鵜殿団次郎
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(鵜殿長養から転送)
鵜殿 団次郎(うどの だんじろう、天保2年(1831年) - 明治元年12月9日(1869年1月21日))は、幕末期の洋学者。蕃書調所教授。諱は長養、号は春風。異母弟に海援隊隊士の白峰駿馬がいる。
経歴
[編集]越後長岡藩士・鵜殿瀬左衛門のもとに生まれる。なお『新潟市史・資料編』に掲載される「天保十亥年正月 貞享元子年より諸役人留」に正徳2年(1712年)から享保4年1月(1719年)まで新潟町奉行を勤めた「鵜殿団次郎」が見えるが、先祖と思われる。
長岡藩の藩校崇徳館で学問を修めた後、江戸で蘭学や英学を学ぶ。その才を勝海舟に買われて幕臣に登用され、文久2年(1862年)に蕃書調所(前身は蛮書和解御用)の教授となり、慶応4年(1868年)には軍艦役格より幕府目付となる。[1]その一方、慶応2年(1866年)に藩に軍制改革に関する意見書を提出するなど、幕末の混乱に瀕した藩のために尽力するも、明治元年(1868年)、38歳で病死した。河井継之助と並ぶ長岡藩の秀才であった団次郎の死は、長岡藩の大きな損失であったとされる。著書に『万国奇観』がある。
脚注
[編集]- ^ 幕末明治重職補任、56頁