ENEOS麻里布製油所
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(麻里布製油所から転送)
ENEOS麻里布製油所(エネオスまりふせいゆしょ)は、山口県玖珂郡和木町にあるENEOSの製油所である。
解説
[編集]中国・四国・九州地方などに製品の燃料油を供給するほか、各種石油化学製品の生産や、一般事業者が電力会社に電力を供給するIPP事業も行っている。また、麻里布製油所で生産される電気炉電極用ニードルコークスの世界シェアは10%を超える。
概要
[編集]データ
[編集]主な生産品
[編集]主要設備
[編集]括弧内は1日あたりの処理能力(2007年4月1日現在)[2]。
- 常圧蒸留装置 (127,000バレル)
- 減圧蒸留装置 (75,000バレル)
- 接触分解装置 (28,000バレル)
- 接触改質装置 (24,000バレル)
- 水素化脱硫装置
- ナフサ脱硫装置 (34,000バレル)
- 灯軽油脱硫装置 (48,500バレル)
- 間接脱硫装置 (48,000バレル)
- 重質油分解装置 (22,000バレル)
- 発電設備 - 発電能力は14万9000キロワットで、そのうち13万2300キロワットを関西電力に供給。
沿革
[編集]- 1943年(昭和18年)12月 - 興亜石油の麻里布製油所として操業開始。原油処理能力は6,000バレル/日。
- 1945年(昭和20年)5月10日 - 隣接する岩国陸軍燃料廠とともに空襲により被災。40%ほどが焼失した。
- 1946年(昭和21年)11月30日 - GHQの指令により操業停止。
- 1950年(昭和25年)8月 - 操業再開。原油処理能力は9,000バレル/日。
- 1952年(昭和27年)4月 - 原油処理能力を13,400バレル/日に増強。
- 1955年(昭和30年) - 原油処理能力を35,700バレル/日に増強。
- 1958年(昭和33年)4月 - 三井石油化学岩国工場(現在の三井化学岩国大竹工場)の操業開始に伴い、同工場へ芳香族を供給。日本初の石油化学コンビナートを形成。
- 1959年(昭和34年) - 原油処理能力を33,300バレル/日に削減。
- 1961年(昭和36年)4月 - 原油処理能力を68,300バレル/日に増強。
- 1964年(昭和39年)11月 - 原油処理能力を148,300バレル/日に増強。
- 1969年(昭和44年) - 原油処理能力を149,000バレル/日に増強。
- 1983年(昭和58年)9月 - 原油処理能力を133,000バレル/日に削減。
- 1986年(昭和61年)9月 - 原油処理能力を110,000バレル/日に削減。
- 2002年(平成14年)4月1日 - 興亜石油、新日本石油精製を合併、同社の麻里布製油所となる。
- 2004年(平成16年)4月1日 - IPP事業開始。
- 2010年(平成22年)7月1日 - JX日鉱日石エネルギー株式会社発足に伴い、同社の麻里布製油所となる。
- 2016年(平成28年)1月1日 - JX日鉱日石エネルギーがJXエネルギーに商号変更。
- 2017年(平成29年)4月1日 - JXエネルギーが東燃ゼネラル石油を吸収合併、JXTGエネルギーに商号変更。
- 2020年(令和2年)6月25日 - JXTGエネルギーがENEOSに商号変更。
その他
[編集]- 「麻里布」は現在の岩国市沿岸部の旧町名である(玖珂郡麻里布町。操業開始前の昭和15年(1940年)に周辺の町村と合併し岩国市に移行)。
- かつては、山陽本線大竹駅に繋がる、製品出荷用の鉄道路線(専用側線)を有していた。