死亡、春子も負傷した[2]。
夫の死後は日本赤十字社篤志看護婦人会員となる[2]。1945年(昭和20年)、太平洋戦争の悪化により夫の実家の岩手県胆沢郡水沢町(のち水沢市、現・奥州市)に疎開[2]。終戦後も同地に留まり、余生を過ごした[2]。
1963年(昭和38年)、水沢名誉市民[2]。同年、自宅を水沢市に寄付することを表明[2]、自宅は斎藤實記念館となった(1972年(昭和47年)開館)。
1971年(昭和46年)9月14日、死去。享年98。墓所は東京都府中市の多磨霊園。
脚注
[編集]先代 犬養千代子 |
内閣総理大臣夫人 1932年5月26日 - 1934年7月8日 |
次代 広田静子 |