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飯森盛春

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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飯森盛春
時代 戦国時代
生誕 生年不詳
死没 弘治3年(1557年
別名 春盛、通称:十郎
官位 正六位下日向守
氏族 仁科氏飯森氏
父母 父:仁科盛国
兄弟 仁科盛能青柳清長小岩盛親盛春渋田見盛家
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飯森 盛春(いいもり もりはる)は、戦国時代武将信濃国安曇郡平倉城主。

略歴

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飯森氏は信濃の仁科氏の支族。

盛春は甲斐武田氏の信濃侵攻に際して、信濃守護小笠原氏と結び抵抗する。弘治3年(1557年)、武田氏の山県昌景の攻撃を受け、越後国長尾景虎(上杉謙信)に援軍を要請したが平倉城は落城、盛春は自害した。