鹿児停留場
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(鹿児駅から転送)
鹿児停留場 | |
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鹿児停留場を発車する電車 | |
かこ Kako | |
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所在地 | 高知県高知市大津 |
所属事業者 | とさでん交通 |
所属路線 | 後免線 |
キロ程 | 5.4 km(後免町起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
開業年月日 | 1910年(明治43年)10月15日 |
鹿児停留場(かこていりゅうじょう)は、高知県高知市大津にあるとさでん交通後免線の路面電車停留場。
歴史
[編集]鹿児停留場は1910年(明治43年)10月、後免線の葛島橋西詰停留場から鹿児までの区間が開通した際に設けられた[1]。当時の路線ははりまや橋方面から鹿児までで、ここから先、後免町方面に路線が通じるのは2か月後の同年12月[1]。この時は大津停留場(廃止、領石通停留場を参照)までの区間が開通した[1][2]。
停留場はその後1943年(昭和18年)に一度休止されるが、のちに復活している[2]。
年表
[編集]- 1910年(明治43年)
- 1943年(昭和18年)1月16日:休止[1][2]。
- 1949年(昭和24年)2月22日:再開[2]。復活認可日を1951年8月23日とする資料もある[1]。
- 1997年(平成9年):後免町方面の乗り場にホームを設置[3]。
- 2014年(平成26年)10月1日:土佐電気鉄道が高知県交通・土佐電ドリームサービスと経営統合し、とさでん交通が発足[4]。とさでん交通の停留場となる。
停留場構造
[編集]ホームは2面あり、2本の線路を挟んで向かい合わせになっている(相対式ホーム)[5]。線路の北側にあるのが後免町方面行き、南にあるのがはりまや橋方面行きのホーム[5]。後免町方面の安全地帯は1997年に設置されたものである[3]。
停留場周辺
[編集]「鹿児」は『土佐日記』にも登場する地名で、本来は「水夫」と表記していたとされる[注釈 1][6]。停留場の北側には高知城東病院[6]、隣の田辺島通停留場との間には鹿児神社があり、後免線の軌道は神社の鳥居前を通り抜ける[6]。
隣の停留場
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g 『土佐電鉄が走る街 今昔』100・156-158頁
- ^ a b c d e 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 11 中国四国、新潮社、2009年、60頁。ISBN 978-4-10-790029-6。
- ^ a b 『路面電車はゆく 高知』高知新聞社、1998年、84頁。ISBN 4-87503-268-4。
- ^ 上野宏人 (2014年10月2日). “とさでん交通:「再出発」 「便利な市民の足に」高知で設立式 新デザインの車両披露”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- ^ a b 川島令三『四国・九州ライン 全線・全駅・全配線』 第2巻 四国西部エリア、講談社〈【図説】 日本の鉄道〉、2013年、34,91頁。ISBN 978-4-06-295161-6。
- ^ a b c 『土佐電鉄が走る街 今昔』82-83頁
参考文献
[編集]- 土佐電鉄の電車とまちを愛する会『土佐電鉄が走る街 今昔』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2006年。ISBN 4-533-06411-6。