斎藤喜十郎
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2代[1] 斎藤 喜十郎(旧字体:齋藤󠄁 喜十郞、さいとう きじゅうろう、1864年8月4日(元治元年7月3日[2][3])- 1941年(昭和16年)1月13日[1][4][5])は、明治から昭和前期の地主、実業家、政治家。衆議院議員、貴族院多額納税者議員。旧名・庫吉[1][3]。斎藤喜十郎財閥当主。
経歴
[編集]越後国蒲原郡新潟町(現新潟県新潟市[1][6][7])で、斎藤庫次郎の長男として生れる[3]。脇村漢学塾で学んだ[1][4][5][7]。1899年(明治32年)10月、松前・樺太航路の創始者として知られる[1]伯父[8]の素封家、先代・斎藤喜十郎の養子となり[3][注釈 1]、1904年(明治37年)3月、家督を相続し喜十郎を襲名した[1][3]。
新潟商業会議所議員[注釈 2]、所得税調査委員、第四銀行監査役、新潟鐵工所監査役、新潟銀行頭取、新潟貯蓄銀行取締役、新潟商業銀行専務取締役、新潟信託取締役、新潟硫酸取締役、越佐汽船社長、新潟汽船取締役、越後鉄道(越後線)監査役、新潟水力電気監査役、斎藤株式会社社長などを務めた[1][3][4][5][6][7][8]。
1915年(大正4年)3月、第12回衆議院議員総選挙に新潟県新潟市から無所属で出馬して当選し[1][9]、その後憲政会に所属して衆議院議員に1期在任した[4][7]。また、1925年(大正14年)新潟県多額納税者として貴族院多額納税者議員に互選され[1][10]、同年9月29日[11]から1932年(昭和7年)9月28日まで1期在任した[5]。在任中は研究会に所属した[5]。
家族・親族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j 『新潟県大百科事典 上』558頁。
- ^ 衆議院『第三十六回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1915年、6頁。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第4版』さ40頁。
- ^ a b c d 『議会制度百年史 – 衆議院議員名鑑』283頁。
- ^ a b c d e 『議会制度百年史 – 貴族院・参議院議員名鑑』201頁。
- ^ a b 『現代日本の政治家』公友倶楽部86-87頁。
- ^ a b c d 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』203頁。
- ^ a b 『人事興信録 第8版』サ69頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』48頁。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、35頁。
- ^ 『官報』第3931号、大正14年9月30日。
- ^ 人事興信録 第8版 サ69 イ54
- ^ 人事興信録 第8版 ヤ80 オ115
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 細井肇『現代日本の政治家』國光社、1916年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 『新潟県大百科事典 上』新潟日報事業社出版部、1977年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。