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鷺ノ森城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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鷺ノ森城
愛媛県
画像募集中
別名 鷺森城、鷺の森城
城郭構造 平城
天守構造 なし
築城主 桑原通興
築城年 応永年間(1394年-1427年)
主な城主 桑原氏(壬生川氏)
廃城年 1585年(天正13年)?
遺構 土塁・堀
指定文化財 史跡等未指定[1]
埋蔵文化財
包蔵地番号
西条市No.東90[2]
位置 北緯33度56分14.1秒 東経133度05分14.4秒 / 北緯33.937250度 東経133.087333度 / 33.937250; 133.087333 (鷺ノ森城)座標: 北緯33度56分14.1秒 東経133度05分14.4秒 / 北緯33.937250度 東経133.087333度 / 33.937250; 133.087333 (鷺ノ森城)
地図
鷺ノ森城の位置(愛媛県内)
鷺ノ森城
鷺ノ森城
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鷺ノ森城(さぎのもりじょう)は、愛媛県西条市壬生川(にゅうがわ)にあった日本の城鷺森城鷺の森城とも書く。

概要

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大曲川の河口近くの標高3メートルほどの低湿地帯に造られた平城で、北側は海に接し、東・西・南側にも堀を巡らしていた。現在は鷺森神社境内となり[3]、堀と土塁が残る[2]

室町時代応永年間(1394年-1427年)に、伊予国守護河野氏河野通之が、東予地方宇摩郡新居郡国人讃岐国細川氏と気脈を通じて攻め入るのを防ぐため、温泉郡から呼び寄せた桑原通興に築城させた[4]。桑原氏には壬生川氏と名を改めさせた。これ以降、壬生川氏は、周布郡の剣山城主・黒川氏や、新居郡の金子城主・金子氏と争うことになった。

壬生川(桑原)通国が城主を務めていた1573年元亀3年)、阿波国大名三好氏の伊予侵攻に際して湯築城河野通直が入城し、これまで敵対してきた剣山城主・黒川氏とも連合して三好勢のいる新居郡氷見村(現在の西条市氷見)を攻め、三好勢を敗走させた[4]

しかし1575年(天正3年)、再び敵対した黒川氏の黒川通博と、金子城主・金子元宅の軍の攻撃を受け、壬生川通国は戦死、跡を継いだ壬生川(桑原)泰国は金子氏の傘下に入った[4]

1585年(天正13年)、豊臣秀吉四国平定に際し、鷺ノ森城は小早川隆景軍の攻撃を受けて落城した[4]

脚注

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  1. ^ 「史跡・旧跡・文化財」西条市公式HP
  2. ^ a b 「埋蔵文化財包蔵地一覧(東予地域)」
  3. ^ 「鷺森神社」愛媛県神社庁公式HP
  4. ^ a b c d 平井ほか 1980 p.323

参考文献

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関連項目

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