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黒澤翼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
黒沢翼から転送)

黒澤 翼(くろさわ つばさ、1980年6月24日 - )は、日本のレーシングドライバー編集者静岡県出身。血液型はA型。父は1960~1970年代にドライバーとして活躍した黒澤元治。兄の黒澤琢弥黒澤治樹もレーシングドライバーである。

略歴

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1999年にフォーミュラ・トヨタでデビュー。2001年にフォーミュラ・ドリーム参戦などデビュー当初はフォーミュラカーレースが主体の活動であった。しかし、思いのほか良い成績が残せず、2002年に全日本GT選手権を皮切りに、スーパー耐久にも2003年第6戦から参戦を開始し、2005年はフル参戦した。2006年にはSUPER GTにフル参戦を果たす。チームノバからの参戦で、監督には父親、もう一人のドライバーには長男の琢弥、そしてスーパーバイザーには次男の治樹という一家総出の体制となった。2007年はJLOCのもとでランボルギーニ・ガヤルドで参戦を行うも、出来上がったばかりのマシンだと言う事もあり、本領発揮できなかった。2008年はポルシェ・ボクスターで参戦。

2012年のSUPER GT・GT300クラスでLEON RACINGと黒澤家がジョイントし始めた縁で、5月より雑誌『LEON』(主婦と生活社)の編集者を務めている[1]。そのためレーシングドライバーとしては一線を退いていたが、2013年にはLEON RACINGのドライバーとして現役に復帰した[2]。当初は第5戦(鈴鹿1000km)のみ第3ドライバーで起用される予定だったが、第2戦でも第3ドライバーとしてエントリーされ、結局第3戦から第2ドライバーに昇格した[3]。第5戦(鈴鹿1000km)では表彰台に登った。翌2014年も開幕戦と最終戦以外にセカンドドライバーとして参戦し、第4戦(スポーツランドSUGO)で2位表彰台に登った。

2015年以降はGT参戦はなく、メディア露出の機会はめっきり減ったが、2018年1月に6歳年下でアーティスティックスイミング選手の木村真野との結婚が発表された[4]

戦績

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SUPER GT

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エントラント名 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 順位 ポイント
2002年 アールアンドデースポーツEX ポルシェ・911 GT3R GT300 TAI FSW
10
SUG SEP FSW TRM MIN SUZ 30位 1
2006年 EBBRO TEAM NOVA ヴィーマック・350R GT300 SUZ
8
OKA
21
FSW
15
SEP
DNS
SUG
10
SUZ
Ret
TRM
12
AUT
15
FSW
10
22位 12
2007年 JLOC ランボルギーニ・ガイヤルド RG-3 GT300 SUZ
DNQ
OKA
DNQ
FSW
DNQ
SEP
DNQ
SUG
DNQ
SUZ
17
TRM
19
AUT
Ret
FSW
25
NC 0
2008年 ARKTECH MOTORSPORTS ポルシェ・ボクスター GT300 SUZ OKA
21
FSW
14
SEP
19
SUG
16
SUZ
8
TRM
19
AUT
Ret
FSW 31位 3
2009年 TEAM TAISAN ポルシェ・911 GT3RS GT300 OKA SUZ FSW SEP SUG
7
SUZ FSW AUT TRM 21位 4
2010年 JLOC ランボルギーニ・ガイヤルド RG-3 GT300 SUZ OKA FSW SEP SUG SUZ FSW TRM
Ret
NC 0
2013年 LEON RACING メルセデス・ベンツ SLS AMG GT3 GT300 OKA FSW
DNP
SEP
8
SUG
7
SUZ
3
FSW
4
AUT
18
TRM
6
9位 34
2014年 GT300 OKA FSW
8
AUT
10
SUG
2
FSW
8
SUZ
Ret
CHA
Ret
TRM 13位 22

脚注

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外部リンク

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