レ・カ・フュー
レ・カ・フュー Lê Khả Phiêu 黎可漂 | |
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レ・カ・フュー(2011年撮影) | |
生年月日 | 1931年12月27日 |
出生地 |
フランス領インドシナ タインホア省ドンソン県ドンへ |
没年月日 | 2020年8月7日(88歳没) |
死没地 | ベトナム ハノイ市ホアンキエム区クアドン |
所属政党 | ベトナム共産党 |
在任期間 | 1997年12月26日 - 2001年4月22日 |
国家主席 | チャン・ドゥック・ルオン |
在任期間 | 1991年9月 - 1997年12月 |
レ・カ・フュー | |
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各種表記 | |
チュ・クオック・グー: | Lê Khả Phiêu |
漢字・チュノム: | 黎可漂 |
北部発音: | レ・カ・フュー |
音読み: | れい かひょう |
レ・カ・フュー(黎 可漂、ベトナム語:Lê Khả Phiêu / 黎可漂、1931年12月27日 - 2020年8月7日)は、ベトナムの軍人、政治家。最終階級は上将。1997年12月から2001年4月、軍出身者として初めてベトナム共産党書記長を務めた[1]。
経歴
[編集]1931年12月27日、タインホア省ドンソン県ドンケ村の裕福な家庭に生まれた。1945年、彼は地方のベトミン運動に参加し、1949年6月19日にインドシナ共産党へ加入した。
軍歴
[編集]1950年5月1日、ベトミンによる動員により軍隊に入隊した。彼は第66連隊第304大隊において、一般兵士から徐々に昇進し、大隊政治員となった。1954年9月から1958年、彼は第66連隊の副政治員、政治員、政治主任を歴任した。
1961年6月から1966年、彼は第304師団において、参謀副長、参謀長を務め、第304師団第9連隊において、副政治委員、政治委員兼連隊長を務めた。
1967年、彼はチティエン (Trị Thiên) の戦場において、同じ第9連隊に配属され、連隊政治委員を務めた。1968年、チティエン軍区組織部長。1970年、チティエン軍区政治副主任。
1974年5月、第2軍団が設立されたとき、軍団政治部主任に任命され、中佐となる。
1978年、第9軍区副政治委員兼政治主任、その後、政治担当副司令、大佐。彼はまた、第9区委員会副書記の地位を兼ね、民事の責任を負った。
1984年4月、少将に昇進し、カンボジア駐留ベトナム「志願軍」(コード名:719戦線)において政治主任を務め、その後、政治担当副司令兼政治主任、軍司令部幹事会副書記を務めた。
1988年8月、中将に昇進し、政治総局副主任に任命。1989年9月のカンボジアからのベトナム軍撤退を指揮した。1991年9月、ベトナム人民軍政治総局主任に任命された。
1992年、彼は上将の階級に昇進した。
政治歴
[編集]1991年6月の第7回党大会において、党中央委員会委員に選出。軍においては、党中央軍事委員会常務委員となる。
1992年6月、第7期党中央委員会第3回総会において、書記局員に選出。1994年1月、臨時党大会時、党中央委員会特別総会により、政治局員に選出された。
レ・カ・フュー及びレ・ドゥック・アインら軍人の指導部内での台頭には、党中央にとってカンボジアからの撤退、さらには兵力の削減には軍幹部の協力が必要であり、そのため第7回党大会で軍人の中央委員が増加したことがその背景にある[2]と分析される。
1996年6月、第8回党大会において、政治局員及び政治局常務委員に選出。1997年12月26日、第8期党中央委員会第4回総会において、党中央委員会書記長に選出された。
第9期、第10期国会において、議員に選出。
書記長任期中の1999年5月19日、レ・カ・フューは、汚職と闘い、清廉で強力なベトナム共産党をめざした「批判・自己批判キャンペーン」を宣言した[3]。
2001年4月、第9回党大会において書記長を退任した。自身への権力集中を画策して批判を受けたとされる[1]。
2009年1月末、旧正月元旦の際に、レ・カ・フュー私邸の一連の画像がインターネット上に投稿された[4]。米国の複数筋によれば、この画像は世論に影響を与え[5]、ベトナム共産党の内部に衝撃を与えた[6]、とされる。
脚注
[編集]- ^ a b 「元ベトナム共産党書記長のレ・カ・フュー氏死去」時事通信 2020年8月7日
- ^ 木村(2005年)、109頁
- ^ 牛山(2004年)、183ページ
- ^ “指導者を訪ねる” (ベトナム語). BBC. 2009年2月5日閲覧。
- ^ “国民の「奉仕者」として知られる人々の写真” (ベトナム語). RFA. 2009年2月5日閲覧。
- ^ “レ・カ・フュー私邸の写真がインターネットに公開され、共産党政治局は「怒り心頭」” (ベトナム語). Người Việt Online. 2009年2月5日閲覧。
参考文献
[編集]- 村野勉, 寺本実『「工業国」入りを目指して : 1996年のベトナム』アジア経済研究所〈アジア動向年報 1997年版〉、1997年、207-234頁。doi:10.20561/00038784。hdl:2344/00002301。ISBN 9784258010974 。「ZAD199700_014」
- 牛山隆一「第九回党大会前の権力闘争と対外政策」白石昌也(編著)『ベトナムの対外政策 ― 21世紀の挑戦』暁印書館、2004年
- 木村哲三郎「ドイモイの政治的側面(3)」『南北朝鮮統一はどうなるか(3)』亜細亜大学アジア研究所、2005年
外部リンク
[編集]- 党と国家の指導者/レ・カ・フュー同志(ベトナム共産党公式サイト)
- ウィキメディア・コモンズには、レ・カ・フューに関するカテゴリがあります。
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