鴨井達比古
表示
(鴨居達比古から転送)
かもい たつひこ 鴨井 達比古 | |
---|---|
生年月日 | 1943年1月3日 |
没年月日 | 2001年12月25日(58歳没) |
出身地 | 日本・岡山県岡山市 |
職業 | 脚本家 |
活動期間 | 1969年 - 2001年 |
鴨井 達比古(かもい たつひこ、1943年1月3日[1] - 2001年12月25日)は、脚本家。岡山県岡山市出身[1]。
来歴
[編集]早稲田大学法学部中退[1]。元々映画好きで[1]、人の紹介で日活で企画書作りなどのアルバイトをした後2年ほどして、日活専属の作家となる[1]。デビュー作は1969年公開の日活映画『喧嘩博徒 地獄の花道』[1]。
日活・東映で映画やテレビドラマ双方で脚本を執筆し、日本シナリオ作家協会の常務理事を務めてもいた。2001年12月25日に肺癌のため死去。58歳没。
作品
[編集]映画
[編集]- 喧嘩博徒 地獄の花道 (1969年、日活)
- 青春喜劇 ハレンチ学園 (1970年、日東プロ / ピロ企画)
- ハレンチ学園 身体検査の巻 (1970年、日活)
- ハレンチ学園 タックル・キッスの巻 (1970年、日活)
- 新・ハレンチ学園(1971年、日活)
- 谷岡ヤスジのメッタメタガキ道講座 (1971年、日活)
- 関東幹部会 (1971年、日活)
- 関東破門状(1971年、日活)
- さらば掟 (1971年、松竹)
- 恐怖女子高校 暴行リンチ教室 (1973年、東映)
- 女番長 感化院脱走 (1973年、東映)
- 女番長 タイマン勝負 (1974年、東映)
- まむしの兄弟 二人合わせて30犯 (1974年、東映)
- 仁義の墓場(1975年、東映)
- 東京ディープスロート夫人 (1975年、東映)
- 子連れ殺人拳 (1976年、東映)
- 新・女囚さそり 701号 (1976年、東映)
- 新・女囚さそり 特殊房X (1977年、東映)
- こちら葛飾区亀有公園前派出所(1977年、東映)
- 原子力戦争 Lost Love (1978年、文化映画プロ / ATG)
- さらば、わが友 実録大物死刑囚たち(1980年、東映)
- エバラ家の人々 (1991年)
テレビドラマ
[編集]- ハレンチ学園 (1970年 - 1971年、12ch)
- ワンパク番外地(1971年、東京12ch)
- 飛び出せ!青春 (1972年、東宝 / NTV)
- だから大好き! (1972年、NTV)
- 必殺仕置人 (1973年、ABC) ※21話・25話を担当
- 唖侍鬼一法眼 (1973年、NTV)
- 新サインはV (1973年、TBS)
- 太陽にほえろ! (1973年 - 1986年、NTV / 東宝)
- 高校教師 (1974年、東宝 / 12ch)
- 夜明けの刑事 (1974年、TBS)
- 長崎犯科帳 (1975年、NTV)
- 赤い疑惑 (1975年 - 1976年、TBS)
- 赤い衝撃 (1976年、TBS)
- 江戸特捜指令 (1976年、MBS)
- 華麗なる刑事 (1977年、CX / 東宝)
- 赤い激流 (1977年、TBS)
- 大空港 (1978年、CX)
- 横溝正史シリーズII / 仮面劇場 (1978年、MBS / 角川春樹事務所)
- ちょっとマイウェイ (1979年、NTV)
- 土曜ナナハン学園危機一髪 (1980年、CX)
- 松本清張の地の骨(1980年、ANB / 東宝)
- ザ・ハングマンシリーズ (1980年 - 1987年、ABC)
- 警視庁殺人課(1981年、ANB / 東映)
- 赤かぶ検事奮戦記シリーズ (1981年 - 1992年 、ABC)
- 迷宮課刑事おみやさん (1985年、ABC)
- ああ嫁姑 II (1985年、MBS)
- 必殺仕事人・激突! (1991年12月、ABC) ※10話の担当
- いのちの現場からシリーズ (1992年 - 2001年、MBS) ※6話ほか、パート7まで担当
- ふたりでタンゴを (1999年、NHK)
- 火曜サスペンス劇場(NTV)、土曜ワイド劇場(ANB) でも複数執筆
テレビアニメ
[編集]- 小さなバイキングビッケ (フジテレビ)
活字媒体
[編集]- 月刊シナリオ(学研)
- シナリオマガジン ドラマ(映人社)
漫画原作
[編集]- 暴力特急(画:江波じょうじ、コミックVAN連載)