コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

飛良泉本舗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
飛良泉から転送)
株式会社飛良泉本舗
hiraizumi inc.
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
018-0402
秋田県にかほ市平沢中町59番地
北緯39度17分30.9秒 東経139度57分44.7秒 / 北緯39.291917度 東経139.962417度 / 39.291917; 139.962417座標: 北緯39度17分30.9秒 東経139度57分44.7秒 / 北緯39.291917度 東経139.962417度 / 39.291917; 139.962417
設立 1968年
(創業1487年[1]
業種 食料品
法人番号 8410001005189 ウィキデータを編集
事業内容 日本酒の製造販売
代表者 代表取締役 斎藤雅人
資本金 2,800万円
従業員数 15人
外部リンク https://www.hiraizumi.co.jp/
テンプレートを表示

株式会社飛良泉本舗(ひらいづみほんぽ)は、秋田県にかほ市にある酒造メーカー。

沿革

[編集]

創業は室町時代1487年長享元年)、秋田最古の酒蔵で五百有余年の歴史があり、帝国データバンクの清酒製造部門では日本国内の蔵元としては須藤本家株式会社(1141年)に次ぐ1487年創業で全国で2番目に古い[2][3]

初代は一族を連れて関西泉州からこの地に移り住み農業を営んでいた。日本海に面し、冬の季節風は強いがはっきりとした四季の変化で醸造や熟成に適した環境もあって、二代目が酒造りを始めた[4]。創業当時は廻船問屋を営み、副業として酒造を行っていた[2]

明治時代に入り、鉄道の開通により廻船業が衰退すると、二十二代目は酒造りに専念することとなる[4]

1964年に発生した新潟地震により壊滅的な打撃を受け、一時は廃業を決意せざるを得ないほどとなったが、二十五代目は歴史ある蔵をたたむのが忍び難く、背水の陣の覚悟で再建に挑み、山廃造り一筋に突き進んだ。その結果、丹念な山廃造りに徹する戦略が徐々に市場に浸透し、平成初期には特定名称蔵としての地位を確かなものとした[4]

仕込み水には鳥海山系の伏流水を使用[5]、昔ながらの山廃仕込みにこだわり、小仕込みでキメの細かい手造りを続ける蔵元[6]

交通アクセス

[編集]

主な銘柄

[編集]
飛良泉
  • 本醸造、山廃本醸造
  • 山廃純米、純米大吟醸
焼酎
  • 山廃純米粕取、吟醸粕取

受賞歴

[編集]
全国新酒鑑評会

平成14酒造年 - 30酒造年[7] 令和元酒造年 - 2酒造年

  • 「飛良泉」金賞受賞 - 平成17、18、20、21、22、23、24、26、27、28、29年、令和元年(入賞)、2年

参考文献

[編集]
  • 木村克己『利き酒で選んだ日本酒「厳選の蔵元94」』新星出版社、2000年。ISBN 4-405-09660-0 
  • 武者英三(監修)『蔵元を知って味わう日本酒事典』ナツメ社、2011年。ISBN 978-4-8163-5006-1 
  • 友田晶子(監修)、日本酒サービス研究会・酒匠研究会連合会(監修)『全国の日本酒大図鑑[東日本編]』マイナビ出版、2016年。ISBN 978-4-8399-5386-7 
  • 「美酒王国秋田」編集委員会『美酒王国秋田』無明舎出版、2015年。ISBN 978-4-89544-596-2 

脚注

[編集]
  1. ^ 受発注登録企業検索”. あきた企業活性化センター. 2016年8月20日閲覧。
  2. ^ a b 木村克己。74頁
  3. ^ 最古は須藤本家、2番目は藤田酒造店、どちらも茨城県にある。
  4. ^ a b c 『美酒王国秋田』、34-35頁
  5. ^ 『日本酒事典』、127頁
  6. ^ 『全国の日本酒大図鑑』、63頁
  7. ^ 独立行政法人 酒類総合研究所 -「全国新酒鑑評会 入賞酒一覧表」

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]