チャンス青木
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(青木博志から転送)
チャンス 青木(チャンス あおき、本名:青木 博志、1943年もしくは1944年 - 2016年11月29日)は、漫才協会所属のお笑い芸人。熊本県熊本市出身。漫才協会理事。既婚。熊本県立済々黌高等学校、西南学院大学経済学部卒業。2008年1月に青木チャンスから「チャンス青木」に改名[1]。
経歴
[編集]大学在学中は演劇部部長として活動、卒業後はパルプ会社に勤務。
退職後の1972年に元Wけんじの宮城けんじに弟子入りし、1977年に斎藤チャンスと「Wチャンス」を結成[2]。主に浅草松竹演芸場、浅草木馬館に出演。1983年のコンビ解消後は、浅草松竹演芸場、浅草ゴロゴロ会館等で漫談、司会を行っている。
Wチャンス解散後は「鋭才・鈍才」(青木は鋭才)、「チャンス・コダマ」(コダマはケーシー高峰門下)のコンビで活動したが、長続きはしなかった[1]。後輩の面倒見がよいこと[1]もあり、2002年には漫談家として初めて漫才協会の理事に就任[2]。
演芸場が主な活動の場でメディア出演はほとんどない。テレビでは名前が知られていない「浅草の師匠」の代表格として、ナイツがよくトークなどでネタにしている。
晩年は真木淳と組んで漫才を披露したこともあり、青木自身最後の出演となった2016年の漫才大会(浅草公会堂、10月22日)でも「淳とチャンス」として漫才を演じた[3]。
2016年11月29日、心不全のため、自宅で死去[4]。72歳没[5]。
出演番組
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c 山中伊知郎『ザ・浅草芸人 中二階の男 チャンス青木』山中企画、2012年、ISBN 978-4-434-16696-9
- ^ a b 知恵蔵mini『チャンス青木』 - コトバンク
- ^ 『再生3,279回 · リアクション106件 | チャンス青木最後の舞台 | 今年の漫才大会(2016年11月22日) チャンス青木の最後の舞台です。 (淳とチャンス 左:真木淳 右:チャンス青木) | By 漫才協会 | Facebook』 。2024年11月30日閲覧。
- ^ “チャンス青木さん死去 漫才協会理事 「ナイツ」トークネタでおなじみ”. Sponichi Annex. スポーツニッポン (2016年12月6日). 2024年11月30日閲覧。
- ^ “チャンス青木さん死去 漫才協会理事 72歳”. 日刊スポーツ (2016年12月6日). 2024年11月30日閲覧。
出典
[編集]- 内海桂子・富澤慶秀『「東京漫才」列伝』東京新聞出版局、2002年